episode6 sect4 ”もう過ぎたこと”
なぜか立ち寄ったコンビニの前に当たり前のように居座っていた紺があまりに殺気立っていたものだから、迅雷は思わずさん付けして呼びかけてしまった。
・・・いや、というかまずそうじゃなくて。
「・・・あぁ?」
「あ、いや、そのえっと」
「なんだ、ビリビリボウズか」
「だっ、だからビリビリボウズって呼ぶのやめろ!つかそういうことじゃなくてさ、なんだってまだこんなとこにいるんだよ、アンタは」
「んだよ、いちゃあいけねぇのか?」
「え、いや・・・」
酷く不愉快そうに、厳しい剣幕で睨み返されて、迅雷は股間が縮む気がした。
でも、だって、迅雷がそう思うことの方が至って正当だ。知らない人は仕方ないが、紺は快楽殺人者だ。世間では魔族のせいにされている藤沼界斗少年を殺害した実の犯人も彼だ。そして、なぜよりにもよって今問題になっている魔族殺害の件の実行犯が、こんな人通りの多い場所で暢気にやっているのだ。しかも、朝から酒まで飲み散らかして。
そこら中に転がされた酒類のビン・カンを見て迅雷は苦々しい顔になる。つくづく、こんな男に千影の兄を自称して欲しくなかったと思わされる。
紺が纏う異様さにあてられた直華が怯え、迅雷の上着を摘まんだ。普段は笑顔で辛うじて表出せずにいた彼の血生臭さが、笑っていない今日は声を聞くだけで伝わるほどになっている。髪型や体型が似ているせいか迅雷をあと5、6年成長させたくらいに見える男性だったが、そこが決定的に違いすぎた。全く穏やかではない。迅雷とは程遠い人間に見えた。
「お、お兄ちゃん、この人は・・・?」
「うーん、その、なんというか良い人ではないんじゃないかな、少なくとも」
平気で人も魔族もブッ殺すし止めようにも攻撃が効かない恐いお兄さんだよ、なんて説明する気にもならず、迅雷は半端な情報を直華に吹き込んだ。直華に余計な心配と恐い思いだけはさせてはならない。自身も震えそうな恐怖は悟られまいと迅雷は自然に苦笑して答えた。幾度となく見逃された立場だからと紺に甘えてはならない。気を許しては駄目だ。
紺は直華の方を見てから迅雷に視線を戻した。
「千影は?一緒じゃねぇのか?」
「あいつ、今自宅謹慎中だから家から出られないんだよ」
「―――だからってほっとくのかよ」
「んな、さすがにしょうがねぇだろ。退屈してて可哀想だとは思うけど、むしろ無理矢理連れ出してバレた方があいつのためにならないぞ」
やはり今日の紺は、どこか異常にピリピリしている気がした。言い換えるなら、以前ほどの余裕が感じられないのだ。酔っ払っているからかもしれないが、迅雷にはどうもそうには思えない。
「・・・もしかして、なんかあったのか?俺たちがいなくなった、あの後に」
「―――ッッ!!なんもなかったワケねぇだろォがよ!!あぁそうだ、テメェがあんとき素直に帰ってりゃおッ――――――あんなことにはならなかっただろォがよ!!」
「ッ!?」
迅雷は地雷を踏んだと直感した。声だけで吹き飛ばされるかと思うほどの気迫だった。あわやジャージが破れる勢いで胸ぐらを掴まれ、足が宙に浮いた。
覗いた紺の瞳は、血のように紅く、爛々と暗く輝いていた。剥き出しの殺意に曝された迅雷の全身を脂汗が覆い尽くす。
「お兄ちゃん!?ちょ、ちょっと!!やめてください、お兄ちゃんが!お願いします!」
「うるせぇ!!お前誰だよ、すっこんでろ!!」
迅雷を掴む手を放させようとした直華にも、紺は手を上げた。
「やめろ紺、待て、やめ―――!!」
一番恐れていたことが起きてしまった。いや、起こしてしまった。迅雷の不用意な行動と発言がこの事態を招いた。なぜ紺を見かけたときに素通りしなかった?なぜ余計なことを問うた?くだらない世間話が出来るような仲だったとでも錯覚したのか。
何の気なしに触れた場所が逆鱗だった。生傷に手を突っ込もうとした。
紺がとった反応は至って単純だった。寄ってくるハエを追い払うように適当に腕で払うだけだ。それが直華に向けられている。迅雷は臍を噛んだ。最悪だ。
でも、させない。最悪だから諦めるなんてあり得ない。締め上げられる苦しさも忘れ、迅雷は虚空に手を伸ばした。『召喚』を唱え、剣を取り、紺の腕を落としてでも直華を助けるために。
「失せろ、ガキが・・・!」
「やめろよォォ!!」
「やめとけ、紺」
紺の裏拳が直華を殺す直前で、迅雷が『雷神』を握る直前で、紺の肩に誰かが手を置いた。
その声を聞いた瞬間、ぴたりと紺の腕が停止した。だが依然として紺の怒りは冷めず、こめかみには血管が顕わに浮かび上がり、腕は小刻みに震えていた。
「~~~ゥゥッ!!」
「分かってんだろ、お前だって。大人げねぇぞ」
「・・・クソがァ!!」
「えちょ、うぉ!?」
ギリギリで踏み止まった紺によって迅雷はコンビニの壁(幸いガラス窓ではない部分)に投げつけられ、派手な衝突音と共に迅雷はその場にずり落ち、へたり込んだ。今のでも十分に殺されていた可能性があったことを考えると、紺は本気で迅雷たちを殺すつもりはなかったということ・・・だったのだろうか。
直華もまた、その場で腰を抜かしていた。突如として起きた暴行事件に通りすがった人々が不安そうな目をしたまま、コンビニを敷地外から囲んでいた。
迅雷はバクバクと爆発しそうなほど激しく脈打つ心臓を手で押さえながら、紺を見上げていた。紺は唇を噛んでいた。強く噛みすぎて、皮膚が切れて血が流れている。瞳は拡縮して感情の揺らぎがそこに全て圧縮されているかのようだった。
―――また、見逃してもらえたのか。でも、どうして?
「大丈夫か、ボウズ」
「す、すいません・・・ありがとうございました・・・」
迅雷に手を差し伸べたのは、20代後半か30代前半くらいの中背の男だった。ポロシャツと半ズボンというラフな格好だが、眼鏡の奥の瞳には知性を感じさせる人物だ。
「そうかしこまるなよ。紺にタメ口きいてんなら俺もそんくらいで良いさ。あぁ、俺は研ってんだ。『研究』のケンでそう読んでる」
そう名乗った彼は、紺と同じ『荘楽組』の構成員だと分かる。研は紺よりずっと穏やかだが、反面、目の下のクマが酷い。憔悴しきっているのに無理をしていることが、初対面の迅雷にも伝わってきた。
本当に、あの後一体なにがあったというのか。初めは漠然と気になっただけのはずが、迅雷は次第にその未知の出来事が恐ろしくなってきた。
「ツレが悪いことしたな。ケガは・・・まぁそんくらいはツバでもつけとけ。紺も悪気はねぇんだ。あったら死んでたろうしな!あはははは!」
「あのっ、あのさ―――!」
「おう、なんだ?」
「あのさ・・・なにが、あったんだ?俺・・・なのか?俺が・・・なにかマズかったのか・・・?」
そう尋ねた迅雷の顔を見た研は、とても驚いた顔をした。自らの問いに研がなにを思ったのか、迅雷には分からない。
ただ、それ以上に彼ら『荘楽組』の身に起きた「あんなこと」がなんだったのか、そして紺の怒号が、迅雷の心に焦りを生ませていた。事の次第では、それは後悔になるかもしれない。誰かのためにした行いが別の知っている誰かを傷つけたとして、その先の人生で迅雷がその行いを正しかったと思い続けられるのか。やりたいようにやると決めたとて、迅雷は独善主義ではない。
決めた覚悟を超えた場所で、千影が愛した居場所のひとつが逆境に置かれている。
研は背後の紺の顔色を窺いながら、低く唸った。
しかし、なにもなかった、と誤魔化すのはなにか違うと判断した。目の前の敵だった少年は真剣に不安を募らせている。まだ脆い子供でしかないと実感した。迅雷の問いは、だから難しくて、研は溜息を吐いた。
「なに、お前が千影を連れて帰った後も、大変だったって話さ。でもボウズがなにかしたわけじゃねぇぞ。大体、いねぇヤツがなに出来るんだ?どうしようもなかったのさ」
「だから、なにが―――」
しかし、迅雷の質問に研も紺もキチンと答えることはなかった。というのも、コンビニの店員が勇気を振り絞って店内から飛び出して来たからだ。
「つ、通報しましたからね!!」
「おっといけねぇ、それは困ったな。おい紺、ずらかるぞ」
「・・・分ぁったよ、くそ」
「じゃあなボウズと、そこなかわいこちゃん。千影によろしくな!あ、でも今日の話はあいつには言わなくて良いぞ、もうウチのじゃないからな。そうだ、それと―――」
「「ずらかるんじゃねぇのかよ!?」」
研の捨て台詞が長すぎて、思わず迅雷と紺が一緒にツッコんでいた。
いつの間にか紺の方が研の手を引っ張っている。しかし、頑固なのか研は紺の怪力に抵抗して迅雷のズボンのポケットになにかを突っ込んだ。
「それは詫びだから。んじゃなー!」