episode6 sect6 ”実験棟にて待っているヨ”
「ただいま―――」
「おっそーい!!」
「へぶンッ!?」
迅雷と直華は警察への事情説明に時間を取られて、家に帰り着いたときにはそろそろ昼飯を準備しないといけないような時刻になってしまった。
2人の帰りを寂しく待っていた千影は、玄関の方から物音がした直後に迅雷の部屋を飛び出して階段を駆け下り、そして扉が開く瞬間に間に合って自分の体ギリギリの隙間をくぐって迅雷の腹に飛び込んだのだった。
驚異的な速度で飛び込んできた千影の頭が鳩尾にめり込んだので、迅雷は玄関前にうずくまっている。なにせ今の衝撃で胃が圧迫されたものだから迅雷は顔面蒼白になって口を手で押さえた。悶絶する迅雷に千影はまくしたてる。
「まったくいいもんだね!ボクが寝てる隙にコッソリ兄妹でデートに行こうだなんて!ガッカリだよ、こんちくしょー!」
「いや、千影ちゃん!誤解だからね!それお兄ちゃんがふざけて書いただけだから!普通にジョギングしてただけなの!」
「なぁにぃ?つまりジョギングデートってこと!?ズルいズルい!」
「なぜ千影ちゃんまでそういう発想に・・・」
プリプリと怒ったままの千影だったが、迅雷が手に持っていたコンビニのレジ袋に気付いた。
「ん?それなにー?」
「あ、これ?アイスだよ。千影ちゃんの分も買ってきたから、ね?これで許してね?」
「よし、許す!」
倒れたままほったらかされ、挙げ句の果てに手荷物だけ奪うように持って行かれ、迅雷は自分の扱いの雑さに愕然とするのだった。
「お兄ちゃん、先シャワー使っても良い?」
「・・・うん、いいよ。いいよ、うん」
「その・・・お兄ちゃん、ドンマイ」
直華は苦笑してそそくさと風呂場に行ってしまった。支えを失った玄関の扉が目の前で閉じる。軒先で天日干しされる迅雷は泣いても良いかもしれない。
腹の内側の嵐も収まったので迅雷はのそりと起き上がり、一歩遅れて帰宅、そのままリビングへ。一番に冷蔵庫で冷やしてあった麦茶をコップ1杯飲み干して、それから庭の方を見た。そこではたくさんの布が風に揺れている。なんだかんだ言いつつ、千影はちゃんと洗濯物を干しておいてくれたらしい。雑だが、まずはちゃんとやってくれたことを褒めるべきだろう。
「よしよし、偉いぞ千影」
「へっへー」
「これからは洗濯千影に任せようかな」
「えー」
「露骨か」
あからさまに面倒臭がる千影に迅雷は苦い顔をした。
「あぁ、そういや千影。さっき、コンビニの前でお前のお兄ちゃんに会ったぞ」
「お兄ちゃん?」
お兄ちゃんと言われて千影は不思議そうな顔をした。
「え、だから千影のお兄ちゃんだって」
「とっしー、なに言ってんの?」
「は?」
迅雷と千影の情報が、なぜか一致しない。でも確かに紺は、「俺は千影のお兄ちゃんだ」と言っていた。それも、すごく得意げに。
しかし、千影は迅雷の困惑なんてお構いなしに一言でバッサリと斬り捨てた。
「ボクにお兄ちゃんなんていないよ?」
「え・・・いや、でも、だって確かに紺のヤツ、そう言ってたのに!」
「紺?・・・あぁ、そういうことね」
具体的な名前を聞かされて、千影はようやく理解した。それと同時に、いつまでもそんなことを言い続けている紺には千影もそろそろ呆れる頃だ。勝手に妹扱いされる方からすれば良い迷惑である。
悪者の言うことを鵜呑みにしてしまうような人の良い迅雷に千影は事情説明をしてあげることにした。余計な誤解はさっさと除いて然るべきだ。大体、あんな常時ニヤけっぱなしの変質者の発言なんて初めから疑ってかかれば良いものを、と思わなくもない。
「ボクに血の繋がった身内なんていないよ。お兄ちゃんの話は、紺が勝手にその気になってるだけ」
「え、そうなの!?」
「そうだよ。ホント、困ったもんだよね。いい歳して」
「な、なんだぁ・・・」
ほとんど信じ込んでいたものだから、紺が千影の本当の兄でないと分かると、迅雷はホッとしたような、また騙されたような複雑な気分になった。とはいえ、まぁ、気が楽にはなった。
迅雷の肩の力が抜けたのを見て千影はイタズラな顔になった。
「お、安心したね?そうだよ、だから君がボクに惚れても紺に挨拶しなくて大丈夫だぜっ!」
「そうだな、良かっ―――じゃねぇ!!なぜだ!?」
すんでのところで我に返り、迅雷は額の汗を手で拭った。とんでもないことを言わされるところだった。
千影は「ちぇ」と唇を尖らせてソファーに転がってしまった。なにをそんなに期待していたんだよ、と迅雷は呆れる。家庭内でそういうことをされると落ち着かない。・・・今、迅雷の後頭部にブーメランが刺さったような気がしないでもないが、本人は気が付かない。風呂場から直華のくしゃみが聞こえた。
迅雷は気を紛らわすために、直華がシャワーを終えるまでに昼食の準備をしておくことにした。
と言っても、あんまり手の込んだ料理が出来るわけではないから、迅雷は台所の戸棚や冷蔵庫の中身を確認する。しかし、あんまりいろいろはない。さっそくお土産の謎味アイスと格闘している千影に迅雷はラーメンとパスタを見せた。
「なぁ、昼、どっちが良い?」
「ラーメン」
「あいよ」
すっかり主夫スタイルが板についてきたのを実感する迅雷なのであった。
●
ところ変わってマンティオ学園にて、焔煌熾は久々に入る実験棟の前に突っ立っていた。
「・・・なんか急に呼び出されたが、なんなんだろうな」
迅雷が療養中で動けず、慈音も補習でてんてこ舞い、千影に至っては「なんやかんやあって」ギルドに謹慎処分を下されたとかいう話で、一時は大きな話題にもなりかけた全員高校生(と小学生?)の魔法士パーティーの『我儘な希望の正義』、略称『DiS』は現在、実質的な活動休止中である。
そのことに目を着けたのか、時間を持て余していた煌熾に実験の協力依頼が舞い込んだのだ。
―――まぁ、そこまでは良いのだ。なんにも問題なんてない。
しかしだ。しかしながらだが、依頼人が依頼人なのだ。故に、煌熾はここまで足を運んでおきながら実験棟に入るのを躊躇していた。
それで、あの煌熾すら怯えさせる問題に依頼人というのが、一般魔法科1年の、佐々木栄二孫という男子生徒だ。ただし、彼と煌熾には特に接点はない。ではなぜ煌熾がエジソンのことを知っていてなおかつ敬遠しているのかと言えば、それは5月の『学内戦』でのエジソンの活躍を知っているからだ。
まず、登場時点でなにかの実験に失敗してサイケデリックな全身レインボー状態、そして彼が披露する発明品もおかしなミサイルだった。しかも聞けば、何十年かぶりに一般魔法科から『高総戦』の全国大会に出場し、そこで大会上位の実力者とも互角に渡り合った『EXAW』シリーズもエジソンの技術力によるところが大きいという。
つまりなんだと言われれば、煌熾は迷わずこう返すだろう。
「俺・・・一体なにされちゃうんです?」
たまに出ちゃう女々しい口調で煌熾は呟いた。 エジソンが優秀なのは分かる。逸材と言っても良いはずだ。でも、ちょっと・・・いや、かなり興味の方向が物騒だ。『学内戦』で実際に彼と相対した迅雷が「アイツはヤバかった」と言っていたし。よもや肉体改造をされてマスクドライダーにされたりしないだろうな、みたいな突飛な懸念さえしてしまう。
そんな感じで煌熾が戸惑っていると、背後から間の抜けた声が飛んできた。
「あれれー?煌熾先輩?こんにちはー」
「ん、その声は東雲か。よう、こんにちは」
のほほんとした笑顔で煌熾に手を振ってくれているのは、慈音だった。威圧感のある大柄な体格と、優秀な魔法士の卵が集うこの学園においてもなお目立って高い実力を持つせいで後輩から敬遠されがちな煌熾だが、同じパーティーの仲間でもある慈音は極めてフランクだ。近頃は遂に下の名前で呼んでくれるようになった。学園の中で煌熾を「煌熾」と呼んでくれるのなんて、慈音と、あとは3年の柊明日葉くらいだ。
「今日はどうしたんですか?あ、もしかして煌熾先輩も補習ですか?もう大変ですよねー、あは、あは、あはは、あははは・・・」
「ギリギリ笑えてないっ!顔が死んでるぞ、大丈夫か東雲ぇっ!?」
「だいじょーぶ」
慈音がまるで社会の闇もとい現実を叩きつけられた若者みたいになっている。一体なにをしたらそんなハードな補習を受けるんだろうかと煌熾は不安になった。全然大丈夫には見えない。特に目の下のクマとか。
「東雲、ちゃんと寝てるか?その・・・クマが」
「くまさんがどうしたんですか?」
「・・・いや、うん、いいんだ。その・・・勉強は大事だがほどほどにして、適度に休みなさいね」
「いやぁ、えへへー」
―――ダメだこりゃ。
慈音の中間テスト、8科目で平均39点でした(ep.5 sect7 参照)。なお、科目毎の点数のばらつきもあまりないらしいです。