episode5 sect85 ”迅雷の本領”
千影に託された魔剣の名は『風神』だった。その名の通り、迅雷が持っていた『雷神』の対となる至高の一振りだろう。刀身に照り返す翠緑は冷たく鋭く、吹き付ける風を思わせる。
「『風神』・・・これが・・・。でも、なんで千影がこんなの持ってたんだよ?」
「元はね、去年はやチンにもらったものだったんだ。クリスマスプレゼントに」
「父さんが?え、てかクリスマスプレゼント?・・・だ、だとして、なんで俺に?」
「野暮だよとっしー。その剣はなによりも、とっしーのための剣なんだから。きっとさ、はやチンはボクにそれを君へ渡すかどうかを委ねてくれてたんだと思う。だから、それはとっしーの剣だよ。遠慮なんて要らない、思い切り使っちゃってよ」
「―――そっか。じゃあありがとう、遠慮なく。なんかやれる気がしてきたよ」
迅雷が両手に剣を揃えた。魔力の封印も解いた。
その意味するところはつまり、迅雷が本当の意味で持てる力の全てを発揮出来るということだ。
『雷神』と『風神』、二柱の神力を携えて二刀流をなした迅雷の体は、ひさしぶりの両手塞がりにも関わらず、この上なく滑らかに双剣を構えた。
信じられないほど滞りなく魔力が循環し、同時に左右の手で魔力の純度が跳ね上がるのを感じた。初めて持ったはずの『風神』さえもが肉体の一部になったかのようだ。いや、ともすればそれ以上だ。今の状態こそ本来あるべき姿なのではないかと迅雷は肉体感覚を疑った。なぜなら、あれほど体内で波打っていた魔力が、ほとんど意識せずとも自然に制御出来るのだから。
千影はこれから死地に挑む迅雷に出来うる限りの助言を与えてくれた。
「とっしー。親父のシャツの右胸内ポケットには『高総戦』のときに君に渡したことのあるメモリがあるんだ。それが取引で重要な品。だから、それさえ潰せば―――」
「俺たちの勝ち、か。それさえ分かれば十分だよ!」
この際、千影が言うのだから迅雷は信用する。結局あれの中身がなんだったのかは未だに分からないが、この戦いが終われば千影に聞けば良い。きっと彼女も教えてくれる。
すっかり短くなった煙草の吸い殻を床に捨てて踏みつぶし、岩破はようやく準備が整ったらしい迅雷たちへあくび混じりに向き直った。敵前で見せるにはこれ以上ないほどの余裕だった。自身の手の内をバラされても弱点を教えられても一切動じることがない。
「作戦会議は済んだかぁ?あんまりにも長ぇもんだから眠くなってきやがったぜぃ。にしてもなんだか随分なもんもらったみてぇじゃねぇか。急に粋がりやがって」
「口先だけじゃないってところを見せて――――――っぅ!?」
満を持して岩破に飛び掛かろうとした迅雷は、直後にまた、その動きを止めた。今度は不安があったわけではない。そうではなく、なにかがおかしい。瞬きのうちに状況が絶望的なものへと変わってしまったような悪寒だ。
異物感を感じた。腹の内側だ。急になにかが体の内部に現れたような気色悪い感触だった―――そう気付いて、迅雷は全身の汗腺が広がる気味悪い恐怖に襲われた。
異変に気付いた千影が岩破に叫んだ。
「まさか・・・親父!!」
「悪ぃなぁ千影。結局お前ぇらがなに企もうが始まる前に終わるのが決まり事なのよ。所詮人間なんてなぁ内側からポンと弾いてやりゃあそこでくたばる生きもんだ」
そういうことだ。今、迅雷の体内には岩破の魔法が置かれているのだ。簡単に言えば、これは内蔵の中に遠隔操作可能な爆弾を詰められたのと同義だ。
迅雷は目の前が急に暗くなるような気さえした。あれほどまでに自分たちへと向いていた流れはこの絶望のお膳立てだったとでも言うのか。踊らされた屈辱が込み上がる。まさか、この場で腸をほじくり返して魔法陣を摘出するわけにはいかない。為す術がない。一瞬でただの死を待つだけの人型爆弾に成り下がってしまった。
「くそ・・・なんだよ、なんで、くそ!!ふざけんな!!ちくしょう!!」
叫び、迅雷はそれでも岩破に正面から突っ込んだ。どうせ爆発するのなら、せめて千影から出来るだけ離れ、なおかつ岩破を巻き込むようにするべきだ。もしかするとその発想には、岩破が爆発に巻き込まれたくないがために爆破を躊躇するのではないかという希望もあったかもしれない。だから一歩目から全速力だった。
岩破は迅雷の腹に手を向けたまま不敵に笑う。
「近寄っても無駄だぜぇ。吹っ飛んじまいな、クソガキども!」
「とっしー!!」
「ッ――――――!!」
岩破が手を握った。腹の中でそれも収縮する。
迅雷はひたすら走り続けながらきつく目を瞑って恐さを堪えた。無駄な足掻きでもなんでも良い。魔力を解放して、闇雲に剣を突き出した。
●
「――――――――――――・・・?」
とても、静かだ。
遠くでもあれほど大きく聞こえた爆音は聞こえなかった。なにも起こらなかった―――のだろうか。腹の内側の違和感はもうない。
二滴、血が滴る音がした。痛みはない。腕の感覚も足の緊張もここにある。ならば、なぜ音が聞こえた? 恐る恐る、迅雷は目を開く。そしてすぐ、その目を大きく見開いた。
「・・・なんでだ?」
迅雷ががむしゃらに突き出しただけの『雷神』が、岩破の腕に突き刺さっていた。直前までの出来事を見ていなかったが、岩破はその腕で胴を守ろうとしていたかのようだった。迅雷が聞いた血が零れる音は、岩破のものだったのだ。
でも、迅雷の理解は追いつかない。ほんの一瞬、目を閉じたその間になにがあった。
「・・・いや」
迅雷は左手に魔力を流し込んで、風の如き速さで『風神』を振るった。狙うのは岩破の腰の高さ。美しさすら感じるほど宙を水平に刃が滑る。だが、迅雷の攻撃が届くより速く、岩破がその豪腕を振り回して迅雷を投げ飛ばした。
刃物が突き刺さった腕でよくもこれだけの力が入るものだ。関節をおかしくしそうな慣性を身を捻ることで殺し、迅雷は着地した。細かいコンクリート片を踏みつけてバランスを崩しかけたが、なんとか持ち直す。大量の魔力のおかげで体に入る力が違う。
休まず、迅雷は岩破へ突撃した。結局なぜ自分が無事で済んだのかはよく分からないままだが、理解は放棄した。効かないならそれで良い。
『風神』と『雷神』、左右それぞれに漏れ出すほどの魔力を込め、小さく跳び、駒のように回転することで暴力的な千切りを繰り出す。
―――が、鋒が岩破に当たる直前、その触れるべき場所から爆炎が噴き出した。
「!?―――ッ」
目が眩むような凄まじい火力に押し返され、迅雷の体は軽々弾き飛ばされた。受け身に失敗して激しく床を転がる。ガラス片が傷口を抉り、氷のように冷たい汗が滲んだ。
「調子に乗るなよ」
岩破の声だ。迅雷は立ち上がり、口の中に入った土や埃を血と一緒に吐き出した。
「でも、まさか壊れちまうたぁな。お前ぇの魔力量、大したもんだとは思っちゃいたが想像よりずっとバケモノじみてやがらぁ」
「・・・?壊れるってのはどういう意味だよ?」
岩破との間合いを測りながら迅雷はそう尋ねた。その質問に岩破は行動をもって答える。
「こういうことでぃ」
「!」
また腹部に違和感が現れたが、直後に消えた。相変わらず爆発は起きない。
迅雷は怪訝に思って眉をひそめた。岩破は考えるつもりがない迅雷に呆れたように舌打ちをした。
「元々魔法なんざ好きな場所に起点を作れんのさぁ、今みてぇによぉ。だが・・・対象の内部の魔力に押し負けりゃあ魔法陣は壊れちまう。今みてぇに、な」
「あぁ、そういうことか」
その知識は迅雷も知ってはいた。ただ、実際に体験したことがなかった故にすぐには思いつかなかっただけだ。だがつまり、岩破の魔力量では迅雷を内側から爆散させることが不可能だということは分かった。大きなアドバンテージに違いない。
とはいえ、丁寧に自らの不利を公開してなお岩破は余裕の表情だ。さっきの直撃寸前の爆発が、千影の言っていたカウンター魔法だった。初撃が当たったのは単に迅雷の魔力量を甘く見ていた岩破が術の展開を怠り、そしてそのまま驚きのせいで再展開する反応が遅れてしまっただけだった。当然、今はもう全身に爆破魔法を帯びている状態にある。
「そら、気ぃ引き締め直してかかって来やがれ」
「言われなくたってそのつもりだよ!!」
―――だが、どうする?
駆け出す迅雷は、一方でそうも思った。
斬りつける。爆ぜる。転がる。斬りつける。爆ぜる。また、転がされる。どんなに力を込めて剣を振ろうが届かなければ意味がない。このまま同じことを繰り返せばすぐに迅雷は力尽きるだろう。
「そんなわけには・・・いかねぇだろ、俺」
右手の『雷神』を強く握り直し、左手の『風神』も強く握り直す。千影がそこにいる。つまらない戦いを見せられるわけがないじゃないか。受け取った剣の重みを再確認した。
「もうしめぇか?二刀流やら馬鹿でけぇ魔力やらで身構えてたが所詮死に体ってことか」
「なめんな!ひさびさで体鈍ってたんだよ」
「ほぅ」
「でももう感覚も戻ってきたし、こっからだぜ」
二刀流、魔力。迅雷は強力な武器を二つも持っている。だったら、それを最大限まで生かすしかないだろう。見た目のクールさに惹かれたのがきっかけの二刀流も今まで散々扱いに困らされてきた大きすぎる魔力も、今は共に正真正銘迅雷の力だった。
一度息を吐ききって、そして新鮮な空気で肺を満たした。慣れた独学の魔剣二刀流の構えと取って、再々度迅雷は真っ直ぐ飛びだした。
一歩も引かない少年に岩破は獰猛な笑みを浮かべて立ちはだかる。
だが、迅雷はすぐに岩破の余裕を崩す自信があった。
迅雷の接近に対して岩破はなにもしない。好都合だ。迅雷は両手に一気に魔力を通した。ほとんど無尽蔵みたいな魔力量だ。枯渇する可能性など無視して、ありったけを込める。
黄金色と翡翠色の輝きが闇夜を絢爛に照らし、剣のキャパシティを超えて流し込まれた魔力が刃から漏れ出し、それぞれの色の炎のように揺らいで尾を引く。岩破に肉薄して剣を振り下ろす―――瞬間で、迅雷は刃をすかしてフェイントを使った。そのままステップで背後に回り込み、岩破から離れながら剣を振るった。
動かない敵に対してそんな回りくどいことをしたのは他でもなく、千影を巻き添えにしないためだった。岩破の背後には碌に動く力も残っていない千影が寝ている。迅雷は今の自分が本気でこの技を撃てばどんな規模の攻撃になるのかも全く予想出来ないのだ。
『雷神』を振るい―――。
「『駆雷』!!」
『風神』を振るう。
「『天津風』!!」
雷光と暴風の十字斬が膨れ上がりながら飛び、岩破を呑み込んだ。
岩破の防御魔法の爆発と迅雷の撃った斬撃が互いを食い合い、競合して、さらなる大爆発を起こした。だが、迅雷は今の力比べで勝ちを確信した。
迅雷には爆風は届いていなかったからだ。