episode6 sect33 ”賽はとうの以前に投げられていた”
この時点で即座に意思疎通魔法を使用出来た人間は限られており、アルエルの宣戦布告の内容をそれと理解出来た者もまた、ごく一握りだった。
しかし、その内容は今後1時間も経たぬうちに地球全土へと巡り渡ることになった。
『まずはこの一央市を攻め落とす。そして人間界における魔族の活動拠点とさせてもらうとしよう。既に十分な戦力は投入した。せいぜい足掻き、己らの種族が犯した過ちを悔いるが良い』
最後、冷酷に吐き捨て、アルエル・メトゥは緋のマントを翻して『門』の中へと消えていった。
人々がおののきながら見上げた巨大な彼の映像は同時に消滅し、街に静寂が戻ることはなく、『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』8頭が咆哮した。彼らに呼応し、アルエルの登場で大人しくしていた『ワイバーン』たちも活動を再開する。
戦争。
戦争?
なぜ?
完全に一方的だ。話し合いがあったことすら誰も知らない。話し合いをした体を装っていたことさえ誰も知らない。魔族が勝手に人間に因縁をつけてきたようなものだ。
人々はアルエルの言う罪とやらがなんなのか全く分からないまま現れた魔獣たちから逃げ惑い、意味も分からぬまま自分たちの街が戦火に呑まれてゆくのを立ち尽くして見ているしかない。
・・・ない、のか?
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そんなわけがない。
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意思疎通魔法を解除した清田浩二は魔族の騎士団長が残した言葉を鼻で笑い飛ばした。
「雑兵1人寄越さず、あまつさえペットたちだけで一央市を落とそうってか?ナメられたもんだな、俺たちも。お前ら、覚悟は決めたな?奴らの鼻を明かすぞ」
浩二の確認に、部下たちは不敵な表情で応えた。
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戦争だろうがなんだろうが、やることは変わらない。敵があれば倒すだけだ。
通訳された内容の報告を聞いて戦々兢々とする連中とは覚悟が違う。天田雪姫は一方的な魔界からの征服宣言の後も顔色ひとつ変えず、強大な敵に立ち向かう。
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魔界による宣戦布告から5分、英国、ロンドンに位置する国際対魔法事件機構、通称IAMOの本部にもその報せは到着した。
はるか海の彼方、極東の島国の一都市をピンポイントで狙った魔族による先制攻撃は各国各組織の首脳陣に衝撃を与えた。
なぜ一央市だったのかという疑問に対する理由はいくつか思いつく。例えば『門』の展開において空間の魔力密度が高い地域が適していたから、などだ。しかし、世界有数の魔法国家である日本の要所を最優先で潰す計画は、同時に人間側の事情もそれなりに把握していることの宣言でもあったかもしれない。
魔法士の戦力が集中するのはIAMOの本部、あるいは支部であり、日本の一央市へ応援を送るのには少なからず時間を要する。軍事力の高い国に関しても同様だ。積極的な軍事行動を取らず、国内に優秀な魔法士を多数擁しているものの、それを上回る戦力でいの一番に押し潰してしまえば人間に対して大きなアドバンテージが取れる日本は絶好の的だった。
魔族側は本気だ。今までの悪戯とは違う。
本部ではテレビ電話により各支部の支部長、そして各国首脳たちも交えて緊急会議が招集された。
『今すぐにでも魔界に対して反撃を行うべきだ!』
『そうだとも!今こそ私たち人間がくすぶらせていた恨みをぶつけ返してやるときじゃないのか!被害者面をして。五年前の被害者は私たちじゃないか、言っている意味が全く分かりもしない!決して奴らじゃない!』
『し、しかし無策に反撃をしたところで・・・』
『そうですよ、むざむざと自国の兵が返り討ちにされるのを見ているだけになる!』
『戦力差なら心配ご無用。先日我が国の空軍が開発に成功した「ESS-PA」が良好な試験データを得られましてね。人間の単騎の戦力が魔族に劣る時代は終わったと確信したところです』
『ふん、あんなものは気休めだろう?生身の魔法士が頼りにならない国は苦労しますな』
『なんだと!?よもやあなたの国の魔法士事情を忘れたのか!?』
国や組織のトップがこの有様では話にならない。魔族がわざわざ作戦を考えるまでもなく人間は滅ぼされてしまうのではないかとさえ思えてしまう。
IAMOの現総長を務めるレオは嘆息した。
「つまらない意地の張り合いはよしなされ。儂らには皆平等、そう謳えど持つ者持たざる者はどうしても生まれてしまうものじゃ。しかしな、だからと言って他者を妬むのも蔑むのも、いかん。自分にあるなにかを持たぬその相手には自分が持たぬなにかがあるものじゃ。今こそ互いに補い合い、危機に立ち向かう時じゃというのに」
白髪と、同じ色の顎髭を長く蓄えた翁が口を閉じる頃には、誰もなにも言わなかった。
静かになった画面だらけの会議室で、レオは一拍置いて新しく一言を投じる。
「まず、積極的な反撃は得策ではない。その通りじゃな。魔族の力は強大じゃ。先月の末にも、同市のギルドが主導して行った5番ダンジョンの調査活動で多くの腕利きたちが為す術なく返り討ちに遭ったじゃろう?気を急いてはならん」
「ではそのまま眺めていろとでも?」
「まさか。そうは言っておらん。もちろん一央市を見捨てるようなこともせん。じゃがな、我々が取るべき行動は争いではない。まずなによりも話し合いじゃ。交渉し、平和的に解決する。そのための準備が先決じゃ」
レオの意見は一見して正論だが、他の者は難色を示した。
「そんな悠長なことを言っていられますか」
「既に攻撃されている。話し合いよりも先に解決すべき問題がいくつあると?」
聡明で倫理的な発言は美しいが、現実はそうではない。既に争いは始まっている。武器を持たずには言葉を交わすことすら叶わない。急所を刃物でつつかれながら脂汗を滲ませた笑顔で仲直りを求めて、それでなんとするか。下手に出続けた結果がこれだ。
でも、それくらいのこともレオが知らぬはずはない。それでいて、レオは穏やかに微笑んだ。静かな翁の瞳の奥に野心が揺らめく。
「はっは。なぁに、心配は要らんよ。一央市の戦闘は明日にも儂らが勝つ。わざわざご足労頂いた魔族の皆には申し訳ないが、一坪たりとも人間の土地を貸してやるつもりはないわい。勝った上で和平交渉を持ちかける。―――これなら皆も文句はないじゃろう?」
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―――なんとかなるんですか、コレ?
「なぁ千影さんや」
「なんだいとっしーさんや?」
「超アッサリ発見されたんだが!?」
「見つかっちゃったのは仕方ないよ!」
直華たちJC3人組と千影をメンバーに加えた迅雷は、慈音が待つ学園に避難を決行したのだが、もはやどこを目指して走っているのかもよく分からない状態だった。
出発してから先ほど迅雷と真牙が交戦した『ワイバーン』に再発見されるまでには3分程度しかかからなかった。子分を使って捜索網を張っていたのだろう。
逃げるのは良いが、やはり迅雷たちでは空を高速で飛び回る『ワイバーン』から逃げ切るのは不可能だ。特に直華と安歌音、咲乎の3人にはなおさら厳しい。運動神経の善し悪しなんかでは誤差にもなりやしない。
これ以上全員で逃げ続けるのは無理があると判断した迅雷は背負った剣に手を掛けた。同じような展開だが、さっきとは違う。
「ッ、くそ!!千影、ここで食い止めるぞ!!」
「ボクはいいけど、大丈夫?」
「ナオのためなら力が湧くんだよ!」
「なんというシスコンパゥワァ」
迅雷の提案に千影は唇を尖らせつつも賛成した。最善策なのは確かだ。仮に逃げ続けてマンティオ学園まで行けてしまった方がかえって危ない。『ワイバーン』はここで始末するべきだ。
直華が心細そうな目をして足を止めた迅雷を振り返る。迅雷のことを置いて逃げたくないのだ。
「い、いやだよ!一緒に逃げようよ!」
「真牙、頼んだからな!すぐ追いつくから!」
「それフラグだぞ」
真牙はツッコミを入れて、それから千影の方に目をやった。真牙にとっては依然として千影の戦闘能力は未知数だ。迅雷の生還率は彼女にかかっていると言っても過言ではない。
でも、代わりに真牙が迅雷の隣に立っても、きっとなにも出来ない。使い切った魔力はまだほとんど戻っていないからだ。
いつもの小太刀を腰に帯びた千影を見て、真牙は決心した。千影だって仲間だ。2人を信じて先に進もう、と。
「よし、行こうかみんな!」
「そ、そんな!」
「兄貴のことくらい信じてやれよ」
直華だけではない。安歌音も咲乎も不安そうにしている。あまり心配をかけさせるな、と迅雷を怒鳴りつけてやりたいが、信頼はここで稼げば良い。だから。
「学校で慈音ちゃんと待ってるぜ」
「ハッ、お前らが学校着く前に合流してやんよ」
「言ったな?」
「あぁ、言った!」
迅雷と千影は顔を見合わせ、小さく笑った。
「俺たち、やれるよな」
「もちろんだよ」