episode6 sect37 ”ちくちく”
千影が『ゲゲイ・ゼラ』を倒す瞬間ばかりを気にしていたのが仇となった。空中の迅雷を先んじて到達した熱波が包み込む。汗すら干上がるような高熱の源は『ワイバーン』の火球だ。全く、油断した。致命的だ。
地上から正確に迅雷を狙って放たれた火球は迅雷の体を丸ごと呑み込むほど巨大だ。なんとか範囲外に逃げようと『サイクロン』を詠唱したが、間に合わないことを悟った。光の軌跡が魔法陣を形作るよりも火球が跳ぶ方がずっと速い。
咄嗟に両腕を顔の前で交差させたが、それで防げるわけがない。
「――――――!!」
目を瞑り遮断した世界から水分が一気に干上がる灼熱の音がした。全身が凍り付くように冷たくなる。さっき別の『ワイバーン』と戦ったときも感じたような、急に強く熱せられたときにひやりとするあの感覚と同じか?―――いや、なにかが違う。
火傷とは違う鋭い痛みのような感覚の直後に遅れて発動した風魔法によって、迅雷は真下へと急加速した。受け身など取れるはずもなく、背中から地面に衝突して、迅雷は短く咳き込んだ。
「かはっ。ぁ・・・あ、つくない・・・?」
というよりも、冷たい。本当の意味で冷たい。
頭上からひんやりしたなにかが降ってきて肌に当たり、しみるように溶けて消えた。迅雷は直前まで自分がいた場所を見上げた。蒸気が立ち込めている。そして、光を受けてちかちかする粒子が見えた。
「雪・・・?」
迅雷は校庭の対角から目だけでこちらを見ていた雪姫と視線が合った。遠くて、見えた彼女の姿は小さかったが、確かに目が合った。すぐに彼女は視線を逸らしてしまったが。
「後でお礼言わないとだな」
意外だ、と思いかけて、迅雷はそうでもないかとも思い直した。
そういえば、千影が自分の行ったことを謝罪したときに、一番に彼女の言い分を聞いてくれて受け入れると言ってくれたのも雪姫だったそうだ。
普段の振る舞いが冷たいのは確かだろうけれど、きっと彼女はそれだけだ。冷たいだけで、本当はいろいろと見えている少女なのだ。
迅雷が立ち上がる頃には千影が『ワイバーン』の喉笛を掻き斬っていた。どこか躍起になっていたあたり、また不安な思いをさせてしまったか。迅雷が駆けつけるより先に、血を撒き散らして衰弱しきった『ワイバーン』は好機とみた学園教師たちの集中攻撃により絶命した。
『ゲゲイ・ゼラ』に続き『ワイバーン』の遺骸も消滅し、静けさが戻る。しかし、強大なモンスターに勝利したことを歓喜する声は聞こえない。それどころかほとんど全員が矛を収めず、新たに現れた得体の知れない存在を警戒していた。
千影を囲むようにして大人たちは半歩にも届かないほどの歩幅でにじり寄る。
「その目・・・まさかとは思うが魔族なのか・・・?これは一体どういうつもりで・・・?」
「と、とにかく今は動くんじゃない、そこにじっとしていろ」
千影の顔はマンティオ学園ではそこまで通用しない。知られていない理由は単純で、学園の職員たちの活動は基本的にギルドの管轄から別離しているからだ。当然同じ街にある以上、あるいは同じ国にある魔法関連の施設として情報を共有し協力はしている。だが、千影のことを直接知っている人間はこの場にほとんどいなかった。
千影は言われるがままに一歩も動かず、両手を挙げた。
だが、手を使わなくても、一歩も動かなくても、誰も警戒を緩めない。
向けられた銃口に、切っ先に千影は臆さない。それは傷を負うことに恐怖がないからか、それとも撃たれないことを信じているのか。彼女は尾と翼を捨て、爪も捨て、人間の姿へと戻った。人々はさらに驚愕の色を濃くする。
「そんなにビックリしないでよ。まぁ仕方ないとは思うけど。でもボクはずっと、最初からみんなの味方なんだから」
人の輪を掻き分ける少年に大人たちの視線が移る。迅雷だ。教師たちは彼のことなら十分知っている。
輪から外れ、迅雷は千影の傍らに立ち、彼女の肩に手を置いた。触れ合うことが安全の証明になると信じてのことだ。
迅雷の行動を受けて最初に輪から一歩歩み出したのは、志田真波だった。
「神代君、その子は一体なんなの?あなた・・・どういうつもりなのかしら。教えて」
教え子が思わぬ形で、それも明らかに普通ではない者を連れて眼前に現れた。初めは魔族の兵が迅雷を追ってきたのかと思ったが、2人は協力してモンスターを倒した。全く理解が追いつかないのだ。
真波は落ち着いた口調を心がけるが、逆に言えば意識しないといけない程度に彼女は動揺を隠せていなかった。
「先生・・・。この子―――千影はウチの居候っていうか、家族みたいなもんです。えっと・・・そうだ。西郷先生は―――いたいた。西郷先生!見覚えありませんか?」
迅雷は千影を包囲するように集まった先生たちの中から生徒指導主任の西郷大志の姿を探し出して、千影の姿がよく見えるよう前にズイッと押し出した。大志もまた困惑した表情だが、一応目を細めて千影のことを観察する。
「見覚えなんてあるわけが・・・いや待て、ん?・・・あ!!そ、その子は学内戦のときに押しかけてきた生意気な小学生・・・?」
厳密には小学校に行っていないとかなんとか言っていたような、いなかったような。
無精髭がトレードマークの大志の顔を見た千影もまた、彼のことをを指差した。
「あ!そういうおじさんはあのときのきかん坊先生!!」
「きか・・・!?じゃない、とにかくだからなんなんだ、神代!見覚えがあるとかないって問題じゃないぞ、説明しろ!その子はなんだ!」
「だから俺の家族です。今年の春に父さんがウチに迎える形で一央市に引っ越してきたんです」
「父親っていうと・・・神代疾風さん、だよな?」
その名前が出た瞬間に空気が変わった。正直、迅雷は少し悔しかった。父親に向けられた信頼の強固さは息子として誇らしくはある。だけれど、今の迅雷は虎の威を借る狐だ。自分の言葉と信用だけでは今の千影を助けてやれない。
ただ、だとしても、迅雷は誤魔化したようにこの場を凌ぐのは嫌だった。
「でも、先生たちが見た千影の姿も本当です。千影の中には魔族と同じ黒色魔力が流れているらしいです―――けど、それだけなんです。信じてもらえませんか・・・?確かに不安なところもあるかもしれないですけど、それでも千影は俺たちと一緒に戦ってくれる心強い仲間です!」
千影が不安であろう今こそ、迅雷は胸を張ってみせた。みんなだって分かっているはずだ。千影が自分たちに協力してくれたことくらいは。
迅雷は大人たちの反応を待つ。そんな折に掛けられたのは、別の声だった。
「神代!?千影!?」
「ほ、焔先輩!?」
低い声が裏返ってみっともなく慌てて駆け寄ってきたのは、煌熾だった。彼を見つけた千影は嬉しそうな顔をした。
「あ、ムラコシ!良かった、無事だったんだね!」
「それは俺の・・・いや!!」
千影はハイタッチの格好をしたが、煌熾はそれに応じかけて、しかし、手を引っ込めてしまった。いつもならなんの気兼ねもなく合わせることの出来た掌が、指先ですら触れることに躊躇する。
「千影・・・お前一体なんだったんだ・・・人間じゃなかった・・・のか?」
「焔先輩!!」
「仕方ないだろ!!」
煌熾の発言に無意識的に前のめりになった迅雷を、煌熾が押し退けた。だが、2人ともすぐに我に返って口をつぐんだ。
「・・・すまない。少し、冷静じゃなかった。だが、教えてくれよ神代。俺たち、同じ『DiS』の仲間なんだろ・・・?」
視線をどこでもない場所へ移して俯く煌熾は苦しそうだ。迅雷は声を詰まらせた。分かってもらえたわけじゃない。これじゃあ迅雷が黙らせただけになってしまう。そんなのはあんまりだ。思い描いた道とは正反対の行動だ。・・・でも、だけど、だったらどうしたら良かったんだろう。
「おかしい・・・ですよね。こんなに難しいもんでしたっけ。仲間って」
「悪い、取り乱したのは俺だ。俺だって・・・お前のことも、もちろん、千影のことも、信頼してる・・・いや、したい。後でも良い。きっと教えてくれるよな・・・?」
千影が迅雷の背から離れて一歩前に出た。
「ボクはそのつもりだよ」
こわいものから迅雷に守ってもらうだけでは足りない。守ってもらえる場所に自分から行かないと、だ。あの夜のように、期待を込めて。
息を吸い、たくさんの人々の目をそれぞれ見る。
「ボクは千影!人間と魔族のハイブリッド体質で、とっしーとは一つ屋根のしたで、みんなの仲間になりたい10歳です!よろしく!」
煌熾は、千影の名前を小さく呼んだきりまた俯いた。
「ほら、なにしょげてんの。とっしーも、ムラコシも!」
「て、てか一つ屋根の下とか変な誤解招くだろぉ!?なんかもっと、ほら、一緒に暮らしてますとか無難なのにしとけよな!」
―――なんか、これじゃあ違うじゃないか。
チクリ、と、迅雷は痛かった。千影の横に立って一緒に歩き出したはずなのに、なぜか千影は自分よりも一歩前にいて。
このままじゃ、ダメなんだ。




