episode6 sect21 ” It's a Beggining of an Intentional Desaster ”
言い訳をしているわけではない。ただ、本当に、そのときその瞬間だけ、浩二はその部屋のドアノブを掴む理由を一切感じられなくなったのだ。考えれば考えるほど不可解で、そんな判断を自分がしたという事実は信じられないもので、今すぐにでも時間を巻き戻してそのときの自分に「良いから調べろ」と怒鳴りつけたいほどだ。
だが、今さら気付いたところでもう遅い。
「『どうせなにもない』と思ったんだ・・・」
「・・・は、はい?それってどういう意味で・・・?」
彼に事情を尋ねたはずの部下たちは、意味の分からない上司の発言に困惑した。普段の浩二なら、どんな疑問に対しても少なくとも自分の意見として堂々を答えてくれたはずなのに、今の浩二は自分自身の言動にさえ感覚が追いついていない表情をしている。
「黒川、こんなことしてる場合じゃない」
現場に行かなかった部下はその一言の意味を未だ理解出来ていないが、黒川は浩二の声で呪いを解かれ、なにが起きたのか、気が付いた。
「出撃の用意をしろ・・・いいかすぐにだ!!」
青ざめた2人の顔を見て、他の職員はますます困惑する。彼らが感じていた焦りとは、浩二らのそれは根本から違っていた。
血迷ったとしか思えない唐突な出撃準備というワードにざわめく部下たちに、浩二は怒鳴った。
「俺たちは、『どうせなにもない』と、思わされたんだッ!!何者かの手によってな!!」
この期に及んで何者か、とはなにを指すか―――問う必要があるのか?よもや一刻の猶予もないと思え、と浩二は付け足して、部屋を飛び出した。
だが、現実は非情だ。頭の中に淀む絶望感、その通りに、もはや手遅れだったのだ。
巨大な地揺れに体を弄ばれながら、浩二は悪魔の嗤い声を聞いた気がした。
揺れが収まり、浩二はギルドの外に転がるように飛び出す。
「なんだ・・・なんなんだよ・・・あれは?」
遠くに見える一筋の、天へと突き立てられた闇。
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「う、なんっ・・・じ、地震か!?」
人気ラーメン店の前の通りで現れたモンスターの群れと交戦する魔法士たちの連携を足下から崩したのは、大地震だった。
建物の軋む音や地鳴りの重さ、そして体感からしても、震度は甘く見積もって6弱か。
「ぼさっとすんな迅雷」
「!?」
動揺した迅雷の耳を掠めるような距離を紫色の魔力弾が飛んだ。獣の呻き声が続いて、迅雷は危機感を取り戻した。目の前のモンスターから気を逸らすべきではない。
「悪い、助かった昴!」
再度飛び掛かってくる小型の犬に似たモンスターをすぐに叩き斬って、迅雷はバックステップで昴と背中を合わせるように立った。
「なんだってんだよ、今の地震!」
「さぁな。・・・でも、ただの地震じゃなかったみたいだぞ」
「なに?」
「見ろよ、アレ」
昴が指差した方角を見て、迅雷は目を疑った。
一言で言うなら、禍々しい光だった。強い力を感じさせる光の柱が立ち込めていた灰色の雲を突き抜けて天空へと一直線に伸びていた。
証拠もなにもないが、迅雷はあの光の柱の発生と今の地震は必ず関係していると確信した。
「おい、迅雷!なんかアレヤバいだろ!?」
真牙も血相を変えて迅雷のところに飛んできた。
「真牙、俺、なんか嫌な予感がするんだ」
「いやそりゃ誰だってそうだろ!あんなん見てワー綺麗ってなるか普通!?」
「違う。なんか、もっと想像以上の!」
確信には程遠いが、迅雷の頭には破滅的なヴィジョンが浮かんでいた。
あの黒光の塔そのものの異様さや不吉さは誰にでも分かるはずだ。でも、迅雷はその黒光すらなにか、もっと壮大な災害の前座に過ぎないような並々ならぬ不安と、掻き毟るような胸騒ぎを覚えていた。
今、自分はどうするべきだ?ここで戦闘を続けるか?それとも?迅雷は自問する。
「おい迅雷、真牙、伏せろ!!ヤツが来る!!」
先の位相歪曲で出現したのは小型、中型の雑魚だけではなかった。この戦場において、1体、一瞬の油断さえ許さない超大型のモンスターが出現していた。
『アメノウワバミ』と通称される巨大な蛇型の生物だ。毒は持たないが、口から霧を吐いて姿をくらませ、100メートルに迫る長大な体躯による単純な攻撃力であらゆるものを圧殺・圧壊する、一度現れれば甚大な被害をもたらすと言われる『危険種』だ。一央市でこのモンスターが出現するのは数年ぶりである。
昴は迅雷と真牙の頭を掴んで強引に地面に伏せ、後方に向かって叫んだ。
「日下さん!!今だ!!」
「ナイス、良いぞ!!」
その『アメノウワバミ』を討伐すべく、この場の魔法士たちは即席のメンバーでありながら協力していた。視界を遮る霧を払うために十分な風魔法を扱える者が常に強風を起こし、それ以外の者は敵の巨体に確実な深手を負わせられる攻撃を持つ日下一太の拡散魔力砲を正面から浴びせるために、『アメノウワバミ』を誘導していたのだ。
『アメノウワバミ』が苦手とする電撃を用いて牽制しつつ、火炎や岩石を用いて軌道を制限することで、地震による混乱はあったが、こうして誘導に成功した。
だが、状況が一変した今、迅雷の頭は既にその作戦の成否など考えていなかった。
昴に押し倒されたまま、迅雷は彼にひとつ断りを入れた。
「―――一番にナオが心配だ。悪いけど、ここは昴たちに任せて、俺は抜けてそっちに行こうと思う」
「はぁ?お前状況分かってんの?ここで大ヘビ気絶させて全員で袋叩きにしねぇと殺しきれねぇって話なんだぞ。失敗したら手が着けられなくなんだろうが」
「状況を分かってるからこそだ」
「いやいや、どんだけシスコンですか」
「俺の1人や2人減ってもこの人数なら誤差だ」
家にいる千影に、学校にいるという慈音、それから仕事中の真波も心配だったが、なにより今一番非力なのは直華だ。部活がもう終わっていれば学校の外で、万が一なにか迅雷の心配するようなことがあって彼女を助けてくれる人がいるかも分からない。
昴は舌打ちをした。勝手を抜かすのも大概にしてもらいたい。あれだけ巨大な生物を人間が殺そうというなら、それはただのアリンコがゾウを噛み殺そうとするくらいの話なのだ。人手なんていくらあっても足りないほどだというのに、あまつさえ抜け出して別の場所に行こうだなんて狂っている。
「ふざけろよ、くそ。家族心配すんなとは言わねぇけどなぁ・・・」
「良いじゃないか!!行ってこいよ!!」
「はぁっ!?」
そう言ったのは、作戦のキーマンその人である一太だった。抱えた魔力砲に魔力をチャージしながら、彼は笑って迅雷にエールを送った。
「行ってこい!神代君!正直君のパワーは惜しいけどな!身内なんだろ、守りたいよな!!ここは俺たちに任せとけ!!」
一太はそう言って笑い、なけなしの余裕で親指を立てた。
たまたま居合わせて、流れで共闘することになったが、確かに迅雷の攻撃力はランク1の次元ではないほどに強力だった。この場を乗り切る上では彼を行かせるのは得策ではない。
しかし、恐らく迅雷の感じたであろう不安は事実になる。ネビアの気に入っていた少年ということもあるのだろうか。一太は,彼を行かせてやりたいと思ってしまった。
「まるで本当に頼っても良い真っ当な大人じゃないですか―――」
ネビア絡みで一太がグレーな組織の人間なのはなんとなく分かっている迅雷は、その背景とギャップのある一太の人間性に困ったように笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「ありがとうございます!」
「なぁ迅雷―――」
「あぁ、真牙も来てくれよ」
「よっしゃ、もちろんだ!!」
今度は1人で突っ込んだりはしない。一太の拡散砲が『アメノウワバミ』の頭部に直撃して閃光が迸ると同時、迅雷と真牙は一気に戦場の離脱を試みる。倒れゆく大蛇の胴体の下を全速力で駆け抜けて一直線に直華の中学校の方角を目指す。
―――そして今度は、空が軋みを上げた。