episode6 sect22 ”上級生の役目”
「わぁぁぁ!?なにっ、なにぃ!?」
「おちっ、落ち着いてくださいまし、東雲さん!このようなときこそ冷静に!」
「ししょー!世界の終わりですかぁぁっ」
「そんなわけがないでしょう!愛貴さんも取り乱さないでください!」
「嗚呼、楓ちゃん、死ぬときは一緒です・・・」
「いや待って真白、まずは死なない前提で話をしてくれないかな!?」
「そうですわ、西野さん!そんな悟ったような顔なさらないで!」
そうは言っても、これほどの揺れだ。人生でそう何度も遭う程度の地震ではない。厨房からは落ちた食器が壊れる音も続いている。窓枠が軋む音もする。天井の照明は不穏に明滅している。慈音や愛貴に真白や楓、他の人たちがパニックに陥るのも分からなくはない。
でも、だからこそ混乱の中で冷静な判断を出来る者が、心の強い者が必要だ。
聖護院矢生は、そうありたい。
矢生は揺れに怯えを示さず真っ直ぐに立ち、この場にいる全員が聞いてくれるように声を張り上げた。
「みなさん!まずはテーブルの下に隠れてください!大丈夫、ここは学校です、地域の緊急避難所にもなっています、安全です!」
食堂で一緒になった友人たちは、なんとか矢生の言葉を聞いてくれた。でも、他は違う。いくら矢生が頑張ったところで建物を慌てて飛び出そうとする生徒たちにまでは、彼女の声は届いていなかった。
「みなさん、大丈夫、大丈夫ですから、どうか一旦落ち着いて・・・ごほっ!」
「矢生ちゃん・・・」
必死に超えを張り上げ続けて咳き込んだ矢生を机の下から見上げることしか出来なかった涼は、胸が痛むのを感じた。その痛みの正体は、あの研修を経た今なら分かる。出来なかったことを後悔する痛みだ。自分は安全なところでほんの少しの無理もしないで頑張っている人を心の中で応援するだけ。そんなのは自分を見てる自分が悲しい気分になる。
このまま押し付けて、矢生1人だけに頑張らせてはいけない。
「手伝うよ、矢生ちゃん。1人の声じゃ届かないなら、私だって・・・!」
「涼さん・・・心強いですわ」
矢生はとても嬉しそうな顔をする。それは涼の励みにもなる。
ただ、そうして涼がテーブルの下から這い出たとき、食堂の入り口で混乱した生徒たちを1人で押し留め、挙げ句の果てに押し返す人物が現れた。
その人は、片手でメガホンを作って、少し天井の方を見上げる角度で声を飛ばした。
「大丈夫!!だからとりあえず机の下へ!!」
たったそれだけだった。矢生が言っていた指示となにも変わらないはずなのに、低く力強い彼の一言であれだけ混沌としていた状況が落ち着いてしまった。
矢生と涼は、その声の主―――焔煌熾の姿を唖然として見つめていた。
それから間もなくして、揺れは収まった。矢生たちがいた食堂の被害は、結局机上の調味料類が倒れたり、厨房の方で棚から物が落ちたりした程度で済んだ。建築の強度はさすがのもので、壁にヒビが入るようなこともなかった。
「収まったか・・・?」
長い地震だった。テーブルの下から恐る恐る顔を覗かせる生徒らに、煌熾は次の指示を出す。
「今のうちに校庭へ出ましょう!余震にも気を付けて、焦らず、そして出来るだけ素早く!」
煌熾の誘導に従って、生徒と、それからパートで働いている食堂のおばちゃんたちも、安全に建物の外へ逃げ果せた。ガスの元栓も閉めたらしいし、これで一応は大丈夫だろう。
・・・と、煌熾が安堵していると、避難の最後尾に見知った後輩たちの姿を見つけた。
「東雲に―――聖護院と五味じゃないか。そうか、やっぱり来たときに聞こえた声は聖護院だったんだな」
「焔先輩・・・」
見上げてきた矢生らの目がなんだか悲しそうで煌熾はギョッとした。今の一言の中になにかそんなに気に障るようなことがあっただろうか、などと心配するが、そうではない。
「ど、どど、どうしたんだそんな顔をして!?」
「いえ・・・やはり焔先輩は立派な方だと思いまして。私の声では、みなさんには届きませんでした。力不足を知りましたわ」
「矢生ちゃん・・・」
落ち込む矢生の肩を涼がそっと抱く。
聖護院矢生は自信家で目立ちたがりの勝ち気な少女だ。誰よりも優秀でありたいと願い、そしてそうであろうとする。そして同時に、彼女のその図太い在り方は、強い正義感に基づくものでもあった。
だから、その矢生がいくら呼びかけても応じなかった群集をあっという間にまとめ上げた煌熾に対して劣等感を抱いてしまうのも、仕方のない話かもしれない。
「聖護院、それは気にするようなことじゃ・・・。現にさっきも頑張って―――いや、うん、そうだな」
矢生は気の強い子だ。今の努力を褒めても、納得しないだろう。煌熾は少し考え直してから、改めて矢生の肩に手を置いた。
「今は俺の方が影響力があったってだけの話だよ。1年間、聖護院よりも長くここにいて、他の生徒たちに見てもらってきたからな。でも折れるなよ。天田みたいなとんでもなく高い壁に当たっても挫けなかったんだろ。こんなことで気の弱いことを言うなんてらしくないぞ」
「・・・焔先輩・・・!」
あぁ、なんだか矢生の目に光が灯った。調子が良いと言えば小馬鹿にしたように聞こえるかもしれないが、心持ちの強さは彼女の美点だろう。タフな精神の持ち主はいざというときに、とても頼りになる。
「聖護院の頑張りを見ている人はたくさんいる。次はきっとうまくやれるさ」
「そうだよ、矢生ちゃん。次はいけるよ!・・・あ、でもこんな地震はもう金輪際なくて良いんだけどね」
「ふふ、そうですわね。ありがとうございます、焔先輩、涼さん!えぇ、そうですとも。今日叶わぬなら明日叶えるのみですわ!」
「その意気だ。さぁ、早く校庭に行こう。直に先生たちも来て安否確認があるだろうからな」
「そうですわね!さぁみなさん!慌てず落ち着いて、なおかつ迅速に行きましょう!」
高笑いしながら先陣を切ろうとする矢生を煌熾たちは苦笑しながら追った。
いつも通りな矢生の姿を見て愛貴は楽しげにまねっこのツインテを揺らす。
「おー!師匠が元気になってくれました!」
「いや愛貴ちゃん、あれはちょっと元気になりすぎなんじゃ・・・?一周回って空気読めてない感出てる気がするんだけど」
ただ、その一方で未だに晴れない顔をして、煌熾の服の裾をつまむのは、慈音だった。
「ん、どうしたんだ東雲?」
「ねぇ、煌熾先輩、としくん大丈夫かなぁ・・・。今、学校向かってるって言ってて・・・だから今の地震大丈夫だったかなぁ・・・?電話も繋がらないんです・・・」
「神代がか?そうか・・・いや、きっと大丈夫さ。むしろ今頃東雲の心配をしているんじゃないか?」
慈音と一緒にいた2人―――煌熾は名前を知らないが、真白と楓も一緒に迅雷の身を案じている様子だ。なんとも、可愛らしい女子に心配してもらえるなんて、なかなか羨ましいやつだ。煌熾なんて大体「あいつなら大丈夫だろう」で済まされてしまうというのに。それはそれで強い信頼を受けている証拠だと割り切っているが。
「学校に向かってるなら、すぐに来るさ。なに、いつももっと大変な目に遭って、それでもなんとかなってるんだ。神代の心配をするなら、まずは俺たちが無事でいないとな」
校庭には、既にたくさんの生徒が集まっていた。受験を控えた3年生や補講の後も校舎に残っていた下級生たちだ。素晴らしく速やかな避難である。
「おぉ、煌熾ぃ!無事だったのか!」
「柊先輩。そちらも大丈夫だったみたいですね」
「まーな」
どうやらなにかの用事で人手の足りない教師たちに混じって風紀委員長である明日葉も避難の誘導を担っていたらしい。向こうでは生徒会長の豊園萌生が安否確認を行っているのも見える。さすがに冷静な仕事っぷりだ。
「しかし休み中ともなると学校に誰が来ていて誰が来ていないかも把握しきれないですね。1人で登校して行方不明になってたら分からないですし」
「まぁ校舎ん中も無事だし大丈夫だろ。それは後でアタシらが見回りゃ済む話だよ。・・・それより煌熾、気付いてるか?後ろのアレ」
「アレ・・・?」
明日葉に言われ、煌熾は背後を確認する。
別になにもない―――と思ったが、少し、視線を高くしたとき、それが見えた。さっきまでは、校舎に視界を遮られていて、なおかつ目の前の事態に集中していて気付かなかった。
その異様な光景に煌熾は息を飲む。
「あれは・・・一体なんです?光の柱・・・みたいに見えますけど」
「なんだろうな、アタシにも分かんねぇ・・・けど、ろくなもんじゃなさそうだな。ただ、気になんのは、アレがセントラルビルの辺りだってことなんだよ」
「セントラル・・・って、まさか!?」
「勘、だけど」
戦闘に備えた方が良い、と言い残し、明日葉は自分の持ち場に戻っていった。
彼女の勘が正しければ、あの禍々しい現象は偶発的な事件ではなく―――。
「煌熾先輩・・・」
「焔先輩―――」
連れて来た後輩たちが、揃って不安そうに煌熾の顔を見つめてきていることに気が付く。煌熾は彼女らの視線に冷たい汗を滲ませた。正直、自信なんてない。・・・でも、煌熾は強気な笑顔を作った。
「心配するな。もしものときは、俺がいる。絶対に守ってやるからな・・・!」
大事な後輩たちだ。やるしかない。虚勢で結構。格好つけは自分への鼓舞だろう?