episode6 sect14 ”激突寸前”
また留守番を食った千影がぶーぶー文句を言ってむくれていたが、今日はいつも遊んでいるオンライン対戦ゲーム、通称『フェイコネ』が大型アップデートらしいので、迅雷は千影にそのコンテンツを先に遊ぶ権利を譲ってやることで勘弁してもらった。まぁ、そんな約束をしようがしまいが、どうせ千影が先に遊ぶことになっていただろうとは思うのだが。
迅雷は、そろそろ千影の謹慎処分を解いてくれないかギルドに申し立ててみようか、などと思い始めていた。もちろん、千影がやったことが許されることではなかったことは迅雷自身、身をもって分かっている。それでも、一緒に暮らす家族としてはいい加減可哀想になる。
なにより千影に贖罪をさせようにも、彼女を外に出させないのではどうにもならないだろう。魔族にも対抗しうる戦力を確保するためにギルドは刑務所から清田浩二を呼び戻したのだ。千影もそれじゃあ、ダメなのだろうか。
「いかんなぁ、雑念だ」
迅雷は自分の両頬をビンタした。それはそれ、これはこれだ。
今、迅雷は軽い手合わせの誘いをしてきた真牙の家に向かっている。ひさびさに剣を振るので、迅雷は心が高鳴っている。真牙もちょうど良いところで話を持ちかけてきたものだ。いや、ひょっとしたらそのつもりで今日だったのかもしれない。
焼けたサドルに座りたくないのと浮かれた気分とで、迅雷は自転車を立ちこぎで飛ばした。
中学校が一緒なだけあって、自転車なら真牙の家も近所同然だ。
「とーーーーう、着っと」
きっ、と締まりの良いブレーキ音を鳴らし、迅雷はすごくそれっぽい和風建築な家門の前で自転車を止めた。今さら感じることでもないが、やはり真牙の家はこの辺じゃ浮いている。広いし純日本的だし、「これぞ道場」な見た目すぎて、かえって物珍しいのだ。
時計を見れば午前10時45分。ちょうど良い。
今日も道場はやっているようで、門は開いているが、迅雷は一応そちらではないから、木製の門に普通にくっついているインターホンを使った。
『はーい、どちら様?』
「あ、俺です、迅雷です」
『えええッ!?また急な!?聞いてな・・・あんの馬鹿息子、また勝手にブツブツ・・・』
「あ、あのー」
出たのは真牙の母親だった。相変わらずのようでなによりというかなんというか。迅雷は門前で1人苦笑する。
『あ!ごめんねーふふふふふ。上がってねー』
「お邪魔します」
多分、今頃真牙の母親は千影もビックリな速さで家の中を片付けているのだろう。迅雷が来るときはいつも大体そんな感じだ。彼女自身、阿本家に嫁いできただけのことはあって剣道の腕は一流らしいのだが、武道家らしからぬ落ち着きの無さだ。あまり焦ることを知らない迅雷の母親とは対照的で、初めて慌てふためきながら家を片付けて回る真牙の母親を見たときは衝撃を受けたのを覚えている。
迅雷が玄関脇に自転車を停めて戸の前に立つのと、ドタドタという足音が扉の向こうで急停止するのは同時だった。引き戸の玄関をくぐると汗だくの真牙の母が笑顔で迅雷を出迎えた。ある種の鬼気を感じて迅雷はギョッとしつつも笑顔を返して誤魔化す。
「い、いらっしゃい。ひさしぶりねぇ、ウチに来るの」
「入学前以来でしたっけ。じゃあ、お邪魔します」
「どうぞどうぞ、居間にお茶用意するからね」
―――つまり居間以外はダメなのだろう。
立派で綺麗(になった)な和室で用意された座布団の上に腰を下ろし、迅雷は一息つく。縁側では深い青の空を透かす風鈴が音を奏でている。この家で味わう風鈴の音色は格別心地が良い。迅雷の家で使っているのがまるでニセモノみたいだ。
氷がグラスを叩く音がして、迅雷は振り返った。
「でもまぁ、別にピンポンしないでも良いのに。ウチは道場で門開けっ放しだから」
「いやいや、俺はそっちじゃないから無言で入っちゃマズいんじゃないかなって思って」
「まぁ!なんて誠実・・・っ!ウチのバカにも見習って欲しいもんだわ!迅雷君の爪の垢を煎じて飲ましてやりたい」
「そこまでしないでも」
そのまま真牙の母は迅雷の隣に座って、持ってきたお茶を啜り始めた。掘りごたつの上に置いたお菓子を摘まみ、彼女はすっかりおしゃべりの気分のようだ。
「そういえば『高総戦』、おばさんも見てたわよ。惜しかったねぇ」
「ありゃ、お恥ずかしい。個人的に七種との一戦は黒歴史なんすけどね、ははは・・・」
とんでもない自暴自棄をテレビで全国中継された、という印象が強い。もちろん、そう感じているのは迅雷以外にはほとんどいない。当時の迅雷の心境や背景を細かに知る者は、ちょうどこの家の一人息子しかいないのだから。
思ったのと違うリアクションをされた真牙の母は驚いてまばたきを繰り返す。
「そうなの?おばさんじゃ全然分からなかったわ。真牙よりもすごそうだって思ったくらいなのに」
「どうだったんですかね。あ、それで今あいつどこに?」
「道場。お父さん今日お仕事で朝いないから、午前の部を見させてんの。・・・だって言うのに、なんで勝手に約束してるんだか」
「ホントごめんなさいマジ俺お邪魔っすよね」
「いやいやいやいや、いいのいいのいいのよいてくれて!そんなつもりで言ったわけじゃないから!ほら、もうすぐ向こうも終わるからお茶飲んでくつろいで!」
迅雷はすすめられるまま冷たい麦茶を一気に飲み干し、お菓子を口に突っ込んだ。一見して新入社員に一気飲みを強要するみたいな状況だ。麦茶のせいで頭がキーンと痛み、迅雷は眉間を押さえた。
でも、今から親不孝者のどら息子をしばき倒さないといけないから、そのための栄養補給だと割り切って迅雷はすすめられるがままにくつろがせてもらうことにした。
その後、真牙を待つ間、迅雷は真牙の母と世間話を続けていた。この前の旧セントラルビルでの事件の話をして心配されたり、そこから遡って以前にもたびたび無茶をした件についてなぜか余所のお母さんに説教されたりした。真牙はいつも両親を煙たがる素振りを見せるが、どうも本当はよく話をしているみたいだ。迅雷は、真牙が家でまで家族と自分の話をしているらしいことを知って微妙に嬉しい気分になった。迷惑なことに迅雷は本気で心配してもらえることに喜びを感じてしまうらしい。
そうしているうちに、向こうの方から稽古終わりの挨拶が聞こえてきた。
「あ、終わったみたい。残念、もう少し話し相手になって欲しかったんだけど。迅雷君、いい男だから寂しいわぁ。おばちゃんの話し相手になってくれる男の子なんていないんだもん」
「あんまおだてないでくださいよ・・・。学校じゃ明らか真牙の方が人気あるくらいだし。ま、それはこの後でも改めてゆっくりと」
迅雷は真牙の母の冗談に軽く返して居間を出た。廊下を走る子供の足音が聞こえる。道場は家屋部分の隣だが、道場にはトイレがなくて家の方のトイレも基本は道場の生徒たちには開いておらず、また別に厠が設けられているのだ。足音の感覚からして、きっと相当我慢していたのだろう。
家の方を離れて渡り廊下に出ると、足音の主だった子供らだけでなく学生からおじさんまで、十数人ほどが風に当たって涼んでいた。
以前からいて顔は知っている人とは、迅雷は軽く挨拶をする。彼らからしても迅雷は「道場の息子さんの友人」として、見慣れた存在なのだ。
ただ、全員が迅雷を見知っているわけではない。小学校低学年くらいの男の子が迅雷のことを指差して「誰?」と父親らしい男性に聞いている。人を指差すな、と叱られて涙目になっているその子を見て迅雷は困ったように笑う。
なんだか素通りしたら悪い気がして、迅雷はその子と視線の高さを合わせて慰めてやることにした。
「よしよし、泣くな泣くな」
「うん・・・ぼく強いし、泣かないし」
「お、偉いぞ!ホントに強いんだな!」
「・・・で、あんた誰なの?」
「口悪ぃな」
口を突いて出てしまったツッコミを真に受けたその子のお父さんがまた慌てて謝り始めた。冗談だからと迅雷は今度はそっちを落ち着かせる羽目に。真面目すぎるのか、冗談が通じないのもやりにくい。
改めて迅雷は少年に自己紹介をする。
「俺は真牙の学校の友達だよ。そしてライバルでもあるのさ!フフン」
「ふーん」
「冷たいな!」
「で、しんがさんとどっちが強いの?」
「俺」
なぜそんなに露骨に怪しい人を見る目をするのだろう。真牙とのライバル関係をまるで信用してもらえていない。この子にとって真牙はどういう立ち位置なのだろう。あんた呼ばわりされた迅雷としては、さん付けされる真牙が気に食わない。改めて真牙に勝つ理由が出来た。
「そうだ、ねぇ君、それで真牙は居間どこにいるか知ってる?」
「ん」
男の子は道場の方を指差したので、迅雷はお礼を言って別れた。
道場の中を覗くと、真牙は広い床の真ん中に大の字になっていた。
「よう、お疲れさん」
「来たな!!」
どうやらサッパリ疲れていなかったようだ。道着のまま軽やかに首跳ね起きで立ち上がった真牙は、その勢いで挨拶代わりに竹刀で面を取りに来た。迅雷はそれを白刃取りする。
「無手の一般人剣を向けるなんて師範代も落ちたもんですねぇ?えぇ?」
「好きでやってるわけじゃあござらん故なぁ・・・!」
「の割にゃそこそこ慕われてらっしゃるようですけど・・・!」
「そりゃ人柄人望その他諸々というものでありますよ・・・ぉ!」
謎の口調で言い合ってみたが、迅雷も真牙も込める力が拮抗して、腕がプルプルしてきたので引き分けた。
「どうする?お前、少し休んでからにするか?」
「いや、着替えだけさせてくれれば良いぜ。そういう迅雷はどうなんだ?」
「俺はもう十分もてなしてもらったからな」
「そりゃ結構。んじゃ待っててくれや」
真牙が着替えに行っている間、迅雷は道場の縁側に腰掛けて待つことにした。庭を眺めていると、さっきの男の子が戻ってきて、迅雷を見つけるなり近寄ってきた。
「あんたしんがさんとなにするの?」
「ん?まぁすぐに分かるぜ、いろいろ」
男の子は難しい顔をしている。まだ幼いし、回りくどいのが嫌いなのかもしれない。
迅雷はTシャツの袖を肩までたくし上げて、道場の広い庭の真ん中に立ち、ストレッチを始めた。
真牙が戻ってくるのは本当にすぐだった。半袖のシャツに半ズボンと、完全に普段着だが、それは迅雷も変わらない。動ければ別になんだって良いのだ。
愛刀『八重水仙』を肩に担いで現われた彼に男の子が迅雷にしたのと同じ質問を繰り返す。
「ねぇしんがさん、あの人となにすんの?」
「ん~?イイコト。ま、すぐに分かるぜ、いろいろな。見てるか?」
「うん!」
「よろしい、ならば刮目せよ!」
ひときわテンション高めな真牙の声に興味を引かれたのか、廊下で涼んでいた他の道場生たちもぞろぞろと縁側に様子見に集まってきた。
迅雷の正面に立って鞘を腰に帯び直した真牙は自信ありげに笑う。
「喜べ迅雷、ギャラリー付だぜ、盛り上がるな」
「そうだな。華々しい復帰戦になりそうだぜ」
迅雷も真牙を挑発した。これは一種のパフォーマンスだ。緊張なんて全然しない。
「良い機会だ、そこのあんた呼ばわりしてくれた男の子。今から俺が真牙を下して、君の度肝を抜いてやるからな。楽しみにしてな」