episode5 sect82 ”不躾な介入”
そんな結末は認めない。もったいない。人の意志なんて知ったことではない。そもそもそんなものには興味もない。持つ気にもならない。
だから小西李は人の決死の覚悟を平気で踏みにじれるのである。
「そこまでよ!」
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ふざけた声が聞こえたと思った直後には雪姫の前に紺の姿はなく、代わりに瓦礫で散らかった灰色の床があるのみだった。
―――初めはそう感じたが、実際はその逆だった。雪姫の目の前から紺がいなくなったのではなく、雪姫自身が移動したのだ。そうであると実感しないほどの速さで。
腹部に軽い圧迫を感じて見れば、雪姫は自分が抱えられているのだと理解した。遅ればせながら浮かび上がる感情は当然ながら驚きと怒りだった。
「・・・は!?なんなの!?放して!!」
「あ、失礼。はい」
「ちょっ」
放せと言うと彼女はあっさり雪姫を解放した。事態の急激な変化に動揺していた雪姫は危うくみっともなく床に落ちるところだった。すんでのところで腕を使って受け身を取る。
余計なことをしてきた声の主を見上げれば、その人物は以前ギルドで半狂乱になっていたピンク髪のイタい女性だった。
「・・・なんのつもりか知らないですけど、あたしの邪魔はしないで欲しいですね」
「はいはい、ブーメラン一丁。あなたこそなんのつもりですかね、バカですか?あのままやってたら死んでましたよ?」
「チッ―――!もういい!・・・もういいから、下がってて。・・・これ以上手は出さないでください」
カッとなるのを抑えて雪姫は李にそう告げたのだが、李は間抜けな顔をするだけだった。
「えー、そうはいかないんだよなぁそれが。雪姫ちゃんこそ下がって休んでいれば良いんじゃないかと」
「ッ・・・!馬鹿にしないで!!あたしは―――」
「はいはいって。若いもんは元気よのぅ」
そう言って、李は雪姫のうなじにチョップをした。ゴス、という鈍い音がする。
・・・が。
「・・・?」
「あ、あれ?気絶しない!?おかしいなぁ!?」
「ホントにそんなので人が気絶するとでも?」
なんだコイツは、と雪姫は心の中で呟いた。
馴れ馴れしく、煽り口調でヘラヘラと―――まるで緊張感に欠けている。以前ギルドで初めて顔を合わせたときも大概変人だったが、この場面でもこの様子というのは異常にもほどがある。一体なにをしに来たというのだ。
雪姫はあっという間に頭の血が沸騰するほど苛つかされてしまった。
「あぁぁ、ムカつく!!良いからアンタは下がっててっつってんですよ、あたしは!!」
「ひぃっ!?お、怒られた!?私怒られたなう!?」
「なぁ、オイ。もうイイのか?イイんだよな、仕掛けても」
遊びを邪魔された子供のような口調は紺のものだった。床を踏む靴底が鳴らしたガラスの軋むような音で、雪姫は本来視界から外すべきではなかった敵の存在を思い出した。
迫り来る魔力の爆風を避けるために雪姫は強く床を蹴ろうとしたけれど、彼女の体はそんな単純な動きすら再現出来なくなっていた。
「―――ぁ・・・?」
くらりと体が倒れた。
両足がまともに機能しなくなっていた。逃げるどころか床に倒れ伏したこの瞬間、雪姫はあまりにも低次元な己の限界に強く、失望した。
「なにこれ・・・つまんないの・・・」
よもや確定的であるが、ここでやられるのだとしたら、まぁ、所詮は雪姫もその程度の存在だったというわけだ。閃光が迫る。足は動かない。時間の猶予もない。
そして、そんな雪姫の前に、李が躍り出た。
そのことに、ゾッとした。
「なん―――!?なんで、待って・・・やめてぇッ!!」
「いや、勝手に死亡フラグ立てないでくださいよ、殺す気ですか。勘違いしないでよねっ!ってトコですよ。別にあなたを守るために身を挺するつもりなんてありませんけど?」
李の右手を中心に、微かだが、なにかが揺らぐ。
猛り狂い襲い来る雷光を前にして李は一歩も引かない。
そして、その右手を触れば消滅する光にかざす。
「『ベクターオルタレイション』!!」
しかし、李が消し飛ぶことはなかった。
―――なにが起きたというのだろう。あれほど膨大だった黄色魔力の塊が、李の右手に触れると同時に跡形もなく消滅した。
いいや、おかしいのはそれだけではない。雷光の消滅と同時に灼熱の炎が紺を呑み込んでいたのだ。あたかも、雷が炎へと変わり、その矛先を生みの親に向け直したかのように。
「・・・は?」
不可解な現象を目の当たりにして唖然とする雪姫へ、李は嘲弄半分優しさ半分に戦力外通告を言い渡した。
「よくそんな体で涼しい表情してましたね。右足は折れてるようですし、左足なんて。もっかい下がるべきはどっちかを考えてみてください」
「・・・・・・・うるさい。こんなの、氷で接いどけばなんとかなるし・・・止血だってそれで十分だし」
「無理。絶対に完全に不可能」
「・・・」
雪姫はもう一度自分の両足を見た。紺を力任せに蹴りつけた右足の骨は踵から脛までが折れていて、内出血が激しく、紫色になっている。そして左足は―――紺の指先が触れた瞬間を記憶するように、ふくらはぎの肉が手形に抉り取られていた。流れ出る血液の隙間には赤い肉が見えている。
雪姫は自分の右足の中身を凍らせて折れた骨を固定し、左足の傷口を丸ごと氷の中に閉じ込めて止血した。だが、悔しいが李の言う通りかもしれない。右足はともかくとして、左足はもう使い物にならない。実際、間違いなく立って歩くことさえままならないだろう。応急手当をしたところで戦闘に復帰出来るとは思えない。
業火の中に揺らぐ人影が映る。下の階にいた炎使いのソフトモヒカン男の全力すら上回るほどの火力だったが、さすがに違う。焼け焦げた上着を脱ぎ捨て、不死身の男は思いがけぬ幸運を得た顔だった。首の骨を鳴らしながらケタケタと笑う。
「ハハハハハッ!!イイな、やっぱりお前イイわ、李ちゃん!いやー、今のはさすがに効いたぜ!」
「いやどこにどう効いたんですかね・・・。今日は『尻尾』使わないんですか?」
「そりゃだって、ガキ相手にそれは大人げねぇだろうが」
「それ言ったら紺さんの存在そのものが大人げないと感じる今日この頃」
「なっはっは。違いねぇ」
雪姫が紺の名前を聞くのは今のが初めてだった。だが、李は青年の名を呼んだ。つまり2人は知己、恐らくは過去に幾度か刃を交えた間柄であると推察出来た。その意味を思って雪姫は改めて李を見上げた。
「アンタ・・・あいつと戦えるの?」
「そんなの―――」
雪姫の問いかけに対し、李は力強く自信に満ち溢れた顔で振り返った。これが、さらに先を行く者の在りようとでも言うかのようだ。雪姫は思わず目を見張った。
「そんなの、無理に決まってるじゃないすかー」
「・・・・・・え」
「誰があんなのとまともにやりあえるってんですか。アホですか」
「ア・・・!?じゃあアンタなにしに出てきたの!?」
「ふっふっふ。―――逃ぃげるんだよーん!!」
李に腕を掴まれたかと思えば、雪姫はそのまま超高速で引っ張られていた。まるでゴキブリを人間サイズにしたような加速力である。唐突かつ不自然すぎる加速には痛みすら感じなかった。
だが、その2人の前に紺が滑り込んできた。
「まぁ待てよ。もっと遊んでいこうぜ!」
「なんでですか!こっちは帰るってんだからそっちの要望通りでしょうが!!」
「知らん!」
「知れ!!」
紺の蹴りを李は急激な180度の方向転換で回避してそのまま逃げ続けたが、紺もそれを追う。雪姫はそれを迎撃したかったが、下手に魔法を撃つと予測不能な李の動きに重なりかねないと思って振り回されるがままになっていた。
一方で紺の動きを妨げるために李はプロレスのリングロープのように魔法を張り巡らせたが、同じ威力の魔法で相殺されている。
雪姫は走り続ける李に尋ねた。いや、吠えた。
「なんで・・・なんで逃げんの!?あいつ、あいつはっ、人殺しなのに!!なんで!!」
「知らないですよ。遊んでくれてるうちに逃げないと本当に死んじゃうよ?」
「それこそ知らない!あんなの放って逃げるくらいなら死―――っ」
「はいはい」
回り込んだ紺の踵落としに李は回し蹴りをぶつけて相殺した。衝撃で舌を噛んだ雪姫は言葉を途切れさせてしまった。その無言を良いことに李は話し続ける。
「それに、雪姫ちゃん。この人たちは別に良いんですよ。空奈さんは好戦的なので真っ先に仕掛けましたけど、私は穏健派なので無駄な戦闘は避けたいのだよ」
「無駄・・・?」
人を殺めたあの男との戦闘が、無駄?
瞬間、雪姫はやはりこの女とは相容れないと確信した。
「もういい、放して、放してッ!!やっぱりあたしがやる!!」
「無茶言わないでくださいよ。今から紐なし大バンジーの時間なんですからね!!」
そう言って、李はウサギパーカーのファスナーを全開にした。夏なのに暑苦しい衣装の下から出てきたのはいかにも引き籠もっていますといった感じの生っ白い肌と、なぜか、ビキニ水着だった。―――だが、雪姫はそれ以上に奇怪なものを見た。それは、李のパーカーの内側にびっしりと取り付けられた―――。
「魔力貯蓄器・・・?」
数にして30機。それも、全てが超高性能の最新式モデルだった。
そして、服の内側に留まらず、李は腰のベルトや剣にも魔力貯蓄器を複数取り付けていた。
その構えを見て、紺までもがギョッとした。
「オイ、本気か!?」
「いつだってマジですしおすし」
「ざっけろよ・・・!」
その大量の魔力貯蓄器に貯蓄可能な魔力量は、およそ成人の平均魔力量の3倍。もしもそれを一度に全解放したら、なにが起こるのだろうか。
魔力貯蓄器が一斉に発光し、李のへそのあたりに白色魔力が凝集されていく。
「『皚閃』!!」
皚、すなわち、白。
それは白色魔力による『黒閃』と言えるのかもしれない。それはは実物の『黒閃』を操る者から見ればただの紛いものに過ぎない。だが、それはこの世界に生きる人間の中で唯一、李のみが扱うことの出来る、紛う事なき最終奥義である。
瞼を閉じても目を焼くほど壮絶な輝きが撃ち放たれた。