episode5 sect101 ” Instigation ”
「『覚えてたか』?なんなのかな、その言い草は?」
「なんて、冗談ですよ。不肖この神代迅雷、恩人である甘菜さんのご命令とあらば喜んで承りましょう」
「大袈裟な・・・」
迅雷がちょっと調子に乗ってナルシスト風の口調を使うと、甘菜は若干引き気味に笑った。恥ずかしくなって迅雷は枕で顔を隠した。
「あ、自滅パターン」
「なんも言わないで・・・」
「でも言っちゃったものね。私もこれからは君の力も頼りにさせてもらうから、よろしく」
甘菜はいつもみたいな軽い口調だったが、その割には真剣さも垣間見せている。実際の話をすると、昨日の迅雷の活躍度は尋常ではなかったのだ。あの『荘楽組』と戦って戦果を挙げて帰ってきたのだから。しかも情報によると、中でも抜きんでて凶悪とされる紺や岩破もいたというのにだ。これで彼の素養の高さは証明されたようなものだった。そんな才能に期待しない方がおかしい。
「甘菜さんならほどほどにしてくれるって信じてますけどね」
「そう?なんならこれからは私がちょくちょく『DiS』にクエストを斡旋してあげても良いけど?」
「そりゃ助かります。ぜひに」
「了解。でもいつまでも甘やかしてあげるつもりはないからね?実力のある人には相応の仕事を回すのがギルドの役目なんだから覚悟しなさい」
「あ、はい・・・」
「それじゃあ迅雷くん、私はこれで失礼するわね。なんかもう別に心配なさそうだし。あとは雪姫ちゃんの方にも顔を出そうと思ってるから」
「そうですか。ありがとうございました、わざわざ」
「うん。またねー」
甘菜は手を振って病室を出て行った。
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入院から1週間ほどして、マンティオ学園では翌日に夏休みの臨時全校集会が行われるということもあって、傷の具合を見ながら予定より少し早く退院した迅雷がわざわざ家の玄関の前で立ち止まっているのには理由があった。
迅雷の隣には千影が並んでいた。彼女は迅雷とは逆に、わざわざ、家から出てきてそうしていた。
2人は顔を見合わせてから一緒にドアノブを握り、玄関の戸を開く。
そして息を合わせ―――。
「「ただいま」」
その一言が、ずっと言いたかった。
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「夏休み中にも関わらずこうして集まっていただいて申し訳なく思っていると同時に、深く感謝します。長いようでいて限られたみなさんの自由な時間を取り上げるような真似をするのはとても心苦しいもので、今日の全校集会を開くか否か非常に悩みました。・・・ですが、その末に私は、やはり、このことをみなさんにはいち早く伝え、考えてもらわなくてはならないと判断しました」
そう前置きをしたのはマンティオ学園の学園長である清田宗二郎だ。彼は壇上で極めて真剣な面持ちをし、炎天下と人口密度で異様なほどに蒸し返った体育館に集まり、神妙な面持ちで見上げてくる数百の生徒たち一人ひとりを見渡していた。
宗二郎は自分でも言ったように、今日、こうして生徒、職員を集めるべきなのか悩んだ。夏休みは高校生にとって唯一と言っても良いほどに自由な長期休暇だ。年末年始のようなせわしなさもなく羽を伸ばすにはもってこいの時期。中には家族で遠くに旅行に出ていて、急に呼ばれても帰ってこられないような生徒、あるいは職員もいるだろう。そんな彼らには殊更不快な思いをさせているに違いない。
だが、その罪悪感は所詮個人的、あるいは独りよがりとして、宗二郎は、あるいは夏休み明けの始業式でも良かったはずの全校集会の開催を今日に決定した。それだけの重大な事件でったと判断したからだ。知らせを受けた側からすればかなり迅速な決断だったが、宗二郎は短時間の中で本当に苦心していた。
「恐らくなにがあったのか既に理解している人も多いと思いますが、今日集まっていただいたのはまさしくそのことについてです」
ひとつ高いところに立っているだけで聴衆の様子がはっきり分かるようになる。もう長い間この高さに立ち続けてその光景に慣れた宗二郎には、その一人ひとりの顔が一対一で面と向かっているかのように見えていた。
そうしてまず最初に分かったことは、9割以上の生徒たちと全ての教職員が藤沼界斗の死を知っていて、しかしそのほぼ全員が悲しんではいないことだった。ただ、一方で彼らがその事実に無関心なわけではない。強い衝撃を受け不安を抱いているのは一目瞭然だ。
元より藤沼界斗という少年は問題の多い生徒だった。魔法学校の学生としては優秀な成績を修められていたが、その人格は酷く攻撃的かつ自己中心的なものだったために周囲の人々からは疎まれ避けられ、孤立していた。その実態あまり学校にはいない宗二郎もそれなりに把握していた。
確かに、そうであったなら彼らのリアクションの方向性もなんら不思議ではない。ほんの一部、せいせいした顔をする者には憤りを覚えるが、宗二郎は我慢して呑み込んだ。
あくまでも、今日は界斗の追悼のためだけに召集をかけたわけではない。そして、その本題に関しては話を始める前で既に、喚起するつもりだった姿勢が十分出来上がっていた。ひょっとしたら宗二郎の行動は今さらなのかもしれない。しかし、不要だとしても宗二郎は自ら彼らの前に立って宣言をしたいとも思っていた。故に彼の口から出る言葉は決して途切れない。
「先日、市内で起きた旧セントラルビル爆発事件の最中に、我が校の1年生であった藤沼界斗君が巻き込まれ、亡くなられました。本当に、惜しい人材を失ったと思っています。彼は魔法士としての素養に富み、既にIAMOのライセンスも取得していた非常に優秀な少年でした」
体育館は数百の生徒たちがさざめき立って強風が吹き込んでいるかのようだった。
しかし、次の瞬間にその空気はその空気は凍り付く。
「・・・許し難いことだッ!!」
それは他でもない、清田宗二郎の怒号だった。彼が両手で台を叩きつけると、体育館の床までもが軋んで揺れた。雷に打たれたように強烈な衝撃が全ての生徒たちを確実に、かつまんべんなく貫いていった。
激昂の後に声を漏らす者はいない。宗二郎までもが口を閉じ、静かに眼光を研ぎ澄ます。
「みなさんは知っているはずだ。あの事件の根本には魔族の悪意があったことを。なぜ藤沼君はあの日命を落とさなくてはならなかった?・・・理不尽に!不条理に!ご家族の心痛が如何なるものか!学友を失った諸君の衝撃が、護るべき生徒に先立たれる我々教師が受けた苦しみの程が、どれだけのものなのか!!」
見えないなにかを叩き壊すかのように宗二郎は腕を横に薙いで叫んでいた。マイクを使うことすら忘れ、その思いを訴えた。
「実に許し難いことだ!そうではないか!?魔族の蛮行は、我々人間が許容しえるものだったか!?黙って堪え忍ぶしかないものだったか!?藤沼君だけではないのだ。例の5番ダンジョン調査任務に参加した多くの市民が、魔法士の方々の命が奴らの狡猾な策略によって手にかけられた!我々は一体、魔界に対してなにを行ったというのか!否、なにもだ!!いいやそれどころではないというのに!!かつても―――そう、かつても幾度となく脅かされ略奪されてきたのは人間だっただろう!!にも関わらず、魔族はまたしても!!」
時代の変遷を最前線で見てきた男の語気は圧倒的だった。迸る義憤は旨を抉るに痛烈で、悲愴の双眸は追憶の深さ覗き込まされるほどに暗い。
「貧弱で脆弱で虚弱な存在、劣等種族として必死にこの世界に生きてきた人間だが、それでも魔族にはない強力な力をひとつ、持っている。それがなにか、君たちには分かるか?」
宗二郎は自らの胸に手を当てた。念入りにアイロンをかけたはずのシャツを一切躊躇せずグシャグシャに掻き掴む。
「心だ!!奴らに心はない!慈悲も、愛も、そしてこの怒りに燃える心もだ!!諸君、私は次の言葉を、例え人に教えを説く者として相応しからぬ恥ずべき愚かな発言であるとしても、時代を生きる君らへ言わずにはいられないのだ!―――決して彼らの犯した罪を許すな。あの者たちは君たちの敵だ。歩み寄ろうとすることには限界がある。人とは相容れず、語らうほどの寛容さすら持ち合わせていない天敵だ。藤沼君は彼らに殺された。分かるはずだ、許してはならない。共に歩めなど、しない」
きっと、平和と平等を謳うこの世界にはあるまじき思想だ。でもきっと、誰しもが理解出来るはずだ。なにより、悪魔が人間風情などとの平等な関係など認めるはずがないのに。
「私は今日、君たちに再び考えて欲しい、そう願い、語りました。藤沼君のような犠牲者が出ることはあってはならなかったのです。よもや彼一人の犠牲すら許容しかねますが、過去は変わらない。彼はもう帰ってこない。ですので、せめて、せめてこれ以上の被害者は出て欲しくないのです・・・」
今までに、一度でもこんなに必死に演説する誰かを見た者がこの中に1人でもいるだろうか。語らずとも叩きつけるように伝わってくる宗二郎の感情が生徒たちを震わせていた。そこにあるのは単純に魔族への強い憎しみと怒りと、そして大切な生徒を失った屈辱的な悲しみだけだ。ただ、その純度が高いのである。
宗二郎は押し黙り自分を凝視する生徒たちの前で今度は優しく胸に手を当てた。苦しげに目を瞑る。
「犠牲者は出ては・・・出してはならないのです・・・。私のこの感情は伝わらなくても良い。とても醜悪なものです。出来れば伝えたくない。理解されてはいけない。・・・だからこそ、これ以上の犠牲者は出させない。だから、君たちを絶対に魔族の前には立たせない。君たちは我々大人が全身全霊をかけてなにがあっても守り抜くと誓います。真に平和で幸福な未来のためにも!!」
言おうとしていたことを言うまで時間がかかってしまった。気が付けば山一つを一度に駆け抜けても上がらなかった息は上がり、強大なモンスターを討伐しても微動だにしなかった肩は上下に激しく揺れていた。