episode6 sect8 ”天田雪姫の憂鬱”
ドアを開けば、少年(?)が目を丸くして椅子から立ち上がった。
「うおぉい、おいおい姐さん!?一体どうしたんだ、その足は?」
「うっさい。ジロジロ見んな。黙れ」
「あぁ、口の方はいつも通りでなによりだ」
『厳島サァン!?しっかりしてくれぇ!!』
胸を押さえて悶え苦しむリーダーを不良たちが囲んで介抱し始めた。姐さんこと天田雪姫の辛辣極まりない言葉に精神を破壊され、リーダーは虫の息だ。
少し期間を空けてしまったが、雪姫は今日からバイトに復帰することになった。入院費は馬鹿にならないからこれ以上家計に負担をかけたくなかった。松葉杖1本さえあれば十分だとして、雪姫は、本人同士は知らず知らずのうち、迅雷同様にさっさと退院したのだった。今頃一央市中央病院の先生は、近頃の若者はキチンと治療を最後まで受けてくれない、と嘆いていることだろう。
店長が不良少年(?)のリーダー厳島の惨状を目の当たりにして青ざめている。口元に手を当てたりして女々しい。
「あわわわ・・・雪姫ちゃんが以前にも増してキツくなっちゃった・・・!?」
「だ、大丈夫だぜマスター。多少の精神攻撃なんて俺たちには屁でもねェ・・・」
厳島は不良少年の悪意慣れしたメンタルを見せて店長を安心させようとしている。
雪姫はそんな彼らを放って奥のスタッフルームに入った。雪姫用にわざわざあつらえてくれたエプロンや三角巾は丁寧に畳んで衣装ダンスに仕舞われていた。雪姫が来られない間にクリーニングに出してくれたのだろうか。普段と少し違う、クリーニング独特の匂いがしていた。
「・・・別に良いのに」
煩わしそうに溜息をひとつして、雪姫は薄手の私服の上からエプロンをかけて、長い前髪を後ろに流して三角巾を被った。
雪姫が調理場に戻ると、ちょうど客が来てテーブルについたところだった。若い男女だ。やはりというか、入店一番に目に入ったヤンキー集団に怯えている風だったが、青年の方が恋人の前で強がって見せているようだ。
穏やかな物腰の店長が注文を取りに行って少し空気が和む。いつもの流れだ。・・・だが。
「・・・チッ」
雪姫はなんだかそれに無性に腹が立った。理由は―――自覚しないでもなかった。言ってしまうと、単なる焦りだ。
平和が一番。それは分かるのに、今の雪姫には平和なのが耐え難かった。とっくに塞がった傷が疼くような不快感さえ感じるほどにだ。
「雪姫ちゃん、ナポリタンとオムライスお願いねー」
「分かりました」
怪我の件については昨日電話で店長が折れるまで説得したから、彼はもう、特になにも言わないでいてくれていた。
雪姫はいつも通り、キッチンを右往左往しながら慣れた手つきで料理を作る。そこまで集中しているわけでもないから、テーブルの方の会話も彼女には聞こえていた。
「ねぇタケル、あの子ってさぁ、もしかしてさぁ、『高総戦』ですごかった子じゃない?」
「え、マジ?あ、確かに似てるかも。でもなんて名前だったっけ?」
「店長さんは『ユキちゃん』って呼んでた」
「確かに!」
「聞いてろよーってば。ウケるー」
大学生だか社会人だかは知らないが、能天気なものだ。ほんの10日ほど前にこの街で死人すら出るような事件があったことさえ忘れたのだろうか。人の名前よりも先にその手に持った便利機械でニュースでも調べてろ、と雪姫は呟いた。
対岸の火事だと思って見ていたらいけない。次はなにがあって、それに巻き込まれるのは自分かもしれないし、今目の前で馬鹿笑いするその人かもしれないのだ。
一央市にはたくさんの魔法士がいる。でも、いつだって彼らがピンチから救ってくれるわけじゃない。魔法士はヒーローなどではないのだから。
「・・・」
「雪姫ちゃん、ちょっと火強いわよ?」
「ぁ」
隣から手が出てきて、コンロの火を弱めた。店長の奥さんだった。
「私も手伝うわね」
「・・・はい、すみません」
「いいのいいの」
奥さんの方はナポリタンのソースを代わってくれたので、雪姫はオムライスのチキンライスに取りかかった。奥さんは手を動かしながら、ナイショ話でもするみたいに小声で雪姫に話しかけた。
「あっちのお客さん、男の子の方が雪姫ちゃん見て可愛いって言ってたわよ?あなたも罪な子ねぇ、彼女さん嫉妬しちゃうわよねぇ、うふふ」
「別にどうでも良いですけどね」
「あら冷たい」
なにを今さら、と雪姫は口をへの字にした。
「雪姫ちゃん、なにがあったのか私たちじゃ全然分からないけど、あんまり焦っちゃダメよ?」
「なんですか、急に」
問い返したが、奥さんがなんと答えるか雪姫には分かっていた。きっと雪姫が抱えている不安や焦りを共有して、一緒に考えて、励ましてくれようと考えている。案の定、奥さんは雪姫の予想通りのことを言い始めた。
「目が鋭いんだもん。今までもだけど、今日は特に。で、イライラしてるのかなぁってね」
店長も奥さんも大らかで心優しい人たちだ。
「やっぱり怪我のこと?大丈夫よ、全然迷惑なんかじゃないんだから。まぁ雪姫ちゃんがいてくれると大助かりだけど」
「そうですか」
親身になって接しようとしているのは分かる。
「それとも、事件の方がまだ気になっている?」
「・・・・・・」
「そうかぁ、そうよねぇ。恐かったわよね。本当に雪姫ちゃんが無事で良かったわ」
「そうですか」
「・・・まだ不安はいっぱいよね。・・・でも大丈夫!こんなときこそ前向きでいなくちゃ!きっとなんとかなる!」
でも、2人ともなんにも分かっていない。優しくても、親身になっても、まるで分かっていない。数歩、雪姫の内面には届かない。
放置していたら自然と解決する?時間が解決する?そんなわけがないじゃないか。
「(誰かがなんとかしてくれる、でしょう・・・・・・)」
「・・・?なにか言った?ごめんね、換気扇もついてて聞き取れなかったわ」
「なんでもないです」
例え彼らが雪姫のことを本当に理解してくれてはいなくても、こうして雇ってくれる恩人であることには変わりない。2人が悪いわけじゃない。今のはほとんど雪姫の八つ当たりみたいなものだ。
というより、そもそも雪姫は理解を求めているわけじゃない。それ以前に、雪姫は孤立していたいのだから、端から誰にもそんなものは求めていやしない。
でも、だからと言って他人になにも求めていないわけではない。雪姫が人に求めるものは―――。
(あんなのじゃない・・・・・・違うの・・・)
荒れる心中とは裏腹に綺麗で見るからに美味しそうな料理が出来上がる。雪姫と奥さんはそれを真っ白で清潔な皿に載せて、雪姫がトレイでテーブルに運ぶ。
「お待たせしました。ナポリタンとオムライスです」
「わー美味しそう!写真撮んないと!」
女性客は嬉しそうに料理の写真を撮って、SNSにアップしている。
「ごゆっくりどうぞ」
「あ、待って待って!あのさ、あなた、『高総戦』の1年生の部で優勝した天田雪姫ちゃんだよね!?」
「そうですけど」
「すっごーい!ホンモノ!有名人と会っちゃった!あれ、足怪我したの?大丈夫?」
「えぇ」
「そっかぁ。良かったねー!あ、握手しても良い?」
「・・・いや、遠慮しときます」
「わー残念。でもホントにかわいー!肌とか超白いし顔ちっちゃいし、目とか髪の毛の色も似合ってるしぃ」
「そうですか、どうも」
雪姫は適当にお辞儀してテーブルから離れた。男性客に見られるのは慣れっこだが、好きではない。それ以上に、その男性客のことなど雪姫は歯牙にもかけていないのに、男を取られまいと必死に威嚇してくる女の暢気さが目障りだった。
街は平和だ。すごく、平和だ。
虫唾が走る。
厨房に戻りながら、雪姫は歯軋りをした。