episode5 sect69 ”嘘でホントなまことはペテンなのか”
空奈から伝わってくる、地面の上を広がる水のように静かに、しかしそれでいて噴き出す蒸気のように激しい闘争心に研は脂汗を滲ませた。前に立つだけでも命を削られるほどのプレッシャーだ。心拍数は激しく上昇していく。顎に溜まった汗の滴を手の甲で拭う。
「オイオイ、マジでやる気か?」
マジもなにもない。今までの戦闘も十分激しかった。
ぶっちゃけると、もう2人は十分戦った。ここで空奈が研を見逃して撤退したって誰もそれを咎めはしない。それは空奈自身もよく分かっているはずなのに、あの様子だ。
「こ、これ以上やったって互いに無益だぜ」
「分かっとるよ、そないなこと。でもな、今、ウチめっちゃ燃えとんねん。もうちょっとケンカに付き合うてぇや」
「・・・この戦闘狂め」
「人聞き悪いこと言わんといて欲しいわぁ。人は目の前の楽しみに飛びつくもんやろ?ウチのその楽しみっちゅうのがこれなだけやねんて」
「だから言ってんだよ。そういうとこは冴木なんて紺と良い勝負だぜ」
「いやいや、さすがのウチも相手は選ぶよ?」
それは余計にタチが悪い―――研がそう言うより先に、空奈が動いた。
「っせぁ!」
「ぐぁ!?」
この女、本当に素手なのだろうか。魔力を使っていないとは思えない重い拳から身を守り、研は歯を食い縛った。光の盾がなければ厳しかった。
研がガードに集中したタイミングで、空奈はすかさず後ろ手にコッソリ魔法を展開する。
「読めてるんだよ!!」
「さすがにアカンか」
試験管をちらつかせれば、空奈は追撃を諦めた。豪快な動きに隠せば魔法を撃ち込めるかと期待したが、さすがに研もそこまで甘くはなかった。余裕がないように見えて彼は確実に空奈の次の手を行く通りも頭の中にストックしているのだろう。
炸薬の脅しで身を守った研は、しかしそこで終わらない。なにも炸薬は護身用以外の用途がないわけではない。研は空奈の拳を受け止める盾を少しだけ手前に引いた。それで空奈がバランスを崩すわけではないが、彼はその一瞬に出来た隙間に炸薬の入った試験管を放り込んだ。
そのまま、試験管にシールドバッシュ。当然、叩き割られた試験管の中身は光魔法で構築された、いわば魔力の塊である盾に触れ―――。
光が吹き荒れた。
「くぁっ!!おんのれ、どついたる!!」
「至近距離の爆発受け流すなこの人外め!!」
「人外は心外や、なんつって!あーはっははは!!」
「寒いんだよバーカ!」
「うっさいわボケェ!」
あの一瞬で、空奈は身を捻って爆発の威力を逃がしていた。
だが、受け流したとはいえ無事ではない。吹っ飛んだ分の合間を瞬間的な筋力強化で詰める。でも、考えてみれば別に魔力の使用を遠慮する必要なんてなかったことに空奈は気付いた。それは研の立ち回りを見ていれば明らかだった。
要は、あの光爆薬を触れるか否かのところで『マジックブースト』を完全解除してしまえば良いだけだ。その心配がないならわざわざ攻撃の手を緩める理由はない。
「そぉい!!」
「ちっくしょ・・・ッ!!」
殴る。
勢いのまま体を捻り、拳と同じ斜め上から叩き落とす軌道で踵落としを繋げる。
振り抜く足を地に着けるより速くもう片方の足を薙いで光の盾に膝を叩き込む。
全ての打撃を、直撃の瞬間に合わせて魔力で強化する。高総戦の1年生決勝で両選手がやっていた技術の、より洗練されたものだ。緻密に計算された必要最低限のコストで必殺の一撃を繰り出し続ける。
派手な断裂音がフロアに響いた。光魔法の形成装置が過負荷に耐えきれず内部から破損したのだ。
板状に固められていた魔力はその制御を失って、ガラスのように砕け散った。
よろける研の胸板に空奈は肘を叩き込む。研は後ろに逃げてダメージを軽減したが、もはや誤差程度でしかない。胸骨にヒビが入ったのは確実だった。それなりの手応えを得た空奈は跳躍して畳み掛ける。
「次でフィニッシュや!」
「―――えぇああ!!」
3機いた結界魔法発生ユニットが2人の間に入り、空奈のドロップキックを受け止めた。ガシャア、という暴力的極まりない破壊音が連続した。バリアどころか機械そのものが蹴撃によってぶち壊されたのだ。
しかし、研も苦労して作ったそれらをただでくれてやることはしない。バリアに勢いを減衰された空奈はまだ空中にいる。逃げる手立てはない。砕け散る機械の破片の奥で、研の投げた試験管が爆発する。
「ま、たかぁ!!」
今度は躱せない。
もろに爆発の威力を受けた空奈はフロアの端からもう一端までをノーバウンドで吹っ飛ばされた。
遠目で分かる研の嘲笑。また踊らされた。だが、空奈もやられっぱなしではいられない。離れた今なら魔法の使用に問題はない。水球を着地予想点に作り出して身を翻し、水の上に着地する。
まるで忍者のように水の表面に手足をつける技術は、地味にハイレベルな魔法だ。
とにかく、水を使って激突時の衝撃は殺した。ガラス片が掠めて切れた頬を伝う血を拭って捨て、空奈は深呼吸をした。
「しぶといやっちゃなぁ」
「どっちがだ」
胸を押さえて苦しげに息を吐く研は、しかしどうも異常に疲れている。なにか胸部の痛みとは別に彼にはそのスタミナを大きく消費する原因があったということだろうか。だとすれば―――。
「なんや、あの盾の魔力は自前やったんか」
「だからさっさとどっか行ってくれっつってたんだよ。ありゃ急ごしらえの未完成品だったんだよ。バカみてぇに魔力食うんだ」
「なら壊したったんやし、ウチには感謝しぃへんとあかんな。これで貸し一や」
「なんでやねん。頭沸いとんのかワレ」
空奈は研のイントネーションが全くなっていない似非関西弁にムッとしつつ、次の行動に移るために足場にしていた水の球を解いて小分けにし、周囲に漂わせた。研に提示する次なる攻撃の合図だ。
「ま、なんにせよあんたを守る壁はもうない。そろそろ魔法、撃たせてもらうで!!」
「おっと待った。良いのか?撃っちゃって」
「・・・なんや、まさか、この距離でも届くんか?」
「あぁ。届くぜ」
研は試験管を数本チラつかせて空奈を制止した。例え彼の言うことがハッタリだとしても、これ以上あの爆撃を受けるのは好ましくない空奈にとっては、魔法を躊躇する理由にはなった。
「俺も爆発から身を守る手段はなくなっちまったけどよ、そんでもここでテメエを通すわけにゃいかねーんだよ。仕事だからな」
「やる言うたらやるんやろな・・・。相打ち以下になってしもたらなんの意味もあらへんし、分かったよ」
「お、引いてくれんのか?」
「アホか。そんなわけないやろ」
周囲を漂わせていた水を引っ込めて、空奈は無防備なまま研に歩み寄る。
「こうなったらとことんや。拳であんた気絶さして上に行くだけの話や」
「ウッソでしょコイツ・・・」
とっくに勝負はついている。研の負けなのだ。それなのに、空奈は引いてくれない。
目の前で堂々ファイティングポーズを取る空奈に、研はもう諦めた。
「―――さぁ、最終ラウンドや」
「あぁ、とことんきばっていこうじゃねぇか」
なんて言った直後、研はファイティングポーズを取るより先に手に持っていた試験管の液体を空奈に浴びせた。
1本分、せいぜい10ミリリットルやそこらの透明な液体が、咄嗟に交差された空奈の腕を濡らす。
「・・・?なんやねん急に。ウチに爆薬塗ったところでムダやで。心配せんでも一切魔力は使わへんし」
「あー、違うんだよなぁ。それ、実は別のクスリなんだよ。新開発の」
「・・・・・・は?」
平然と放たれた不穏な言葉で空奈は思考停止した。ずっと研が持っているのはあの炸薬だけだと思っていた。いや、思わされてしまった。それがそうではなかったと気付くときにはもう遅い。得体の知れない液体を肌に浴びてしまった。少し、皮膚が焼けつくような気がした。
―――いいや、気のせいだ。そうに違いない。
空奈は自分に言い聞かせる。信じればそれこそ研の思う壺だ。
「・・・これ、なんの薬?塗ったら肌荒れでも治るんか・・・?」
「無理して笑うなよ。そんな心配しなくたって大丈夫さ。安心しな、れっきとした毒薬だからよ」
「ウソやッ!!ウチには分かるよ!!」
強がりでは安全は得られない。研が得意なこと。魔法工学と―――化学。今まで彼が生み出してきた卑劣な劇薬の数々を思い出せ。
ブワリ、と全身の汗腺が口を開く。空奈はシャワーでも浴びた後のようだった。腕が、熱い。
「効能知りたいか?」
黙って、空奈は頷いてしまった。この期に及んで研がなにを言おうと信用出来るはずがないのに、なぜか彼の口から毒というのは嘘だと言って欲しいと考えてしまうのだ。それは研が作った本人だからこそなのか、単純にこの場にいる他人が彼しかいないからなのか、それは空奈にすら分からない。ただ、安心したいだけなのだ。
だが、そんな優しい言葉が出てくるはずがない。いくらでも、分かっていたはずなのだ。尋ねる前に研を殴り倒してしまった方がずっと良かっただろうに、それが出来なかった。
「腕、見てみろよ。毒被ったところ、かぶれてるだろ?」
研に言われ、見たくもないのに空奈は自分の腕を見てしまった。液に触れたところから、ジワジワと、しかしながら実際は目に見える速さで赤斑が広がっていく。ゾッとした。
「なん、やねん・・・」
「初めは熱いはずだぜ。そいつに触れたら最後、全身が壊死してオダブツさ」
「・・・いやや」
「そう言うなよ。コイツ、疲労回復には効果テキメンなんだぜ?なんたって一瞬でポックリ、楽になれちまうんだからなぁ!はっはっは!」
「ふッ、ふざけんなやッ!!なにしてくれとんねんコラお前ェ!!」
激昂した空奈の突きを、研は容易に躱せた。余裕のないヤツの必死な抵抗ほど動きを読みやすいものはない。冷静になれば素人でも見切れるものだ。女の拳でビルの壁に穴が空くが、よもや研にとって空奈は危険ではない。
こうしているうちにも空奈の皮膚は赤みを帯びていく。ゾワゾワと虫が這い上がってくるような不快感が半身を覆い尽くし、顔に至って口元や鼻先で蠢く。
「うっ・・・お、げぇ・・・!?なん・・・」
「ほら、腕の方はもう壊死が始まってるみたいだぜ」
「っ!?」
見れば、赤の上から黒に近い紫が広がり始めていた。空奈は死に物狂いで洗い流そうと水を操るが、なんの効果もなかった。残酷なほどゆっくり確実に皮膚の色が変わっていく。
「ウソや、ウソや、ウソや・・・こんなんウソやぁぁぁ!!」
どうしてこんな目に遭っているというのだ。つまらない死に方だけはしたくないのに、こんな。
嘘だ。気のせいだ。そう考えねばいられないのに、そう考えると考えるほどに苦しみは現実へと落とし込まれ、嘘でもなんでもなくなっていく。そろそろ、皮膚の感覚が消え始めたような気がしてきた。終わりが近いとでも言うのか。
「こんなんで死にとうないよ、ウチは!!死ぬときはアホみたいな大物と刺し違えてカッコ良く死んだろうって決めとんねんからなァ!!」
「俺が知るかよ。じゃあな、冴木空奈」
別れの言葉を告げられたそのとき、空奈の中のなにかがプッツリ切れた。