episode6 sect35 ”飛来する機影”
千影が軌道を逸らした『黒閃』が近くのビルを大きく削った。轟音がして、倒壊が始まる。その下には急ブレーキで道を外れた幼稚園のバスが―――。
「まずい!?」
バスは慌てて動こうとしたが、千影が再び声を張り上げた。
「動かないで!!」
だが、人ならざる者の異質な眼光に恐怖を覚えたのか、かえってバスの運転手は乱雑にアクセルを踏み込んでハンドルを弄ぶ。
千影は構わず尻尾の先に自身の黒色魔力を収束させ、全解放、新たに『黒閃』を放った。狙いは瓦礫の雨。しかし、その千影を『ゲゲイ・ゼラ』が狙う。槍のような爪が迫る。千影は振り返らない。衝突し、火花が散る。
「今度は折れねぇぞ・・・!」
抜かずにいた『風神』を左手に構えた迅雷が千影の背を守るように飛び込み、両手の剣に渾身の魔力を込めて『ゲゲイ・ゼラ』の爪を受け止めた音だ。4月のあの日、同じように千影を助けようとしたときは剣が折れてしまったのを思い出す。でも、もうあのときとは違う。
『制限』の解除された全開の魔力を最大限につぎ込むことで迅雷は『ゲゲイ・ゼラ』の怪力を抑え込むことが出来ていた。しかし、それでもなお人間の迅雷では分が悪い。さらに厄介なことに、『ゲゲイ・ゼラ』の後方では『ワイバーン』が火炎を口の中に溜め込んでいる。
それでも、迅雷は迷わなかった。千影がこんなに頑張っているのだ。パートナーと言ってくれているのだ。
「邪魔はさせないからな・・・!」
迅雷は『ゲゲイ・ゼラ』の爪を押さえる力を緩めた。剣の防御をすり抜けた爪が真っ直ぐ顔面に向かってくる。半歩下がり、迅雷は思いきり身を屈め、バネを溜める。同時に右手の『雷神』に再び魔力を込め、立ち上がりで『ゲゲイ・ゼラ』の前足を斬り上げた。
血と共に長大な前脚が宙を舞う。思った通り、『ゲゲイ・ゼラ』の肉体は甲殻に覆われていない部分が脆弱だ。実力の未熟な迅雷でもこうして強気に出られるのは、過去の経験と知識があるからというのも間違いないだろう。
そのまま迅雷は左手に意識を集中させた。刀身に乗せる魔法はいつもの斬撃用にアレンジしたものではなく、単に強風を巻き起こすだけのものだ。それを、複数。剣の腹で叩きつけるようにして『ゲゲイ・ゼラ』の頭部に打ち込む。
「『風袋』!」
単純だが、剣が冠した名に相応しい剣技魔法だった。巻き上げられた砂埃が嵐になり、燻っていた火の手は悉く吹き消された。前脚を切断された直後に大型トラックさえ横転させそうなほどの大風に煽られ、『ゲゲイ・ゼラ』はよろめく。でも、風に煽られただけでは、そう大きなダメージは与えられていない。
けれど、それで十分だ。
揺らいだ『ゲゲイ・ゼラ』の巨躯が迅雷の視界から『ワイバーン』を隠す。
『ワイバーン』の吐いた火球は、迅雷に当たる前に『ゲゲイ・ゼラ』の体に遮られた。灰白色の体毛に引火し、瞬く間に巨体が炎上した。
直撃せずとも肌を焼く灼熱の熱波から迅雷は頭を守る。迅雷は『ゲゲイ・ゼラ』の苦痛を訴えるような絶叫を聞いた。こんなときにこのような感想を抱くのはおかしいかもしれないが、迅雷にはそれが少し意外だった。今まで何度か『ゲゲイ・ゼラ』と遭遇してきて、この化物は痛みや苦しみなんて感じない、生物学的に生きているだけの自分が知る「生き物」とは根本的にズレた存在なのではないかと思っていた。だから、彼の断末魔を聞いたとき、この怪物も「生き物」だったのか、と感じたのだ。
業火の中で悶える大きな影を、迅雷は腕の隙間から見つめていた。
迅雷に庇われた千影は、彼の作ってくれた数秒のうちに『黒閃』を尻尾と一緒に振り回し、幼稚園のバスの上に落ちる瓦礫をまとめて消し飛ばした。
それぞれの仕事を終え、千影と迅雷は互いを振り返る。
「とっしー、グッジョブ!」
「千影もな」
思えば、千影にオドノイドの力を使わせたからと迅雷がくよくよするのは変な話だ。迅雷は千影が再びこの街で、自分らしく幸せに暮らせるようになって欲しいのだ。
千影がそうしたということは、それだけ本気だったということだ。この出来事はきっと、みんなに千影を受け入れてもらうための第一歩なのだ。
だから全力でサポートするし、してもらう。
「千影、今ならやれそうだろ!」
「任せて!このまま薙ぎ払うよ!」
瓦礫を破壊した勢いのまま、千影は『黒閃』で燃え盛る『ゲゲイ・ゼラ』を両断した。そしてさらに、その後ろの『ワイバーン』へ―――。
「これで・・・ボクらの勝ち!!」
いかに堅牢な『ワイバーン』の甲殻とはいえど、『黒閃』の前では紙くず同然だった。物理を超越した破壊力を見せつけた。
巨大モンスター2頭が黒い粒子と化して消えていくのを、迅雷は呆然として見ていた。そのために必死だったくせに、なぜだか今になって理解が追いつかない。勝てたことが不思議な気分だった。
「やった・・・んだよな?」
「やったんだよ」
迅雷の腰を千影が軽く小突いて、二カッと笑う。そうしてやっと実感が湧いてきて、迅雷はにやけてきた・・・かと思えばそのまま腰を抜かして尻餅をついてしまった。
千影は翼や尾を引っ込めた。いや、引っ込めるという表現は見た様子とは異なる。ちょうど今、『ゲゲイ・ゼラ』や『ワイバーン』が死んだときのように、黒く霧散した。いつもの真っ赤な千影の瞳が地べたに座る迅雷を見下ろしていた。彼女の手を取って、迅雷は立ち上がる。やっぱり、目の色なんて関係なく、その手は柔らかくて温かい。
エンジン音が、また大きく唸った。迅雷と千影がそちらを見れば、助けた幼稚園のバスはそのままそそくさと2人の横を通り過ぎてどこかへと走り去ってしまった。
一瞬の出来事ではあったが、迅雷には運転席と助手席から千影に向けられた気味悪がる視線がはっきりと見えた。
あっという間だったが、千影はバスの中から自分に好奇の目を向けて座席に膝立ちする、自分よりもさらに幼い子供たちが見えていた。
剣を握る手に力が入る迅雷の顔を千影は下から覗き込んだ。
「とっしー。しんちゃんたちと早く合流しよう」
「・・・千影は悔しくないのかよ」
「なにが?」
「だって、千影はあの人たちを助けたのに、まるで怪物でも見るみたいに」
「悔しいよ。悔しいけど、悔しがってたらなんか違うと思うの。恩を着せたくて戦ってるわけじゃないもん。とっしーだってそうでしょ?」
「ちぇ、なんだよ。あーあ、俺の方がガキみたいじゃん。あんまり物分かりの良いこと言うなよな」
「うん、ありがと。さーさ、行こうよ」
●
「あ、お兄ちゃん!!千影ちゃんも・・・!無事で良かった!!」
「追いつくって言ったじゃん」
なぜ特定の台詞を言う度に毎回死亡させられなければいけないんだ、と迅雷は苦い顔をした。いくら日本人でもそこまで言霊の力を信じたくはないし、実際こうして生還したわけで。
でも、生きていることが幸運だと実感はしていた。真牙や直華たちを追いかけるために通った道の途中、迅雷と千影が目にしたのはギルドや消防の救急隊員たちの姿だった。建物が倒壊して生き埋めになってしまった人の救助だ。でも、手当てを受けて運んでもらえる人もいれば、発見されたきりシートの上に放置されている者もいる。
地震か、あるいはモンスターの攻撃のせいなのかは判別がつかない。でも、どちらにせよこうして間違いなく大きな被害は存在している。現実はそこにあった。迅雷は,目を瞑って必死にその横を走り抜けた。
人口密度の高い大通り周辺の被害は迅雷の自宅周辺とは比較にならなかった。手早く避難が済んだものだと思い込んでいたが、それが出来たのは比較的安全な区域だけだったのだ。集中的に狙われたような爪痕を見てゾッとする感覚は未だに鮮明だった。今、この街に放たれたモンスターは共通の指針を持っているような感じだ。
「真牙、そっちはなにもなかったか?」
「平和なもんだぜ。途中で小さいワイバーンもどっか行っちまったし」
「・・・そろそろ学校に着くな」
「そうだな」
慈音に聞いた話では、マンティオ学園にもモンスターが現れて現在も交戦中らしい。到着してもすぐに安全が確保出来る保証はない。むしろ着いた瞬間が最も危険な可能性さえある。
でも、行くしかない。それ以上に安全な道がないからだ。最低でも直華と安歌音、咲乎の3人を安全な避難所に押し込んでやることが出来れば良い。
「とっしー、避難所に着いた後はどうする?」
「え?そ、そうだなぁ―――そういや、もう腹ぺこだな。なんか食いたいな」
なんだか肩の力が抜けた。迅雷は小さく深呼吸する。そうだ、あまり気負うことはない。
「む?なんだろアレ?」
「ん、どれ?」
咲乎が空を指差して、安歌音が目を細めた。迅雷も気になって空を見上げると、モンスターではないなにかが遠くの空で輝いた。
重厚な風切音と共に飛来する影はあっという間に迅雷たちの頭上を通過した。風圧が遅れてやって来る。
「あれは・・・」