episode6 sect29 ”羽休め”
左手首の呪印が帯熱するのを構わず、迅雷は強引に魔力を引き出して『雷神』に込める。
弱ったところを狙って一斉に襲いかかる小型竜の群れに、無我夢中で『駆雷』を撃ちまくる。目はかすみ、当たっているのかいないのかも分からない。ただ撃って、撃って、そして気を失った真牙の体を持ち抱えて、逃げようとして、転んだ。まだ、足に力が戻っていなかった。
でも、それなら『サイクロン』による突風で真牙ごと飛べば良い。
弾け散る紫電の霧の中から『ワイバーン』が炎を纏う牙を剥きだして突進してくる。
迅雷は魔法陣の構築を急ぐ。
「――――――と、べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
間に合――――――う。
腹に鉄球を投げつけられたような重い衝撃を受け、吐き気を催しながらも真牙を抱える腕に力を込める。迅雷の体は宙に浮く。
浮いたのだ。
それなのに。
「くそ、くそ!!」
―――なんでだよ。
悔しくて涙が滲んだ。小型ワイバーンが、ようやく開いた逃げ道を丁寧に塞いだ。肉の壁を数度薙ぎ倒して、迅雷がやっとの思いで生み出した推力は無に帰し、炎顎の待ち構える地上に突き落とされた。
剣は手放した。右腕で真牙を抱えるために。迅雷は天に吼えた。まだだ。もう絶望では目を瞑らない。左手を放し、掌に『サイクロン』を組む。『ワイバーン』の牙が迅雷の左腕に重なろうとする。あまりの高熱に冷感さえ覚える。引っ込めそうになる腕を、迅雷は無理矢理留まらせる。
「う、腕の1本くらい!!・・・死ぬよりマシだ・・・!!」
「『エクスプロード』!!」
迅雷の覚悟に割り込んだのは、彼のよく知る少女の声が叫ぶ詠唱だった。
頭上で大量の小爆発が起こる。そして、爆炎を突き破って飛び出した小さな影―――速さ故に影としか表せない姿が『ワイバーン』の横顔面に激突した。
「な・・・」
迅雷がなにか言うより速く、あの地獄のようだった光景が遠くなっていく。常識的にあり得ない高速で戦場を離脱した迅雷たちは神代家の庭に降り立った。
「ふぃぃ・・・間に合ったね」
●
男子高校生2人を抱えて屋根伝いに疾走した千影は、額の汗を拭ってドヤ顔をした。
「よく耐えたね、2人とも」
「ち、ち、千影?お前なんで・・・謹慎中だろ?」
迅雷は信じられないという顔をした。千影は完全外出禁止命令を受けていたはずだ。しかし、千影は呆れたように吐息をする。
「ボクが君を放って家でじっとしてられると思う?」
「・・・そっか、そうだな。ありがとな、助かったよ千影。でも、なんで居場所が分かったんだ?」
「空に電撃が上がったのを見たんだ。間に合ったのはとっしーのおかげだよ」
「へ、へー・・・」
むしろその行動のせいで危ない目に遭ったのだが、結果オーライと言って良いのだろうか。
千影は嬉しそうに笑っている。こんなにも心優しい少女だというのに。迅雷は溜息をして、小さく笑う。ただ、裏腹に憤りが彼の胸中にわだかまる。
後日、今回千影が犯した命令違反を咎める者が現れるようなら、それが誰であれ迅雷は食いかかるかもしれない。それが例え、尊敬する父親であっても。
まぁともあれ、今の迅雷ではいくら意気込んでも誰にも太刀打ち出来そうにない。ひとまず目下最大の危機を逸したことで緊張が緩み、迅雷はカクンと膝が落ちて土の上に尻餅をついた。
でも、そうだ。まだ安心出来ない。大事なことが済んでいない。
「そうだ、千影!ナオだ、ナオを迎えに行こうと思ってたんだよ!」
「それなら・・・」
千影は家の玄関を開けて迅雷と真牙を中に押し込み、おもむろに奥へ「おーい」と声をかけた。
すると、リビングの方からひょっこり顔を出した少女が3人。
「お、お兄ちゃん!・・・と、真牙さん!?大丈夫なの!?」
「お兄さん!あー、無事だったみたいですね!」
「すごい、本当に連れて来ちゃった・・・」
直華と、それから彼女の友人である小野咲乎、石川安歌音の3人だった。元気そうな直華の顔を見られて、迅雷は今度こそ全身から力が抜けた。
「ナ、ナオぉ~・・・良かったぁぁぁぁ」
「ボクがとっしーとしんちゃんより先に見つけて連れ帰ったんだ」
「グッジョブ!!」
迅雷の渾身のサムズアップに千影は胸を張る。
彼女も迅雷と近い優先度の判断に基づいて行動していた。なにはともあれ、これでひと段落したと考えて良いだろう。真名については職場に残って移動が困難なお年寄りの世話をすると言っていた。ついでに、家の方は帰国途中の疾風が戻るまでは迅雷に任せる、とも。
真牙はまだ意識が戻らないので、すぐに移動するのは現実的ではない。幸い命に別状はなさそうなので、迅雷は、少なくとも彼が起きるまでは家で体を休めておくことにした。ずっとここにいるのは論外として、移動するにも危険が伴うだろうからだ。万全は無理でもある程度は対応出来るようになっておかねばならない。
「あの揺れの割にウチん中は大したことないな」
「よっぽど良い建築だったんだろうね。向かいのしーちゃんの家なんて・・・もうなんていうかひどいことになってるよ」
「ふーん・・・ふぁっ!?」
何気ない千影の一言で迅雷は窓に飛びついた。
なんと、そこにあったのはどう見ても7割くらいぶっ壊れて見るも無惨な姿の東雲宅だった。開いた口が塞がらない。
「えーっと・・・晴香さんは無事なん?」
「む?ハルカさんって誰?またたらし込んできたの?」
「またってなんだ!しーちゃんのお母さんだよ!」
「あぁ、無事」
幸い買い物に出ていた晴香は、地震後変わり果てた我が家を見て卒倒しそうになっていた。しかし、その後は慈音を迎えに、あるいは合流するためにマンティオ学園に向かった。千影が知るのはそこまでだ。
「これ、しーちゃん見たら泣くぞ」
「こればっかりはしょうがないよねー」
いや、全くその通りだけれども。
気が遠くなって迅雷はソファーに倒れ込むような格好で腰を下ろした。一度にいろいろありすぎたから、ここらで少し整理がしたい。
台所から直華が飲み物を持ってきて、迅雷と千影に手渡した。冷蔵庫に入っていたオレンジジュースだ。
「ありがとな、ナオ。いただきます」
「ぷっはぁ、んまーい。しみるねぇ~」
「オッサンか」
ツッコみつつ迅雷もグラスに口をつける。冷たくて美味しい。そこまで考えて迅雷は首を傾げた。オレンジジュースの紙パックを冷蔵庫に戻す直華に迅雷は尋ねる。
「あれ?電気って止まらなかったのか?」
「少し前に復旧したみたいだよ。電話も使えるようになったみたいだし、あとはガスと水道だけかな。ガスは私たち関係ないけど」
「へぇ、早いな」
直華が無事で、予想はしなかったものの安歌音と咲乎もいて、真牙も大丈夫そうで、千影とも合流出来て、迅雷自身もなんとか無事。ここにはいないが真名も大丈夫ということだろう。
「そうだ―――」
迅雷は慈音に電話をかけた。数度待って、慈音の声が聞こえた。実際は本物に似せた合成音声だ、なんていう豆知識があるが、そんなのはナンセンスな揚げ足取りだ。相手が電話に出てくれるだけでも嬉しいじゃないか。
「あ、もしも・・・」
『としくぅぅん!!だ、だだだ大丈夫だった!?』
「お、おう、大丈夫大丈夫・・・。危機一髪千影に助けられたって感じだけど」
『えぇっ!?それだいじょばなくないかな!?』
「ホント大丈夫、大丈夫だから!それで、そっちはどう?しーちゃんも、他のみんなも無事?」
『えっとね、えっとね、真白ちゃんも楓ちゃんも涼ちゃんも愛貴ちゃんもいっしょにいてね、お母さんもさっき来てくれたから無事は無事なんだけど・・・』
「・・・?な、なにかあったのか?」
「その・・・雪姫ちゃんと煌熾先輩と矢生ちゃんがまだ外でモンスターと戦ってて。先生たちもいっしょなんだけどちょっと心配だよ」
「そうか・・・ちょっとヤバいのもうろついてたから心配だな。まぁでも先生たちもいるなら万一のことはないと思いたいな」
天田雪姫も学校にいるのかと、特に意味はないが迅雷は彼女の顔を思い浮かべた。旧セントラルビルの一件以来顔を合わせていないから、気になってはいたのだ。もっとも、会えたところで「その後どうですか」なんて会話が成立するとは思えないが。
スピーカーの向こうで慈音が首を傾げる。
『としくんはこれからどうするの?というか今どこにいるの?しのたちは学校の・・・えっと、3番アリーナにいるよ』
「今は俺んち。こっちも落ち着いたら合流するよ」
『うん!』
「じゃあ一旦切るよ」
『はーい。待ってるよー』
慈音にとっても迅雷にとってもそっちの方が気持ちが楽だ。そこまで話をして、迅雷は電話を切った。電気が復旧したとはいえ避難所のコンセント数はたかが知れている。慈音の携帯電話を無駄に消耗させるのは良くない。
これで、今後の迅雷たちの行動指針は立った。