episode5 sect78 ”放任主義”
「それでも、やるんだよ」
迅雷は、紺の目を真っ直ぐ見据えて言い放つ。
「千影を連れて行く?まだ言ってんのか。頭打って立ちたくても立てなかったようなヤツがなに頑張ってんの。ちょっと強く打ち過ぎたんかしら?」
おどけた口調は変わらないが、紺は苛立っていた。
別に頭を打っておかしくなったわけではないし、迅雷だって自分がどれほど頭の悪いことを言っているのかくらいは分かっている。何度も繰り返し粋がったことをほざいて今の無様に辿り着いただけ。挙げ句、首を締め上げられて殺される寸前だ。
―――今までの空っぽな迅雷のままだったら、きっともう諦めていた。いや、そもそもこの場に来ることさえないまま諦めていた。なんの努力もしないで、家のベッドの上で空っぽの胸を抱きかかえ、身勝手に世を憂うだけだった。
金具が揺れる音は迅雷の手元からだった。
「まだ剣を放さないのか。誰になに吹き込まれたのかは知んねぇけど、確かに根性だけは立派なもんだったよ。正直しつこいくらい。お前は、そうだな、千影がお前の死体見りゃ多少はショック受けるかもだしなぁ―――さっきのガキと同じで完全に消し飛んでもらうぜ」
迅雷の喉を掴む紺の手が光り始めた。ゾッと触れたのは彼の生んだ魔法陣だろうか。
「俺はこの技・・・ってほど高尚なもんでもねぇけど、この攻撃を親父の爆裂魔法になぞらえて炸裂魔法って呼んでるんだけどさ。どうやるかっていうと簡単でな?単純に、手の中に特大魔法級の魔法陣を圧縮して、魔法を発動する前に陣ごと握り潰すだけなんだわ。するとビックリ、行き場のない魔力が大爆発するんだ。確か・・・前『のぞみ』で会ったときも見せたよな。あれのもう少し強いバージョンだと思ってくれてイイぜ。大丈夫、痛くはしないからよ」
以前なら。でも、もうそうじゃない―――。
今、迅雷の胸の中には彼の心が生きている。やっと、やっと呪縛から解き放たれた彼自身の望みが。
だから、迅雷は剣を手放しはしない。
けれど、激しい感情に呑まれて紺の手から必死に逃れようとはしなかった。迅雷には同時に、あとひとつ、紺に確かめたいことがあった。
「なぁ、アンタ。どうして、俺をこの先へ行かせてくれなかったんだ?」
「オイ俺の話ガン無視かよ。さすがに寂しいぞ。つかそれも最初に言っただろうが。俺はお前を行かせねぇ。千影の邪魔をさせないために」
「・・・そう、だったよな。でも、なんでだよ。アンタさっき、精神論に意味はないって自分で言ったばっかなのに、それじゃまるであいつのために頑張ってやってますって言ってるみたいじゃんかよ」
迅雷は疑問に感じていた。強い者が幅を利かせるだけなら、紺が迅雷を足止めする理由に他の人間の名前が出てくることがおかしいからだ。解釈の次第ではあくまで仕事として言いつけられているからとも取れるけれど、なんとなく、それだけには感じられなかった。
紺は一時キョトンとし、空いた方の手で短い紺色の髪を掻き毟った。
「・・・?ははっ、ホントだな。参ったなぁ、こりゃ」
「あっさり認めるのかよ」
「そりゃあな」
依然として非常極まりない炸裂魔法の種を迅雷の喉元に押し当てる紺の目には、ほんのわずかに感情が走った。ただ、迅雷にはそれが紺のどんな感情の表れなのかは分からなかった。
ただひとつ、迅雷には分かったことがあった。淡い直感でしかないかもしれない。だから、カマをかけることにした。
「・・・アンタは今千影が上でなにしてるのか知ってるのか?」
「さぁな。ただ知らないなら別に俺がお前を足止めする理由はねぇよ」
また、あっさり肯定された。
でも、最初に紺が千影と一緒に上げていた人物が、もうひとりいたはずだ。
「これももしかしてなんだけどさ。今、上で戦ってるのって、千影とアンタらのボスなんじゃないのか・・・?」
―――でも、そうだとしたら?なおさら迅雷は分からなくなった。ただの仲間割れとは思えない。千影は一体、どこを目指しているというのだ?なにを求めているというのだ?迅雷たちとの関係を断って、今度はこの『荘楽組』とも縁を切るとして、孤独な彼女が行く先はどこにある?
紺は未だ偽物の笑みを浮かべていた。
彼が、もしも彼もそうだとして、さらに分からない。加速して真偽もあやふやなまま展開される迅雷の思考世界の中にあって、紺の振る舞いには謎が多すぎる。
「だからっつってビリビリボウズになんの関係があんの?ないでしょ」
「それで良いのかよ・・・?仲間なんだろ?本当に、それで・・・?」
こんなのは酷すぎだ。それで、この男は放っているのか。首にかかる力も変わらない。
ただ、紺は少し声を低くした。
「アイツのことも碌に知らねぇくせに知ったような顔してんじゃねぇよ」
碌に知らない?それは付き合いの長さの話か?そんなことで語るのか?こんなにも冷たくあの子を放り出しておいて今更そんなことを言い出すのか?
迅雷は、すごく悔しい気持ちにされた。ひょっとしたら、千影に刺されたことすら超えて今日一番のショックだったかもしれない。怒りが込み上げ、迅雷は気が付けば吠えていた。
「だったら・・・だったら、アンタは!!アンタは一体、千影のなんなんだッ!!」
「・・・」
迅雷の激昂に、紺も面食らって目を丸くした。でもすぐに調子を取り戻し、暗く、獰猛に、笑った。それが迅雷にとって望んでいない言い方であると知っていたからかもしれない。本来なら何気ないだけの関係が、いかに陰惨なものだったことか。
「俺はなぁ―――千影のお兄ちゃんだ」
その一言に迅雷は耳を疑った。そんな話を聞いたことなんてなかった。―――けれど。
「お、兄、ちゃん・・・?本気で言ってるのか・・・?」
「そうだぜ。その俺が千影の邪魔すんなって言ってんだよ。見てきた時間の長さが違う。お前は―――」
「フザっ、フザっけんなよ!!」
「!?」
実際、衝撃的だった。でも衝撃的な告白であったからこそ、そしてその言葉を選んで口にされたからこそ、迅雷の憤りは限界に達した。同じ1人の「兄」として、紺の在り方は信じがたく、そして許せなかった。
「フザけんな!!アンタが千影の兄貴だって言うなら!!なんで千影の隣にいてやらないんだよ!!今、たった今、ほんのすぐそこでっ、千影は独りだろうがよ!!」
「よそのやり方に文句つけるなんざナンセンスだろ。それに、それがアイツの望みなんだよ。本当に分かってやれてねぇな、お前は」
「分かってやれてねェのはアンタだよ!!今までアンタはなに見てきたんだよ!!」
「なッ―――」
夜闇に昂ぶる咆哮が閃いて、鮮血が舞った。
床に落ちたのは、紺の右腕だった。溢れ出した血液で足下に海が出来る。しかし紺は肩口から斬り落とされた腕には目もくれず、一歩下がって見開いた目で迅雷を凝視していた。
迅雷は握り締めた『雷神』をゆらりと持ち上げ、鋒と紺の顔を一直線に並べた。
「アンタは千影のことなんて見てなかった。今の俺の方がきっと・・・アンタの何倍もあいつに近いところに立てるよ・・・!」
「千影は誰の手も借りる気もないらしいけどな」
「それはアンタたちがそうさせたんだ!!いつでも一緒に戦ってやれたはずなのにそうしなかった!あいつひとりに重荷背負わせてきたのは、アンタらだ!!」
好きなようにさせてやるのが正解だと思っていたなら、勘違いも甚だしい。我儘を自称するあの幼い少女が今までどれほどの思いを押し殺して健気に全ての責任を負ってきたと思っている。
迅雷を背後から貫き、立ち去る際の千影のあの目を見たとき、迅雷は千影の悲痛な叫びを聞いた気がした。そのとき、迅雷はもう、本当にもう、絶対に千影を独りになんてさせたくないと思ったのだ。
彼らもまた、千影の仲間なのだろうと思っていた。でも違った。紺も、下の階の鍛や焦らも、他の誰も、本当の千影のことなんて見向きもしてこなかったのだ。だから、その全員が最上階の出来事に不干渉。
怒りで頭痛さえした。悲しいのだ。迅雷までもが辛くて堪らなくなるほど、千影のいた世界は歪んでいた。だからやはり、千影は迅雷の手でこの冷え切った狂気の奥底から連れ戻さないといけない。彼女を支えられるのは、迅雷だけなのだから。
迅雷が見据えた紺の目は、なにかを問うようだった。
「言ったよな、物理的な力だけがモノを言うって。そうだろうさ。―――だから、アンタは俺がここで叩き潰す。笑ってられんのは今のうちだぞ、兄貴気取り」
左手首が焼けるように熱くなる苦痛と共に、迅雷は制限されていたはずの魔力が少しずつ漏れ出して全身を駆け巡るのを感じていた。
●
ようやく負傷者全員の手当が終わった。正面玄関2号車に搭乗していた医療班が途中から応援に駆けつけてくれたのは大きかった。
とはいえ、1人で何人もの重傷者を手当するだけでも職業柄初めての経験だったので、由良は魔力もすっからかんで疲れ切り、地面に尻をつけてへばっていた。
医療魔法なんていうのは一般人の目線で見たら手をかざして魔法を使うだけのとても便利な万能治療に感じるかもしれないが、それは嘘だ。
現実にはとても精密な作業で、端から見るだけでは分からないが、大量の魔力を消費する。それ以前に医学的に専門的な知識や、治そうとする対象の元通りの状態を高い再現度で想像するだけのイマジネーションも要するこの魔法は、まさに人の叡智の最高峰のひとつに数えられよう。病院で技術の保証された医療魔法による治療を受けた場合の治療費が異様に高いのも、ここに起因している。なにしろ、習熟した使用者の相対数が極めて少ないのだ。
さて、由良たちの決死の救命作業が完了したところで、3号車組の作戦参加者たちは南口に留まっている1、2号車組と合流することになった。連絡手段がマニュアル式のオーラルコミュニケーションしかない状況に加え、もはや予定していた魔族との会談のことなんて忘れてしまうほどの惨状だ。計画は頓挫、臨機応変と誤魔化して実質の諦めだった。
「クソ、完全に想定外だった!結局奴らはなんだったんだ?それにあの子供も・・・!」
「分からない・・・が、ギルドの方には報告を入れておいたぞ。直に応援も来るはずだ」
「そうか・・・って、応援?報告はどうやって?」
「そりゃスマホで・・・あ」
「電波妨害がなくなってる?」
あれだけ燃え盛ったり凍ったりしているのだ。ビルの中に仕掛けられていただろうジャミング装置は機能を停止していたようだ。何気ない会話でそれに気が付いた瞬間、その場の誰もが肩を落とした。もっと早く気付いていればなにか違ったかもしれないのに、今となっては向こうのマイクロバスが見えてきたところだった。
ただ、中には家族に電話する者もいた。それもそうだ。誰だって家族や恋人のことは一番に持ってくるものだ。話す内容はそれぞれだったが、外との繋がりひとつでも場の安心感が違ってきたのは間違いなかった。
まぁ、どっちにしても、これで通信は取れるようになった。これで事態は好転する。
・・・と思われた。