episode2 sect6 “斜陽の湖畔“
「ダンジョンでも日が暮れるんだな。しかもきっちり地球の時間感覚と似た感じで。なんか変な気分だわ」
迅雷は左手首に巻いたスポーツ用の腕時計と、果てにどこかの世界の宇宙が見える空を交互に見やりながらそんな風に呟いていた。
時間は大体午後6時手前くらいだ。もしかするとこのダンジョンが初心者向けとされる理由の1つには、元々の時間感覚と近い感覚で過ごせることもあるのかもしれない。空の外の宇宙では、来たときに見えていた恒星の前にどこからやってきたのか大きな惑星が入り込んできて光を遮り、あたかも地球での夕焼けのように赤褐色の光が迅雷たちに降り注いでいた。
「ゆうやーけこやけーのー♪」
「阿本君は黙っていてよろしいですの」
「泣いていい?」
今日1日ですっかり見慣れた光景となっている。ただ、真牙の迫真の泣き真似で矢生が本気で慌てているようだが。
フリだと知っている迅雷さえ今更ツッコむのも億劫なので特に助け船も出さずに歩き続けていると、木が生えていない、森の終端が見えてきた。
開けた視界のその先には、
「わぁ、すごい・・・!」
今日の目標到達点の湖。紫の木の葉が舞い踊り、湿り臭く薄暗い、おどろおどろしい森を抜けて一番に世界に飛び込んできたのは、端は遠目に見えるものの非常に大きな湖だった。
水は綺麗に透き通るエメラルドブルーで、そよ風に吹かれてさざめき立つ波の音が先ほどまでの疲労感を柔らかに洗い流してくれるようだ。水面に不自然に生れた波紋を見やれば、跳ねた魚のような生き物が水中に帰っていくのが見え、水面には水鳥のような生物から虫のような生物までもが羽休めにたゆたっている。森の中では気色悪かった虫たちも、この湖に浮かんでいるうちは優美な姿として目に映る。端的に言えば、雄大な自然と生命の象徴、といった趣だ。
さらに向こうを見やれば、湖に被さるように洞窟のようなものが見える。ちゃんと陸続きにもなっているようで、中に入ればきっと洞窟の中の湖、というひときわ幻想的な光景が見られるのだろう。あの洞窟は確か2日目の行程に含まれていたはずだ。
「よし、着いたな。・・・予定通り、ぐらいか?」
煌熾が腕時計を確認しながら満足げに頷く。
それから、煌熾は野営用テントの張り方やたき火用の薪集めなどの指示を出し、2つのグループに分かれる形で各々は動き出す。テントの方は、ただのキャンプ用と異なってモンスターに襲われてもある程度は耐えられる頑丈な構造を取っており、意外と組み立て方に手間取ったりする。薪集めの方もモンスターに襲われる可能性や、一晩燃やし続けるだけの薪を集めなければならないことから思ったよりは時間がかかるようだ。
それが終われば飲み水の確保という目的で湖の水を汲み、煌熾が自身の火炎魔法で煮沸して消毒してからテントの中に持ち込む。そんな風に夜に向けて準備をしていると、いつの間にかすっかり日も暮れていた。
「いやはや、なんか濃密だったなー」
昴がテントの外に出した椅子の1つに腰掛けてそんな風に言った。
隣の椅子に座っていた涼は「歩きながら寝てたじゃん」と言いたくなったのだが、自分の今日の活動記録を考えて口をつぐむ。とてもじゃないが人に文句を言える立場ではない。
「ま、結局戦闘っていう戦闘みたいの無かったけどな・・・ふぁぁ・・・。肩が凝らなくて済む・・・」
ぬるめのコーヒーで舌を湿らせながら昴は自分の肩を揉む。
『タマネギ』が出たじゃないか、とも自分にツッコんだ昴だったが、結局のところまともな活躍をしたのは前衛である迅雷と真牙であり、MVPというか見せ場を全部持って行ったのは雪姫だったのだ。他のメンツに至ってはこれといったポイントがない。彼の場合真牙のアシスト、矢生は失敗こそすれど大技は撃ったりしたのだが、昴としては直接的貢献がなければ0点なのでこういう結論になる。
話を聞きながら涼が不服げに足をばたつかせる。彼の言い分には若干彼女の心に刺さる部分もあったのだが、それはともかく昴の意見に賛同する。
「ホントにねー。私今日なにもしてないよ・・・。せめて気持ち悪くないモンスターが出てくればいいのに・・・」
(そんな甘ったれたこといつまでも言ってられんのかよ・・・)
昴はあえて思ったことは口に出さないでおいた。自分が言っても仕方ないことだし、いずれ、遅かれ早かれ本人が直面して自力で打開すべき問題と感じたからだ。昴は特別人に頼らない人物というわけでもないが、個人の問題は当人が直接感じて考えて乗り越えるべきと考えているし、それは他人にも求める節がある。
そんなわけで、重大なことならともかくこんな些末な問題はいちいち彼が口出しすることでもない。昴は代わりのように頭を搔く。
湖畔、というか本当に湖の汀でテーブルを広げて夕食の支度をしていた真牙と光が、他のメンバーを呼ぶ声が聞こえた。
「・・・、飯か」
張りたてのテントで少しの息抜きと思って横になっていた迅雷は、真牙と光の呼ぶ声に目を開けた。テントの角張った天井を見つめながらぼんやりとしていると、白熱灯の光に視界が焼かれる。咄嗟に目を閉じ直してからふぅ、と息をつくと、次第に空腹を感じ始めた。さて、真牙は一体なにを作ったのだろうか、などと考えながら体を起こす。
「んしょっと・・・、ん?」
しばらく閉じていた目が唐突な光に眩んでいるので、軽く目を擦る迅雷。そんな彼の狭い視界の端の視界に人影が映った。姿勢は、テントの内壁に体重を預けて座っているように見えた。最初に寝転んだときには煌熾がいたのだが、確か少ししてテントを出ていったと思う。ならばこの人は誰だろうか、と思って目を擦る手をどかす。
すると、そこには目を瞑って思ったより可愛らしい寝息を立てる、無防備な少女の姿が。その少女が呼吸に肩を小さく上下させると、それだけで揺れる柔らかい前髪。両膝を折り畳んで膝を抱え込むようにして俯き気味に座る少女は、普段の印象とはやや違って、小さく縮こまるまだまだ子供で等身大の15歳の女の子にも見えた。
「・・・!ゆ・・・じゃなくて天田さん?」
普段と印象の違う雪姫を見て一瞬「雪姫ちゃん」と呼んでしまいそうになってから慌てて言い換える。あくまで「雪姫ちゃん」の呼称は愛称であり、本人が馴れ馴れしいと怒りそうなので彼女の前では使わないのだが、いかんせん本人と会話しない分こちらの愛称の方が使う機会が多く今も口をついて出てしまうところだった。
別に雪姫がテント内で休んでいたって不思議ではないのに、迅雷は目の前に無防備な彼女がいたことについ驚いて声を上げてしまった。
起こしてしまったかと思い慌てて口を押さえるが、しかし、そんな迅雷の心配も杞憂だったようだ。雪姫はまだ眠っている感じで、彼の声も聞こえていないみたいだ。
「それにしても、こんな素直な顔で寝るのか。当たり前だけどすげぇ意外?」
顔を近づける勇気は無いけれど、体を起こした位置から距離は変えずに目を瞑って小さな呼吸音を立て続ける雪姫の顔をじっと見つめる迅雷。耳をそばだてれば、かすかに聞こえる寝息がこそばゆい。テントの中は天井につるした電池式のランプで橙色に照らされていて、そんな中にあってまだ雪姫の肌は雪のように白い。照らし出される彼女の、ともすればランプより眩しく感じるその顔を、透き通るような青髪を、今なら穴が空くほど見つめられるかもしれない。
『おーい、飯だってば、集合ー!』
「・・・ん・・・」
―――――――真牙のバカァ!もう、ほんと、その、まったくもう!
集まりが悪いのか真牙がまた大きな声を出し、2回目の呼びかけには雪姫も目を覚ましてしまった。
普段は絶対に見られないであろう彼女の眠る姿とかいうレアものをみすみす逃した口惜しさといったらない。だが、いつまでも食事を待たせるわけにもいかないし、起きてしまったものも仕方ない。せめてテントを出る前に声だけかけよう、と迅雷は妥協することに。
「あ、天田さん目が覚めた?飯出来たってさ、行こう?」
「・・・そう、分かった。・・・寝ちゃってたか、ハァ・・・」
「あれ、意外と素直?」
「なんか言った?」
「いえなんでもございません!」
先に出ていく雪姫を見送ってすぐに迅雷もテントを出る。しかしよくよく考えれば、あの雪姫が周囲に人がいて、しかもテントの中だったとはいえ、ああして無防備に眠るような人物だったろうか?もしかして自分の実力は最低限評価されていたのではないだろうか、と少し嬉しくなる迅雷。・・・が、しかし、
テントを出ると雪姫が指パッチンをするシーンに出くわす。
すると。
「・・・わぁお」
テントを中心に割と広範囲にわたって円状に敷かれていた粉雪の白線が煌めきながら霧散した。
恐らく彼女が休憩を取る前に仕掛けた防衛ラインのようなものだったのだろう。雪姫が起きた今、もうその需要はなくなったから廃棄、といった感じか。
それを見て迅雷は、溜息を吐いた。
(信頼されてねぇ、俺どころか誰1人として信頼されてねぇ・・・)
心の中で涙を流す迅雷の肩に何人が手を置いてくれるのだろうか。確かに彼女の実力は迅雷たちから1歩も2歩も、もしかすると4、5歩くらい離れているのかもしれないが、それでももう少し背中を預けるようなことぐらいはして欲しいものだ。
迅雷はあの希薄さの目立つ雪白の少女に、言いようのない虚しさと、それと・・・。
「・・・・・・なんなんだろうな、この感じ」
見送るしかないはずの、追いかけることすら並大抵の努力では困難に思えるその背中。分かるはずのない彼女の矜恃に、迅雷はどうしてもあれを放っていてはいけない、なにか―――――漠然としているわけでもないのに「なにか」としか言い表せない、もどかしい感覚を燻らせていた。
と、ぼーっと突っ立ったままの迅雷に話しかける人物が。
「ねぇねぇ、神代くん」
「ん?あぁ、どしたん、五味さん?」
「あぁ、うん。あの、さ」
短い黒髪を指先でいじりながら、少し躊躇うようにしている涼を見ていると迅雷まで少し気まずくなってしまう。なんだか先ほどから迅雷ばかり甘酸っぱい気持ちになっていて他の男子勢には申し訳ない・・・などとは考えない。もらえるものはもらっておくべきのはず。
とはいえ、彼女の横では矢生も迅雷の顔を見ているのでそういう流れじゃない。なんとなく彼女らの言いたいことは分かった。どうせ、
「阿本くんって料理できるの?」
「ほれみろ」
「?」
迅雷は顔の前で手を小さく振ってなんでもないとアピールする。
それにしても、昼間から何回も真牙にいじ(め)られて、すっかり彼に対して疑心暗鬼になってしまったようだ。不安げな顔をする涼だったが、迅雷はあいにく、といった風に答えた。
「食えば分かると思う」
「え、なんだか不安になるセリフなんですけれど、それ・・・」
答えになっているようでなっていない迅雷の返事に涼と矢生が戦く。
●
『おいしい』
開口一番、全員が声を揃える。まさかの雪姫までもが。異常事態に全員がぎょっとして彼女の方を見たが、当の雪姫は素知らぬ顔である。
・・・にしても、
「なにこれっ、見た限りただ少し味付けして焼いただけのはずなのに!?なぜかおいしい!?」
「お、おかしいですわ!だって、え?本当に阿本君が調理を・・・?」
真牙の料理(肉を実際塩こしょうで味付けして焼いただけ)は、みなの予想に反して絶賛だった。さしもの雪姫さえ少し驚いた顔をしたレベルだ。一口目から数秒して変なものを入れたのではないかとか疑い始める者も数名。
涼と矢生が驚愕と懐疑の目で迅雷を見る。
「はふっ・・・んっ。だから言ったろ、『食えば分かる』って」
迅雷もこんがり焼けた肉にかぶりつきながら、なんのことはない風にそう言う。前々からたまに彼の手料理を食べることがあったのだが、その悉くがなぜかかなりおいしかった。
バレンタインやホワイトデー、ハロウィンといったイベントでは、イベント内容を問わず彼の作るクッキーが人気を博すほどに。一度それで商売しようとした真牙が、剣道部の先生にしばかれていたことがあった気がする。こんな軟派でヘラヘラした態度ばかり取る真牙だが、何度も言うように無駄に器用になんでもこなしてしまうのだ。
しかし、そんな空気が一変する出来事が起きた。
それは、煌熾の何気ない一言。
本当に、ふと感じたこと、というより感想に近いものを煌熾は真牙に言った。
「いや、こんなにうまいものが食えるとは思わなかったな。阿本もいい特技があるじゃないか」
「へっへっへ、もっと褒めてくれたっていいんですよ、焔先輩?例えば剣の腕とか」
真牙がいつも通り調子に乗って浮かれたことを言う。
「あぁ、そうだな。・・・それにしても、これ、なんの肉なんだ?今まで食べたことのない食感なんだが?」
・・・言われてみれば、噛みごたえに憶えがない、ような?
「(ギクッ)ち、調理法ですって!うん!」
真牙が冷や汗を垂らし始めたのを迅雷は見逃さなかった。というより垂れるより早く、真牙の顔に水滴が浮かんだ瞬間に迅雷は気が付いた。もうそういう次元で彼の悪ふざけは見てきたつもりだ。
「おい真牙。これ、なに?」
「え・・・と」
火を囲みキャンプ用の簡易椅子に座りながら、こんがり肉に食いついていたその場の全員が固まった。
――――――――なぜだ、なぜそこで言い淀む?
「これ、なに?」
迅雷がもう一度尋ねる。
すると、真牙は椅子ごと火に背を向けるように180度回転してから、ぽつり。
「さっき湖で釣った、なんか変なやつ」
全力で走り出した真牙。
彼の頭の中で回想されるのは、殻のないザリガニみたいな、でもチョウチンアンコウみたいな触覚が付いていたような、ていうか肉が苔むして緑色だったような・・・。
いや、真牙の直感は「これはおいしいし、安全」と言っていたはず。そもそもだ。そもそもここに来てから見たり嗅いだりいろいろしたが、毒っぽいのは1種類しか見つけていない。
だから。
「オレは正しいはず、ダァァァァァァァっ!?」
リアル鬼ごっこ、開幕!
元話 episode2 sect14 ”斜陽の湖畔” (2016/8/15)
episode2 sect15 ”擦り切れた回顧” (2016/8/17)