episode6 sect12 ”地下ダンジョン”
「これは―――人のだ」
浩二たちが旧セントラルビルの最上階で見つけたものは、腐敗の進んだ臓器と肉片だった。
そして、消えずに残っているということは、その残骸の主はこの世界の存在、すなわち人間であることは、簡単に予想出来た。
「・・・無意識に異臭に気付いたのかもしれねぇな。ともかくデカい発見だ。警察に預けてDNA鑑定なりしてもらおう」
「この有様ですけどいけるんですか?」
虫が湧いた人肉なんて届けても嫌な顔をされた上に鑑定もままならなかったりしないだろうか、と黒川は心配する。しかし浩二はそんな懸念なんて知らないという顔だ。
「いけなきゃ無能だ。分かってるだろ、ここで戦闘を行ってたのは魔族だけじゃなく『荘楽組』の首領と神代迅雷、それからあの金髪のガキ・・・子供だ。うち2人は確実に生きてる。あの子が傷を再生するのは知ってるが、さすがに腸引きずり出されて生きてられるとは思えねぇ。つまりこいつは連中のボス、岩破のものの可能性がある。ヤツはヤクザだが、同時にIAMOにとっても重要人物なのは違いねぇ。事の次第じゃ状況が変わるぞ」
ウジ虫の温床になっていようが腐っていようがなんとかして鑑定してもらわなければ困る。
浩二はサンプルを入れる用のビニール袋を取り出し、手袋をした上で正体不明の臓器と肉片を、手掴みで袋に入れた。
「おぇぇえ・・・っ、よ、よく触れますね・・・私はゼッッッタイ無理です・・・」
「俺だって嫌だっての」
尾代は吐き気を催したのか手で口元を押さえて視線を逸らしているが、本当にそうしたいのは腐臭の源を直接取り扱う浩二の方だ。つけた手袋もビニールではなく軍手だから、なんかヌメヌメした液体が染み込んできている。間違いなく碌なものじゃない。
「なぁ黒川、これ以上劣化させたくないから水で保冷出来ないか?」
「ちょっと待っててください」
黒川は『召喚』でクーラーボックスを呼び出し、その中に魔法で生成した冷水を張った。浩二は採取したサンプルの袋を二重にした上で口をしっかり縛ってから水の中に入れた。
キッチリ視界を遮ってくれる容器を用意してくれた黒川は気が利いている。あんなものは目につく場所には置いておきたくない。
黒川の魔法を水道代わりにして浩二は手を洗い、深呼吸した。
「よし・・・10階はこれで終わりにしよう。次は順番通り9階だ。特になにかやってたわけじゃないらしいが、今みたいなこともあるかもしれない。気を引き締め直せよ」
証言では7階から9階での戦闘はなかったそうだが、ギルドの送った面々がセントラルビルに到着する以前は分からない。『荘楽組』と魔族の戦闘が行われていた可能性は十分ある。
そして、それは地下階もそうだ。元は駐車場に用いられていた広い空間の他、ビル全体の管理室も存在している。上層部での激しい戦闘の余波で地下スペースも一部が崩落していたらしく、依然として調査が進んでいない区画が多い。先入観は捨てて入念に見回る必要がある。
「少しでも気になるものがあったら必ず徹底的に調べろ。見落としたじゃ済まねえぞ」
●
マンティオ学園の校舎の裏にある雑木林は、どこか別世界のようにも思える。薄暗く、枝葉が風に揺れる音以外はなにも聞こえず、表の猛暑が全く感じられない。
その雑木林の中にポツンと立てられた倉庫が1つある。いつだか、転入生の少女が着替えの名目で使用していたのと同じものだ。その倉庫は、学校の授業で使いそうな器具を放り込んだ至って普通の物置だ。―――しかし、そのことがかえって不自然でもあった。体育館の裏手でもあるとはいえ、こんな場所には誰も寄りつかない。というよりも、誰も意識しさえしない場所の、誰も知らない倉庫なのだ。もちろんその中にある道具を利用したことのある教員や生徒はいない。
その倉庫の正体を知っているのは、恐らく現在のマンティオ学園においては学園長である清田宗二郎と教頭である三田園松吉をおいて他にいなかった。
そう、いなかった、だ。今はもう違う。
先に言うと、この話において重要なのは倉庫ではない。要はこの倉庫はセキュリティーの1つだった。それこそ、蓋の上に置く重石だ。
倉庫を重石たらしめていた中身を外に出し、多少軽くなった倉庫をなんとかどかしたとき、その下から出てきたのはまたしても重い金属の蓋だった。マンホールの蓋なんてものではなく、一見して開くことを考えて設計したのか疑問に思うような重厚な金属板である。
それを開いたとき、顔を覗かせるのはいつの時代に作られたのかも不思議な、古めかしい地下への階段だ。ただ、それそのものは大して長いわけではない。すぐに下について、広い空間が存在する。長らく管理がなされていなかったのだろうか、レンガ造りの大広間は苔むしている。ただ、生き物の姿はあまり見られない。ただ、レンガの隙間を通れるほど小さな生物がちらほらいる程度である。外界と隔絶されたこの空間で食料が得られるはずがなかったのだろう。
こうも厳重に閉ざされていたこの場所は一体なんなのか。それは広間の最奥に掲げられた1つの巨大な魔法陣を見れば現代に生きる人間なら誰でも分かる。
マンティオ学園の教師たちは教頭の松吉に、現在敷かれている魔族侵攻への警戒態勢に伴う戦闘を想定した訓練をすると言われていた。それは良い。しかし、それで彼に連れられ、こんなワケの分からない場所に来てしまった教師たちは、困惑を隠せずにいた。
彼らの眼前で煌々と光を湛え、ゆっくりと回転を続けているのは、疑いようのない、異世界への『門』だった。
この場所まで先生たちを案内した松吉は、『門』を背に立ち、呆然とする彼らを呼び戻した。
「なぜウチの学校にこんなものが・・・って顔をしているようだねぇ。まぁ、それも仕方ないねぇ、世界間の移動の管理は全てIAMOとギルドが行っているはずなのだから」
松吉がここに初めて来たのも、いつだったか。もっと若いときだったのは間違いないが。その時点でIAMOによる異世界への『門』の統一管理は常識だったから、松吉も驚かされたのは覚えている。
「別にねぇ、存在そのものを徹底して隠していたわけじゃあないんだ。それこそ昔・・・マンティオ学園が創立した頃からこれはここに存在していたようで。古い記録じゃ、授業でも使ったことがあるらしい。元々学園とギルドが出来たのは同じ時期だったんだけどねぇ、その頃はまだ一央市ギルドの体制も出来上がってはいなかったから学園と『門』の管理を分担していたらしいんだ。これは、その名残、と私は聞いているよ」
もっとも、なにも知らない生徒が勝手に見つけて興味本位でくぐってしまうことがないように、こうして閉ざされていたのが現実だ。学校に置いてあるから、子供らにも安全なものというわけではない。むしろ、松吉はこの『門』の先に広がるダンジョンは危険なものだと思っている。
「すみません、質問良いですか?」
手を上げたのは、1年4組の担任をしている志田真波だった。
「つまり、私たちはここで訓練を行う、ということでよろしいんでしょうか?」
「まぁ、そうなるねぇ」
「しかし、なぜ今、こんな場所を開放したんですか?そもそも私たちはここを知らなかったというのに・・・いえ、すみません、そこは今教頭先生がご説明くださったところですけれど・・・」
「別にギルドに行って適当なダンジョンを選んでも良かったのではないかと思ったんでしょう、志田先生。いや、実際私も今になってみればそう思うんだけどねぇ、学園長の提案だから無碍にも出来なくてねぇ」
そうは言うが、あの日宗二郎がこの場所を開放すると言い出したことの意味を松吉は考えていた。そしてそれが確かに有意義だと思ったからこそ、任意にプランの変更を許されていた松吉はそれをしなかった。激化する世界情勢、争いは必至。従来のカリキュラム通りでは生徒たちを守れないかもしれない。
この訓練は、より実戦を見据えた魔法教育の場を設ける、そのための前段階でもあった。
「戦闘演習でもあるんですが、みなさん、私はこのダンジョンを改めて生徒たちの学びの場として利用していけたらなぁ、なんて考えているんだ。でも長らくほったらかしだったのは見ての通りでねぇ、だから我々が先に潜って中の様子を確認しようと思う」
それなりに合理的な発想だった。なるほど、と呟いた先生が数人いた。生徒指導部長を務めている体育科の西郷大志が「よし」と声を出して、他の先生たちは彼を見る。
「ならば喜んでやりましょう!生徒たちのためとあらばやらない理由もないですしね。実戦に参加する機会が少ない我々教師陣の意識を持ち直す意味でもこれ以上のことはないですな」
「おぉ、西郷先生、そう言ってくれると私も少し嬉しくなるねぇ。なに、他の先生方もそんなに心配そうな顔はしないで大丈夫だよ。適度な緊張を保ってもらいたいから安全とは言わないけど、君たちの力をもってしても危険な目に遭うようなことはないさ。過去に入ったことのある私が言うのだから間違いないねぇ」
初老の男の朗らかな笑顔に嘘はなく、マンティオ学園で教鞭と取る優れた教師たちの能力を信用しているのが見て取れた。
その時点で、全員の意志は決まった。数十もの人がいれば動機は様々だっただろうが、それでも彼らはみな共通して実力を認められた優れた魔法士たちだ。生徒のため、街のため、自分や周囲を守るためにも、この『門』を潜ることは必然だった。
「さぁ、それじゃあ行こうか。気を付ける点は門の中を歩きなが説明するとしよう」
松吉が先頭を取り、マンティオ学園の教師たちは日常世界の真下に秘匿されていた、未踏の地へと踏み出した。
●
「まさか学園の地下にこんな場所があったなんて」
『門』を抜けた先は、深く、深く、そして深い洞窟だった。
真波は後ろを振り返る。現代ではもう見られなくなった、古いタイプのゲートがある。いかにこのダンジョンが古い場所なのかを思い知る。
洞窟の中は、意外にも明るかった。光が差し込んでいるわけではないが、結晶状の物体がそこかしこから突き生えていて、それが内部から発光しているのだ。いや、それだけでなく、そもそも洞窟の内壁自体が淡く発光しているようにも見える。足下もそうだ。きっと壁や地面、天井に含まれる成分に発光性を持つ物質があるのだろう。
なにより、ゲーム好きな人なら、きっとすぐにRPGの洞窟を思い浮かべる。あつらえたように広い道幅、十分な視界、迷路のような内部構造。どこかに財宝でも眠っているのではないかとさえ思ってしまう、冒険心をくすぐられるダンジョンが、広がっていた。
そして、ゲームのダンジョンに、強大なモンスターは付き物だ。
地響きを伴い、巨大なトカゲのような生物が顔を覗かせた。それは突如として出現した人間を警戒している。やがてトカゲは口から紫色の煙のようなものを噴き出し始め、真波たちに咆哮した。
「さっそく出たようだねぇ、みなさん、準備は良いかい?」
でも、マンティオ学園の教師たちはあの程度のモンスターに怯んだりなんてしない。来る前は不安がっていた者さえいた教師全員が自信に満ちた表情をしていた。
他の先生たちがそうするように、真波もまた一歩前に出て、バチリと稲光を走らせた。
「腕が鳴るわ。ダンジョン攻略、とことんやってやろうじゃない!」