episode2 sect4 “目覚めし巨躯“
地面を下から押し上げ沸き上がってきた黄ばんだ白の大きな大きなそれを見て。
「タ、タマネギだ。デッカいタマネギだ」
迅雷はもはや反射的に率直な感想を漏らしていた。語調は、一線を通り越してもはや平坦にして平淡。その程度には目の前に姿を現したそれは、タマネギだった。
ただ一点、サイズだけを別として。
先端部のラッパ状になっていた器官の付近を首であると仮定すれば、その下の胴体となるべき部分は、皮を剥いたタマネギそっくりで白くてまんまるだった。首は、いわばタマネギの『芽』と言えるところだろうか。
しかしどうにもその正体がサッパリ掴めない。こんなとき、千影がいてくれれば、正体を教えてくれただろうか、と迅雷は考えていずにはいられなかった。現に周りの誰もあのモンスターのことを知らないようだから。
と、涼が「・・・あ」と小さく叫んで見上げる視界の遙か上をうねる『芽』の先端を指さした。
「み、見て・・・!あの先っちょ!」
「あ、先っちょってもっかい言・・・ぎゃふん!?」
迅雷は真牙が喋った瞬間に言葉の内容も聞かず条件反射的に腕だけが動いてしまっていた事に気が付いたが、どうやら自分の脊髄の判断は間違っていなかったようなので謝らずに、涼が指した先を見上げる。タマネギに似ているとはいってもその全高は20メートル余り。見上げる彼の目には空の果てに見える恒星からの眩しい光が飛び込んでくるので、手を目の上に当てて影を作らずには見ることもままならない。
そうこうしてやっと『芽』に焦点を合わせた頃。
あまりの衝撃に目を疑わずにいられなかった。
びゅるびゅるっ!と『芽』の先端――――ラッパ口になっていた部分が猛烈な勢いで回転し始めた。なにか、緑色の粘性の高そうな液体が飛び散っている。
そうして回転を始めたラッパ口はその白々とした皮膚に刻まれていた捻れた皺を伸ばすように回転し続けきれいに3枚に裂けて分かれていく。それは遂に、『芽』の根元まで緑の体液を飛ばし続けながら解ける。
その姿を見て。
『キャァァァァー!?』
あまりのキモさ、そんでもってとてつもないグロさに女子勢だけでなく男子勢も悲鳴を上げた。かの雪姫ですら叫びこそしなかったが今日一番の嫌悪感をしかめた顔に滲ませていた。これはなかなか、「キャー!」イベントには向いているというか誰もその悲鳴を楽しめないというか、期待以上の上物だ。
3枚に解けた白皮の内側はまき散らしていたのと同じと思われる緑色の体液で覆われていた。
地上で見たときに『舌』だと思っていた器官は剥けた白皮の中に健在で、それは胴体の中から飛び出していて、長さは予想されたことだが十数メートルは下らない。
その『舌』の先端から5mくらい下がったところには、エリマキトカゲの『エリマキ』のような器官が大きく開いている。
首もとい『芽』は根元まで開ききって、今は胴体上部の巨大な空洞を露出させていた。『舌』が生えているのもその空洞からだ。『舌』はなにかを探す生き物の頭のようにチロチロウネウネと蠢いている。
要するに、キモい。
と、『舌』の先端付近の『エリマキ』が迅雷たちの方向を捉えた。それに伴って巨大で丸い胴体が土を抉る鈍い音を立てながら擦るように動いた。その傍らでは揺れる白皮からの粘着質な音も聞こえてくる。さらに胴体の空洞からは大量、それこそ数十の触手のようなものが生え出してくる。
要するに、キモい。
威嚇だろう、しなだれていた3枚の白い皮を逆立たせてその巨大な『タマネギ』は胴体上部の空洞から重厚で耳障りな咆哮を上げた。それに伴って空洞からは皮から垂れているのと同じ緑色が噴出している。
要するに、・・・。
「キモい!キモいキモいキモいキモい!!キモいキモいキ・・・ぁぅ」
涼があえなくキモさに卒倒して退場。見た目が武器とはまさにこのことだ。光も口をぱくぱくさせて泣き出しそうになっているし、昴も直視しないように頑張っている様子だ。
そんな中1人、少しずれた反応をする者が。
「あ、あれれ?お、おいオレは悪くないよな、な?」
真牙はオロオロしながら迅雷に向かってそんなことを言う。どう考えてもお前のせいだろ。
・・・とはあえて言わない。なぜなら、
「とりあえずアレ、絶対攻撃してくると思うんだけど・・・なぁ?」
迅雷は言いながら背中に手を伸ばし、手に握るその感触を確かめてから逡巡し、剣を抜いた。ほどよく馴染む重さに心が震える。ほんの少し魔力を通すだけで、平たい皿に水を注ぐように刀身に魔力が広がり渡っていくのを感じる。自分の魔力に感応して金色の淡い光を生む刀身に魅せられる。
ただ一点、割り切りかねるところがあった。『雷神』の斬り初めがあのキモい巨大タマネギもどきなのは決断に苦しいところではある。
しかし、それでも敵はそれなりに強そうな感じなので妥協せざるを得ない。
そして、『タマネギ』が動いた。
「来るぞ!作戦は分かるな?後衛はもっと下がれ!中衛はここに残って砲撃準備!神代、阿本は気を付けて突っ込め!」
「「げぇっ!?」」
分かっていた。分かっていましたとも。作戦、事前に立てましたものね。・・・でも嫌なものは嫌じゃね?
煌熾の大胆(?)な指示にメイン前衛の迅雷と真牙が難色を示す。目の前の嫌悪感に体が言葉を突っぱねようとしているが、煌熾が「ヤバくなったら下がれ」とだけ言って2人の背中を押した。できたらもう心がヤバいので下がりたいのですが、とも言い出せず泣く泣く迅雷も真牙も前方に走り出す。
一応迅雷は、突っ込むに当たっていざという時のために予め剣を握っているのとは逆の手で魔法がいつでも撃てるよう準備をしておく。
「本当にやらかしやがった・・・。まぁいいか、ちょうど良い肩慣らしとでも思えば・・・」
喚きながら『タマネギ』に突っ込んでいった迅雷と真牙の背中を見送りながら雪姫はここに来る前から感じていた嫌な予感が当たったことに嘆息する。念のため、彼女は『スノウ』を展開した。
瞬間、大量の粉雪が彼女の足下から沸き起こり、空間を席巻する。中衛は雪姫と昴だ。前衛はもちろん、手数が少なくなりがちな後衛もサポートしなければならない。こちらの手数が多いに越したことはない。
「・・・1人の方が楽だっつーのに」
「・・・?なんか言った?」
雪姫の呟きに昴が反応したが彼女はそれを無視した。見据える先はまだ定まらない。雪姫は透き通るよな水色の瞳だけを滑らかに速やかに動かして敵の急所を探す。
●
モンスターこと『タマネギ』に走って接近しながら真牙はふと大事なことを思い出した。
「あ」
「あ!?どうした!?」
取り出す刀を間違えでもしたのだろうかと迅雷は嫌な汗を滲ませる。
「昼の分の食べ物忘れた!」
迅雷は真横を並走する馬鹿というモンスターに水平斬りを繰り出した!
真牙は抜刀してそれを受け止めてから本題、といった風に話を切り替えた。敵との衝突まではあと10秒といったところか。早口に内容を伝える。
「なぁ、迅雷、コイツどうやって攻撃するんだ?あの『舌』か?それとも白いびらびら?はたまた胴体?」
言われて迅雷は敵の巨躯を改めて一望する。前衛の手が届くところといえばせいぜい胴体か真牙の言うびらびらなのだが、恐らく一番効くだろうは『舌』。理由はなんとなくだが。
痒いところに手を無理に届かせるべきか、無難に攻めて後ろに任せるか。
「確かにっ・・・!?いや、でも舌じゃないか?ゲームとかでもこつこつ等倍ダメージよりはクリティカルだろ!とりまよく分かんねーけどぶった斬るぞ!」
「あいよ!」
超早口の作戦会議を終えて結論も曖昧なまま2人は左右に散開する。こう上手く接近できたのはひとえに中衛・後衛の援護射撃のおかげだろう。頭上を飛び交う魔光の矢や銃弾が彼らを襲う触手を弾いてくれていた。
「感謝代わりになんとか有効打を打っていかないとな。『舌』とは言ったがまずはあのびらびらから落としてみるか!」
迅雷は『マジックブースト』で脚力を強化して4mほど跳躍する。しかしそれだけでは逆立った白皮の付け根にも届かない。
「んらぁッ!!」
剣を『タマネギ』の白く滑らかな胴体に突き立てて、そのまま今度は『マジックブースト』を腕に集中して下に斬り裂くように剣を振るい、その反動をもってさらに上へと体を飛ばす。今度こそ8,9mに至るほどまで高く跳び上がった迅雷の向こう側からは真牙が同じように跳び上がってきていた。考えることは同じらしい。
「「く、おォォォォォォ!」」
一見して過剰とも取れるほどに腰をねじる。限界まで引き絞った体の回転力をそのまま剣に乗せて、一切逃さず鋒に乗せて吐き出させる。
全力で振り抜いた会心の一斬。風を斬る音すらもが遅れて耳に届いたような気さえした。心地よく大気は引き裂かれ、目標物―――――白く滑らかで、不気味な皮に滑り込むように刃が埋まる。
その感覚に迅雷と真牙は剣を通して、握り拳を通して、この場限りに浸りながら、叫ぶ。
「「お、オォォォォォアッ!!」」
しかし、その思い切りよく振り抜いた斬撃は、本人たちが想像していたのよりも遙かに軽く、3枚に分かれた『タマネギ』の白皮のうちの2枚を斬り落としていた。否、遙かに、すら似合わない。まるでコンニャクを切るかのような、そんなレベルの手応え。
あまりに想定外の感触に迅雷も真牙も眉をひそめるばかり。宙を斬るような剣に付着する緑色の体液が立てる音も、そんな2人の悪感情をかき立てる。
顔をしかめた刹那、影を引く勢いでなにかが、唸りを上げて2人に襲いかかった。
それは余りに速く、恐らく食らえば骨の1本や2本は覚悟しなければならないだろうと直感した。宙に足を浮かせた彼らに姿勢を制御してそれを回避する術は・・・
「ある!」
まだ体は先の回転斬りに任せて相当の勢いで回っている。迅雷は迫る危機に不思議と冷静だった。つい最近の修羅場をかいくぐった今、魔力が万全でなくともこの程度の脅威は思考を挟むだけの間がある楽観事ではあったのだ。努めて冷静に、迅雷は自身の回転をうねり狂う『蔓』の鞭に合わせる。
それは勘と言われれば否定できない、一瞬の駆け引き。
「・・・見えた・・・!」
駆け引きに、勝った。確信。
ものの見事に迅雷の振るった一太刀は、目視すら危うい『蔓』を捉えた。しかしあえて斬り落とさずに刀身の側面で殴打した。理由は簡単。もしもこの鞭を斬り落とせば、再び迅雷は回転したまま空中で無防備となる。いくら泰然とした態度で鞭に対処できる迅雷でも、この速度で迫る攻撃を地に足を付けるまでいなし続けるには練度が足りない。故に彼は殴打を選んだ。攻撃は弾き返し、回転は止まり、反動を受けた迅雷の体は自然、敵から距離を取ることにもなる。
一方、迅雷の視界の先では、真牙が叫んでいた。
「ヘェェェェェェルプゥゥゥッ!!」
そんな彼の声を聞きつけたのか、ひときわ大きな光を放つ魔力の塊、昴の放った銃弾が真牙の鼻先を掠めるように駆け抜け、鞭を吹き飛ばしたのが見えた。
「さっすが!・・・ととと、アァァァァァァ・・・!?」
兎にも角にもかなりの勢いで回転斬りを仕掛けた真牙が、予想外にエネルギーを消費しきれなかったことによってバランスを崩し、回転したまま落下していった。
「なにしてんだアイツ・・・」
落下に際して『雷神』を『タマネギ』の胴体に突き立てて余剰エネルギーを発散させ、同時にモンスターの体も斬り裂きながら迅雷は着地する。
しかし、おかしい。跳び上がる際に『タマネギ』に剣を刺したときは、思った以上にしっかりと剣は刺さり固定されていた。こうして胴体に突き立てた刃は、10メートルの高さから未だ有り余るエネルギーを残した迅雷が落下する速度を着地に困らないところまで減衰させてくれた。つまり、眼前にそびえるこの怪物の皮膚はそれなりに強度があるはずなのだ。嫌な予感がする。
「まさか・・・肉を切らせて骨を断つとか言わねぇよな、この野郎」
今の今までむやみやたらに触手を振り回す大きくて変な生き物と思っていたそれが、今の彼にはある種の怪物に見えてきた。いや、本来ならこの程度は考えておくべきだったのかもしれないが、それには経験が絶対的に足りない。
この怪物からは「知性の臭い」がする。野生の知恵と言えばそこまででしかないように聞こえるが、これは人を脅かすに値するものだったと認めるほかない。
「それはそうと・・・どんなもんだ?」
着地し、迅雷は今の攻撃がどれだけのダメージを与えたのか確認するために、斬った皮の断面を見上げた。瞬間、想像を絶する気色悪さに彼は吐き気に襲われる。
激昂からなのか苦痛からなのかは分からない。しかし、『タマネギ』は『舌』を異常なまでに苦しんでのたうち回らせ、大量に生やした触手―――『蔓』をさらに激しくのたくらせるている。傷の断面からは緑色の液体が大量に溢れ、こぼれ落ちている。
「げぇ・・・。と、とはいえ効いている・・・ってことで良いんだよな?」
一瞬、これがあちらの過剰表現なのではないかとも疑ったが、そこまでの知性があるとも考えたくない。それに、そうであってもやるべきことは変わらない。
「おい!真牙!」
迅雷は巨体の向こう側にいるであろう真牙に向けて大声を出す。すると、向こう側からは「りょーかーい」とだけ聞こえてきた。ただ、それだけで十分。迅雷はもう一度『雷神』を強く握り直す。
迅雷の次の目標は、本命の『舌』だ。もう1枚の白皮は真牙に任せた。
再度足に魔力を集中させて跳ぶ。一回目と同じ要領でよじ登り、舌を目指す。
上に出て開けた視界には、また真牙がクルクル回りながら昴の援護に頼りつつ落下していくところが見えただけだった。見れば既に白皮は1枚も残っていないので成功ということだ。やはり『タマネギ』は狂ったように暴れている。
確信を得た。好機も得た。
「恐らく暴れてんのは痛いから!今なら俺も意識外のはず・・・!」
先ほどより抜かりなく、しかし先ほど以上に魔力も回転も込めて迅雷は金色を振りまく『雷神』の刀身を全力で薙ぎにかかる。
「らぁッ・・・、・・・!?」
だが、その一閃が『タマネギ』に届くことはなかった。
「がぶぁッ!?が、アァァァ!!」
迅雷は自分の体が意思に反して動くのを感じた。次の瞬間、体が足を力点に体がグンと下に引っ張られ、そのことに意識が回った頃には全身まんべんなく、背中から地面に叩きつけられていた。
冗談ではなく肺の中の空気が全て飛び出す。途端に体中に走る圧迫が胃も締め上げ、空気だけでなく腹の中身までが喉元まで出かかる。喉が捩れそうな奇声と共に酸素をかき集め、明滅する視界で自身の足に絡みつくそれを見る。
「な・・・・これ、『蔓』か!?」
だめだ、おかしい、反応されて良いはずがない。いや、違う、頭を掠めた想像を嫌悪感だけで無視したことが失敗だったのだ。結果として、迅雷の足首には黒い触手、『蔓』が巻き付いていた。今の一撃の勢いでその『蔓』も半ばから千切れていたが。
しかし、千切れたそばから『タマネギ』は新しい触手を出す。改めて観察すれば、触手は全部で30本から40本といったところか。ただそれら全てを同時に叩きつけてくることはしない。
緑色をまき散らすその触手群を見て、迅雷は身の危険以上に生理的拒否感を感じる。おそらく、これも敵の強みなのだろう、と考える。少し前に感じた「見た目が武器」は想像以上の効果を発揮していると言える。
ともかく、再び『蔓』に捕まる前に迅雷は足に絡まったままの『蔓』を斬って外し、自由を取り戻して一旦距離を取る。鞭の追撃はあったが、先ほどよりはキレがない。恐らくやはり、この怪物は機を窺って本命の一撃を狙いに来ているのだろう。
「オイ!オレらどうする?これじゃ近づくに近づけないぞ!」
真牙が迅雷のところに駆け寄ってきた。彼も迅雷と同じ判断をしたようだ。
「確かにキツいな。まずはもっと距離を取ろう。あとは中衛に合流して魔法攻撃。遠距離からなら触手も届かないだろうし」
届かせられる攻撃があったとしても、恐らくあの体液を飛ばす程度しか考えられない。上から『タマネギ』の体の空洞を覗いたが、触手のストックが目一杯詰まっていたのと鋭い牙が穴の縁にずらりと並んでいたくらいだった。
「りょ。でもオレは魔法使わない方いいよな?」
「うん、まぁ、あれだ。下がってぼーっとしてろ」
言い方があるってもんだろ、と詰め寄ってくる真牙を連れて迅雷は後方撤退を開始した。敵からは目を離さずに走り出す。当然至近まで接近した敵を素直に逃がしてくれるはずもなく、空気を切る『蔓』の鞭を頭を下げたりジャンプしたり受け流したりしながら、2人はスレスレで回避していく。
やがてその射程圏内から抜け出し、そのまま雪姫と昴がいるポジションまで到着した。昴が気怠げに2人を出迎える。
「よう、お早いお帰りだな?」
「「うるせー」」
●
『タマネギ』の振るった『蔓』の鞭の余波として生まれた風が、前髪を揺らす。優しく撫でる風もモンスターの、それも特別嫌悪感を抱く外見のモンスターが起こしたものと思うと不快だ。ヒュンヒュンと風邪を切る音は集中を乱す。
しかし、その風も『蔓』の空を切る音も収まった。理由は簡単だ。敵が間合いにいなくなったのだから。
「あの2人、なにを下がっているんですの?腑抜けですの?」
前衛2人――――迅雷と真牙の後方撤退を見ながら辛口にそう言ったのは矢生だ。休まず紫電の矢を放ち続けながらも彼女は呆れたような顔になる。風や音が止んだのは良いが、矢生的には前衛にはもっと活躍してもらいたいところだったのだ。それがどうして戦闘開始からものの5分で下がってきたのだろうか。期待外れ感がすごい。後ろでは様子を見ている煌熾が、彼女の苦言を聞いて苦笑しているようだ。
「ま、まぁ、あの2人もベテラン魔法士とか言うわけじゃないんだから。仕方ないと思いますよ、聖護院さん?」
そう軽くツッコんだのはいつでも防壁を作れるよう待機していた光だ。彼女の言い分は正しい。いくらライセンスを取った魔法剣士でも、あのウジャウジャとうねり回る触手の森を全部まとめて相手するのは酷だ。
どちらかと言えば、ここは中衛が大技であの『蔓』を一網打尽にしてしまうのが得策に思える。それから後衛が最大火力の狙撃を仕掛けて完全に滅すればいい。
「む・・・それもそうですわね。なら!仕方ありませんわね!この私が、あの『エリマキ』を射貫き、あれを倒してみせますわ!」
矢生の目が輝く。考えればそもそも、前衛が下がった時点で彼女の戦力的価値は今高まっていることだろう。ここぞという出番を得て彼女の自尊心がくすぐられないわけもなく、大喜びで彼女は特別高密度の魔力矢を手に生成する。
と、意気込む矢生に光が水を差す。それが真面目な話なのか、張り切りすぎる矢生を宥めるものなのか、
「『エリマキ』が急所と決まったわけじゃないですけどねー」
「な!?いや、そうに決まっていますわ!?」
実際誰の目にもそうとしか見えない。恐らく『タマネギ』の『舌』の先端付近についている『エリマキ』が人で言う耳や目に相当する器官であるようだし、『エリマキ』を狙うのが最善なのは間違いない。
大きく深呼吸を1回。矢生の目つきが、変わる。
「対象は動き回る『舌』の『エリマキ』ただ一点。幸い今は『蔓』は中衛と神代君たちが押さえてくれていますわ。ならば私はそれにあやかるだけ。・・・いきますわよ・・・!」
ひときわ強烈な閃光を放つ純魔力製の矢をつがえる。弦を引き絞り、いまかいまかと矢が逸る気持ちすら感じながらそれでも矢生は『的』に視界を狭めていく。
そして、迷いなく、解き放つ。
経験的感覚と直感、精緻な軌道予測によって、満を持して放たれた矢は、一直線に宙を駆け抜けて目標に吸い込まれていく。まるで『蔓』が自ら避けていくかのように直線上に『蔓』はいない。それは誰もが直撃を確信するほどで。
ビュッ!と新しい触手が生えだしてきた。
「えっ」
矢生の矢は生えだした触手の7,8本を軽々と吹き飛ばして、最後は本命の『エリマキ』からは軌道が逸れて下に傾いだ道を通り、『舌』に刺さった。それも浅く浅く、そして数秒の後に矢は儚く霧散した。
遂に、矢生の矢が『舌』に最大威力で命中することはなかった。
●
「なにあれ・・・まだ生えてくんのかよ。つか何本あんだよ。ちょっと全部引っこ抜いてみてえな」
昴が忌々しげに舌打ちを交えながら漏らす。真牙のサポートのときから彼はまだ拳銃型の魔銃しか使用していないのだが、正直こうなってくると拳銃一丁であの『蔓』をなんとかするのは困難だ。
「さっき覗いたけどアイツの体内『蔓』でギッシリだったぞ」
「うへぇ。考えただけでもぞっとするな」
迅雷の発言に、お手上げだ、とでもいう風に昴は両手を挙げて溜息をつく。手を休める暇も惜しいものだが、そうなってくると話が変わってしまう。
「だよなぁ。なんかこう、もっとどかんとデカい一発とかないのかね・・・」
迅雷もゲンナリしながら単純作業のように掌に黄色く光る魔法陣を展開しては発射を繰り返す。
この距離になると、迅雷の使える魔法の中では射程的に『サンダーアロー』くらいしか攻撃手段にならないのだが、いかんせん火線が心許ない。魔力に制限がある今の状態では3つの『サンダーアロー』を収束させる『ライトニングアロー』も使用に躊躇いがあるし、仮に撃っても恐らく今のパワーでは芳しい成果は得られそうにない。
こちらの攻撃がいくら当たっても次から次へと生えて来る触手。一方の『タマネギ』も迅雷の予想通り体液を高速で飛ばしては来たが攻撃としてはそこまで脅威ではない。戦局は膠着状態にあった。容易に近づけない以上は決定打に欠け、誰しもが歯痒そうに、舌を巻くしかない。
そしてそれは『タマネギ』とて同じ。いや、あの化物の場合そうそうすぐに来るとは思えないが触手の在庫が切れる可能性がある分不利なのかもしれない。
それを判断した『タマネギ』は、遂に動きを見せた。本性を、露わにする。
『舌』の先端が後衛を、矢生たちの方角を向いた。
そして、『黒』が収束する。
虚空からおぼろげに現れる「光がない」という、意味通りの闇が凝集され、瞬く間に膨れ上がっていく。
それを見て矢生が不思議そうな声を出す。
「な、なんですの、あれは・・・!?」
知らない。今まで数多くのモンスターと相対してきた経験を自負する矢生は、あの完全なる暗黒のエネルギーのことを知らない。故に彼女は思考する。してしまう。考えれば勝機が掴めると思ってしまう次元を、矢生は抜けきれない。
だが、これまで傍観を決めていた煌熾の呼号が状況を即座に変化させた。
「離れろ!今すぐ!逃げろォ!」
知っている。今までの経験の中で恐らく最も脅威的な暴力が、今再び目の前に顕現しようとしているのが彼には分かった。知っているから、判断すら本能に任せるが如く、彼は指示を出した。今は理由など置いてこの場から一歩でも離れなければ、無事では済まない。
「え・・・!?あ、はいですの!」
「でも、五味さんは!?」
「俺が抱えて逃げるから、早く!」
学園最強クラスの煌熾があれだけ焦燥に駆られているのだ。もはや理由は聞くまい、と矢生は疑念を振り払う。煌熾は即座にまだ気を失ったままの涼を抱え上げて全力で横に跳んだ。矢生と光も、ただがむしゃらにその場から離れる。
直後、彼らの立っていた大地は、暗転した。それは地面を捲り上げ、粉々に吹き飛ばす漆黒の爆発。
「こ、これは・・・・・・!?」
矢生がその余りにオーバーキルな大破壊を見て口をぱくつかせた。こんなの、一度でも直撃してしまえば死ぬか、それより酷いことになるのではないだろうか。
「『黒閃』と来たか・・・。いったいどういうことだ?クソ、クソッ!」
こんな初心者向けなダンジョンになぜこんな凶悪な生き物が生息しているのだろうか。現に今、彼の指示がなければ彼女たちは消し炭になっていた可能性すらあった。異常だ。ギルドの報告にも、『黒閃』を放つ危険種が生息するダンジョンは今のところ無い、とあったはずだ。
・・・とにかく、今は余計なことを考える暇はない。
「・・・俺が前に出る!お前たちはあの黒いやつに気を付けながら回避優先!五味もちゃんと背負えよ!」
もし余裕があったら無理のない範囲で援護を、と叫んで煌熾は走り出した。彼が戦うにもこのモンスターは危険すぎる。
元話 episode2 sect9 ”目覚めし巨躯” (2016/8/9)
episode2 sect10 ”Don't Make ight of the Onion?'s Power” (2016/8/10)
episode2 sect11 ”幾重の戦慄” (2016/8/12)