episode5 sect95 ”終わる争乱”
小さな少女の自嘲の真意を捉えられた者はいなかった。捨てきれない苦しみに俯く千影へ、人は口々に的外れな言葉を投げかけるだけだった。
千影はそれ以上なにも言わなかった。どうせ、事情を把握しているのはIAMOやギルドに所属する人間だけだ。他にこの場で彼女のプロフィールを知っている人がいるとすれば、恐らく警察の魔法事件に特化した特殊部隊である冴木空奈と小西李の2人くらいだろう。その2人も、あくまで千影がどう分類される存在なのかしか知らないはずだが。
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いかんともしがたい空気になってきたところで、耐えきれなくなった空奈が大きな声を出した。原因の半分は自分でもあるから、なんとかせねばなるまいと思ったのだ。
急にそんなことをするものだからみんなギョッとして彼女の方を見た。
「えー、では、はい!まぁなんやよう分からんことになりようけど、今日のところは一件落着!そういうことでええですやろ。めでたしめでたし!」
全員の視線を集めた空奈はそう言って笑った。・・・ただし、例の圧倒的笑顔で。
なぜか濃い影を落とす空奈の笑みから静かな圧力を感じて若手からベテランまで、実力を評価されて集まったはずの魔法士たち全員がコクコクと頷いた。
なんといっても、空奈も「お前らが余計な茶々入れたからだろ」などと言われそうで嫌だったから、ちょっと強引に場を収めさせてもらったところである。とはいえ、えも言われぬ不満の空気が沸き立つので、空奈は焦って両手をすりあわせ、「堪忍よぉ」などと付け足した。
「とにかくこの子のおしおきについてはまた後日です。小難しいことを決めるんはここですることでもないですやろ。せやから今日のところはこれくらいにしまして、ね?もう帰りましょ?」
手を叩いてパンと元気な音を鳴らす空奈に貴志がツッコむ。疲れ切っていて帰れるなら帰って寝たいところだが、彼ら言われる側としては、これだとちょっと無理矢理過ぎて納得がいかない。仕事を次の日に残す怠慢をしてしまった罪悪感のようなものか。
「か、仮にも警察がそれで良いんすか?」
「ええんですよー。ウチもくったくたやし、李ちゃんなんて向こうで死んどるし、どうしょーもないです。・・・ちゅーか、なんです、『仮に』って。失礼しちゃうわぁ。ウチこれでもキチンと真面目に仕事しとる方なんですよ?」
「えぇ・・・?」
空奈の放り投げっぷりに、しっかり者の貴志は呆れ返っている。いや重ねて言うようだが、そう感じるのは貴志だけではなく、先ほどの威圧に屈した連中は空奈に口答え出来ずにいるのであって、決して納得したわけではないのである。
そんな彼らの素朴な不安と疑問を汲んだ貴志は引き続き空奈に確認を取った。
「ちなみに、例の『荘楽組』とかいう連中は?」
「えっと・・・。ウチも返り討ちにされてもうたんで今回は潔く諦めます・・・というのは半分。もう半分は上官命令―――みたいなもんですかね。元より連中もちょっと素行の悪いただのいち企業や。今日のところは、せやから見逃したりましょう」
『えぇ・・・』
誰も彼も全く納得のいかない顔だ。というか、それで普通だ。なにが「素行の悪いいち企業」だか。どこからどう見たってれっきとした暴力団だっただろうが。文字通りに都合の悪いことは暴力で解決しにかかってきたのを忘れたのか。
いつまで経っても同意が得られないので、空奈はもう一度ニッコリ笑って黙らせた。困ったら笑うだけで良いなんて、とても楽な話だ。
静かになって、空奈は改めて千影に向き直った。
「千影ちゃんも、まずはこれでええやろ?」
「う、うん。ありがとう・・・本当に。なにからなにまでみんなのおかげだよね」
「せやね。話聞いてくれただけでも感謝しときや。でも、言うて君かて子供―――なんやろ?ほんなら大人にやらせとったらええやん」
「そんなものなのかな」
空奈は返事の代わりに千影の頭を一発はたいて、それから未だにまとまらない大人連中を帰らせるために誘導し始めた。会談のために集められたまあまあ偉い人たちさえぞんざいに扱う空奈の胆力には唖然とさせられる。
空奈も普段はさすがにそこまで大胆ではないのだが、ああ見えても結構気が立っているのだ。
運転手から順番にバスに押し込まれていく様子をよそに、千影はまだ治療が続く迅雷の枕元に戻った。しゃがみ込んで彼の顔を覗き込むが、表情はさっきとなにも変わらない。
「ゆらりん、とっしーは?」
「もう少しで傷は塞ぎ終わりますよー」
「そっか。一緒に帰れるって思ったけど、とっしーはこのまま病院かな」
「それを言ったら2号車に乗っていたみなさんは全員このまま病院直行ですよ。主に誰かさんのおかげで」
「ご、ごめんなさぃ・・・」
「反省してるなら良いんですよ。こうしてなんとかなりましたし―――」
マンガにありそうな感じで、それらしく目を瞑ったり人差し指を立てたりしてみながらちょっと辛辣な言い方をしてみた由良だったが、目を開けば千影がウルウルしていたので大慌て。
「あわわっ!?冗談―――ではないけどそこまで責めてるわけじゃなくてですね!?ほら、ちょっとしたからかいみたいなもので!ごめんなさいごめんなさい泣かないで!」
「そう・・・なの・・・?だってゆらりん、そんなこと言いそうになかったから・・・すごく怒ってるのかなって・・・」
「私だってジョークのひとつは言いますよ!」
「ちょっ、ゆらりん!とっしーから手が離れてる!」
「あ!ご、ごめんなさいぃ・・・って私のせいですかね・・・?」
ブツブツ文句を垂れつつちゃんと迅雷の手当てに戻った由良は、思い出したように自分のスマホを千影に渡した。
「これで救急車呼んでおいてください。神代君もそうですが、意識の戻らない人は救急にお願いすべきです。とりあえず出来るだけ寄越してもらってください。10人くらいいるので」
「あ、うん」
「それと、千影ちゃんはそのまま神代君に付き添ってあげてね。きっと神代君もその方が良いでしょうし」
「え、いいの?」
「もちろん」
由良は千影を迅雷と一緒にいさせてやることにした。家に帰れるわけではないが、こんなになるまで必死に戦ってきたのだ。そう出来て然るべきと思った。
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行きは3台あったマイクロバスは千影の爆破魔法によって1台使用不能になったので、その分の人数が定員から溢れたが、結局救急搬送される怪我人分が減ったおかげで2台のバスに押し込められそうだとなり、その勢いで成し遂げてしまった。なんというか、そのまま道路を走ったら警察に止められそうなほどである。もっとも、その警察があの人数を無理矢理バスに押し込んだのだが。
医療班と重傷者だけが車外に残って治療活動を続けること数分。千影が呼んだ救急車の群れが現場に到着した。
救急隊員たちは到着直後は現場のあまりの変わりように呆然としていたが、怪我人を見れば意識を切り替えて仕事に戻った。
迅雷の怪我の処置を終えて千影の傷の様子も見た由良は、救急車の到着を見て千影を背中を優しく叩いた。
「さぁほら、行ってらっしゃい、千影ちゃん」
「うん」
千影も素直に頷いて、立ち上がった。
担架で運ばれる迅雷を追って、千影は紅白の潔癖な車に乗り込んだ。
バスに先立って走り出した箱の中で、千影は迅雷のマメとタコだらけになった手を握った。
燃え盛る摩天楼が遠くなる。
―――きっと、でも、まだ終わらない。だけれど、千影も迅雷もひとつ先には進めたんじゃないだろうか。
あのビルにはまだ岩破や紺たちがいる。もう少しだけ話をしておけば良かっただろうか・・・そう考えて、千影は自分でそれを否定した。きっとみんな、そんなしみったれたのは要らないと言うだろう。そういう人たちの集まりなのだ。『荘楽組』は。
「ありがとうね、みんな。今まで、悪くなかったよ。これからも元気でやってくからさ。とっしーたちと一緒に―――」
どうせまたひょんなところで会えそうな血の気の多い野郎共も、千影の大切な家族だ。少しの名残惜しさも胸にしまいつつ、幸せ者の少女は、今、その手に握っている少年の手に心を傾けた。