episode6 sect16 ”うっかりさん”
安達昴、今日も朝からお勤めご苦労しています。
コンビニの前の日陰に立ち、手で傘を作りながら空を見上げる昴は、無意識に謎のナレーションを呟いていた。昨日始まったばかりの『山崎組』やその他一央市ギルドに登録されたパーティーによる市内の巡回で、昴はさっそく仕事に駆り出されていた。
とはいえ、正式に巡回の仕事が入る前から勤勉な市民の味方『山崎組』はちょくちょく朝から活動をしていたので、昴は連日早起きの刑に処されている。
「眠い。これはダメだ、ムリぽ」
今日は8時間睡眠だ。なんて短いのだろうか。考えただけでゾッとする。こんな生活が続いたら朝型の不健康な体になってしまう。
腕時計を見ると、まだ午前の11時過ぎだ。もう4時間も市中引き回しの刑につけられている。夏だから暑いし、とっくにぐったりだ。
ツーマンセルの相方である日下一太が小便をしている今のうちに逃げてしまおうか、と昴は考えてみたが、渋っているうちに一太は戻って来た。
「すまんな!少し水を飲み過ぎた!暑くてかなわんな!はっはっは!!」
「(だから声うるせぇ・・・)はいはい。もう5回目っすよ、トイレ休憩。いい加減高温多湿の中突っ立って待つ俺の気持ちも考えてくださいな」
「だから悪かったって!そうムスッとするなよ!それに暑いならコンビニの中で雑誌でも読みながら待っててくれたって良いんだし!・・・あ、もしかして急に1人になると寂しくなる系の子だったのか!くぅー、可愛いヤツめ!」
「やっめ・・・!ぐるじっ」
普通のオッサンが悪ノリでスキンシップに及んできても昴は手で押し返すところだが、一太にはそれをしなかった。理由?まさか、まんざらでもないなんて、そんなワケがない。やめてくれむさ苦しい。最悪だ。誰がこんなヒゲオヤジとクソオヤジを足して2で割ったようなクマオヤジにデレるものか。
単に一太の怪力にムリして抵抗するだけスタミナの浪費だと思い知っただけだ。昴はされるがままに中年男の戯れに付き合って、またすぐに歩き出した。
「あー、だるい、早く帰りてぇ・・・」
「若者は家でゴロゴロしてちゃもったいない!仕事だから適度に気は張んないとだけど、まぁ気楽に俺と散歩していれば良いじゃあないか!」
「だからそれがイヤって言ってるんですがそれは」
「またまた!なんだかんだ言っても安達君、トイレも待っててくれるしな!」
「それは・・・・・・」
「ん、なぁんだよもったいぶって!照れ隠しか!」
どもる昴の背を一太は軽くはたく。ズバシィッ!!という炸裂音に周りの人たちがギョッとして2人の方に振り向いた。
理不尽なダメージの蓄積に昴は深く深く溜息を吐いた。いつか積み重なった疲労で骨が折れるかもしれない。
「おや、安達君!なんだか雲行きが怪しくなってきたな!」
「・・・え?あー、そうっすね。雨降ったら帰れるんすかね?」
「まさか!傘差して続行さ!」
それならなんとか雲さんにはお漏らしを我慢してもらわねばなるまい。少しずつ灰色の面積が広がっていく空を見上げて昴は天に祈りを捧げた。まぁ、別に手を合わせるでもなくぼんやり念を送るだけなのだが。
●
―――結論から言うと、決着は、つかなかった。
砂利の上に仰向けの迅雷の喉元では『八重水仙』の鋒が照り返し、迅雷に覆い被さる真牙の胴を『風神』と『雷神』がいつでも挟み切れるように捉えていた。
2人の少年の短い呼吸音が入り乱れ、ややあって、真牙が呆れたように笑った。
「へっ、ふへっ、へへへ」
「・・・っぷ、くはっ」
なにがおかしかったのか、2人は剣を放り出して大笑いした。
「迅雷、お前っ!最後!しつこいわ!はさみ戦法とか無茶苦茶だわ!諦めとけよ!」
「真牙だってなに地味に魔法使ってんだよ、聞いてねぇし!」
文句を言う割にどちらも楽しそうだ。汗だくになって空を見上げ、高らかに笑い続けていた。
笑いすぎたか、真牙は頭に酸素が足りなくなった後ろに倒れかけて、すんでのところで耐えた。やはり迅雷との試合は出し切ってしまって、くたくたになる。それでもまだまだ試したかった戦法や技がたくさん残ってしまうのだから奇妙なものだ。おかげでまた剣を合わせたくなる。
熱い地面の上に寝っぱなしの迅雷に真牙は手を差し伸べた。
「今日のところは引き分けだな」
「そうだな」
「つってもオレの方が1枚上手だったけどな」
「はぁ?終始オレが押してましたけどぉ?最後に隙晒したのどこの誰だっけなぁ?」
「はいブーメラン乙ぅ」
立ち上がった迅雷は服の汚れを払い落とした。袖や裾が短かったおかげか、斬り合いの割に衣服の被害は思ったほどではない。人前に出ても引かれないレベルだ。まぁ、全身傷だらけなので結局は街中を歩けばビックリされること請け合いなのだが。
「ッつ、汗が傷に染みるな。地味にメッチャ痛いぞ」
「オレはそんなに受けてないから分かんねぇや」
「痩せ我慢すんなよ」
渋柿でも口に含んでいるみたいな笑顔で強がる真牙を馬鹿にして迅雷は鼻を鳴らした。傷は浅くても塩を塗られればかなり強烈な刺激になるはずだ。
迅雷は『雷神』と『風神』を背中の鞘に戻し、それから「あーあ」と声を漏らした。負けこそしなかったが、勝つことも出来なかった。細かい戦歴は家の対戦日記を見ないと分からないが、実感としては負け越しだ。市販の量産品とは訳が違う高性能の二振りを携え、万全の二刀流で挑んでも、惜しいところで虚を突かれた。一瞬の駆け引きで出てくる技量の差だった。テクニックではやはり真牙には敵わない。もう少し、戦略を練らないと競り負けてしまう。
迅雷がそう悔しがる一方で、真牙も内心かなり焦っていた。機動性や敏捷性、平均火力の3点において迅雷は真牙を圧倒していた。武器だけの違いじゃない。いや、そもそも真牙の刀も迅雷の剣に勝るとも劣らぬ逸品なのだから、武器の差なんてあってないようなものだ。
幾度となく死と隣り合わせの実戦を経た迅雷の地力が上がった―――というより、センスに磨きがかかってきた。そう、感じさせられた。
―――今日は互角でも次は勝ってやる。
迅雷と真牙は、無言をもって冷めるどころかより過熱する競争心を了承し合い、互いの腕と腕をぶつけた。
さて、2人だけの世界みたいになっていたが、堰を切ったように(男性ばかりの)歓声が上がった。さっきは迅雷のことをナメていた男の子も、なんだか目を輝かせている。少しは驚かせてやれただろうか、と迅雷は勝ち誇ったように、あるいはイタズラに少年に笑顔を向けた。
「あんたスゴいんだ!強いんだ!」
「あんた呼ばわりは変わらんのかい!!」
迅雷と真牙はもう一度砂を入念に払い落としてから、道場に上がり直した。年の若い連中が今の一戦を見て盛り上がっているが、2人は声を揃えてマネはするなよ、と釘を刺すのだった。
時刻はまだ11時半くらいだ。迅雷と真牙が試合をしていたのは時間にして10分程度のことだったようだ。
少し曇りだしたか。昼時も近いので、見る者は見終えた道場の生徒らは解散し始めた。真牙だけでなく迅雷も彼らと挨拶を交わし、あっという間に道場は寂然と静まりかえる。
「案外余韻がないもんだな」
「ウチの流派はミッチリしごいてさっさと帰るのが鉄則みてぇなもんだから、みんな帰るってなると早いんだよ」
「そりゃ健全だな」
「さて迅雷、これからどうする?」
「は?こっからって、例えば?」
「いやだから、思いつかないから聞いてんのよ、オレは」
実質ノープランで迅雷を呼びつけただけの真牙は、一貫して無責任なことを言う。急になにしようなんて言われても迅雷だって思いつかないので、面倒そうに顔をしかめた。なにもしないのはつまらないが、正直今は体力的にもぐったりで、なにかする気にもならない。
「んー、とりあえず汗かいて気分悪い」
「シャワーでも良いなら貸すぞ」
「サンキュー」
●
ジャンケンで勝った真牙が先に風呂場を使おうとしたらオカンの権力で勝敗を入れ替えられ、迅雷は先に汗を流せて、今は縁側で風に当たっていた。ちょっと気温が下がって、すっと暑さが引いていく。思えば人の家で風呂を使わせてもらうなんてそうそうないことで、蛇口の場所やらシャワーの強さやら、勝手の違いに割と戸惑った。
真牙の母親は迅雷に昼飯の出前でも取ろうか、なんて言ってきたが、そこまでは悪いから断った。しかしそれでは彼女の気が収まらないのか、だったら近所の弁当屋で好きなものを買ってきなさいと千円札を渡してくれた。お金を使わせてしまうことにものすごく気が引けるのだが、ここまでしてくれて断り続けるわけにもいかず、迅雷はありがたく使わせてもらうことにした。
それにしても武道の名家とは思えない一般家庭ぶりだ。もっぱら武道家と言われて想像するのは規則正しい生活と栄養を考えた食事を徹底する人なのに、阿本家はさしてそういう生真面目さがない。もちろん、その方が馴染みやすくて嬉しいことだが。
真牙が戻るまでは待つことにして、迅雷はスマホの通知を確認した。すると、慈音からのメッセージがあったことに気付く。
内容を確認すると、学食で撮ったらしい集合写真だった。慈音と、他の補習組の女の子たちだ。さすがは慈音、夏休みになってからさらにコミュニティの輪が広がっている。
どうやら今日も早くに補習が終わったらしく、みんなで楽しいランチタイムだそうだ。
「『なんかそのメニュー美味そう』、『初めてみるけど』っと」
返信すると、すぐに既読がついた。
『なぜか夏休み限定だって!補習組の特権だね笑』
迅雷には慈音が「笑」というより「苦笑」になっているような気がした。ひょっとしたら補習生徒応援特別メニューなのかもしれない。ちなみにそのメニューは美味しかったらしい。良かった良かった。
今からでも間に合うなら迅雷と真牙も学食まで足を伸ばしてみても良いかもしれない。
と、ふと迅雷はさっきの写真を見返して首を傾げた。慈音の他に真白と楓と、あとは顔しか知らない子と―――。
「『あれ?矢生と涼も補習だったっけ?』」
『違うよー。なんか面談だったんだって』
―――面談?面談、面談・・・あぁ、面談ね。・・・面談!?
「ぁ」
面談と聞いて、迅雷は修了式の後のホームルームで真波が言っていたことを思い出した。
――『阿本君、天田さん、神代君の3人に追加で連絡よ。8月10日にライセンスを取得した子に対して面談をするから来てねー。3人には後で予定のプリント配るから、忘れないでね』―――
「ごめんね先生、案の定忘れてました!!だって、つか、だってそれどころじゃなかったんだもん!」
あのときは千影のことや魔族との会合のことで頭がいっぱいだったのだ。忘れるというよりも、上の空で聞いていなかったのだ。
SNSの画面が更新され、迅雷に追い打ちがかかる。
『あれ?というかとしくんもじゃない?』
だいぶマズい。時刻の予定も知らない。ひょっとしてもう終わっちゃった?せっかくシャワーを浴びたばかりなのに迅雷は汗が止まらない。すごい大事な話だったら、どうなってしまうのだろう。もうじき次のライセンス審査があるのだが、取り消されたりするのだろうか?
真牙が戻って来て、青い顔をしてスマホを見つめる迅雷に気付いた。
「どうした迅雷、スマホ乗っ取られたか?」
「し、真牙。今日、俺たち学校で面談だった」
「は?・・・・・・はっ!?そういえば!!オレとしたことが、なん・・・くそ!夏休み入ってボケた!」
宿題も早々に終わらせて安心してしまった。真牙は自分らしくないうっかりミスにあたまを抱えた。
「と、とにかく急いで学校行こう!」
「そうだな!」