episode5 sect77 ”意味のある力”
雷光が爆裂し、迅雷はその弾ける白煙の中へ剣を構えて飛び込む。
小細工はなしだ。全身全霊に全力全開を乗算して、今生み出せるありったけ以上の破壊力を絞り出す。
さっきは刀身が負荷に耐えられずに焼けてしまったが、この『雷神』なら耐えてくれる。柄のナックルガードにある魔力貯蔵器に少しずつ貯めていた魔力も全解放した。
この剣と共に戦うことで、ようやく完成する「飛ぶ斬撃」。ずっと絵空事だと思われていた。ここまで漕ぎ着けるのには苦労した。数十センチ飛べば霧散する魔力の塊を投げつけるのがやっとだったのが、数メートルになって、数十メートルになって―――今、『雷神』の刃に乗せることで立ち塞がるもの全てを一直線に斬り拓く鋭利な砲弾として実現させる。
この技は、紛う事なき迅雷の努力の結晶だ。
「『駆―――雷』!!」
煙を斬り裂き吹き散らして、鋭く美しく荒々しく、三日月型の雷電が青年の体を捉えた。
もう途中で魔力の結束が乱れて掻き消えたりなんてしない。真っ直ぐ、綺麗に、どこまでも強く突き進む。邪魔する一切を斬り伏せ、闇をも払い、雷は駆り抜ける。
青年に直撃した『駆雷』は最後に大爆発を起こした。閃光に目が眩みそうになるが、迅雷はまだ立ち止まらない。彼が知っている薄ら笑いの怪物は、悔しいけれど、迅雷の全力の一撃を浴びてもきっとけろりとした様子で煙の中から顔を出すはずだ。今の『駆雷』が青年に当たって砕けたのが証拠である。
だからこそ、迅雷はまだ走る。今と同じだけの力を、次はゼロ距離から叩き込むために。
「うおおおおおお!!」
空気中に残留した雷魔法の残滓も全部吸い込んで、『雷神』は再び黄金に輝いた。迅雷はその刃を煙の中の敵に向かって突き立てる。
そして―――。
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
―――手応えが、あった。
皮膚を裂き、肉を貫き、骨を突く感触。相手は人、でも、このまま斬り裂くことを躊躇してはならない。止まるな、留まるな、そんな中途半端な覚悟で戦ってなんていない。今一度、剣に力を込める。
「デカい口叩いといてこんなもんかよ」
「ッ!?」
青年の落胆したような声が聞こえると同時、グン、と意図せぬ方向へ大きな力がかかった。急激な慣性力を受けて、剣を握る手首や肘、そして肩までもが一斉にミシリと悲鳴を上げた。まるで引き千切られるかのような痛みだ。
「ぁがっ、く、くそッ!!」
暴風。
煙が晴れ、青年の顔が覗く。
迅雷は反射的に『サンダーアロー』を唱えて青年の顔面へ放ったが、その雷撃は青年に触れるより先に掻き消された。直後、剣が青年の肉体からすっぽ抜けた。
投げられ、迅雷は薄い壁を突き破り、中にあった机や椅子を盛大に破壊しながらオフィススペースの中を跳ね回った。
「ぁ・・・がっは・・・」
なぜまだ体が動くのかすら不思議に思う有様だった。自分が転がった痕はまるで自動車がノーブレーキで突っ込んできたかのようだった。視界が上からジワリと赤く染まり、それを手で覆おうとしたとき、腕にデスクや椅子に使われていた金属部品の破片が刺さっていることに気が付いた。見るまで分からないとは、痛すぎて痛覚が飛んでしまったのか。
なんにしろ、あんな無造作な腕の一振りでこのザマだ。『ゲゲイ・ゼラ』の爪の一撃を想起して、青年の至って平均的な太さの腕に目を疑う。あれは本当に人間なのか?
「いや・・・怯んでる場合じゃないよな」
既にボロボロだが、負けたわけじゃない。こんなことで簡単に諦める気なんてない。邪魔になるから、血が出るのを承知で体に刺さった破片を抜き、放り捨てた。まだ大した傷ではない。迅雷はまだ戦える。
ただ、軽いカウンターですら、もう食らえなさそうだ。まったく、恐ろしく強大な敵である。
瓦礫を踏み砕く音がした。迅雷はもう一度10個の『サンダーアロー』を展開、収束して『パニッシュメント・アロー』を放つ。だが、青年はそれを片手で掴み取り、そのまま握り潰してしまった。
「ごめんな、ビリビリボウズ」
そういえば、初めて彼が迅雷たちの前に姿を現したときも、矢生が本気で放った雷の矢を素手で掴んでいたか。さすがに程度がふざけているが、つまりあの青年も―――。
「俺も黄色なんだわ」
青年の手元で火花が瞬くのと迅雷が横に跳ぶのは、どちらが先だっただろうか。一瞬でデスクの残骸で出来た山脈が蒸発した。
「ってこと、だよな。―――しかも、これほどか」
キレイサッパリ、一直線になにもなくなった空間を見てゾッとする。あんなものを食らえば青年が愉しげにしていた殺害予告の意味そのままの結果になることだろう。
「へぇ!まだそんだけ動けんのか。思ったより根性あんじゃねぇか、ビリビリボウズ」
「うっせぇな。あとビリビリボウズじゃない。俺には神代迅雷っていうちゃんとした名前があるんだよ。変な呼び方すんな」
「そうか。あ、ちなみに俺は紺だ。紺色の紺で、『コン』って読むの。よろしく」
自己紹介をする流れではないのにニコニコ笑顔で丁寧に自分の名前を教えてくれる青年―――紺は、間違いなくまだまだ余裕なのだ。
迅雷は強がり半分でスムーズに立ち上がり、口の中の血を吐き捨てた。剣を構え直し、強く握る。
「まだやる気ってことで?」
「当たり前だろ。最初から言ってるだろ、俺は絶対に千影を『いつも』に連れ戻すんだよ」
「『いつも』は言ってなかった」
「揚げ足とるのが趣味なのか?」
「うん、楽しいよな人を怒らせるのって」
「うわぁ、マジで叩っ斬りてぇ。いや、斬る」
「でも体はガタガタだろ?ムリすんなって。どうせ下で鍛あたりにでも引き返せって言われただろ?俺も別にあいつらが思ってるほど鬼畜じゃねぇから今帰るんなら見送りつきで帰らせてあげるけど、どうする?」
「余計なお世話だよ。こんくらいなんてことねぇし。それに千影連れ帰るためだったら俺はまだ戦える!」
鋒を突き付ければ、紺は肩をすくめた。せっかくの良心を無碍にされた人のリアクションみたいだ。いや、実際そうだったのだろう。彼にとって迅雷を殺すも殺さないも気紛れで選べる結果に過ぎない。
「意志の力・・・ってヤツか」
「そうだよ」
でも、紺は迅雷の答えを聞くと頭痛でもしたかのように手で頭を押さえ、低く唸った。紺の声にわずかだが、余裕と嘲弄以外の感情が混じった。
「ハッ。ハッ、ハハハハハ!くっだらねぇ!!」
来る―――そう直観した次の瞬間には紺の靴の裏が目の前に大きく見えていた。
それを迅雷は避けた・・・はずなのに、吹き飛ばされた。風圧だ。
迅雷は『雷神』を床に突き刺して勢いを殺そうとしたが、止まるより先にこめかみ目がけて拳が飛んでくる。迅雷は直感に身を委ねて『雷神』の刀身でそれを受け止めたが、衝撃は殺しきれなかった。刃越しに殴られた迅雷の体は宙を舞う。だが、なんとか耐えてみせた。意識は手放さない。けれど、今のはマズかった。『雷神』の強度でなければ紺のパンチはほとんど直撃同然の威力を保って迅雷の頭部を弾き飛ばしていたに違いない。
痛みを振り切る為に苦しい呻き声を上げながら、迅雷は身を翻して天井に着地した。そのまま『駆雷』を撃つ。だが、紺は大袈裟に仰け反って遠距離斬撃を躱し、転びそうな姿勢を捻って床を蹴り、天井の迅雷を狙う。
紺の左手で光が弾けた。電気だ。雷光を帯びた手刀は確実に迅雷の喉を貫ける直線を描く。
これは、躱せない。逃げるために挙動が隙になる。そして隙を見せれば首の代わりに手足を切断されるだろう。ならばと迅雷は『雷神』の鋒に雷を集中させ、天井を蹴った。
「俺とかち合おうってか!!イイね!!」
「『一閃』!!」
今の一合で確実に右腕の関節の噛み合わせが悪くなったはずだ。でも―――。
強引に筋肉の繊維を切断していく気味の悪い感触。
ビニルホースの先を摘まんで放水したときを思い出す勢いで、視界に赤い液体が飛び散った。
「ッ!!」
「――――――」
空中で身をよじり、迅雷は結末を見る。
迅雷の高速の突きは確実の紺の右腕を肘に至るまで縦に裂いたはずだ。
裂いた、のは間違いなかった、のに。
「おい・・・」
どんな神経をしているのだ、この男は。
「痛みを感じてねぇのか!?」
紺は先分かれした右腕から溢れる血を振り散らして迅雷に浴びせてきた。
反射的に目を瞑り、迅雷は目潰しを防ぐことには成功した。その直後、空気を押し潰すような音を感じ、迅雷は跳ねるほどの勢いで上半身を畳んだ。
すぐに紺の左手が紫電を撒き散らしながら迅雷の首を刎ね飛ばす高さを横切り、目を開くと迫る膝。『雷神』の腹で受ける。だが、防御して防げる威力ではないのなんて経験で分かっていた。
迅雷は砲弾のように弾き出され、まだ無事に残っていたわずかな壁のひとつに頭から突っ込み、そのまま貫通して廊下に転がった。
後頭部を強打して目眩がした。頭蓋が割れたのではないかとゾッとした。それでもまだ倒れるわけにはいかない―――のに、立てなかった。
「ぇ・・・・・・?」
完璧に、脳震盪を起こしていた。
体が自分の意志では動かせない。まるで綿袋だ。
迅雷の状況を察したのか、紺の動きは再び緩慢になった。小指で耳の穴をほじりながらゆったりと歩いて―――。
「・・・・・・!?」
―――今、あの男はどっちの手で耳をいじっていた?
倒れ伏し、身じろぎひとつ叶わない迅雷の前に立った紺は屈んで彼の首を掴み、持ち上げる。―――真っ二つにされたはずの、右腕で。
締め上げられる中で、迅雷は呼吸が出来なくなる以上に異常な事態を目の当たりにしていた。
あの感触は幻だったのか?あの剣と手刀の一合で確かに得たはずの手応えは錯覚だったとでも言うのか?本当はちょっと傷をつけただけ?いや、でもそれならあの出血量はおかしい。でも、ならなぜ今、迅雷は破壊した右腕に締め上げられているのだ?
この数秒のうちに迅雷が気付くこともないまま再生したとか、そんな馬鹿げたことをいうつもりなのか?
考えたら、さっき刺し貫いた傷もない。思い返せば、右腕の小指だって自分で斬り落としていたじゃないか。全部元通りになっている。まるで今まで一度も怪我なんてしたことはありませんよ、とか言っているみたいじゃないか。
おかしい。異常だ。異常すぎる。今更ではない。異常だと思っていたその次元を普通であると認めてまだ異常と断じられるほど、紺の能力は未知数だった。
なにげないパンチとキックのひとつひとつがオーバーキル。迅雷の魔法は同じ属性の魔力を持つ彼には届かず、遂には傷を負わせることすら出来ない。そもそも攻撃自体になんの意味もないのだ。
「もう分かっただろ。意志の力・・・アイツのためなら力が湧いてくる・・・仲間たちの力・・・くだらねぇ。笑わせんな」
「・・・・・・」
笑わせるもなにも、最初からずっとニヤニヤと気味悪い冷笑を浮かべたままの紺は、迅雷の目を真っ直ぐに見据えて言い放つ。
迅雷は、紺の黄色く淀んだ底なしの闇に吸い込まれる気さえした。表情筋はこんなに愉快そうに緩んでいるのに、彼の目はまったく笑っていない。冷え切って、まるで解かす手段のない絶対零度の氷のようだ。絶望と悪意と悲嘆と憎悪と嘲弄と怨嗟で黒より黒い瞳孔の奥底。
「イイか、ビリビリボウズ。本当の力ってのはこういう力のことを言うんだよ。腕力権力財力原子力、なんだってイイ。そういう物理的な力だけがモノを言うんだよ。精神論なんてなんの意味もねぇ」
「・・・・・・で、も」
「あ?聞こえねぇよ」
「それ・・・でも、やるんだよ」
紺は苛立っていた。
迅雷の目は、まだ強く輝いていたから。