episode5 sect100 ”追加オーダー”
焦ってあの場を離れたが、萌生はまだ病院での用事が済んでいないから帰るわけにもいかない。もう病院内で騒ぐのはこりごりなので、とりあえず屋上に出ることにした。明日葉の手を引いたまま階段を登っていく。
曇りガラスから外の光が差し込むドアを開ければ、何事もなかったように悠然と広がる青い空と、気持ちの良い風、そしてそんな風で揺れる真っ白なシーツのカーテンがあった。真夏のお出かけ日和といった感じだ。
屋上まで上がってきているのは萌生と明日葉だけではなかった。車椅子の少年やそれを押す看護婦、それから点滴をつけたままのおばあちゃんとその家族まで。きっと、みんなして今日は日光浴でもしたくなったのだろう。いろいろ良くない話も増えて気分を変えたいときには、この晴天はもってこいに違いない。
でも明日葉はそんなお天気なんてどうでも良いといった風で、不機嫌な顔をしていた。
「づあー、クッソあちぃ。冷房利いてたもんなー、中は」
女の子だというのに恥ずかしげもなく上着の前襟をつまんでひらひらあおぎ、明日葉はなんとか涼しくしようともがいている。萌生はいとも平然と行われるはしたない行為に渋い表情をした。萌生なら絶対にしないのだが、明日葉はむしろしている方が自然な感じがする。
「あぁ、そういえば私服のあーちゃんと会うのもひさしぶりね。ちゃんと日焼け止めは塗ってきたの?」
「うっさいなー。いい加減塗るクセついちまったよ、萌生のせいでね」
「そう、良かった。うふふ♪」
明日葉はどっちかというとボーイッシュな服装をしているので、いかにも女性らしい格好の萌生と並ぶと、明日葉はそれとなく彼氏感まで出てくる。
適当なベンチを選んで2人は腰掛けた。
「にしても萌生がこんなムチャするようなヤツだとは思わなかったぜ。ホントにビックリしたんだからな。昨日はなにがあったんだ?」
「えー?話すと長くなるわよ?」
「え、いや短めでお願い。萌生は頭良いんだから要約力を発揮してくれるとアタシは助かる」
学校の集会も5分以上は耐えられない明日葉は多分マジだ。そんな明日葉でも聞けるお話にまとめるには昨晩の体験はごちゃごちゃすぎるのだが・・・。萌生は眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「うーん・・・あれがこうで・・・それで、えっと・・・」
「だー!いいよわかったゴメン!聞き届けてあげようじゃねーか、どうせ夏休みだし時間なんて腐るほどあるもんな!」
これが受験を控えた高校3年生の発言とは信じ難いが、萌生は素直に明日葉の寛大な(?)心遣いに甘えることにした。
「まずね、昨日は一央市内に潜伏していた魔族の方たちと話し合いで妥協点を探るための集まりだったのよ」
「な、なにッ!?そうだったのか!?てか魔族だぁ!?この街どうなってんの!?大丈夫なのか!?侵略されてんのか!?ヤバイぞ、追い払わないと!」
「・・・そうね、あーちゃんニュース見ないもんね」
そこから知らなかったのかとツッコむ方が負けな気がして萌生は溜息を吐いた。
まずは一通りテレビで報道されていたいた情報を明日葉に叩き込んでから、改めて萌生は自分の体験したことの方へと話を移すのだった。
迅雷の同居人による裏切り行為から始まって、その仲間であるところのヤクザどもと一戦交えて、萌生は途中で力を使い果たして脱落したこと。そしてその後も続いていた激しい戦闘の結末や、裏切り者の真意について。あるいはその事件そのものへ繋がった経緯なども。
こうして話にまとめていると、しかし萌生は核心的な部分についてはなにも知らない自分に気が付いた。あれだけ事件の渦中にいたのに萌生は最後まで部外者だったのかもしれない。そもそも千影が防ごうとした取引のことも、魔族が条約を無視してまで行おうとしていたことがなんだったのかも、明らかにされることはなかった。
「これも後半はほとんど、聞いた話をそのまま繰り返しただけなんだけどね。昨日私がなにをしていたのかは、こんな感じよ」
それで、萌生の回想を聞き終えた明日葉の感想は至って彼女らしいものだった。
「なるほど、つまりその萌生をボコった野郎がムカつくことが分かったぞ!アタシがいりゃあ返り討ちにしてやったのに!!」
「いや、あーちゃんでも力比べで勝てるかどうか・・・。私の一番強力な防御魔法すら破壊されちゃったんだから」
「あ?ナメんなよ、アタシだってなー、その気になりゃーよー」
なお、今まで明日葉が萌生の得意とする堅木のシェルターを作り出す防御にはヒビを入れられたことすらない。それを破った剛腕の男ともなれば腕相撲で軍配が上がるのがどちらかなんて言うまでもない。
「チッ。アタシも萌生のアレぶっ壊せるようにそれなりにトレーニングしてんのに」
「あら、そうだったの?目標にしてもらってるみたいでちょっと照れ臭いわね、ふふ」
「えっ、いやまぁその・・・・・・そりゃ萌生はあんときからいろいろアタシにとっちゃ――――――~~~・・・」
明日葉の声が尻すぼみになって聞き取れなかったので、萌生は首を傾げた。いつも堂々と大きな声でしゃべる明日葉にしては珍しい。
「え、なぁに?最後聞き取れなかったわ。ごめんね、もう一回教えて」
「え、や、いいって!」
「えーなになにー?気になるじゃない」
「だーから!大したことじゃねーって!!」
「良いじゃない良いじゃない!ね、教えてよあーちゃん」
「うがァーッ!!ハズいから言わせんなっつってんだ!!察しろよこのバカ萌生!」
「えぇ・・・」
明日葉が真っ赤になって大声を出すものだから周りの人たちが怯えている。不良がキレたのと勘違いしたのだろう。いや、半分間違っていないのだが。明日葉はだいぶ本気で激昂したようでハァハァと息遣いも荒い。
なにが悪かったのか若干分かっていないまま萌生は苦い表情である。そんなに怒るなら追及はしないであげようかな、くらいの気持ちのようだ。
未だ興奮冷めやらぬ明日葉はひとつ深呼吸をして、屋上の転落防止柵に寄りかかって遠くを眺め始めた。策の上で不機嫌そうに頬杖をついて明日葉は話を仕切り直す。
「でも、悪魔がなんかしてたんだよな。なんか嫌な予感がしないか?」
「そう・・・かしら。考えすぎじゃない?昨日でその・・・みんな亡くなってしまったんだもの」
「萌生も分かってんだろ、アタシ、結構勘が当たるんだ。きっとなんかデッカイことが起きるよ。もうすぐ」
明日葉は鋭い目つきで遠くを見つめていた。いつもと同じただの直感だ。萌生が言うように考えすぎかもしれない。でも、それでは納得が出来ない違和感があった。
骨折までしてまともに戦うことすらままならないであろう萌生を見て、明日葉は次こそは自分が彼女を助けてやる番だと密かに覚悟を決めるのだった。
●
夕暮れ刻になって、病室に差し込む光は橙色に変わった。家族に友人に先輩たちにとたくさんの人が来てくれたから退屈しない一日だった。話し疲れた迅雷は、今は頭の後ろに手を組んでベッドに仰向けになり、天井を見つめたまま黄昏れていた。
蹴られたりハラパンされたりで体の中身がかなり疲れているらしいが、傷は外面的に見えなくなって、世の中も思ったより平和で、なによりなにより。昨日の騒乱が嘘のようだ。―――でも、決して嘘ではない。それは、今、すぐそこで無防備に寝息を立てている千影を見れば分かることだ。
「ったく、怪我人の腹の上にのしかかるとか本当に遠慮ねぇよな」
憎まれ口を叩きつつ、迅雷は千影を起こそうとはしなかった。今日はギルドに行ってきたと言っていた。きっと昨日からほぼ寝ていないとも言っていたし、さぞ疲れていることだろう。ここでくらいゆっくり寝かせてやっても罰は当たるまい。
千影の寝息に眠気を誘われて迅雷があくびをしていると、また病室の戸が叩かれた。
「どうぞー」
・・・と言ったものの、果たして誰だろうか。今日だけで見舞客が出尽くした感すらあったので、迅雷は次の客に見当がつかなかった。
しかし、静かにドアを開けて顔を覗かせたその人を見て、迅雷は「あ」と声を出していた。
「来ちゃった」
「か、甘菜さん?」
●
キャラメルみたいに甘そうな茶髪のポニテ美人さんはベッド脇に椅子を1個増やして座った。
実を言うと、迅雷は脳内で勝手に作っていたお見舞いにきてくれそうな人たちリスト(若干希望込みで女子多め)の中に彼女の名前を記入するのをすっかり忘れていた。というのも、理由がないわけではなくて。
「だって、え、甘菜さんって今は仕事の時間じゃないんですか?」
「今日は早引き。特別に許してもらえたの」
そう言って甘菜はバッグの中から普通にスーパーで買えそうなお菓子を出して迅雷に渡した。
「こんなのしかなくてごめんね。本当なら果物でも買ってきて剥いてあげられたら良かったんだけど、格好も仕事の制服のままだし」
「いやいや、とんでもない!来てくれただけでも超嬉しいですから!ありがとうございます!」
迅雷は内心、「え、ワンチャン日野甘菜私服ver.も見られたかもしれないんスか?」と思ったが、さすがに性格が性格なのでこっちの方が先に口に出た。
「でも、そんな急いで来てくれるなんて」
「それだけ心配してたんだから!なにせ元はと言えば私が折れて君の参加に協力したんだもの。だからもう、無事で安心したよ」
心の底からホッとして甘菜は強張っていた肩の力を抜いた。心配したのは本気も本気だった。昨日、非常事態の報がギルドに舞い込んだときには既に事が激化した後であったこともあり甘菜は気が気でなくて、同僚に助けてもらわなければあわや取り乱すところだったくらいだ。迅雷に取り返しのつかないことが起きてしまっていたら、今頃甘菜は悔やんでも悔やみきれない後悔を刻みつけられていたことだろう。
早退も、実は自責の念と、迅雷の無事を聞いて安心したり、でもまだ不安は残っていたりだのとでソワソワしているのを見かねた上司が特別に許可してくれたものだった。随分と仲間たちにからかわれたものだが、もし彼らが自分と同じ立場ならどうなんだ、と愚痴を吐き捨てて来た次第だったり。
でも、ここに来てそんな不満も忘れるくらい安心した。ちゃんと、無事に戻ってきたのだから。
「―――2人とも無事で」
甘菜は迅雷の上に被さってスウスウと呼吸をする千影の顔も覗き込んでそう言った。さっきまでギルドにいたときの緊張がまるでなくなっている。明日からは自宅謹慎で迅雷が退院するまでは会えなくなってしまうだろうから、甘菜には少し可哀想に思う気持ちもあるが、仕方のないことだ。
甘菜は少し感慨に耽ってから背筋を正して、ビシッと迅雷に指を突き付けてちょっと偉ぶった口調に切り替えた。
「さて、無事も確認したところで、それじゃあ迅雷くん。ここでひとつ命令します。これからも千影ちゃんや仲間たちと一緒に一央市の平和のため、ひいては人間界の平和のために魔法士としての実力を発揮してください」
「拒否権は?」
「ないです。忘れたとは言わせないよ?」
「くそ、覚えてたか・・・」
なんとしてでも昨日の作戦に参加したかった迅雷が渋る甘菜と交わした「これからなんでも言うことを聞く」という約束はまだ有効らしい。世界のためとはなかなかハードそうだ。