episode6 sect19 ” The Secondary Wave ”
「ねぇね、天田さん。IAMOの魔法士とかって興味ない?ご両親もそうでしょう?こう言うとなんだか無理矢理みたいだから聞き流してくれても構わないんだけど、私は天田さんも向いてると思うわよ?」
「それは・・・まだ考えてないです」
「そうかぁ」
この年頃の子供は自分の親と同じ仕事をするというのをどう感じるものなのだろう。ひょっとしたら抵抗感を持つものかもしれない。ただ、真波が雪姫の立場だったら、両親のことは自慢出来ただろう。
まぁ、そこについても人それぞれか、と真波は頬を掻いた。素直に両親に憧れることが出来ない理由が、雪姫にはあるのだろう。
せっかくの機会ではあるが、今はこれ以上将来の話をしても嫌がらせてしまうだろうと思い、真波は次の主題に移ることにした。
「分かったわ。ところで天田さん、これはアンケートみたいなものなんだけど、マンティオ学園でここまで過ごしてみて学園生活はどうだった?やっぱりね、ウチもライセンスを取得するくらい優秀な生徒たちの更なる向上心に答えられる教育の現場でありたいからこうして意見を聞いてるのよ。それで、そう、感想みたいな感じでなにかない?」
「普通ですけど」
「ふ、ふつーねぇ・・・。あのさ、もうちょっと詳しく教えてもらえないかしら?これで結構あなたの意見とか感想って他のみんなよりもさらに貴重なものだと思うのよ。だから、ね?お願い!」
こうして教師が手を合わせて生徒に頼み込むシーンを切り取るとなんだかシュールだ。
普通は普通だというのに、と雪姫は眉をひそめた。朝は起きて学校に来て、昼は勉強して夕方には帰る。当たり前の学生生活を送っているつもりなのに、そこを掘り下げろよ言われても困る。それで十分ではないのか。
返答のしかたに悩ましげな顔をする雪姫に真波は質問のニュアンスを変えて聞き直した。
「なにか楽しかったとか嬉しかったとか、良かったなーって思うことはなかった?そういうことを教えて欲しいの」
「・・・特にないです。別に思いで作りがしたくて入学したわけじゃないんで」
「うぐっ。先生は今ものすんごく寂しいっ!お願いだから友達作って!」
「嫌だ」
「即答だ!」
なんて不毛なのだろう。もう真波と雪姫のやり取りを4月からずっと見ていた人がいたら、「あーあ、また同じことしてるよ」とか言って冷ややかな笑いを浮かべていそうなものである。
(でも仕方ないじゃない、この子の先生なんだもの!くどくてもやるしかないじゃない!)
一方の雪姫も真波の熱意に気付いていないわけではない。ただ、熱意よりも雪姫の心が冷えすぎていることが問題なのだ。断じて真波の努力不足ではないことを分かってやって欲しい。
「うぅ・・・。ならば質問を変えようじゃない。そうね・・・天田さんはなにをしてるときが一番楽しい?」
「さぁ?」
「最近一番笑ったのは?テレビのお笑いとかでも良いし、マンガでも良いし」
「記憶にないですね、ここ数年」
思い返せば苦笑した記憶すら全くなかった。少なくとも雪姫自身は、この4、5年の間、誰かにそれらしい笑顔を見せたつもりはない。
ただ、それはあくまで雪姫自身にはその記憶がないだけかもしれない。実は彼女は、数度ではあるが、入学してから笑ったことはあった。
真波は、その瞬間を見たことがある。それは、とてもではないが穏やかで明るい表情とは言えないものだったが、だとしてもあれは一応「笑顔」に分類しても良いものだと思われる。だから、真波はそれを雪姫に確かめてみることにした。もしかすれば、それこそが雪姫との会話手段になるかもしれないからだ。
例えば、あのとき。
「『学内戦』のとき、決勝戦で阿本君と試合をしたじゃない。そのとき天田さん、一瞬だったけど笑っていたわよ。まぁなんかちょっと恐い笑顔だったけどね、あはは」
「あたしが・・・ですか?」
「えぇ、あなたが」
思わぬことを言われた雪姫は、珍しく目を丸くしていた。
しかし、そのときのことを思い出して、彼女はすぐに理解した。確か、雪の壁をすり抜けて踏み込んできた真牙に近接戦で応じたときだ。それと、『高総戦』の最後、オラーニア学園の朱部剛貴と戦ったときもそう。
彼らが得意とするフィールド、間合いでその得意を上から叩き潰し、打ちのめして、へし折って、完全否定してやったとき。そういえば、笑っていたような気がした。あの瞬間、確かに胸が空くような感覚だった―――かもしれない。
そう思うと、雪姫は呆れるしかなかった。
「だから、私思うのよ」
雪姫が一人で考えを巡らせているうちに真波は話を先に進めていた。なにを言われようが相手にするつもりはないが、雪姫は一応顔を上げた。
「天田さんはこう・・・戦うのが一番楽しい・・・好きなんじゃないかって。こんな言い方をしちゃうと危なっかしいけど、つまり魔法を使うことそのものが好きなんじゃないかって」
雪姫が楽しんでいたのは暴力であったが、その根底には彼女の並々ならぬ魔法の才能がある。だから真波はその快楽の本質は魔法を自在に使いこなす楽しさではないかと考えた。
ただ、そう聞かれたところで、そんなのは雪姫にも分からない。彼女自身の感覚としては、今の魔法の実力は必要に迫られて身に付けただけのものだ。
だから、雪姫はまた「さぁ」と曖昧に返事をした。真波は「ふむ」と顎に手を当てて考え込むフリをして、すぐになにか思いついたように人差し指を立てた。
「提案なんだけど、今度先生と1対1で勝負してみない?もちろんその怪我が治ったら、ね?女は拳で語り合うものだー、みたいな」
「・・・?別にそれならあたしは今すぐでも構わないですけど」
「あら、予想以上に乗り気だった」
乗り気というか、なんというか、だ。面倒ではある。ただ、同時に雪姫にとっては興味深い提案なのも確かだった。学園の生徒では最強の称号を得た雪姫が次に見据えるレベルとしては、ある意味順当かつ妥当なのが、教師だ。
向こうから話を持ちかけてきたなら聞かないでもない。雪姫は少し挑発的な態度だった。それを見てか、真波も若干上から目線にものを言う。
「あら、ダメよ。万全のあなたに勝って自分の限界を知ってもらわないと意味ないもの」
なんだかPTAの方々が聞いたらギョッとしそうな言い回しだが、今の聞き手は雪姫だ。一部を除いて一般に生徒よりも弱いことの方が稀なマンティオ学園の教師の挑発行動に対してこうも涼しい顔をしていられる生徒が一体どれだけいるだろうか。
「へぇ・・・・・・それは、期待出来そうですね」
そう言う雪姫の顔が全然期待する人のそれではなくて、真波は笑顔のまま口の端をひくつかせた。ナメられたものだ。そのときになってから後悔しても知らないぞ、と心の中で吐き捨てた。
「まぁそれはそうとして、天田さん。もう1つアンケートなんだけど、マンティオ学園で魔法を学ぶ意味や意義をどう感じてる?」
「一応は他の魔法科がある高校よりも明らかに実践的で中身のあるカリキュラムだとは思いますよ」
「あら、結構好評価ね。ありがとう」
「一般目線で見れば当然の評価だと思いますけど。下位層の生徒でもよその高校で魔法士を志望する同年代の生徒と比較すれば練度の差は歴然でしょう?でなければむしろ問題なんじゃないかと思いますけど」
もちろん、雪姫からすれば今のマンティオ学園が日本、ひいては世界に誇る特別魔法学科のカリキュラムさえ生温いのだが。
妙に客観的な意見が得られて真波はペンを走らせた。ただ、やはり欲しいのはもう少し具体的な意見だ。それを問うと、雪姫はまらもやすぐにそれらしい答えを返した。
「今のカリキュラムだと実地演習が各学期の後半に設けられてるだけで少ないんじゃないですか。結局実戦で役に立つ魔法士を作りたいなら実戦をより効率的に教え込むのが最善策だと思うんですけど。それに、生徒の自衛力を培う意味でも」
「いや、うん・・・良いこと言うなぁ」
簡単な話ではないから現状に落ち着いているというのが現実なのだが、雪姫の発想自体はちょうど、学園長や教頭が画策している方針転換に近しいものだ。
「鋭い指摘よね。他の子なら『高総戦』とか『新人戦』を見据えて―――って感じで、実戦って言っても対人戦の話ばかりらしいわ。やっぱり学園のイメージも『高総戦』の活躍が大きいものね」
それは仕方のないことだろう、と雪姫は考える。元より学生の身分であるうちは『高総戦』のような舞台で活躍する方が遙かに華々しく、自信にもなる。プロやアマチュアとして本格的に活動する魔法士と違って、学生魔法士はさして危険度の高いモンスターと対峙する機会は多くなく、あったとしてそれは依然日常の範疇には含まれないイレギュラーだ。魔法士という職業の実感が沸かないのは当然のことである。
そのことは、むしろ子供らを安全に育て上げるという意味で非常に貴重なことだ。ただ、それらの事情が当然となった結果、学生にとっても世間にとっても魔法戦がスポーツ化しつつあるのだ。
腕を競い華麗な技で魅せる魔法士のイメージと命を賭して平和を守る勇敢な魔法士のイメージ、どちらが良いのかは誰にも分からない。
細かい話が落ち着いたところで、雪姫は足音ひとつ聞こえない廊下の方を見た。
「ところで、今日は他の先生たちは休みかなにかですか?ほとんど誰もいないみたい」
「え?あぁ、そのことね。休みではないんだけど、状況が状況でしょ?もしものときのために戦闘訓練をしてるのよ」
「・・・・・・」
「気になる?どこでなにをしてるのか」
雪姫は黙ったままだが、チラリと視線だけを真波の方へ、一瞬だけ戻した。勘が鋭いのか、雪姫は例の地下ダンジョンがある体育館の裏あたりの方を見つめていた。
「まぁ、あなたなら口も固そうだから話しても大丈夫かな。実は体育館の裏に地下室があって、そこにダンジョンの入り口が1つあるの。私や他の先生方はそこを生徒の実戦演習―――ちょうど天田さんが言ってたみたいにね、使えるように整備しつつ、自分たちの戦闘訓練を行ってるのよ」
「ダンジョン・・・」
「そういう意味で、だから天田さんは鋭かったのよね。ひょっとして、実はなんとなく分かってたとか?」
「・・・いえ、別に」
雪姫はいつになく張り詰めた空気からそれとなく読み取っていただけだ。ダンジョンについては完全に初耳で、今日になるまで体育館裏の雑木林など意識したことさえなかった。
「あ、でもコッソリ忍び込むのはナシよ?・・・あれ?言った方が気になる?しまった!と、とにかくダメったらダメだからね!」
冷静に見えてかなり突っ走るタイプ(という真波の評価)の雪姫に一番教えたらマズい秘密をバラしてしまったと今さら気付いた真波先生は1人で勝手にてんやわんやだが、アホ臭くて雪姫は相手にしない。
「そ、そういえばもう8月よ!そろそろね、今年度2回目のランク審査!天田さん、もしかしたら一気に2ランクアップかもね!」
「だったらなんなんですか」
「え・・・え!?ワクワクしない?」
「別に」
話題逸らしに失敗して真波の変な汗は止まらない。
そもそも雪姫がランク4を持ち現役高校生最強と称されたオラーニア学園の千尋達彦を単騎で、完膚なきまでに叩きのめした事実を忘れてはならない。ランク3になったところでそれは彼女からしたら取るに足らぬ変化に過ぎない。
「私はランク2でも喜んだのになぁ。努力が認められた気がしたんだもの」
「・・・・・・」
「なんか言って!?そんなに興味ない?なさそうにしないでよ!・・・はぁ、いやごめんなさい、取り乱したわ」
「・・・いや」
今の雪姫の「いや」は、どっちかというと「さっきからずっとでしょ」が続く「いや」だ。
余計な話ばかりになってきて、教室も扇風機だけで暑いし、雪姫はそろそろ帰りたくなってきた。まだ話は済んでいないのだろうか、そう真波に確認しようとするのと、真波が雪姫に最後の質問をしようと口を開くのは同時だった。
「もう―――」
「あま―――」
「「・・・」」
雪姫でもこういうときはつい黙ってしまうようだ。雪姫が嫌そうにしつつも口をつぐんだので、譲歩と受け取った真波は先にしゃべらせてもらうことにした。
―――それと。
「天田さんは、なんのために魔法士になるの?なんのために、力をつけるの?」
それと、大地震が雪姫の返事を中断させたのも、その時刻だった。