episode6 sect27 ”烈天の大翼”
足りないんだ、こんなつまらない戦いじゃ全然満たされない。
あばらが剥き出しになるまで胸を掻き毟りたくなるようなもどかしさをぶつけるには脆弱すぎる。
腕の肉を噛み千切りたくなる苛立ちをぶつけるには貧弱すぎる。
眼球を抉り出して頭蓋が砕けるまで頭を壁に打ち付けたくなるような狂気を受け止めさせるにはあまりに軟弱すぎる。
この程度では雪姫が今日まで募らせてきた鬱憤を散らすことなんて到底できっこない。
「足りない・・・」
●
なんの箍が外れたのか、今の雪姫は誰の目にも異常に映った。モンスターの血を浴びて愉悦に浸るように口元を歪めたかと思えば、憎悪に満ちた目をし、辛そうに拳を握り締め、求めるように空を仰ぐ。
彼女が走らす無尽蔵の殺意に当てられた他の人間全てが、彼女の戦いに加わることが出来ずにいた。それは萌生や煌熾ら生徒だけではない。確かな実力があるはずのマンティオ学園の教師たちでさえ、たった1人の少女が放つ怒りや憎悪によって凍り付いていた。
もはや雪姫の精神が不安定になっているのか一貫しているのかさえ不明だ。
そんな中。
「・・・ぁ?」
風が吹く。砂が舞い上がり、雪姫は空に現れた巨大な影を見上げる。氷の千刃が舞う中で悠然と舞い降りてくる大型の翼竜だった。
同時、学園の地下ダンジョンへ訓練中の教師らを呼び戻しに行っていた真波らが戻って来た。彼女は現れた怪物を見て叫ぶ。
「あれはとてつもなく危険よ!!天田さん!他のみんなも、生徒は全員避難しなさい!!」
駆けつけた真波の切迫した声で場が動き出す。
彼女と共に戻って来た教師たちがこの場を凌いでくれると言う。上級生が中心になって下級生を連れ、一般に遅ればせながら避難を開始した。
しかし、雪姫は逃げる気なんてない。ようやく見つけた。見れば分かる。危険だ。強大だ。ずっと求めていた。
「天田さん!逃げようよ!?」
「そうですわ!いくらあなたでもあれの相手は無茶ですわ!!」
呼びかけてくるのは東雲慈音と聖護院矢生だ。そのまま、慈音は萌生に手を引かれてアリーナの方へ連れて行かれた。雪姫を置いては行かないと抗った矢生は立ち止まり、彼女の横に立つ煌熾が雪姫に歩み寄る。
「そうだ、天田。ここは一旦引くべきだ」
ついて来いと言う代わりに差し伸べられた手を、雪姫は拒む。無理にでも連れて行くべきと思ったのだろう。煌熾は払われた手でもう一度、今度は彼女の腕を掴もうとした。でも、触れた掌が凍り付くような痛みを感じて反射的に手を放してしまった。
「嫌ですよ、逃げるなんて。逃げたい人が逃げれば良い。ここはあたし1人でも十分です」
空では他より遙かに大型の飛竜が咆哮する。十分離れているはずなのに一瞬全身が痺れるような感覚を覚える。
真波は、再度雪姫に逃げるよう促した。いや、懇願した。
「あれは『ワイバーン』なのよ!?とてもじゃないけど無理だわ!お願いだから先生の言うことを聞いてよ・・・!」
一対の翼と脚を持ち、自在に空を舞う全長10メートル近いあの生物は、『ワイバーン』と呼ばれる『特定指定危険種』だ。
今年度に入って既に度々問題となったかの『ゲゲイ・ゼラ』と比すれば単体の危険度はまだ低いとされるが、どちらにしたってまともな人間が単独で刃向かえるわけがない。
小型種の群れを率いた王とも取れる『ワイバーン』は恐れ戦く人間たちを睥睨する。誰の言葉にも耳を貸さず、雪姫はただ彼の眼を真っ直ぐ睨み返す。
揺らがぬ殺意同士が交差し、直後、『ワイバーン』が甲高く重厚な絶叫を上げた。
応じて、雪姫は『スノウ』を最大展開。直後、音の波が雪壁を伝って激震した。陽炎にも似た視界の揺らぎを感じながら雪姫は牙を剥いた。
「来やがれ、ブッ殺してやる」
真波も、煌熾も、矢生も、雪姫の独断を止めることは出来なかった。
―――なら。
「なんであなたって子は・・・ホントに世話が焼ける・・・!!」
「時間切れだな。もう待ってはくれないみたいだ」
「仕方ないですわね・・・!ですが。天田さん1人に良い格好はさせませんわよ!」
雪姫の前に立ち、3人はそれぞれの覚悟で彼女の無謀に付き合うことを決めた。でも、3人の思いは同じだ。ただ、生きて―――全員でこの窮地を脱するために、笑顔を作る。背後にはマンティオ学園が誇る優秀な教師たちもいる。
『みんなでやれば、きっと勝てる!!』
「・・・チッ。邪魔だけはしないでよ―――」
●
「――――――ぁっは!?」
「真牙?真牙!!」
気が付くと、真牙は迅雷に抱きかかえられていた。なぜ―――と考えて、思い出す。
「そうだ、オレ、空の破片に潰されて・・・」
「良かった・・・!死んじまうんじゃねぇかって!!」
「よしよし分かったから放してくれ、苦しい」
ガチ泣き寸前の迅雷には悪いが、抱き締められるとむさ苦しくて堪ったものじゃない。というか、全くの無傷なのだ。違和感がある箇所もない。
「お前、大丈夫・・・なんだよな?」
「おうともよ。つーか考えてもみたらあれ、ただの空気の塊なんだよな。そりゃ死なんわ」
見かけに騙されてショックで気を失ってしまったようだが、実際は少しも痛くなかった。迅雷の風魔法の方が数段危険なくらいだ。
そんなことより、今の状況だ。真牙は空を見上げる。見えたのは、気絶する前はいなかったはずの大量のモンスターの姿。
「なんかすげぇいっぱい飛んでるぞ」
「あぁ。強くはなかったけど数が厄介だ」
周囲の魔法士たちは既に現れた小型ワイバーンにまともに取り合うのを諦めて、付近の一般人を避難所まで誘導しながら最低限の応戦をするだけになっていた。
真牙が問題なく歩けると分かれば、迅雷たちがここで足を止めている理由はない。早く当初の目的である直華の保護に向けて行動を再開すべきだ。いつでも小型ワイバーンの攻撃に対処出来るように迅雷と真牙はそれぞれ剣を帯びた。
「迅雷は『雷神』だけで良いのか?」
「良いんだよ。背中で鞘がかさばるし」
「ふーん」
走りながら、迅雷は今さらながら思い出して、真牙に尋ねた。
「なぁ、お前、家の方大丈夫なのか?」
「母ちゃんなら大丈夫だろ。迅雷の10倍はしぶといぞ」
「たくましすぎだろ」
冗談半分のやり取りで迅雷は思わず笑ってしまった。また借りが出来てしまう。思えば迅雷は真牙に世話をかけてばっかりだ。
「病院の方は?」
「まぁ少し心配だけど、信じるしかねぇよ。オレじゃなんも出来ねぇし。だから直華ちゃんが先」
「そっか」
「それより前見ろよ。来てるぞモンスター」
「っとと」
口を大きく開いて突っ込んでくる小型ワイバーンを屈んで躱し、迅雷は無視して走り続けた。まるで海鳥に狙われる鰯の気分だ。もちろん食われてやるつもりなんてないが。
しかし、空に派手に大穴まで空けておいて出てくるのがこんな小物ばかりなんてあり得るだろうか。 無数の車が乗り捨てられ、がらんどうの街の上空を魔物が飛び回る光景だけ見ればまるでとうに滅ぼされて支配されたかのようだが、現状、地震以上の被害はほとんどない。
迅雷は雰囲気と実際の間に齟齬を感じた。まだ、なにかある気がする。
そろそろ直華が普段登下校に使っている道に合流する。それは迅雷が3年間歩いた道と同じでもある。記憶通りに辿ればどこかで直華を見つけられるはずだ。
でも、やはり一筋縄ではいかないらしい。抱いていた疑問の答え合わせでもするように、大きな影が迅雷と真牙の影を覆い尽くし、追い越した。
強風が吹き、2人は思わず足を止めた。
人間と同程度の大きさしかない他の個体の6倍か7倍はあろうかという巨体が、それに見合うだけの大きな翼をはためかせていた。
まだ名を知らないその大型種は、迅雷たちには目もくれず飛び去っていく。
「やっぱりいたな、ヤベーヤツ」
「おい迅雷、あの方角って中学じゃね?」
「あ!?くそ、行かせるか!」
迅雷は少し焦って判断を誤った。別にあの大きな翼竜もどきが中学校を襲うとも限らないし、直華を見つけるとも限らない。もちろんその可能性は低くないのだが、だからといって迅雷なんかが注意を引いてどうにか出来るわけがない。
反射的に信号弾の如く空に電撃を打ち上げてから、迅雷は「あ」と声を漏らした。
「わー!?なにしてんじゃこのボケ!?」
「う、うるせぇな!体が勝手に動いたんだよ!」
「シッ!気付かれた、戻ってくるぞ」
「くそ,悪い・・・!とりあえず隠れよう」
とは言っても、隠れる場所なんて見当たらない。あまり遠くまで逃げようとすればその前に見つかってしまうだろう。
あるのは電信柱、乗り捨てられた軽自動車、ゴミ捨て場、半開きのガレージ。宅地なんてこんなものだ。
迅雷は周囲を見渡すが、焦るばかりで足がどこの方にも向けられない。そんな迅雷を見かねて真牙は彼の腕を掴んで走り出した。
「うおっ!?」
「この際仕方ねぇ!こっち来い!」