episode5 sect72 ”卑怯のなり方”
またしても不意を突くように、ドォ、という爆音がした。ビルの外からその音源を見上げた由良は爆炎の代わりに舞い散るそれを見て目を丸くした。
「は、花!?あれってお花ですか・・・?」
由良たちが目にしたのは、綺麗な花吹雪が魔力に耐性のある材料で覆われたビルの壁を粉砕する光景だった。美しい薔薇には棘があるとは言うが、見るに薔薇だけではない上に棘どころの威力ではない。
風に舞って地上の降り注ぐ極彩色を見上げ、由良は祈るように手を組み合わせた。あのような魔法を使える人材は萌生をおいて他にいない。彼らはまだ無事なのだろうが―――。
「豊園さん・・・神代くん・・・他のみなさんも、どうか無事でいてください・・・!」
最上階の爆発は断続し、今やビルのあちこちから煙が上がっていた。
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「す・・・」
これが、マンティオ学園が誇る日本国内で2番目に強い学生魔法士、豊園萌生の真の実力なのだ。
フロアの中を余韻に揺れる鮮やかな花弁が舞い、床にはそれで絨毯が出来ていた。だが、迅雷はその美しさよりも壁に空いた大穴を見て唖然としていた。
「すごい・・・」
「あら、どうも」
あれほどの大破壊を引き起こした張本人は優雅な笑みと共に迅雷に振り返った。
一撃だった。あんなにいた敵が、今の魔法ひとつで全員どこかへと吹っ飛ばされた。圧倒的すぎる。これが特大魔法の威力。
「はは・・・やっぱ全然敵わないですね、まだ」
「それは私にってことかしら?だとしたら、そんなことはないわよ。なにせ私だってまだ、神代君が時間を稼いでくれなかったら今みたいな大技は使えなかったもの。結局1人では戦えないってことね」
「―――そうですね、1人じゃなんも出来ないですよね。とにかく、助かりました」
「うふふ、ありがとう、私の方こそ助かったわ」
以前本気で頑張れば萌生とも互角にやり合えるかも、などと思い上がったことのある迅雷は、過去の自分がいっそう馬鹿らしくて反省した。萌生は確かに『マンティオ学園最強』だった。実質的にであればたった1人の例外を除けばの話になるが、少なくとも萌生の存在はそれに相応しい格を持ち合わせている。
とにかく、なんとか全員無事に4階の戦闘も攻略出来た。疲れ果てた大学生の佐藤を担いだジャージ女の篠本や、未だ一定の余裕は保っているナイフ男の狩沢は萌生のもとに集まってきた。最初に感心を口に出したのは同じ女性である篠本だった。
「豊園さん、今のはすごかったわね。助けられちゃったわ」
「えぇ、とっておきでしたから」
「・・・なるほど。その様子からして、そう何発も撃てるようなものではないのよね」
「ごめんなさい。まだまだ未熟なもので。恐らくあと1発が限度です」
「そんなことはないわ。十分すごいことよ」
元々高校生の段階で特大魔法が使えるだけでも規格外なのだ。萌生が謝ることなんてなにもない。
2人の会話を聞き流しながら、迅雷は周囲を見渡した。床にバタバタと倒れている『荘楽組』とやらの組員たちは、この様子ならしばらくは動けないだろう。
「この人たちも・・・千影の仲間、なんだよな」
そう思うから、迅雷は少しだけ剣を振るうことが恐かった。彼だって冷酷ではない。
考える目をした迅雷の背中を狩沢が叩いた。鋭い剣幕で彼は怒鳴る。
「だからなんだって言うんだ?いや、だからこそ、全員とっちめてやるんだよ!」
「まぁ・・・そうなりますよね」
迅雷は苦笑して誤魔化した。分かっている。それを承知の上で迅雷は狩沢たちを仲間として連れて来たのだから。
それから迅雷は、床に座り込んでさっきから一言も発しない佐藤を見やる。
「俺は・・・すぐにでも上に行きたいんですが―――魔力切れですよね、佐藤さんは」
「・・・悪い」
一番頭に血が上っていた彼が、一番初めに魔力切れを起こしてしまった。怒りが力を増したように錯覚させるのは、結局ただの魔力の浪費である。やはりこういう状況下にあっても最低限の冷静さは必要だ。しかし、一方で彼の獅子奮迅の活躍があってこそ、ここまで来られたというのもある。
「俺はもう戦えそうにねぇから、置いてってください。・・・俺は下に降りてもっかいみんなに呼びかけて増援に来させますから。あんだけ来といて、連中、情けねぇよな」
「1人じゃ危ないわ。さっき倒した連中がまた立ち上がってかかってくるかもしれないもの。私が一緒に降りるから」
「ん・・・そ、そうっすね。すんません、頼みます・・・」
もうひとり、篠本が佐藤に肩を貸した。歩くことすらままならないバイタルを自覚している佐藤はそれを素直に頼る。
佐藤は下に留まった他大勢の魔法士を情けないと言ったが、そんなことはない。冷静さが重要と言ったが、そもそも冷静ならビルにたった5人で突撃することを良しとするはずがない。それを分かっているのは、この場では迅雷だけだった。
篠本が佐藤を担いで歩き出した。彼女は最後にもう一度振り返る。
「ごめんなさい。応援呼んだらすぐに戻るわ」
「いえ、本当にありがとうございます。よろしくお願いします」
「あぁ、頼んだぜ」
萌生と狩沢が篠本らが慎重に階段を下りていくのを見送った。
迅雷は上の階への階段を見上げた。
直後、ゴッ!!と足下が揺れた。地震かと思ったが、違う。震源は上だ。爆音が下にまで轟いてきた。
あの先に、その場所に、千影がいる。そして、そこではなにかが起きている。そう思うと、自然と足が動いた。
「―――早く行こう。行かないと」
「待って神代君!増援を待ってからでも・・・!」
「そうだぜ。もう俺たちだってキテるんだ。こんな人数で進んだって無駄だろ。もう一度あの集団に囲まれてみろ。今度こそやられちまう」
―――そんなことは分かっているのだ。分かっているが、分かっていても、そんなことは関係なくて、純粋に迅雷はこの先に進まないといけないのだ。なにかを待っているほどの余裕はどこにもない。
苦しくなって唇を噛み、迅雷は吠える。
「それはそうかもしれない―――けど!今すぐ行かなきゃいけないんです、俺は!」
「・・・?本気の目だな、お前。正気か?」
「正気です!」
「・・・そうかよ」
こんなところで応援を待つなど、それこそ時間の無駄だ。こうしている間にも千影の背中はどんどん遠くなっていく。二度と届かなくなるその前に、迅雷はあの無茶ばかりの重荷を独りで背負った肩を抱き留めないといけない。
だが、今の状況は迅雷にとってピンチであると同時にチャンスでもあった。最終的には、迅雷が取る立ち位置は現在の仲間にとっての敵になる。だから、千影の前には他の誰も連れて行く気はなかった。つまり、2人も抜けた今が迅雷にとっては動きやすいタイミングなのだ。悪い言い方をすれば、力を貸すと言ってくれた人たちをロケットのブースターのように扱うようなものだ。
そんな彼らがここで行かないと言うのならそれでも良い。それで引き止めるというなら、迅雷は卑怯になるつもりだった。ここで立ち止まらないために、先へ進むために。
「今行かなかったら、取り返しのつかないことになるかもしれないんですよ!」
「!?」
「千影は取引がどうとか言ってた。・・・きっと、マズいものなんです。これだけの人を巻き込んで苦しめるような、なにか」
萌生は幾分落ち着いてきて冷静に見えるが、狩沢は全て怒りに任せて飛び込んできた男だ。迅雷が煽ってやれば、なんということはなかった。加えて今の爆音だ。上でなにか起きたことは迅雷でなくても分かっている。脅す要素としては十分だった。
おかげで、待っている隙で手遅れになる可能性を示唆してやれば、すぐに迅雷についてくれた。なにが手遅れになるのかも分からないのに。
ただ、確かに迅雷にとっては手遅れになるのだ。
「神代君、それは無茶すぎるわ!勢いでなんとかなるものじゃないわよ!」
「豊園先輩・・・すみません。バカなこと言ってるのは分かってるんです。でも―――」
萌生は賢い少女だ。でも、迅雷にはどうしても彼女の同意と協力が必要だ。馬鹿げた煽り文句が無駄なのも分かっていた。
でも、萌生は心の広い少女だ。だから、迅雷は彼女には本心を伝えておくことにした。それで駄目と言うなら、ここで振り切ってしまおうとも思っている。
そっと口元を萌生の耳に寄せて、迅雷は囁く。
「千影を、俺たちのところに連れ帰るんです。もう一度、一緒にいつもみたいにやってけるだけで良いんです。だから・・・先輩の力を貸してください」
「・・・ッ!?な、なんのつもりなの、神代君・・・?」
「なんのつもりとかじゃなく、俺はただ、あいつを連れて帰りたいだけなんです。まだ言えてないことだってあるんです。それに、千影は別に危険な存在なんかじゃない」
「でも、あの子は私たちを攻撃したわ」
「じゃあなんでみんな生きてるんですか・・・先輩なら分かるでしょう?」
「・・・・・・はぁ。なんでもう・・・君って子は」
狩沢にさっさと行くぞ、と急かされた。あちらの単純はやる気十分で先頭を切ってくれている。
萌生は迅雷と狩沢を交互に見て深く溜息を吐いた。とっくに体中怪我だらけのくせに、この3人の中で一番の若輩で実力だってあんなに強い敵たちと戦うには不十分のくせに、それを分かっているくせに、それでも進むことが正しいと信じて疑わない迅雷の優しい笑み。萌生はまだ反対だ。千影のことなんて信用出来っこない。こんな、少し待てば避けられるような危険を冒す理由なんてない。ない―――けれど。
迅雷が萌生に手を差し伸べた。彼の先輩としてなんとしても止めないと駄目なはずなのに。
「―――分かったわ。付き合ってあげるわよ。君のその、呆れたワガママにね」
迅雷と千影の間にあるなにか確かなものを感じてしまった萌生は、彼の説得を諦めた。敵を連れ戻してまた一緒に過ごしたいだなんてふざけている。でも、それを言うなら萌生だって馬鹿だった。
「ここまで来ちゃったんだもの。十分呆れたことをしたものだわ。こうなったらとことん、よね」
3人の意見が揃ったことで、迅雷たちは次の階へと進んだ。次はこちらから仕掛けられるように各々が魔法を発動する準備を済ませた状態で階段を上がる。
先陣を切る狩沢が確認を取る。
「いいな、3カウントで一斉に飛び指して3方向に対処するぞ」
「「了解です」」
「スリー、ツー・・・ワン、ゴー!」
緊張を極大にして5階の床を踏んだ迅雷たちだったが、彼らの予想を裏切って押し寄せる不意打ちの荒波はなかった。
だが、首を傾げる必要はなかった。敵は待っていた。2人堂々と、正面に仁王立ちで。
その男たちは、下で千影を出迎えたあの2人だった。