episode5 sect84 ”今の君にはよく似合う”
「ぅ、ぁぁ、・・・ぁぁぁぁっ・・・」
それで良いと思っていた。それが良いと思っていた。ただ、幸せだとは感じなかった。でも、それは自分が繰り返してきた我儘のひとつだと思っていた。望んで起こした行動に違いはなかったから。
でも、迅雷からそんな言葉を言ってもらえた。ずっと押し殺してきた寂しさが許されたような気がしたときにはもう、千影は溢れ出す涙を止めることが出来なかった。
こんなときに謝ったら良いのか、それとも感謝したら良いのか、そんなことも千影には分からない。ただひとつ確かなことは、迅雷がそこにいてくれるということだった。
本当はずっとずっと迅雷を求めていた。彼なら、ひょっとしたら受け入れてくれるんじゃないか、と思った。独りだけの戦争に望む最中ですら彼が来てくれることを期待した。そんなはずはないと、あるはずがないと分かっていたというのに。
彼の信頼と親愛を裏切って傷つけたくせに、ぬけぬけと都合の良い幸福を期待した。突き放し突き落とした人でなしの分際で、そう願った。もう二度と追いかけてきてくれるはずがないと分かっていた。
それなのに、迅雷は本当に来た。愚直で、強引に、ここまで駆けつけてきた。口に出しもしなかった千影の心に彼は応えてくれた。
叶ったのなら、もう、素直に喜んでも良いんじゃないか―――。
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「泣くか笑うかどっちかにしろよ」
「え、へへ・・・ごめんね、とっしー。ありがとね、とっしー・・・。嬉しい・・・来てくれて、すごく、すっごく嬉しいんだもん。絶対に来るはずなかったのに来てくれちゃったんだもん・・・」
「当たり前だろ。俺たちは家族なんだから」
「そっか・・・そうだったんだね。本当に・・・」
千影の目に映る神代迅雷は、本当の本物だった。迎え入れるその一言に、他の誰でもない迅雷自身の意志を感じて、あの苦悶も全てが報われた気がした。
迅雷が握る剣には月光が淡く金色に照り返していた。
しかし、迅雷は来たが、それで終わりではない。
「なんだ、お前ぇ。そんな傷だらけで吹けば飛びそうなボウズ頼んのか?」
「ッ!?」
今まで迅雷と千影の再開に水を差さず待ってくれていた岩破が、ここぞとばかりに千影を嘲った。鍛や紺らという猛者との連戦を経てきた迅雷はもう、全身血まみれで、立っていることに驚きを覚えるほどだった。事実、気を抜けば目眩で倒れかねないほどに衰弱している。
そんなボロボロの少年にこれ以上なにを背負わせるというのか、と岩破は問うた。千影の目に映る迅雷の姿は途端に痛ましく変化する。
岩破は続けて迅雷にも問いを投げかける。
「で・・・お前ぇもだ。なにをわざわざそんな薄汚ぇガキに執着してやがる?家族だ?笑わせるじゃねぇかよぉ?」
「なにが言いたいんだよ」
「じゃあ聞くが、お前ぇは本当にそいつを喜んで家族に迎え入れられんのか?」
「当然だろ。それが今まで通―――」
「―――もしもだぜぃ?」
岩破は迅雷の言葉に被せてそう言った。迅雷がこう返事をすることくらい分かっていて準備したような、仮の話だ。
「もしも、そいつが本当に人の形してっだけで中身が正真正銘のバケモノだったとしても、そう言えるのか?んん?」
「―――っ!?」
岩破のもしも話に、千影が小さく震えたのが分かり、迅雷は岩破と千影の顔を見比べた。千影はなにかを恐れている。岩破の次の発言に怯えているようだった。
「・・・やめて親父・・・」
「やっぱりなぁ。知ってたら来るめぇよ。言ってねぇのが悪いだろぅがよ。家族とまで呼んでくれるヤツにすらつまらねぇ隠し事してきたテメェは端からどうしようもねぇ嘘吐きの裏切り者だったってわけだ。あのイカ娘のこたぁ言えなかったんじゃねぇのか?」
「だって・・・!そんなの知ったらとっしーだって・・・」
「だって、なんだ?」
「・・・だって、だって―――」
「そんくらいにしとけよな」
言葉の続きに声を詰まらせる千影を庇うように迅雷は岩破に剣の鋒を向けた。だが、同時に岩破の知るの正体とやらを気にする心もあった。恐らくそれは迅雷が千影と出会った頃から抱いていた疑問に答えになるだろうと予感したからだった。
時折なんでもないことで伏せられる千影の目に移ろう刹那の迷いや焦り、恐怖の理由は、迅雷も知りたかった。そして岩破は千影の意思など無視してそれを仄めかした。
「ボウズ、お前ぇ、それが俺ら魔法士の世界でなんて呼ばれてるか知ってるか?」
「《神速》だろ?カッコイイじゃんかよ」
「あぁ、イカしてるな。でも、違ぇよ。それはそいつの自称だ」
「・・・は?」
「そいつに―――千影につけられた二つ名は、《鬼子》だ。異端の存在なんだよ。最初からずっと、そいつぁ」
「鬼子・・・異端?どういうことだよ?」
千影は目を伏せ、不安そうに振り返る迅雷と目を合わせようとしなかった。その極端に恐れる態度が岩破の発言を肯定してしまっていた。
千影は顔を伏せたまま、岩破に問いかける。
「・・・そう思うなら、じゃあなんで親父はボクなんかを拾ったの?」
「使えそうだったから・・・だったっけなぁ」
「ボクは役に立ってたの?」
「さぁなぁ」
「『荘楽組』のみんなだって、ボクにとっては家族みたいなものだった」
「そうだな。だから、親を裏切るような子供は要らねぇ」
「ボクは親父たちにあの人とこれ以上関わって欲しくなかっただけなのに」
「結果としてお前ぇは俺たちを裏切った。なにか違ぇってんなら言ってみろ」
岩破は、間違ったことを言ってはいない。千影は黙り込み、俯くしかない。ただ、それでも知ってもらいたくなった。今まで、なにを思っていたのか。
「・・・・・・違わない。全部、その通りだよ。こうなることもホントは分かってた。だから、とっしーたちのことも裏切った。今日ここに連れて来て、ボク自身の手で斬った。そうしたらみんな、ボクという存在の被害者として完全にボクと関係を断てるはずだったから。ボクを擁護した事実も、その意志もなかったことに出来るはずだった。だから、ボクは両方を裏切って、ボク1人、ちっぽけな代償で全部終わらせようて思ったんだ」
千影の独白は、息苦しい夏の夜空に吸い込まれるように消えた。たったそれだけが千影の本当の願いだった。これ以上、世界の闇の中心に好きだった人たちを近付けたくなかっただけだった。でも、力も覚悟も足りなかった。
「結局、ボクはとっしーを巻き込んじゃったっていうのにね。おかしいよね。巻き込みたくなかったからあんなことをしたはずなのに、どっちだったんだろう。ごめんね、本当に―――」
「うっせぇよ辛気臭いな」
その行き場のない罪悪感を、迅雷は一言で断じた。千影がなにを言おうと、ここに来るまでに迅雷が練り上げてきた覚悟と想いは変わらなかった。
「もっとはっきり言えよ。千影は俺にどうしてもらいたい?」
「ぇ」
迅雷の見せた決断に千影は顔を上げ、岩破はくだらないと言うように溜息を吐いた。
例え千影が迅雷になにか大事なことを隠していたとして、そして、彼女が迅雷の知らないなにかだったとして、そのなにが問題になる。千影という名前の彼女がここにいることは変わらない。傷付き、苦しんでいることに変わりはない。そして、千影に代わりはいない。
確かにくだらない説教だ。でも、大切なことだ。
「思い上がんなよ、千影。自己犠牲なんてつまんないことすんなよ。なんだって言ってくれよ。言うだけならタダじゃんかよ。俺もなんとかしようって頑張るじゃんかよ。お前がどこの誰でなんて呼ばれてようが俺にとって千影は千影なんだよ。いつもみたいに面倒くせぇワガママ言ってみろよな」
「・・・・・・」
迅雷は千影の答えを待った。
千影が迅雷たちに死んで欲しくないと思うのなら、迅雷だって千影にいなくなって欲しくないと思っているのは当たり前なのだ。とても、くだらないことだ。互いが互いにそこにいて欲しいと思うなら、もっと他に選べる道はある。やがて千影の目には光が戻り、声は芯を取り戻し始めた。
千影は今日、改めて迅雷にワガママを言う。
「とっしー。ボクを助けて」
「それで良いのか?」
迅雷は緊張しているくせに笑った。千影も小さく笑い、迅雷に手を差し出した。迅雷は左手を貸す。優しく引かれるまま千影は上体だけを起こし、そして、迅雷の左手首に口付けをした。
青白い光と共に迅雷の身体に秘められた魔力が解放される。静かにそれを抑え込み、迅雷は剣を握る力を強めた。
「とっしー。ボクと一緒に戦って!」
「よしきた!」
全てを取り戻そうとする少年は、その一言を待っていた。
全てを失うはずだった少女は、今度こそ、本心だった。失くされずにいてくれた唯一の存在と共に、望みの続きを求めた。
「―――でもまぁ、千影は少し休んでろ」
「えぇっ!?」
「え、じゃねぇよ。動けねぇくせに」
そう言って迅雷は千影をつついて後ろに転ばせた。逆に言えば、不意打ちとはいえ、今の千影はその程度で倒れるほど弱っているのだ。少しの間だけでも良い。千影には体を休める時間が必要だ。
迅雷は彼女をそこまで追い詰めた岩破の目を今一度見据えて、腰を落とした。
「わざわざ話が終わるの待っててくれるんだな」
「その辺は融通してやるのが大人の余裕ってことだろぅが。・・・で、話はもう良いのか?」
「あぁ。さて―――一気に行くぜ!!・・・・・・・・・・・・」
行くぜ、と言ったと思うのだが、迅雷が固まったように動きを止めてしまった。
岩破も千影も怪訝そうに眉を寄せた。なにかの新技だろうか。
「なんだ、来ねぇのかお前ぇ?」
「いや・・・その」
なかなか派手に格好つけた・・・のだが、思えば迅雷は岩破とどう戦えば良いのか全く知らなかった。千影をこうも一方的に嬲るほどの怪物級の相手だ。気持ちだけで勝てるとは思えないので、止まって考えてしまったのだ。
「とっしー?」
「な、なぁ千影。あの人の攻略法ってある?」
「・・・・・・」
「黙るなよ!?分かってるよ?俺だって。でも無策で突っ込むとかまんま無謀過ぎるだろ!?」
「まぁ賢明・・・だよね。親父は爆破魔法のスペシャリストだよ。肌の上に爆破魔法の膜を作って直接攻撃は返り討ちにしてくるから気を付けて」
そう聞いた途端、迅雷は心の中で呻き声を出した。どう考えてもアンチ迅雷戦法である。そんな反則級の防御とどうやり合えば良いのだ―――と考えかけ、迅雷は激しく首を振った。やりようはあるはずだ。戦う前に諦めるようでは話にならない。
迅雷は自分を落ち着かせるために何度も深呼吸をするが、その最中に千影が『召喚』を唱えたのが分かった。
「大丈夫だよ、とっしー」
「千影、それは?」
「まだ少し迷ってたんだけど、ボクも決心したよ。信頼の証、受け取って」
千影が迅雷に投げたのは、風変わりな鞘に納められた一振りの魔剣だった。
宙にアーチを描いて飛んでくるそれの肩掛けベルトを掴み、迅雷は千影の顔と見比べた。抜いてみろ、と千影の目が言っている。
「・・・・・・」
岩破が煙草をふかして遊んでいるのを確かめながら、迅雷は2本目の鞘を『雷神』のものと交差するように肩にかけ、剣を抜き放った。
瞬間、翠緑の閃きが瓦礫の山を眩く駆け抜けた。
その刃、その形状、その重み、その美しさ―――全てが、『雷神』の酷似した、透き通るような翠の直剣。
「この魔剣って―――」
「もう分かってるんじゃないかな?その剣の名前は『風神』―――君が今右手に持ってるそれと対を成す魔剣だよ」
今の迅雷には、よく似合う輝きだった。
いや、このイカ娘は侵略とか関係ないですから。