episode6 sect36 ”戦場”
銀翼が曇天の日光を受けて輝く。戦闘機だ。カラーリングや日の丸から推察して、自衛隊であることは確かだ。
「すごーい、生は初めて見たかも!」
珍しい光景を見て、咲乎が興奮している。迅雷も戦闘機をまともに見たのは初めてだった。
駆けつけたのは、一機だけではない。複数の機影が異世界の魔物たちに侵された空を斬り裂いて雄々しく駆け抜ける。その様子は、翼が照り返す光と相まって実にヒロイックだ。
「あ、あそこ!さっきのと同じモンスターだよ!」
直華が指差した方向で『ワイバーン』の姿を確認する。決して近くはないが、安心出来るほど遠くもない。戦闘機に見とれている場合ではなさそうだ。
「きっと戦闘機のエンジン音がデカいからおびき寄せられたんだろうな」
「戦闘機、勝てるのかな・・・?」
直華は不安そうな顔だ。迅雷は彼女の手を握って、再び走り出した。
「きっとなんとかしてくれるって。だから今のうちに一気に逃げ切るぞ!」
「う、うん!そうだよね!」
とはいっても、迅雷だって気になるものは気になる。走りながら、気付けば迅雷はみんなと一緒に戦闘機と『ワイバーン』の戦いの行方を見守っていた。
本当はどっちが勝つかなんて分かっていなくて、強いて言うなら機械の力が、すなわち人間の技術力の結晶が嫌ななにかを振り払ってくれるんじゃないかと信じたいだけで―――。
だけれど。
「あ」
戦闘機のエンジンが火を噴いた。目の前であらぬ方向へと暴走し、落ちていく。
ばらまかれた銃弾が『ワイバーン』に傷を負わせることはあっても、小型竜が致命傷を免れるための盾となる。そして、最先端の科学技術を持ってしても生き物の柔軟な動きは追いきれない。制空権は最後まで一貫して『ワイバーン』にあった。
戦闘機からパイロットが脱出するが、あっという間に飛竜が群がる。その瞬間、迅雷は直華たちが前以外見られないように、彼女の手を握る力を強め、足を速めた。戦闘機の墜落地点で爆炎が上がった。
「お兄ちゃん!!戦闘機が!!パイロットの人が!!」
「ナオ、逃げるんだよ。今は、逃げんだよ。助かんのがナオの・・・俺たちの仕事なんだ」
顔も知らない誰かを守るために戦って、死んでいく人がいる。でも、そうして守られた人は彼のことをなにも知らない。
それは、撃墜されたパイロットは、少し前の迅雷が思い描いていたものと一緒なのだろうか。それとも、違うのだろうか。
「とっしー」
「・・・分かってる」
せめて、無駄だったと思わないで済むようにしたかった。別にあの『ワイバーン』は迅雷たちに気付いて追ってきているわけではないし、あのパイロットも迅雷たちのためにモンスターに挑んだわけではない。
だとしても、その関係ないけれど戦ってくれていた人の最期を見てしまった今、関係ないなんて言えなくなっていた。
「多分だけどさ、千影。これが戦いってこと・・・なのかな」
「どうだろうね。ボクもまだよくわかんないよ。・・・でもやっぱり、つらいのはつらいって、みんないっしょなのかな」
人が死ぬ。今は他人の番だとしても、次は。
現実を見て嫌でも必死になるしかないと悟った。
●
走って、走り続けて、途中でいろんなものを見た。見て、見て、目を瞑って、耐えて、そうして目的地は遠くに見えてきた。
真牙が道の先を指差した。もうみんなマンティオ学園が見えていることくらい分かっているけれど、そうせずにはいられなかったのだろう。
「迅雷、みんな!着いた・・・もうすぐそこだぜ!」
「あぁ!」
そんなとき、不意に後ろを走る安歌音が体を抱きかかえるような仕草を見せた。
「す、少し肌寒くないですか・・・?」
「確かに・・・ん?いや、むしろなんか暑い感じもするような」
咲乎は正反対のことを言い出す。迅雷と真牙は怪訝な顔をしたが、すぐに彼女たちの矛盾した温度感を察した。
咆哮が聞こえる。耳に覚えがある。迅雷は顔をしかめた。『ワイバーン』と『ゲゲイ・ゼラ』だ。もう散々だ。でも引き返すなんて選択肢はない。
「学校も・・・戦ってるんだ、まだ・・・!」
「どうすんだよ迅雷、このまま直華ちゃんたち連れて行けねぇぞ!」
「それは・・・・・・」
迅雷は確認するように千影を見た。そして、千影は真牙や直華、そして安歌音や咲乎を見て、少し俯いた。でも、彼女は分かっている。それに、もう自分だけがこんな自己中心的な恐怖に怯え続けていられないと感じ始めていた。
一央市はもう、戦場だ。
「一度見せたら、二度も三度も変わらないんだゼ!ボクの本気、見せてあげようじゃん!」
「ボク、たち、な?俺だってついてる!」
「うん!」
聞き慣れぬ警告音がマンティオ学園一帯を包み込む。なにかとてつもない異物の存在を仄めかすような、不協和音だ。
歪な音に怯える少女たちを守る姿勢を見せる真牙もまた、姿の見えない脅威を探して顔を強張らせていた。でも、恐いものなんてなにもない。
「なぁ迅雷、なんだこのアラート!?聞いた事ねぇよ!」
「―――決まってんだろ?」
靴底が不自然にアスファルトと擦れる音がした。魔族のイメージによく似た姿へと変貌を遂げた千影の姿を見た安歌音と咲乎の反応はそうだった。口元に両手を当てて目を見開いて、彼女の異貌から目を離せなくなる。
「な、なになに、なに・・・それ?千影ちゃん?なにそれ?」
「冗談だよね、なんかの!?」
動きを確かめるように千影は背中から生えた大きな翼を動かしてから、千影は驚愕する2人の顔を正面から見つめる。白黒の反転したその目に映るのは、いつもの真逆の光景だ。
少女たちには、小刻みに肩を震わす互いの姿が見えていた。そこにある違いは、感じた恐怖が目に見えるものに向けられたものなのか、見えないものに向けられたものかだ。
「ボクのこと、恐いって思う?」
言い表してしまえば、なにかが壊れてしまいそうな心。直華がちょくちょく遊びに連れ帰ってくる度に自分のことを可愛がってくれた楽しい2人との思い出は―――。
「思わないよ」
言葉を失った安歌音と咲乎の代わりに千影に応えたのは直華だった。初めて見る千影のおぞましい姿に臆することなく、直華は彼女に一歩、近寄った。安歌音も、咲乎も、唇を引き結んだ直華の横顔を見つめていた。
「恐くない・・・恐くないよっ!だって、千影ちゃんなんでしょ?だから・・・頑張って!私、信じてるもん、だってもう、家族なんだもん!」
迅雷は直華と目が合った。迅雷はただ、頷いた。
千影は目を丸くしていた。その表情は紛れもなく千影そのものだったから、直華は言葉に続いて笑うことも出来た。大好きな兄が信頼する千影が恐いはずなんてなかったのだ。
「ほら、安歌音ちゃんも、さくやんも」
「待って、まだちょっと・・・ついてけない」
直華は2人の手を取るが、直華ほどうまく整理がつかない。直華が恐くないと言うなら恐いと思わなくて良いのだろうけれど、その時点で千影のことを恐がっているのではないかという矛盾が生じていた。
「とっしー、行こう。ボーッとしてる余裕はないかもしれないし」
「そうだな・・・真牙、ごめん!もっぺん3人のこと頼む!」
「え、あ、お、おう!任せとけ・・・?」
直華たちを置いて迅雷と千影は飛びだし、一足先に学園に駆けつけた。空には小型のワイバーンが群れを成し、地上からは煙が立ち上っている。地響きが続き、怪物の奇声はすぐそこから聞こえてくる。人々の声もそこにある。羽ばたき、雷光、吹雪、炎熱、砂嵐、暴れる巨体。ネットの張られたフェンスからはモザイクのかかった攻防がうっすらと見えた。
もはや真っ正直に校門をくぐる必要なんてない。迅雷と千影は高い高いフェンスを一息に乗り越えて、直接校庭へと飛び込んだ。
突如として思いも寄らない場所から現れた迅雷たちの姿を、地上からみんなが驚愕と共に見上げてくる。
千影は戦況を確かめる。翼を凍らされた『ワイバーン』と、傷をものともせず暴れ狂う『ゲゲイ・ゼラ』。倒れた大人たち。生徒の姿も少ないが、見える。とにかく人が多い。負傷者と、彼らを担いで撤退しようとしながらもモンスターの攻撃を警戒するあまり動けずにいる人が特に多い。もはやこの体勢ではあの2体のモンスターは押さえきれない。だが、千影が『黒閃』を使うのも危険だ。
次に千影は迅雷の様子を見る。『制限』は効力を取り戻している。でも、ほとんど体力は限界のはずだ。滲む汗を見れば分かる。再び魔力を解放すれば気力が持たないかもしれない。迅雷のパワーに頼るのは得策ではなさそうだ。
「とっしー!『ゲゲイ・ゼラ』の注意を引いて!」
「分かった!!『サンダー・アロー』!」
迅雷は電撃で『ゲゲイ・ゼラ』の背にある鋏を狙った。落下中で狙いが逸れて掠める程度に終わったが、急所に不意打ちを受けた『ゲゲイ・ゼラ』が迅雷の方を向いた。
「もう一発だ!」
今度は少し力を溜めてより高威力の一撃を、顔面に向かって打ち込む。
電気の塊を頭部に受けても『ゲゲイ・ゼラ』は一切怯むことなく『黒閃』をチャージし始めた。
「千影!」
迅雷が叫ぶ。千影が羽ばたけば、次の瞬間には彼女の姿は遙か先にあった。
右腕から生えた3本の長い鉤爪をさらに大きく広げ、速度で自分自身を弾丸と変えた千影は溜められた『黒閃』ごと『ゲゲイ・ゼラ』を引き裂いた。
制御を失い圧縮された黒色魔力が爆散する。『ゲゲイ・ゼラ』の頭部が吹き飛んだ。でも、まだだ。生命活動を停止させるにはより頑丈な鋏の部分を破壊しなければならない。
「ッ、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
弾けた魔力の奔流に逆らう。
火花が閃いて、千影は地面に激突する。
騒然。
ただひとり迅雷だけが、千影が『ゲゲイ・ゼラ』を討ったのを見て、落下しながら小さくガッツポーズをした。
しかし、彼を振り返った千影はなにか叫んでいる。遠くて聞き取れず、迅雷は眉を寄せた。
でも、すぐに肌が焼け付くのを感じて気が付いた。橙色の灼光が右の頬を照らしていた。
「とっしー!!避けて!!」
「マズ―――っ」