episode6 sect26 ”コレデ、アンシンダネ”
煌熾を含めた他の、雪姫のことを知る学園の全員、これほどまでに”ガチ”な彼女の姿を見たことはないはずだ。
一度雪姫と戦ったことのある生徒たちにとって、彼女が味方であることはこの上なく頼もしく感じられたことだろう。そして、学園の教師たちにとって、負傷した生徒が先走るのを止めたくても自分たちの役割から手が放せないことが歯痒くて仕方ないことだろう。
雪姫は片方だけの松葉杖を放り捨て、治りきっていない左足の骨折を足ごと凍結させて固定し、跳躍した。でも、翼竜が舞う空にはまだ遠い。空中で何度も足場となる氷塊を生成し、雪姫は一気に校舎の屋上より高くまで駆け上がり、最後の跳躍と共に大きく腕を振りかぶった。
単身飛び出してきた格好の獲物に反応してモンスターが一斉にそちらを狙う。
だが、雪姫は得意の『スノウ』で防御する素振りすら見せない。
「天田!?」
「天田さん!」
「なにしてんだ!?」
遙か下から自分の身を案じる連中の声が聞こえて雪姫は舌打ちをした。邪魔でしかない。元はと言えば、彼らがさっさと引っ込んでいればここまで敵に接近する必要さえなかったのに。
掌に飽和限界ギリギリまで魔力を溜め込んだ。モンスターが大きく口を開き、胴に喰らいついてくるほんの一瞬手前、雪姫はなんもかんもお構いなしに、ただ一薙ぎ、腕を振るった。
だが、その無造作な動作の中に無数の魔法が織り込まれていた。荘厳な音の波を引き連れ、氷の蕾が華開く。
「死ね」
彼女が放ったのは、マンティオ学園に逃げ込む人々の頭上を丸ごと覆い尽くす氷のドームだった。横薙ぎに引きずり出されるように現れた規格外の質量は雪姫が腕を振るのと全く同じ速度で空中のモンスターの群れを呑み込んだ。
透明な殺意の華が瞬く間に鮮やかな赤に染まる。
牙を立ててきた恐竜もどきの顎に引っかかって動けない雪姫は、超低温で氷像となったそれを蹴り砕き、地上へと自由落下する。
植物魔法で生み出したトランポリンのような花で着地の補助を試みる萌生を無視して、雪姫は自分で用意した粉雪で衝撃を殺した。
しょんぼりする萌生の隣で明日葉は氷のドームを見上げ、口をポカンと開けた。にわかには信じがたいやり口だ。あの魔力量を一度に制御するなど、とてもではないが明日葉には真似出来ない。
「なんつーデタラメしやがんだ・・・」
「でも今がチャンスです!みなさん、今のうちに早く!」
モンスターの撃退に成功しただけではない。雪姫の圧倒的な強さに歓声すら上がっている。彼女の行動が彼らにひとつの希望をもたらしたのだ。
雪姫は自分にお礼を言いながら逃げていく人たちを横目で見送る。見送って、見送って、そして、最後の1人、小さな女の子を見送った。
「・・・ハッ。ホント、馬鹿みたい」
妹と背丈の近い影に反応して踏み出しかけた一歩を、雪姫は自嘲しながら引き戻した。背丈以外はさっぱり似ても似つかぬ赤の他人だった少女は無事に避難所の中へと消え、役目を終えた血氷の天蓋は音を立てて崩れ始めた。
白く凍てつく吐息を長く漏らし、雪姫は上空を見上げる。邪魔な氷の壁がなくなって、焦れていた害獣どもが降りてくる。
雪姫の戦いは終わらない。むしろここからが本番だ。敵の数は数えるのも愚かしい。
本当はこの場を離れて妹を探しに行きたいのに、それを良しとしない自分自身にさえ苛立ちを覚え、血が出るほど強く拳を握り締める。
矛盾するのは、力が足りないからだ。こんなものじゃない。もっともっと、もっと―――。
「お姉ちゃん!!」
そんなとき、聞こえるはずのない声が雪姫の鼓膜を震わせた。
駆け寄ってくる少女の頭上に見えた影に最高速の氷塊を叩きつけ、雪姫は少女を片手で抱き留めた。
「お姉ちゃん・・・!」
あまりに不意で、雪姫は自分に飛びついてきたその子が誰なのか確認出来たのは、もう一度「お姉ちゃん」と呼ばれた後になってからだった。
でも、やっぱり間違いないなかった。未だに信じられない気分だが、自分と同じ淡い水色の髪の色で、見慣れた背丈で、触れ合えば分かる少しひんやりした体温で―――。来ないと諦めていたはずの妹だった。
「夏姫・・・なんで・・・?」
「あ、あのね、家でゲームしてたら地震で逃げろって言われてすぐお姉ちゃんのとこに行こうとして・・・」
「・・・バカ」
危機感が足りていない。見れば膝小僧を擦り剥いているし、そこかしこ、砂まみれだ。
「逃げんなら小学校だって言ってあったでしょ・・・」
「うぅっ!?そ、そうだけど・・・ご、ごめん、でも・・・」
「でも」
―――でも、良かった。
数秒、夏姫の肩を抱く手に力を込めて、雪姫はすぐに彼女を自分から離した。こんなときでも、雪姫は笑顔を見せなかった。
代わりに、彼女の顔からは焦りや苛立ちの色が消えた。ある意味で、らしさを取り戻した瞬間でもあっただろう。
「―――でも、よく迷わず来れたね。モンスターに襲われたりしなかったの?」
「いやめっちゃ襲われたんだけど、自称怪しいお兄さんが助けてくれて、そのままここまで連れて来てくくれたんだよね」
「自称怪しいって・・・なんでそんなヤツについてくんだか」
「いや、一周回って本当は良い人なんじゃないかと思って―――ほら、あの人なんだけど」
夏姫はこの混乱の中マンティオ学園まで無事に送り届けてくれた恩人、「怪しいお兄さん」の姿を背後に探したのだが。
「誰もいないけど」
「ふぁっ!?なんで!?」
堂々と姿を見せないあたりに確かな怪しさを感じた雪姫は、しゃがんで夏姫の体のあちこちを手でまさぐり始めた。
「ふゃ、な、なになに!?お姉ちゃん!こういうのみんないる前でやるのは良くないと思うよぉ・・・っ!」
「いいから」
「うぅ~」
夏姫は赤面しているが、そんな話をしているのではない。こうして手を当てているのは、夏姫の体に変な痕跡がないかを探すためだ。もし夏姫を助けたという人物がいつかのように人間に化けた魔族だったなら、なにか細工を施している可能性もある。
でも、念入りに探ったが、結局それらしいものは見つけられない。目に見えない術の可能性も考えたが、その様子もなさそうだ。
ここに逃げ込まないということは避難の道すがら困っていた夏姫を見つけたわけでもなさそうだし、恐らく正規の魔法士でもない。自ら「怪しい」と紹介したその人物の行動は不可解な点が多いが、雪姫は今のところそれは大きな問題にはならないと判断した。
「・・・分かった。とりあえず夏姫は今すぐ3番のアリーナ・・・・・・うん、えっと向こうに見える青天井のドームに走って」
「お姉ちゃんは?」
「あたしは良いから」
「でも!」
「ほら、行って」
既に戦いの目に戻っている姉を見て、夏姫はそれ以上のことは言わず、指示された通りにアリーナの方へと駆け出した。
妹を1人で逃げさせた雪姫に萌生が心配そうに声をかける。
「妹さんなんでしょ?あなたも一緒に行っても良いのよ?」
「は?冗談でしょう?」
「なにを・・・」
魔物の翼に覆い隠された空を見上げ、雪姫は牙を剥いて嗤う。そう、嗤った。
深く暗く冷たく鋭い笑みに、萌生はかける言葉を失った。妹を大事にする雪姫の姿に自分たちと同じ感情の一端を垣間見たが、結局天田雪姫という少女はどこまでも天田雪姫以外の何者でもないということだ。
「うっさいんですよ、分かったような口ばっか利いて。ようやく思う存分あのゴミどもをブッ殺せるんですよ?」
煌熾が雪姫のその表情を見るのは、入学式の日以来だ。あの日の暴虐を思い返して煌熾は青い顔をする。流れ弾が当たらないよう配慮はするようだが、分かっていてもこの雪姫はモンスターより恐ろしい暴力の化身だ。
だから、煌熾は先行する雪姫を止め、この場の全員での協力を促そうとする。無論、聞き入れられるわけはなかったが。
「よせ天田!やりすぎるとすぐにばてるぞ!」
「だから―――うっせぇんだよ!!」
恐いならさっさと逃げれば良いだろう。
危ないと思うなら隠れていれば良いだろう。
あの日、あの狐野郎に屈辱を味わわされてからずっと、ずっとずっとずっとずっと溜まっていた鬱憤を晴らしたくて、でもその場がなくて、今にも狂いそうだった。
百を超える小型の魔法陣を常に維持し続け、雪姫は空に向けて掃射を行った。殺して、殺して、殺しまくって、何十何百何千と人に害を為すモンスターの命を奪って蹂躙し尽くす。真波との面談の話を少しだけ思い出した。そう、これは爽快感なのだろう。
マンティオ学園の上空に、一足早く雨が降り出した。血の雨だ。黒い雨だ。屍の雨だ。
だけど。




