episode5 sect99 ”冷たいのはどっちだ”
「おはよう、天田さん」
「・・・・・・はぁ・・・」
「ふふ、さすがにお疲れのご様子ね?」
事件の翌日、迅雷が入院しているのと同じ病院にて。帽子を取って、ふわっとしたワンピースの裾を揺らしながら少女はドアをノックした。
豊園萌生はお昼前の時間帯に天田雪姫の病室を訪ねていた。萌生は医療班の尽力もあってか、なんだかんだ比較的軽傷で済んだらしい。真っ先に裏切った千影によって正面から斬りつけられたはずなのだが、実際はそこまで深く裂かれてはいなかったのだろう。これもあの子なりな加減の仕方だったのか。
以上の理由もあって入院するには及ばなかったので、萌生は今日はこうして後輩たちのお見舞いに来たのである。先に迅雷の方を訪れようかと思っていたのだが、どうやら彼の家族が来ている様子だったから遠慮した経緯があり、それで一番に会ったのが雪姫だった。
ベッドに寝かされて大人しくしている雪姫はいつもほどの鋭さがない。あちこち切り傷擦り傷まみれなことも気にならないくらい目立つガチガチに固定された右足とミイラみたいに包帯でグルグルの左足は、雪姫がいかに熾烈な戦闘を繰り広げていたのかを如実に物語っていた。
溜息を吐いてそっぽを向く可愛い後輩を追いかけるように、萌生はベッド脇に椅子を用意して腰掛けた。
「まったく信じられないわよね。こんな女の子にまで手を上げるなんて」
同性の目にも明らかな美少女を躊躇なく痛めつけるなんてとんでもないことだと萌生は憤った。そんなことを考えるのなら萌生だって男からすれば十分殴るのを躊躇するような美人の部類なのだが。
「天田さん随分心配されたんじゃない?やっぱり」
「知った風に言わないでもらえないですかね。別にこれくらいなんてことないのに」
「なんてことあるわよ。天田さん的にはそうなんだとしても、お医者さんの言うことくらいはちゃんと聞かないとダメよ?」
萌生は、先輩らしく、雪姫を諭した。たとえ魔法士としての能力で劣っていても萌生が雪姫の先輩であることに変わりはない。それなら精々先輩らしく偉そうにしていれば良い。いつか悩んでいたときに親友に言われた言葉だ。それから萌生は雪姫との関わり合い方を見つめ直していた。
「ハッ。あたしが動けないからってこれ見よがしに説教でもするつもりですか?」
「まさか」
雪姫が皮肉を言ってくるのはちょっと珍しいので少し新鮮に思いつつ、萌生は笑ってそのつもりはないことを示した。そんなことで調子に乗るほど単純ではないし、聞かん坊に説教なんてしても相手にしてもらえないのは承知している。
「でもね、天田さん。言い方が悪いかもしれないけど、私ね、これはちょうど良い機会なんじゃないかなって思って」
「・・・なんでです」
「あなた、少しは休んだ方が良いわよ。いっつも気を張ってて、見てる私まで疲れちゃいそうだったもの。これを好機だと思って入院中くらいはゆっくり心も体も休ませてあげてね」
「・・・・・・」
雪姫は萌生の言葉を黙って聞いていた。雪姫が案外素直なので萌生は少し拍子抜けしてみたり。でも、萌生のとぼけた表情を見るなり雪姫は彼女への態度を元に戻した。
「用はそれだけですか?ならもう帰ってもらえないですか」
「もう、やっぱり冷たいんだから」
萌生は頬を膨らませた。弱っているところに取り入るようなつまらない企みを引っ提げて来たわけではないにしても、もうちょっとくらいは相手にしてくれるものと思っていた。
「そういえば天田さん、もう学校の連絡網は回ってきたかしら?」
「・・・・・・」
雪姫は無言だったが、萌生はガクッと気温が下がったように感じた。空調の調子が悪いのかと思ってちらりと部屋の壁にある空調の操作盤を見てみたのだが、予想に反して入ってきたときと同じ数字が表示されていた。底冷えしたのは気のせいだろうか。
萌生は肌に残る感覚を疑うのも腑に落ちなくて不思議に感じていたものの、冷気と考えて、すぐにそれが雪姫の精神の波が急激に変化したからだと直感した。時々、強いストレスや興奮で魔力が意図せず活性化して体外に漏れ出す人がいる。特に魔力量が大きい人に多く見られる現象だ、となにかで聞いた覚えがあった。
感情らしい感情を見せない雪姫が今は分かりやすく苛立っている。萌生は、それでやはり雪姫も藤沼界斗について知らされているのだな、と解釈した。
でも、その甘い考えが萌生の大きな油断だった。
「私も信じられないわ。・・・怖いわよね。まさか、こんなことになっていたなんて・・・」
「信じるしかないでしょ、あんなの見せられたら」
「・・・あんなの?どういう意味?」
萌生の不用意な質問で雪姫が小さく歯軋りをした。
「そのままの意味ですけど。・・・藤沼界斗の右腕。硬直して、握られたままの魔銃。断面から零れる血」
「・・・ま、まさかあなた・・・見たの?」
「・・・ッ、先輩、出てって」
「え」
「帰ってよ!!」
「ひッ!?」
雪姫の殺気立った瞳を見て萌生は椅子から立ち上がっていた。意識してのことではない。生存本能がこの場から逃げたがったのだ。
「ご、ごめんなさい・・・。気配りが足りなかったわよね、ほ、本当にごめんなさい・・・」
怒りを抑えるように窓の外に目を向けてもう振り返らない雪姫に小声で別れの挨拶をして、萌生は彼女の病室を出た。気付けば手を当てなくとも動悸を感じていた。冷房がほどよくきいて涼しい院内で汗を滴らす萌生には、擦れ違う患者や見舞客たちが不思議そうな目を向けていた。
●
「私、なんてバカなの?深く考えもせず・・・」
雪姫があんなに人の死に敏感だったとは思いも寄らなかったのだ。・・・いや、そうではなく、萌生自身がなによりも界斗の死について冷淡で他人事にしか感じていなかったのかもしれない。受けたショックは自分が被っていたかもしれない恐怖的結末を想像しただけのものなのかもしれない。雪姫は界斗の腕を見たと言う。もし萌生が雪姫のように他人を避ける性格だったとして、それで知り合いの死体を見て平然としていられるのか?その方がよほど狂っている。
あぁ、だから浅慮だったのだ。最初、雪姫の変化に気付いたところで話をやめておくべきだったのだ。今となってはもう遅すぎる後悔だが。
「――――――!」
萌生が頭を抱えていると、突然病院の長い廊下の突き当たりが騒がしくなり、瞬く間に荒々しい足音が飛びついてきた。
「萌ィィィィ生ゥゥゥゥ!!」
「きゃあああ!?」
今度はちゃんと死ぬのではないかと思うほどの衝撃が萌生を包み込んだ。一体どこの馬鹿だ、なんて思っていたら、あろうことか親友の柊明日葉なのだった。いったいどれだけ走ってきたのだか、顔は紅潮して汗だくである。
「な、なに!?って、あーちゃん!?どうして!?」
「うおぉぉ!生きてるな!生きてるんだよな!?あー、良かったぁぁぁ!!」
「ちょ、あのっ」
「くそ、酷いケガじゃんか!」
明日葉は萌生を軽々と持ち上げ、触ったり回したりして検品よろしく隅々まで萌生の体の具合を確かめ始め―――。
「きゃああっ!?ちょ、やめて!スカートだから、スカートだからっ!!」
「あ、ゴメン」
せっかくの服も今ので少しシワが・・・。いろいろ危ないところだった。萌生はしょんぼりしつつ、目の前のヤンキー・・・ではなく風紀委員長に改めて尋ねた。
「で、あーちゃんはなんでこんなところに?誰かのお見舞い?」
「バカ、萌生を探してたんだよ。なんか萌生が事件巻き込まれてケガしたーって聞いて、アタシはもう居ても立ってもだな―――」
明日葉は萌生の家に電話をしたら病院だと言われ、自宅からここまで一息に飛んできたのだ。
薄手で半袖のトレーナーに七分丈のジーンズという明日葉らしいといえばらしい適当な格好をしているのだが汗をかいたせいで服が肌にぴっとりくっついてしまっている。ひとまず萌生はバッグからハンドタオルを取り出して明日葉に汗を拭かせてやった。
「あ、あはは・・・。心配してくれてありがとうね、あーちゃん。でもほら、一応元気よ?私は」
萌生は笑顔で無事をアピールしたが、明日葉は睫毛の長い瞼をしぱしぱ瞬かせて訝しげな様子だ。それもそのはずだ。元気な人の顔色がこんなに悪いわけがない。まるで悪夢にうなされた直後のようだ。
「あのさぁ―――」
明日葉がなにか言いかけたそのとき、後ろから誰かが明日葉の肩に手を伸ばしてきた。背後に敏感な明日葉はそのわずかな空気の流れを察知して反応してしまう。
「うぉわぁッ!?」
「ひぃぃぃッ!?」
そこにいたのは腰を抜かした、メガネをかけた看護婦だった。明日葉の大声でビックリしたのだろうが、驚かされたのは明日葉もだ。
なんにしても無事で良かった。数年前の明日葉なら今の弾みで看護婦さんの顔面に一発見舞っていたに違いない。明日葉はひとまず看護婦に手を貸し、立たせてあげた。
もうある程度の年齢を感じさせる看護婦はワナワナ震え、すぐに目つきを尖らせた。これくらいの年にもなれば肝も据わる頃なのか、見るからに不良少女な明日葉相手でもこれ以上怯むような素振りは見せなかった。
「病院では静かにするものだと親に習わなかったのかしら!」
「あぁ?知ってるよそんなことくらい。つかオバサンの方が声デカい気すんのってアタシだけか?」
「オバッ―――んっん!まったくこんな非常識な子が病院になんの用かしら、親の顔が見てみたいわね!」
「まーまー!」
あっという間に喧嘩モードに切り替わった明日葉を止めるために萌生は明日葉の腕に自分の腕組ませて力任せにひったくった。右腕を骨折したため左腕しか空いていないから力が入りにくくて、全体重をかけたのに軽く引きずられてしまう。
とはいえ萌生の制止だ。明日葉も素直に従った。
「ケッ。命拾いしたな、オバサン」
「なんてこと言うの!もう、もう!ごめんなさい、あとは外でやるので、ごめんなさいっ!」
萌生は明日葉の手を引いてそそくさとその場を離れた。