episode5 sect91 ”その手を繋いで共に”
「ボクは今日、ここで、あの人を殺すよ」
「ほう。殺すのか。あいつを」
岩破はニヤニヤしながら千影の言葉を繰り返した。どこか面白がって聞いている節さえある。
だが、迅雷までもがそんな話を冷静に飲み込めるわけがない。千影にどういう意図があるかは関係なく、彼女の堂々たる殺人予告は止めるべきだと思った。これからまた日の当たる場所へ帰ろうというときに背負うような罪の重さではないはずだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、千影!お前の言う『あの人』っていうのがどんな人なのかは知らないけどさ、さすがに殺すっていうのは・・・やりすぎなんじゃないのか?今だってこうして話が出来てるのに・・・」
「ごめんね。急にこんなこと言い出して。でも・・・あの人だけはいちゃいけないんだ。あの人が関わったものは全部狂っちゃうから、だから今日でボクが終止符を打つんだ」
千影の表情に浮かんだ複雑な感情に迅雷は言葉を呑み込んだ。怒りや憎しみだけではない。苦悩、後悔、それから悲愴。彼女と「あの人」の間になにかがあったのは明白だった。
「とっしーが言いたいことも分かるよ。だから、とっしーに人殺しを手伝えとも見ていろとも言わない。すぐに終わらせて君のところに戻るって約束するから、せめて、止めないで―――」
「・・・・・・本当に戻ってくるのか?俺は、ここでお前を止めなかったらもう二度と会えない気がする」
「必ず帰るよ。だから、家で待ってて」
迅雷は首を縦に振れなかった。すぐに終わる、少しだけ待っていて、と優しく囁いて帰って来なかった人を迅雷は知っている。
今でも彼女を大切に思う気持ちは変わらない。そして迅雷は心の中で千影と、あの懐かしい少女を重ねていた。思い出の押し付けと分かっていても、怖くて堪らないのだ。
「お願い。分かってよ。あの人はこれからもたくさんの人を壊しちゃうんだよ・・・?」
「俺は―――」
言いかけたとき、迅雷のズボンのポケットから突然音がした。なんてことはない、ただの着信音だった。
それでも驚いて迅雷が千影や岩破の顔色を窺うと、岩破が顎をしゃくってさっさと出ろ、と急かしてきた。迅雷は恐る恐るポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を触ろうとしたら、タッチパネルはヒビだらけで一部欠けてもいた。これまでの長く激しい戦いを経てもそれで済んでいるだけでも奇跡なのかもしれないが。機能の方も一応は生きているようだ。亀裂で真っ白になった画面から感覚で受話のボタンを探し出してタッチして、迅雷はスピーカーを耳元に当てる。
「・・・はい?」
『みっ!みみみ、神代くんでしょうか!?わたっ、私です!一ノ瀬由良です!!分かりますか!?』
名乗ってきた通り、耳が痛くなるような大声を届けてきたのは由良だった。気が動転しているのかしてどこかぎこちなく、舌も回っていない。
「由良ちゃん先生・・・」
『はい・・・はいっ!そうですよ!で、で!大丈夫なんですか!?生きてるんですよね!?良かっ、良かったですぅぅぅ!!』
「まぁ・・・なんとか。えっと、そっちはみんな無事だったんですか?」
『いくらかまだ気を失ったままの人はいますがみなさん生きてます!でも今は他人の心配なてしてる場合じゃないでしょう君は!1人で歩けますか!?戻って来れますか!?今どこです!?迎えは要りますか!?』
1人で、と言われ、迅雷は千影の顔を見た。1人で帰るなんて嫌だ。
「由良ちゃん先生、その、千影も・・・」
『え・・・?ち、千影ちゃんもいるんですか!?えっとえっとえっと!?ぇ、ぁ・・・その、ぇーと・・・』
由良の声が小さくなった。周りに遠慮したのだろう。まだ下にいるみんなにとって千影は敵だ。
辛そうな目で見てくる迅雷に、千影は首を横に振った。迅雷に我の強さを習わせたのは他でもない千影だ。
「ボクはまだ戻れないよ」
「どうしても、一緒に来てくれないのか?」
迅雷がそう言うと、千影は岩破の隣に立った。
「大丈夫だよ、とっしー。もう独りでやろうなんて思ってない。こういうのは親父に手伝ってもらうから。ね、いいよね?親父」
千影はニコッとわらって、岩破を見上げた。
だが、岩破は千影の頼みを認めなかった。
「いや。駄目だ」
「・・・え?親父?」
「千影。お前ぇはボウズと一緒にさっさと失せちまえ」
「ちょっと、な、なんで!?そんなの変だよ!」
話の流れを無視されるのはままあることとしても、岩破の発言は千影の予想を裏切った。
でも、岩破には岩破の矜恃と理由がある。だから千影のお願いだとしても聞き入れることはしないのだ。
「なぜ、だぁ?それは俺が聞きてぇな。どうしてウチの組のもんでもねぇただのガキのお守りなんざしなきゃなんねぇんだ?」
「なんでそんなこと言うの!?ボクは『荘楽組』の一員でしょ!?」
「言ったはずだぜ、千影。俺の邪魔をするようなヤツは要らねぇってなぁ。だからもうお前ぇはクビだ。いつまでも未練がましく付きまとってくんじゃねぇ」
「ク、クビ・・・?ボクが?」
突然の解雇通知を告げ、岩破は唖然とする千影の首根っこを掴んで持ち上げた。だけれど、ぞんざいな割に厄介者をつまみ出すのとは少し違った様子だった。そのまま千影を迅雷に向かって放り投げる。危うく間に合わないところだったが、迅雷はなんとかそれを受け止める。
「だから後のことは俺に任せときゃあ良いのさ」
「親父、なにっ!いやだ、これはボクが!」
「今だから言うが、俺も千影と同じで本当は最初からここであの野郎を消しておくつもりだったのさ。だから元々それは俺の仕事なのさ。お前ぇは余計なこと考えねぇで良いんだ」
「知らないもん!聞いてないもん!だいたい、そうだとしても、ボクだって―――」
「じゃあ、ボウズ。馬鹿な娘だがこれからも適当に面倒見てやってくれや。なぁに、親父の俺が頼んでんだ。遠慮するこたぁねぇ。好きに持ってけ!」
「――――――じゃあ、遠慮なく。ありがとう・・・ございます」
決して善人にはなれなくても、岩破はそういう男だった。芯は真っ直ぐで、粋がり屋。
千影と一緒に後からずっしり上乗せされた責任も全部受け止めて、迅雷は自信を持って頷いた。
「ほら、千影。行こう。帰るんだよ」
「やだ!!まだボクは帰れないもん!!こんなのやだよ!!」
「だーくそ!じたばたするな!バカになんねぇ!」
弱り切った今の迅雷ではピンピンしている千影を引きずってビルを降りるのは困難すぎた。
いい顔をして頼まれてくれたばかりでさっそく格好悪い迅雷を見た岩破は楽しそうに大笑いした。岩破はそれで良いと思った。これで心残りなく追い払える。
「駄々こねるなガキンチョ。それともなんでぇ?お前ぇ、俺1人でやらせんのが不安なのか?」
「そういうわけじゃないけどっ!」
「じゃあ良いだろぅが。今生の別れじゃねぇんだ」
岩破はもう一度馬鹿笑いしてから、おもむろに迅雷と千影へ手をかざした。すると直後に、2人と岩破を隔てる壁の如く巨大極まりない魔法陣が展開され、紅に光り輝いた。
「もう戻れねぇぞ」
「親父ぃ!」
「千影。お前ぇとの5年ちょっとは、なんだ、まぁまぁ楽しかったぜ。あと、迅雷。お前ぇは疾風にはねぇものをたくさん持ってる。いつかは父親を超えるだろうよ。もっと胸張って生きてけ」
「俺が、父さんを・・・?そんなの、あるのかな?」
ひょんな褒め言葉に迅雷が首を傾げると、不意に魔法陣の壁が輝きを増した。空が燃えるような赤い光に照らされ、迅雷と千影は声を揃えて「え」と漏らしていた。
あの魔法陣はあくまで千影が戻れないように壁として出しただけではなかったのだろうか?そんなことを考えている間にも輝きはさらに増大して―――。
「まっ、待て待ってマジでマジなの!?心の準備が!?」
「親父、そのサイズはシャレにならないよ!?」
「ふははははははッ!しみったれた話もここまでだ!じゃあなお前ぇら!元気でやれよ!次ばったり会うときゃ飲みにでも行こうじゃねぇか!」
「いや俺たちまだ未成年―――」
迅雷が真面目腐ったツッコミを言い切るより先に、岩破の、特大魔法すら超えるほどの巨大魔法陣が火を噴いた。
迅雷は目の前が真っ白になったかと思う間に、今度は視界の全てが暗転した。そうかと思えば、先ほどまでの爆発とは比較にならない想像を絶する衝撃が全身を打ちのめした。立っていられず、足が床から浮いて―――。
●
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁおげっ!?・・・ぁ?」
メチャクチャに乱回転しながら吹き上げられ、地上へと真っ逆さまに落下する。あまりの勢いでなにも考えられず、風魔法による速度の相殺を図ることも出来なかった。
そんな中、上も下も分からずにいた迅雷の体が明確に減速した。グン、という強烈な圧迫を腹回りに受けて迅雷はえずいた。助かったのかもしれないが、これもなかなかのダメージだ。
迅雷が思わず手で口を押さえていると、頭の上から千影の声が聞こえてきた。
「こうすればもうボクは上に戻れない・・・ズルいことするな、親父は」
「千影?」
真っ暗だった視界が晴れると、迅雷は地上2、3メートルくらいのところで、煙を立たせながら大きな『翼』をはためかせる千影に抱えられる形で滞空していた。今の腹への圧迫は千影が迅雷を背中から腕を回してがっちりホールドしてくれていたからだった。
なにはともあれ、這いずるような泥臭い奮闘が落下して死亡エンドにされずに済んだ。素直に千影に羽があって助かった。まぁ、恐らく岩破もそれを見越しての荒技だったのだろうけれど。
消え入るように浮力を捨てて、千影は迅雷を持ち抱えたまま地面に舞い降りた。大きく広げられた『翼』が地面をあおいで円状に土埃が立つ。
「大丈夫だった?とっしー」
「あぁ、おかげさまで助かったよ。千影が飛べて良かった」
「ホントにそう思ってくれる?」
「もちろん」
迅雷は千影の腕から解放されて、少しグラつきながらも立ち上がった。上を見上げればさっきの超弩級爆発で大きな火の手が上がっていた。
自分で起こす爆発に巻き込まれるようなことはない的なことを言っていた岩破だが、二次災害で後日焼死体で発見されたりしないだろうな。どうも碌な死に方はしなさそうな男だったが、刃を交えて千影を任された迅雷としてはしょうもないことだけはして欲しくないと思ってしまうのだ。
迅雷は周囲を見渡して、すぐにビルの北口前に落ちたのだと理解した。おびただしい数の血痕と転倒したマイクロバスは少し前の出来事なのに懐かしい、事件の発端の名残だ。
迅雷の隣では千影が真っ黒な人外の器官を引っ込めている。それに伴ってスマートフォンから鳴り響くアラートも収まった。
迅雷はようやく少し落ち着いた。これでやっと、終わった。まだあと少しだけやるべきことがあるが、ここまでの苦難に比べれば大したものではない。千影はもうここにいる。
「ここには誰もいないな・・・。南口に集まってるのかもしれない。―――千影、戻ろう。みんなのところに。戻って、謝って、やり直してくんだ」
「やっぱり、怖いな・・・」
「俺がついてる」
弱気な笑みを見せ、千影は一度俯いた。それからもう一度迅雷の顔を見上げる。
「ボク、もしかしたらホントは逃げたかったのかもしれない。人じゃないんじゃないかって疑われて、怖くなって、だから、みんなの前から逃げ出したかったのかもしれない」
「・・・そっか」
「ねぇ、とっしー。あらためてひとつ、ワガママ言っていい?今度は、ボクがちゃんと嬉しいワガママにするから」
「良いぞ。構うもんか。どんとこいよ。ただし俺に叶えられる範囲で」
「じゃあさ」
千影は迅雷に右手を差し出してはにかんだ。久々に甘えるからかして少し照れが混じった千影に、迅雷は少しだけ、どきりとさせられた。
「手、繋ご」
千影の出した右手は小刻みに震えていた。
どんなに笑ってみせたって、怖くて仕方ないのだ。批判と非難の嵐に曝されることなんて分かりきっている。迅雷だって怖いし不安だ。みんなのところへ戻るのが、千影の幸せにすぐ繋がるとは思えない。
でも、いつかはこの選択をして良かったと思う日が来る。いいや、たぐり寄せてでも千影自身がそう思えるようにしないといけない。
だから、迅雷はそっと千影の手を取って、包み込むように繋いでやった。