お正月特別編!
あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!
さて、お正月特別編ということですが、今回はあの子もいつもと違う様子で登場します。そして平和です。案外時間をもてあますお正月の暇つぶしにでも是非読んでいってください!
『悪いね、わざわざ買い物ついてきてもらっちゃって』
『いいっていいって。今更遠慮するような仲でもないじゃん?』
『え?あ、あぁ、まぁ・・・そっか、そうだよね』
迅雷はスーパーの買い物袋を両手に提げて、冬の静かな街を歩いていた。
今彼の前を歩いているのは、とある美少女だった。たまたま買い物に行く途中だった彼女と出会った迅雷は流れでその荷物持ちに名乗りを上げたのである。まぁ、そう甲斐甲斐しい理由ではなく、単純にせっかく会えたのだから一緒にいたかっただけなのだが。
出会った頃はいろいろあったが、そのあとこれこれしかじか、またいろいろあって、今の2人は所謂恋仲になったらしい。だから、今更遠慮する仲ではないだろうと迅雷は言ったのだ。
深々と降る粉雪は、2人の体を避けるようにふわりと舞う。あまりに自然とそうなっていたので、迅雷はそれに気付くのが遅れた。
『そういえばなんかコートに雪つかないって思ったら、そういうことか』
『これなら傘差せなくても濡れないで済むでしょ?』
『だな。助かるよ。にしてもホントに便利な能力だよな』
『迅雷だって電気を操作出来るのは便利だと思うけど』
『またまた。さすがに敵わないよ。汎用性違いすぎるって』
『ふーん。まぁ、あたしもそう思うけど』
ここで遠慮しないあたりは自信家な彼女らしい。
2人はそうして他愛ない話をしながら歩き続ける。目に障りそうなくっつき合いがあるわけでもなく、かといって距離があるわけでもない、絶妙な雰囲気だった。
迅雷は、自分の家とは正反対にある、彼女の家に到着した。意気込んで荷物を持ったのは良いが、ここまで意外とかかって、心なしか腕が疲れた気がしていた。いや、きっと最初から疲労が残っていたのだ。そういうことにして、自分への言い訳を終えることとした。
彼女は家の玄関までで大丈夫だと言うので、迅雷は買い物袋をそこで手渡した。
『それじゃ、俺はもう帰るよ』
『あー、待って待って。冷えたでしょ?なんか・・・んー、コーヒーか紅茶か飲んでってよ』
『いやぁ、もうこんな時間だし忙しくなるだろ?悪いって』
『遠慮は要らないんじゃなかったっけ?』
『そうでした』
元々迅雷も迅雷でおつかいに走らされていたところだったので、さっさと牛乳と卵を持って家に帰らないといけなかったが、せっかくの、彼女からのお誘いである。半ば強制力を感じながら迅雷は靴を脱いだ。
迅雷はおつかいの旨を話したので、結局本当に軽くお茶だけして帰ることになったのだが、お邪魔するならお邪魔するでもう少しゆっくりしたいところだ。
ハーブティーと売り物にしか見えない出来映えの手作りクッキーが差し出され、さすがのクオリティーに迅雷はほっこりと息を吐いた。
『これをいただけるだけでもかなりの幸せ者だよな』
『それは大袈裟。クッキーなんか、どうせあんたが頼んだらそこら中の女子がせっせと焼いてくるでしょ』
『酷い誤解を感じるんだけど』
『あたしからはそう見えてたけど?』
『うっそーん』
言い方は茶化しているが、内心かなりショックを受けた迅雷であった。いや、自身がそこまで誠実な人間だとまでは自信を持って言えないが、それでも不誠実というわけではないはずなのだ。
でも言われてしまうとちょっとやってみたい気もしたりしなかったり。もしもそんな発言が許されそうな機会があれば一度、複数の女子にクッキーをおねだりしてみるのも面白いかもしれない。嫌そうな顔をされたときはそれとしてかなりショックを受けそうだが。
『・・・なんか変なこと企んでんでしょ』
『疑問符が見当たらないんだけど』
『誤魔化そうとして・・・。まぁ良いけど。やってみたら?きっと2月14日じゃなくてもバレンタインデーになるから』
『それ恋人補正かかってそう見えるだけじゃないの?』
『さぁ?』
飄々とした態度で質問をはぐらかされ、迅雷は拗ねた顔をした。この扱いのまま話が終わってしまったので悔しい。むしろ自分の身の潔白を証明するためにも本当にやってやろうか、などと考えるが、それこそ彼女の思う壺なのかもしれない。
いや、そもそも思う壺と表現したところで、それが彼女になんの得があるのかは知らないのだけれど。
『ごちそうさま。やっぱりうまかったわ』
『お粗末様。じゃあもう帰るのかな?』
『ああ』
『そう。じゃ、気を付けてね。まぁ迅雷のことだしなにに気を付けるのかって話かもしれないけど』
『通りすがりの化け狐とか?』
冗談で笑い合って、迅雷は靴を履いた。まだそこまで時間が経っていないので靴の中敷きが冷たい。ちょっとのやせ我慢は必須か。
見送り際、彼女は迅雷が傘を持っていないことに気が付いた。
『あ、そういえばそっか。傘貸そうか?』
『いや、いいよ』
『でもさっきより雪強いけど』
『こんなときのために傘はいつでも呼び出せるようにしてるから』
『なんだ、じゃあいいか』
迅雷が『召喚』で安っぽいビニール傘を取り出すと、彼女はくだらなそうに肩をすくめた。
さて、今度こそ迅雷が玄関のドアノブに手をかけようとしたとき―――また、彼女に呼び止められた。
『と―――』
『・・・?』
なんだか声が途中から曖昧になった気がして迅雷は怪訝に思った。だが、呼ばれたのは変わらないだろうから、振り返る、と。
『うおぉ!?』
彼女は、スッと迅雷にすり寄って、顔を近付けてきた。
―――これは、まさか、あれですか。
ドキドキ半分ワクワク半分に迅雷は至近距離で揺れる彼女の瞳を覗き込んだ。吐息が当たる距離を感じる間もなく薄紅色の唇が近付いてきて―――。いや、だがまだ迅雷はそんな甘酸っぱい体験をしたことが・・・そう、したことなんて・・・。
『ま、ちょ、一度心の整理を!』
『――――――』
『あ、あ、マジでちょ、だ、だ―――」
●
「―――めぇぇぇぇぇっ!」
「ぷひゅっ」
変な声が聞こえた。それに遅れて鳥の声が聞こえたような、聞こえなかったような。
手にムニムニしたものがあるのを感じて見てみれば、千影の顔だった。
「・・・なにしてんの?」
「明けましておめでとうのチューをしてあげようかなぁって」
「いらねーわ」
「えー、なんでなんでー。普通元旦一発目からボクにチューなんてしてもらえたら初詣でなにもお願いする必要ないくらいラッキーじゃないの?」
「あーはいはいそうですね」
面倒臭いので、迅雷は適当に千影をあしらった。幼女のあけおめキッスで喜ぶのなんて親か変態の2択だ。まぁ、こういう変わり映えしない新年の朝を迎えられているだけ、確かに幸せなことなのかもしれないが。
大きなあくびをひとつして、迅雷はベッドから上体を起こした。昨日は―――というより厳密には今日の深夜までテレビを見て夜更かししていたものだから、まだ体が寝ている。夜中のうちにスマホであけおめ合戦になっていたのも寝不足の原因かもしれない。
「ねーねー、とっしー。初夢はどうだった?ずっとニヤニヤしてたから気になったんだけど」
「ん?フッフッフッ、それはもうこの上なく幸せな夢だったぞ。もうなんか願ってもない最高の夢だったわ。どっかの誰かさんのせいで良いとこで目が覚めちまったけど」
「夢じゃなく現実でいいことしてあげようとしたのに。で、どんな夢だったの?」
「遂に憧れのあの子と恋仲になる夢」
「なるほど、ボクのことだね!なんだ、今すぐにでも正夢に出来るよ?」
迅雷は調子に乗っているあざとい小娘のアホ毛を引っ張ってやった。いくら両頬に指を立ててニッコリしてみせたって夢での経験の感動は塗り変わらない。夢と分かったときの落胆は少しばかり堪えるものがあったくらいだ。
「そういう千影はなんか夢見たの?」
「ボク?ボクはね、えへへ」
「なに照れてんの?」
「だってぇ」
「やっぱいいわ、聞かないでおく」
「とっしーにあんなことやこんなことをされ―――」
「聞かないでおくって言ったばっかりなのに!!」
こんな調子になるのが分かっていたから耳を塞いでいたというのに、結局聞こえてしまって迅雷は溜息を吐いた。正月から淫夢でモジモジするような女の子が隣で寝ていると思うと貞操の危機を感じずにはいられない。むしろ今まで無事だった方が不思議なくらいだ。
などと迅雷は考えていたが、千影はひとつ深呼吸をして仕切り直した。
「―――というのは冗談でね?」
「冗談かよ」
「なんかとっしーと一緒にすんごい強そうな敵をやっつける夢を見たんだ」
「すんごい強そうって・・・」
千影が「すんごい強そう」と言うくらいだから、それはもうとんでもないバケモノを狩る夢だったのだろう。この前のクリスマスプレゼントの影響もあるのだろうか。迅雷もさすがにあのゲームに出てくるようなモンスターを数人で倒す自信はないのだが。
「まぁいいや。下降りておせちの準備でも手伝おうか」
「おっとしーだまー」
「そっちかい」
千影はお年玉なんて要るのだろうか。彼女の通帳を見たらきっと誰だって二度見するはずだ。本人が楽しみにしているのだから、それで良いのかもしれないが。それに千影は本来お年玉が1年の収入の8割を占めるような年齢の子供である。
ベッドから出た迅雷の腰に腕を回して千影は纏わり付いてきた。そのまま背中をよじのぼって迅雷が千影をおんぶする格好になる。
「自分で歩けよ・・・」
「いいじゃん」
「まぁいいけどさ」
部屋を出て、冷たい床に身震いした。深夜まで雪が降っていたので窓から見えた景色は雪で彩られていた。今は晴れ渡って、雪白と蒼空が眩しい限りの清々しい朝が広がっている。廊下も外と同じくらい寒いので、吐く息も白い。家の中の空気まであの青空と同じくらい澄んでいる。
迅雷は千影が背中に密着していてむしろポカポカ温かいことに気付いた。面倒だからと降ろさなくて良かったかもしれない。
2人が階段を降りていると、中程にさしかかったあたりでリビングの方から階段の下へなにかが転がってきた。
「なにあれ、テニスボール?」
「・・・いや、まさかな」
なんとなくオチが見えた気がしつつ、迅雷は階段を降りきった。するとエプロン姿の真名が待っていたかのようにやってきた。
「あら、迅雷も千影も。あけましておめでとー!」
「おめでとう、母さん」
「あけおめことよろだよ、ママさん!」
「ふふ、さっそく仲良しねー」
「当たり前だよ!なんたってボクととっしーだからね!」
背中で千影が元気よく動き回るので、迅雷はパジャマが伸びてしまわないかちょっと心配になった。それから、迅雷はさっき転がってきたテニスボールを指差して真名に尋ねた。
「で、母さん。あれなに?」
「あ、そうだよ!ママさん、おとしだま!ねぇ、おとしだまってまだ?」
「まーまー落ち着いて千影。で、このボール?これはね?」
いよいよオチが見えたが、迅雷は敢えてなにも言わないでこの茶番を見守っていることにした。真名はテニスボールを拾い上げ、それをそのまま千影に差し出した。
「はい、千影。おとしだま」
「・・・?」
「あれ?要らないの?」
「いや、おとしだまって・・・」
「要らないなら仕方ないわねー。じゃあこれは回収して―――」
「あ、あーっ!いる、いるよぅ!」
「あら、そーなの?じゃーはい、どーぞ」
なにがなんだか分からないまま真名に翻弄されて千影は気が付いたらなんの変哲もないテニスボールを手に握らされていた。真名はそのままおせちの準備があるからと台所に戻ってしまう。
呆れ顔の迅雷と一緒に寒い玄関前に取り残され、千影は目を点にしていた。ぎゅむぎゅむと手に持ったボールを握ってみるが、テニスボール以外のなんでもない。まだなにかあるのではないかと思ってボールをいろいろな角度から観察したが、やっぱりなんにもない。
「ねぇ、とっしーさんや」
「なんだい、千影さんや」
「これが、おとしだま?」
「そうそう、それがおとしだまってやつだ。日本の古き良き伝統のおとしだま。遙か昔からこの文化はあって、平安時代は蹴鞠の鞠を落としてからプレゼントしていたらしいぞ」
「き、聞いてた話と違うんだけど・・・?」
「そりゃお前、IAMOなんて外人ばっかだろ。正しい日本文化は意外に知られていないものなんだって」
「いや、『荘楽組』にいたときも日本にはおとしだまといってお正月に良い子には良い大人がお駄賃をくれる伝統があるとかって」
「あれは全部悪い大人の集まりだからな。仕方がない」
すぐにネタばらししても面白くないというか思った以上に千影の反応が可笑しかったので、迅雷はとんでもないこじつけで千影の疑問に回答した。初っ端から嘘を吐いたので真名も迅雷も罰が当たるかもしれないが、楽しいものは楽しいので仕方あるまい。
まだ納得がいかない風に千影は首を傾げ続けている。アホ毛もハテナマークになっている。諦めきれないのかさっきも見ていた角度で何度もボールを観察しているが、そんなことをしたってなにかあるわけもない。
迅雷は千影をおぶったまま洗面所に行って顔を洗った。ずっとボールばかり見ている千影の顔を無理矢理洗ってやると、不意打ちでやられた千影が怒って後頭部をポカポカ叩いてきた。どうやら鼻にお湯が入ってしまったらしい。おかげでやっと迅雷の背から降りた千影は鼻をかんでいる。迅雷はひとつ伸びをしてリビングへ。千影もついてくる。
「お、迅雷に千影か。あけましておめでとう」
2人に気付いて新年の挨拶をしたのは、ダンディな顎髭に似合わないスウェット姿の疾風だった。今年もなんとかお正月は家に帰ってこられたのだ。今も忙しくしている魔法士はそこそこいるので羨ましがられているようだが、今日のために疾風がどれほど頑張って仕事を終わらせてきたのかは想像に難くない。
真名を手伝って餅を焼いている父親に、迅雷もちゃんと挨拶を返す。ちゃんと毎年父親と新年の挨拶が出来るのは嬉しいのだ。
「あけましておめでとう、父さん」
「あけおめ、はやチン。・・・で、ねぇ、なんかママさんからおとしだまって言ってこれもらったんだけど・・・これがおとしだま?」
「は?」
千影にテニスボールらしきおとしだまを見せられて、疾風は目を丸くした。らしき、ではなく、やはりテニスボールだ。疾風の重ねてきた数え切れないほどの経験を全て総動員して情報を探してもこれはテニスボールだった。
息子同様呆れた顔をして疾風は鼻歌交じりにおせちの重箱をテーブルに並べる真名を見た。
「またくだらないことして・・・。おーい、母さん。あんまり千影をからかうなよ。さすがに可哀想だろ?」
「あらー、可愛いかったし良いじゃない。それにちゃんと、落とし玉でしょ?」
「今どきどんなダジャレ誰も言わないでしょ・・・」
マイペースな妻を持つとツッコミが大変なのだ。
疾風と真名のやり取りを聞いていて、千影もそろそろ気付いたらしい。もう一度まじまじとテニスボールを観察してから、もの悲しい表情で真名を見つめた。
「ねぇ、ママさん。これ、おとしだまじゃなかったってこと?」
「そうねー。お年玉ではないわねー」
今度は迅雷を見上げ、千影は同じように尋ねる。
「とっしー、さっき言ってたことは?」
「あれはウソだ」
「にゃあああ!!なんでみんなしてボクをだますんだよー!ひどいひどいひどい!すっごく楽しみにしてたのに!」
「わ、悪かったって」
「なんで俺まで責められてるんだ・・・?」
『みんな』と言うときになぜか自分まで指で指された疾風は腑に落ちない顔をしていた。ぶー垂れる千影をよそに、真名はいそいそと台所の戸棚を漁って、なにか取り出した。そのなにかは、見ればポチ袋だった。今度はちゃんとお年玉のようでなによりである。
ただ、真名はそれをちらつかせながら、目を輝かせる千影にストップをかけた。唇を尖らせる千影を真名は宥める。
「これはみんな揃ってからね」
「う・・・わ、分かったよ」
千影が項垂れると、また上の方から足音が聞こえてきた。他に誰も2階にはいなかったので、間違いなく直華だろう。直華の足音に敏感に反応して、真名は千影からテニスボールを取り上げた。直華かが階段にさしかかるタイミングで真名はまたリビングのドアからボールを転がした。
「お母さん、なに?」
「おとし―――」
「はいはい。なんか部屋からボール減ったなぁって思ったら・・・」
廊下から聞こえてくる母と娘のアホなやりとりを聞き流して、迅雷はご飯の準備を手伝うのであった。
●
というわけで。
『改めまして、あけましておめでとうございます』
食卓には椅子が5つ。並べられた色とりどりのおせち料理。神代一家の新しい1年の始まりだ。新しい家族も加わって去年よりも賑やかになった。
「そんなわけで、はい、直華、千影。これが本物のお年玉よー」
「わーい」
「遂に、遂に本物だよ!」
直華も千影も大喜びでポチ袋を受け取った。中身は1万円だったらしい。13歳と11歳の分際で良い御身分である。直華は結局半分貯金するつもりらしいので、5千円札が2枚だった。半分は初売りでなにかを買うらしい。
千影と直華が席に戻った後、迅雷は「えっ」と隠しきれない焦りを声に出してしまった。まさかこれでおしまいと言うつもりだろうか。
「・・・あ、あの母さん、俺は?」
「え、要った?」
「い、いや・・・え、いや、え、でも・・・」
お年玉は欲しいが、お金なのでなかなかはっきりくれとも言いづらい。ましてや迅雷はライセンスを持っていて多少の収入はある身であり、それ以上にギルドでクエストもちょくちょくこなしているから確かにお年玉が必要なのかと言われれば悩むのだが、でも、そうは言ったって迅雷もまだお年玉をもらっても良いお年頃のはずだ。千影がもらえるなら迅雷だって、ということである。
いやでも、16歳とはいえ一応この家の長男ということで両親を除けば最年長の迅雷はここで我慢すべきなのだろうか。高校入学を機にお年玉を卒業してしまっていたということだったのか。世間一般にはどこのタイミングでお年玉を卒業するのが普通なのだろうか。実はもっと早かったから迅雷なんてまだ幸せな方だったのだろうか、それとも本当は大学生になってももらえるのだろうか。
それも恐らく統計データを手に入れなければ簡単には結論が出ない。迅雷は正月早々から一介の高校生にはあまりにも難しすぎる問題に直面してしまった。
笑顔のまま真名は首を傾げている。
「ぐ・・・ぐぬぬ・・・」
「なんてね、冗談よ。ちゃんと迅雷のお年玉も用意してるから安心しなさい」
「だー!!じゃあなんでこんなつまんないことするんだよ!?」
「さっきの『おとしだま』だけじゃ迅雷も面白くないかなーと思いまして」
「おかげさまでっ!」
面白くもなんともない上に、むしろ考えすぎて頭が痛いくらいだ。しかし、溜息を吐きたい気持ちだったが、迅雷が渡されたポチ袋の中身を覗いてみると先の2人の倍もあったのでストレスが引っ込んでしまった。今度はかえってそんなにもらってしまって良いのだろうかと不安になるくらいだが、くれるというのであればもらってしまえば良い。
「ごちそうさ・・・じゃなくてありがとう母さん、あと父さんも」
「なになにお兄ちゃん、どれくらいもらったの?」
「ナオの倍」
「倍?・・・えええっ!?な、なんでそんなに!?」
直華が目を白黒させているが、疾風が笑って答えた。
「迅雷もよく頑張ってくれてるからな。ちょっとした労いも込めていつもより多めにしてやったんだよ」
「そんなでもないって」
「遠慮するなよ。さ、ほら。早く食べよう」
疾風が仕切り直して、真名がなに餅があるのか紹介し始めた。と言っても、毎年お馴染みのラインナップなのでみんなほとんど聞き流していた・・・のだが。
「そうねー。おもちはきなことあんこと、あとゴマ、納豆、それからコンポタがあるわよ。遠くて取れないのあったら言ってねー」
「はーい・・・ん?コンポタ?」
なにか聞き慣れない単語が聞こえた気がして、迅雷は首を傾げた。今までそんなものを食べたことがあっただろうか。
「いや待って母さん、なに?コンポタ餅って?」
「コンポタはコンポタだけど?コーンポタージュ」
「いや知ってるけども・・・。それカップスープのやつの粉、だよな?」
「そーよ?あ、心配しなくても、どうせきなこみたいな感じよきっと」
「『きっと』ってなに!?心配するわ!」
「そうカッカしたらダメよ。何事も挑戦なんだから。それにほら、迅雷もファミレス行ったらハンバーグランチでライスとコーンスープ一緒に食べてるじゃない。おもちはお米なんだから、きっと合うわよ」
なんだかそれっぽいことを言っているが、それが正しかろうとそうでなかろうとなかなか手を着けにくい創作料理なのは間違いない。ツッコんでもツッコんでもキリがないので諦めて、今度こそ食事の時間なのだった。
●
朝食が終われば初詣だ。さすがに深夜寒い中神社まで歩いて行くほど意識高い系|OSHOUGATSIST《お正ガチスト》ではない。そもそも神社は車で行く距離にしかないのだし。
今日はお隣の東雲家のみなさんや道場の阿本家のみなさん、それからなんと天田家の姉妹まで一緒に初詣という予定だ。
・・・なんで雪姫たちが一緒なのかというと、主に天の思し召しによる「いろいろありました」らしい。そうそう、いろいろあったのだ。きっと。外から掛け声と共にカエル越しに岩を砕く音が聞こえた気がしたが、この辺にそんな場所はないから気のせいだろう。
しっかり暖かい格好をして、迅雷は下に降りる。すると、千影と直華が迅雷の前に躍り出た。
見れば、2人とも鮮やかな振り袖姿だった。千影は赤、もとい瞳と同じ紅色のものを、直華は黄色いのを着ている。どちらも華々しくて良いものだ。これを真牙が見たら感謝料として賽銭にお札を使うかもしれない。
「おー、似合ってるじゃん」
「ホント?やったぁ」
「まぁボクはなにを着たって―――」
「うんうん。特にナオがな」
「ボクは!?」
迅雷はおもむろにスマホで直華の振り袖姿を写真に収め始めた。いろいろな角度から撮りまくり、ちょっとポーズをとらせたりもする。大袈裟なので直華はちょっと困った風だが、大好きな兄の要望なのでついつい応えてしまう。
すると、いつの間にかデジカメとビデオカメラを両手に携えて直華の撮影会に疾風まで飛び込んできた。
「お、お父さんまで・・・」
「愛娘の晴れ姿だからな!この写真があれば今年1年もめげずに頑張れる気がするッ!!」
「さすが父さん、分かってるな!どっちがより可愛い写真を撮れるか勝負だ!」
「あ、あ、ちょっとぉ!」
迅雷のシスコンは疾風の親馬鹿譲りだったのかもしれない。蚊帳の外な千影が意地になってカメラの前に飛び込もうとするが、迅雷も疾風もさすがに千影の動きは読み慣れているのでのらりくらりと躱して直華だけを撮り続ける。
そして何枚もの写真でメモリーを埋めていくにつれ、だんだん2人の視点は下へ下へと落ちていき―――。
「そっ、それ以上はダメぇっ!」
裾の下から覗き込まれそうになって、直華は迅雷と疾風の顔面を蹴り飛ばした。セクハラ行為に及ぼうとした2人が鼻血を出しているのは蹴られたからか、それともギリギリセクハラに成功したからだろうか。なんにせよ世界最強の人間とまで言われる男にダメージを与えた直華は振り袖のヒラヒラした裾をキュッと押さえて涙目になっていた。
「もう、バカバカぁっ!」
「「申し訳ありませんでした」」
普段通りの格好で玄関にやって来た真名が直華に土下座をする2人と拗ねて隅で体育座りしている千影を見つけて「あらあら」と楽しそうに微笑んだ。
ひとしきり直華に説教されてから、迅雷は千影を呼んだ。
「ほら、千影。そろそろ出るからこっち来いよ」
「どうせボクなんてちんちくりんだもん」
「なんで拗ねてるんだよ。別に似合ってないとは言ってないだろ。ナオが似合いすぎてるだけで」
「むーっ!」
「分かった分かった。じゃあ千影も写真撮ってやるからそこ立ってなんかポーズとってくれ」
「よしきたっ」
チョロい。千影はぱぁっと笑顔になって迅雷の前に飛び込んできた。相変わらずテンションが上がると何気ない仕草でさえすばしっこい。これで着崩れない着物もすごいかもしれない。きっと真名が頑張ったのだろう。
なにか、と言われて躊躇いなくギリギリラインまで裾をたくし上げる千影にチョップして、もっと健全なポーズをさせてから迅雷は写真を撮ってやった。
千影もそれで満足したようで、一番乗りに草履を引っかけて外に飛び出していった。あまり走って鼻緒を切らなければ良いのだが。
外に出ると、毎度のことながらタイミング良く向かいの家からも人が出てきた。
「あ、としくん、みなさんも!あけましておめでとうございまーす!」
「お、しーちゃんも今年は振り袖チャレンジか」
「へへへー」
色は千影のものと被るが、慈音が着ていると雰囲気もだいぶ違ったものになっている。千影と比べればだいぶ大人しい感じだ。
彼女に続いて慈音の両親も出てきた。
「あぁこれは神代さん。またピッタリでしたね」
「そうですね。実は玄関ののぞき穴で確認してたんじゃないですか?」
「まさか。そちらこそ」
慈音の父親と疾風がくだらない冗談を言い合っている。一央市の、特にこの周辺に住んでいる人たちは疾風があのメディアに一切顔を出さないから実在を疑われているIAMO魔法士ランキング第1位その人と知っていてこんな風に当たり前に接せられる数少ない存在だった。出掛け先などで普通に話せたりするのは、みんな疾風の正体を知らないからである。
なにしろ疾風は自分がランク7の魔法士であるということを広く知られたくないので、ひた隠しにしているのだ。誰も知らなくて当たり前である。なんと、わざわざライセンスを見せなければいけないときに正体を隠せるように正式に発行された偽装ライセンスカードを用意しているくらいだ。とはいえ、確かに世界に3枚しかない赤いラインのライセンスを出されたら誰でも動転するだろうから、ちょうど良い気遣いなのだろう。
神社までは車での移動なので、一旦迅雷たちと慈音たちは別れ、それぞれの家の車に乗り込む。大家族用で大きい車に乗っているから、雪姫たちを拾っていくのは神代家の仕事だった。迅雷のスマホに通知が入って、見てみれば真牙からだった。今家を出たらしい。どうでもいい。
意外と自動車に乗ってどこかに行くことが少ないので、迅雷がちょっと窮屈に感じる後部座席で足を組めなくてウズウズしていた。
「・・・いや、狭いのって千影が乗ってるからだろ」
「でも後ろはゆっきーたちが乗るわけだし」
「そうだけどさ」
「あ、じゃあこうすれば完璧だね」
「重い」
迅雷は膝の上に座ってきた千影を降ろした。こんなときにいちいち着物が乱れないように気を遣うので面倒臭い。本当は重くなんてなかったが、さっきから思っていたように足が落ち着かないので、そこに乗られてしまうともっとやり場がなくなるのだ。
車だと本当に速いもので(千影の方がずっと速いけれども、速度的に安心感が違う)、あっという間に天田家に到着した。迅雷が降りてインターホンを鳴らすと、すぐに姉妹揃って家から出てきた。さすが、準備は万端だったのだろう。
「「行ってきます」」
ちゃんとそう言ってから、雪姫が玄関の鍵を閉めた。
今年はなんなのだろう。2人とも、またしてもオシャレに振り袖姿だ。姉妹でお揃いのようで、どちらも水色が可愛らしく、水色の髪や瞳と良くマッチしたデザインだ。雪姫はかんざしをしていて、夏姫の方は今日は髪を結い上げたらしい。おめでたい日だからかいつもと違った雰囲気である。
まずは夏姫が車に乗り込んで、腰を落ち着けてから新年の挨拶をしてきた。雪姫は疾風と真名に丁寧に挨拶をしてから座席に座る。
「でも、すみません、わざわざ乗せてもらって」
「いいっていいって。この通りウチは大勢乗れるから当たり前だよ」
「おー、天井にマイクついてる」
「あんま弄んないの」
物珍しそうにしている夏姫を雪姫が諫めて、疾風が笑っていた。
車が走り出して、迅雷と千影、直華は揃って後ろの2人を振り返った。
「改めましてあけおめ。まさか雪姫と初詣に行く日が来るとは思わなかったな」
「あたしも思わなかったよ。まぁ・・・いろいろあったからね」
「いろいろあったもんなぁ・・・」
「いろいろって具体的になんだっけ」
「さぁ・・・いろいろは・・・いろいろなんじゃないか?」
いろいろ、がゲシュタルト崩壊し始めたので、なにがあったのかは考えないことにした。
雪姫と夏姫の衣装を眺めて直華が感嘆の吐息を漏らした。
「ほぇぇ・・・さすが、似合ってますねー・・・」
「そんなほどでもないでしょ。直華の方こそどうせコイツにメチャクチャ写真撮られたりとかしたんじゃないの?」
「エスパーですか!?」
凄まじく鋭敏な洞察力で迅雷のシスコンぶりを言い当てた雪姫は呆れ顔である。
隣では夏姫と千影が言い合いをしている。なにやら自分の方が可愛いとかなんとか。女の子は大体、内心どう思っていても相手を褒めて自分を卑下する生き物なのではなかったか?
「ボクは金髪だからあれだけどなっつんは髪の色まで一緒だから全部一色になっちゃってるから、ボクの勝ち!」
「いやいや、むしろそこがポイントだと思うんだけど!キャラがよりしっかりしてるって点ではイメージカラーが2色あるより優れてるもんね!」
「なにおぅ!?ボクなんて絶対他のみんなには真似できないアイデンティティーがあるもん!」
「お?今は振り袖姿でどっちが可愛いかを勝負しているのにそっちに逃げるの?これはあたしの勝ちってことで―――」
「ちょっ、それはまだ早いよ!まだ勝負は着いてないから!じゃあこうしよう、とっしーにどっちが良いか聞くの!」
「えっ、それは・・・」
「怖じ気ついたか!ふはははー!」
「そ、そんなわけないでしょ!乗った!」
「よし!ねぇとっしー!」
「夏姫ちゃんで」
「えええ!?まだなにも言ってないよ!」
言わなくたってさっきからずっとうるさかったので、迅雷は面倒だから即答してやった。実際はどっちもどっちだろうとは思うのだが、やはり強いて言うのであれば美形姉妹の片割れに軍配が上がる。というより、いろいろ含めると夏姫の方が可愛がり甲斐があるという意味なのだが。
「なっつんとボクのどっちが可愛いかって話なんだよ!?」
「だから夏姫ちゃん。てかそんな分かりきった質問するなよな、自分の首を絞めるだけだぞ」
「ぐはっ」
「というわけでおめでとう夏姫ちゃん君は勝利者となったのだー!」
「んなななな、あたしなんかよりお姉ちゃんの方が可愛いですし!?」
ほら、褒めるとこうして照れるからイジリ甲斐があるのだ。姉を持ち上げだして、結局勝ったのかもよく分からなくなっている。
千影はというと迅雷の辛辣な戦力外通告にノックダウンされて真っ白に燃え尽きている。直華が千影のほっぺたをつっついているが、反応がない。よほど効いたのだろう。迅雷もちょっとだけ罪悪感が湧いてきた。
「ほらみんな、そろそろ神社着くからなー」
疾風は神社の駐車場からずらっと伸びた車の行列に加わるのに合わせてそう言った。一央市で大きな神社と言えばここの大社くらいなので、市内の初詣の参拝客はほとんどがここに集まってくるのだ。しかし、実際は市内からの参拝に限らない。列の2、3割は外からの参拝客だ。それにはそこそこの理由がある。
なにやら全国の神社のどこにも祀られていない神様をここだけが祀っているらしいのだが、その神様についての記事や資料すらまるで見つかっていないので、とても知名度が高い割にその手の専門家たちからすれば謎の多い場所らしい。だがまぁ、一般人はそんなことを気にして神社を訪れる方が珍しいのでやれ金運が上がるだの恋愛成就だのとありったけのパワースポット要素を後付けされた結果がこのザマだ。
モンスターの出現率が高い一央市の、しかも山の上だからこの程度で済んでいるが、もしももっと安全で行きやすい場所に建っていたらそれこそ果てしない参道が待っていたことだろう。
残念なことに駐車場は地上、または上に上がれてもお社があるてっぺんには全然届かない程度の場所にしかない。元気な若い衆は良いが、高齢の方々には辛いものがあるようで、近年は特に高齢化も重なって問題になり始めているらしい。
駐車場が見え始めてから車を停めるまでにかかった時間はおよそ30分。元日としてはまだマシな方らしい。ちっこい組はあまりにも暇だったせいでウトウトしていたから、迅雷と雪姫がそれぞれ起こしてやった。
「ほれ千影。起きろー」
「うー・・・はっ!?」
「神社ついたぜ」
「あ、ホントだ。すっごい人だねー」
嫌になるほど長い階段へと流れ込んでいく人々を見て、千影は珍しそうにだけしていた。
「やっぱりあれだけ高いところにある神社だと御利益ありそうだもんね。もしかしたらホントになんかいるかもね」
「そうだな。いろいろこじつけで御利益御利益って言われてるけど、そういうの関係なしに見ても俺はそういう雰囲気あると思う」
夏姫を起こした雪姫も迅雷に賛成してきた。
「そうかもね。あの木造建築が一央市みたいな『高濃度魔力地帯』が制定されるよりずっと昔からモンスターの脅威に晒されながら修繕も改築もほぼなしで今日まできてるわけだし、本当にそういう良くないものを寄せ付けない力みたいなのがあるのかも」
「そういう非科学っぽいことを言うの珍しいな」
「そう?それを言うなら人を信じることも非科学的だと思うけど」
「ごめんやっぱ雪姫だわ」
なんでも1人でこなしてきた人はさすがに言うことが違う。
迅雷たちは車を降りて、恐らく先に着いているであろう慈音や真牙たちと落ち合うことにした。だが、車を降りたところで迅雷はぶるっと身震いをした。
「うわさっぶ・・・結構着てきたつもりなんだけど」
「と、とっしー・・・寒い・・・」
「山だからねぇ」
真名がこんなこともあろうかと用意していた携帯カイロを迅雷と千影と直華に手渡した。母親の気配り上手さには感謝が尽きない。疾風はどうやらこれくらいの寒さは平気なようだ。伊達にいろいろな世界を飛び回っているわけではない。体の鍛え方が違うのだ。
それから、迅雷は雪姫と夏姫を見て怪訝な顔をした。どう見たって2人とも千影や直華と同じ振り袖オンリーの格好なのだが、ちっとも気温を気にしていない様子だ。
「なぁ、雪姫も夏姫ちゃんも寒くないの?」
「むしろあたしとしては寒がる方が分からないからなぁ」
「お姉ちゃんほどじゃないですけど」
「こういうときはその体質が羨ましいな」
「碌なもんじゃないからやめといた方が良いよ」
雪姫はくだらなそうにそう吐き捨てた。彼女には彼女なりに、この寒さに異常に強い体質のせいでしてきた苦労があるのだ。
ただ、周りから見たら雪姫と夏姫の振り袖姿は身長の割には袖が短く見えるし心なしか生地も薄めに感じるので、見ているだけで底冷えする。
予め打ち合わせておいたので、駐車場にある休憩施設に行けば東雲家と阿本家が談笑しているところに合流出来た。親同士が会うのも高校になって授業参観がなくなったりした分機会が少なくなって、積もる話もいつも以上にあったらしい。だいぶ盛り上がっている様子だった。迅雷たちに気が付いた真牙が手を振ってきた。
「おーい、こっちこ・・・ぶはっ!!」
「真牙さん!?」
鼻血を噴き出して椅子ごと倒れた真牙にビックリして直華が素っ頓狂な声を上げた。「うごぅあぁぁ」などと奇怪な叫びを上げて悶絶し苦しそうに床をのたうち回る真牙を見た他の施設の利用客が恐がっている。こんな場所にもなると真面目に妖怪かなにかに取り憑かれたのかと心配になってしまうのだ。
迅雷は見ていられないので真牙を起こしてやった。
「うわ、すごい血!?どんだけ興奮してんだよ!?」
「び、美少女の振り袖が1匹、美幼女の振り袖が2匹、びしょ・・・ぐふっ」
「あ、天に召された」
俗にまみれ煩悩にまみれ、救いようのない最期を迎えた真牙を迅雷ははたき起こした。友人の死因が女の子の晴れ着姿を見て失血死では、迅雷までやるせなくなる。真牙の醜態には彼の両親も頭を抱えていた。
掃除を施設の人にさせるのも忍びないからと雪姫は真牙の鼻から流れ出た大量の血を凍らせて消し飛ばしてしまった。一部始終があんまりにも淡々としていたので、周りの人たちも何事もなかったかのように迅雷たちから視線を外し始めた。
さて、揃ったならさっそく登山だ。
「さて、じゃあ誰が一番に登れるか競争ですかね?」
「やめてくださいよ神代さん、私なんて会社勤めで足腰の弱り切ったただの中年オヤジなんですから」
「はっはっは!ならどうです、東雲さんもウチの道場で体を鍛え直してみませんか?」
「いやぁ~、参ったなぁ、ははは」
今日集まった4家族では慈音のところが一番普通な家庭だ。ただのサラリーマンでしかない慈音の父親は若々しい肉体を持て余している他2人の父親たちを相手に苦笑していた。
真名に至っては結界をエレベーター代わり使ってもバチは当たらないだろうか、なんてことを気にしている。結局周囲から浮くからやめてくれという迅雷の頼みで計画は頓挫したが。それに、母親組であればしゃべっている間に頂上まで登れてしまいそうだ。
「ねぇとっしー。飛んでいったら神様怒るかな?」
「お前もか。せっかくなんだからちゃんと階段登れよな・・・」
「楽してお願い事はしちゃダメってことだね・・・」
「元気有り余ってる子供がそんな楽してちゃあなおさらダメだよな」
「じゃあ元気有り余ってない子供は楽しても良いですか?」
夏姫が迅雷の服の裾を引っ張って尋ねてきた。顔に「階段面倒くさい」を書いてある。若いのに悲しいことだ。いや、若いというより幼い、か。どっちにしたって長い階段を見たら喜んで駆け上がって欲しいくらいの歳だ。これが現代日本の有様なのだろうか。
ふむ、と一瞬考えて、迅雷は夏姫に目線を合わせた
「じゃあおんぶして上まで運んであげようか、お姫様?」
「い、いや、いいっ!いいですからっ!自分で登れます!」
「あんまり夏姫にちょっかいかけないでよね」
「ごめんごめん」
雪姫に謝ってから、迅雷は先に休憩小屋を出た大人たちを追いかけて外に出た。みんなもそれについてくる。
外はやっぱり寒いので、思わず体を震えてしまう。迅雷はカイロがあるからマシだが、慈音と真牙はちょっと唇の血色が悪い。仕方がないので、迅雷は慈音に自分のカイロを差し出した。
「ほら、これ使いな」
「え、でもとしくんは?」
「俺はいいよ別に。時々氷漬けにされてるから寒いのは慣れてるし」
「今なんであたしの方見たの?」
「なんでもありません。まぁ、だからこれはしーちゃん使っといてよ」
「えー、うーん・・・じゃあありがとう?・・・ほわぁ、あったかーい・・・」
分かりやすく温まる慈音を見ると迅雷も渡した甲斐があるというものだ。寒さに見合うだけの対価はもらった迅雷の肩を真牙がつついた。
「オレにはないの?」
「ねぇよ」
「そんなぁ」
「お前は俺が懐で温めたカイロ使いたかったのか?」
「・・・そんなもん要らねぇ!野郎の体温染みてるカイロなんて一種のバイオテロだ!」
「そこまで言うかこんにゃろう!」
「なんだ文句あるのか!じゃあお前、オレが温めたカイロ使いたいか!?」
「絶対やだね!例え俺が女だとしてもな!」
「はぁ!?ふざけんな!」
額を突き合わせながら階段を登る迅雷と真牙を女子組は生温い目で見守っていた。騒々しい馬鹿たちだ。
もっと早朝の時点から参拝していた人も多かったのか、降りてくる人も多い。でも、階段は横に広いので上下の行き来はスムーズだ。ただ、参道は他にもいくつかあって、中には狭くて曲がりくねった階段を上らないといけない場所もあるので、そちらは酷いかもしれない。一度迅雷は興味でそこを登ったことがあったが、まるでアニメ映画にでも出てきそうなくらい静かで底の見えない林に囲まれていてオカルティックな雰囲気があったのを覚えている。
●
階段を登り始めて30分と少しほどした頃。
「雪姫ちゃんと一緒に初詣来れるなんて思わなかったよー」
「それさっきおんなじことをあいつにも言われたよ」
「としくんも?そっかぁ。やっぱり嬉しいんだと思うよ?」
「慈音も?」
「うん、しのも嬉しいよ!だって最初あんなに、うーん、あんなに・・・なんて言うんだろう?」
「締まらないなぁ・・・。人を避けてたから?」
「そう、そんな感じ!だからね、こうして一緒にお参り出来て嬉しいな」
「はいはい、ありがと。慈音は素直で裏表ないから安心して喜べるよ」
「えへへー」
本当、いろいろあったいろいろなことにはお世話になったものだ、と雪姫は小さく笑った。いろいろなかったらこんなところには来ていなかっただろうから。そんな姉の様子を見て夏姫も嬉しそうにしている。
「あ、てっぺん見えてきましたよ!」
直華が上を指差した。彼女の言う通り、遂にゴールが見えた。途中何度かあった休憩所の1つで慈音の両親がリタイアしたり真名がお賽銭用の小銭を車に忘れたからとのんびり階段を逆戻りしたり、迅雷たちも真名を待つために休憩所まで戻ったりと慌ただしかったが、ようやく長い道のりも終わりだ。
ずっと次の十数段の石階段しか映らなかった視界は急に開けて、古くも立派な神社が姿を現した。鳥居をくぐった瞬間から、山の上というだけでは説明のつかない奇妙なほどに澄んだ空気が肺を満たす。
参拝するときは、まずは手水である。先走る千影を捕まえて迅雷は手水舎まで引きずった。
「とっしー、これどうするのが正しいんだっけ?」
「えっと、確か―――」
迅雷があんまりない知識を思い出そうと頑張っていると、真牙が割り込んできた。
「千影たん、これはまずひしゃくで汲んだ水で左手洗って、右手洗って、それからひしゃくで水を飲んで口を清めるんだよ!」
「え、飲むの?」
「そうそう」
真牙は自信たっぷりだが、どこか怪しい。なにか企んでいそうなのに、迅雷はなにがどう間違っているのか分からず、その企みを指摘出来ない。千影が騙されているはずなのにそれをうまく言えないことに歯痒い思いをしていると、雪姫がツッコミを入れた。
「いや、ひしゃくで水飲まないでしょ」
「ギクッ」
「・・・どうせアンタ間接キスでも狙ってたんでしょ」
「い、いやー!オレとしたことがマナーを間違えてしまったぁ!あははははは!」
この寒い中で雪姫のお叱りを受けたら少なくとも三が日は全部熱を出して寝込む羽目になるだろうから、真牙も必死で誤魔化すのだった。千影のジト目はご褒美として甘受しているようだったが。
たくさんの人が使うひしゃくなのだから口をつけるなんてもっての外である。神社でのマナー以前の問題だったので、呆れ返る。いっそ真牙なんて頭から水の中に飛び込んで全身清めてしまった方が良いのではなかろうか。そしてそれに思い至れなかった迅雷はこっそりショックを受けていたり。
そんなわけで正しいやり方を教わった千影はひしゃくに水を汲んで手にかけるのだが、その瞬間てちょっと跳ねた。
「ちべたい」
「そりゃな。ほら、あともう片方と口な。頑張れー」
「うぬぅ」
キュッと目を瞑って恐る恐る清め終え、千影は緊張していた肩の力を抜いた。迅雷にハンカチを借りて手を拭いた後は魔法で火を出して手を温めていた。一度ここまで冷えてしまったら手袋も意味がないのだ。
順番が回ってきたので、今度は迅雷がひしゃくを取る。
「そういやここのって本物の湧き水なんだよな。変な話だけど、水が結構うまいから汲んで帰りたいくらいだわ」
「いや、分かるかもしれないわ」
隣にいた真牙もそれに同意した。ひょっとしたらペットボトルに詰めたら商品として成立するかもしれない。いや、ましてやこの神社の名前を冠して発売されるのだから、きっと飛ぶように売れるだろう。・・・恐らくは、飲むだけで恋が叶ったり宝くじに当たったりするなどというワケの分からない効能を売りにして。
お守りを買ったりおみくじを引いたりするのはお参りの後だ。まずは拝礼の順番待ちの長蛇の列の後ろにつく。拝殿は大きく、5列はあるのに、なかなか進まないから焦れったい。
ようやく順番が回ってきたのは、迅雷の前に並んでいた千影だった。他のみんなはもう少し後ろにいる。千影はこちらについてもマナーが分からないから教えて欲しいと言ってきたが、正直なところ迅雷もよく分かっていない。お辞儀や拍手が何回だったかは忘れてしまったが、心がこもっていれば良いんじゃないかと適当なことを言ってあとがつかえているから早くしてやんな、と促した。
お賽銭を投げ入れて、鈴を鳴らし、よく分からないなりにやった結果正しいやり方でお辞儀と拍手をした千影はブツブツと呟き始めた。
「今年こそはとっしーともっといい感じに―――ブツブツ」
「願い事ダダ漏れだなぁ・・・」
確か新年の願掛けは人に教えたり知られたりしたら叶わないと言うので、きっと千影の願いは成就しないのだろう。可哀想に。
意気揚々と神前を離れる千影を見送ってから、迅雷も賽銭を放った。心を込めた自前マナーでお辞儀と拍手を済ませ、手を合わせる。
(他になにも特別なことは望まないから、今年1年もみんなで何事もなく、楽しく過ごせますように―――)
ありきたりで、なんの面白みもないお願いだなぁ、とも思ったが、結局迅雷はそう願っていた。本当は、そんな当たり前の幸せこそが一番得難く、失いやすいものだと学んだからだ。元旦から家族や友人たちと初詣に行けるこんな日常がずっと続くのなら、きっとそれ以上のことなんてないのだ。
気が付いたら1分くらいずっと目を閉じて祈ったままだったらしい。後ろにいたオジサンが苛立った様子だったので軽く謝りながら迅雷はそそくさと列の外に出た。
ちょっとして、慈音が出てきた。
「としくん、さっきずいぶん長くお祈りしてたねー。なにお願いしてたの?」
「チッチッチッ。さすがにしーちゃんでも教えられないな」
「えー、なんで?」
「人に教えたら叶わないって言うし」
「そっかー。じゃあしのも秘密かなー。でもなんかとしくんとおんなじことお願いしたような気がするなぁ」
「だったら良いな」
「うん」
迅雷もなんとなく、慈音なら自分と同じことを考えていそうな気がしていた。幼馴染みの勘でしかないが、きっとそうなのだろう。
しばらくして全員参拝し終えて集まったので、お守りを買い集めることに。疾風なんかはいろいろ忙しいのでたくさん買い集めている。でも、多分彼を守るのは彼自身の実力だろう。そもそも危ない目に遭わないような疾風が避けられないような運命的危機を避けようだなんて、神様でも力不足なのではないかとさえ思うほどだ。
迅雷らは大人たちとは別行動で自分で必要と思うお守りを集めた。特に学業お守りなんていうのは中高生ならではだろう。受験を目前に控えた学生たちが目の色を変えて漁っていくので、1つ取るのにも苦労した。
「ねぇお姉ちゃん、おみくじ引きたい」
お守りの会計を済ませたところで夏姫が雪姫におねだりをしている。別に断る必要もないので雪姫は100円玉を渡して、それから自分も1つ引いた。
「・・・あ、大吉」
「さすがお姉ちゃん。あたしは末吉だった」
「まぁなに吉かってよりも中身だからね」
「そうだよね!」
天田姉妹を見ていた千影は早くおみくじが引きたくて仕方がないらしい。迅雷を急かすが、千影は財布を持ってきていないのだろうか。仕方なく100円玉を3枚出して、千影と直華に渡してやった。もちろん残りの1枚は自分用である。
手前で引いた真牙がなにやら大々吉とかいう胡散臭いものを見せびらかしてきたので、迅雷はこれは負けていられないと意気込んで箱に手を突っ込んだ。
「・・・てかだから大々吉ってなんだ?まぁいいや、俺もそれを引けばなんの問題もないもんね」
「お兄ちゃん、おみくじは勝負じゃないと思うんだけど・・・」
「ナオ、俺はただ真牙のドヤ顔がウザいから二度とそのツラ出来なくさせてやりたいだけなんだ」
「いや、それ理由になってないような・・・」
神代家に混じって慈音も手を突っ込んできて、4人は順番におみくじを選んだ。せっかくだから「せーの」で一緒に開こうとなり、迅雷はさっさと真牙の鼻を明かしたいので焦れったそうに掛け声を待っている。慈音がやたら念入りに選ぶのでちょっと待って、ようやく4人がおみくじを揃えた。
「じゃあ開くよ!せーのっ」
『―――』
大々吉の真牙様がふんぞり返って見守る中、4人はそれぞれに与えられた今年の運勢に目を通した。
最初にバンザイをしたのは千影だった。
「ふはははー!さすがボク、大吉だぜ!」
「わー、いいなぁ、しのは小吉だったよー」
「あ、私も一緒です」
見てみれば慈音と直華のおみくじは番号まで一緒だった。つまり書いてある内容も一緒だ。今年の彼女たちは一蓮托生運命共同体なのかもしれない。なんとなく百合がはかどりそうだから真牙が喜んでいる。
「あれ、とっしーは?」
「―――」
「としくーん?」
「お兄ちゃん?」
「―――あ、え、ん?な、なに?」
「いや、だからお兄ちゃんはどうだったのかなって」
「あ、いや、それはそのー・・・あ、あそこの巫女さん可愛いなー!」
「え、どうしたの急に・・・?」
「とっしー、見せて見せて」
本当に可愛い巫女さんがいたのだが、誰もそっちに目を向けもしなかった。せがまれてどうしようもないし、なにより直華もなので、仕方ないと割り切って迅雷は引いたおみくじをみんなに見せた。
「大、凶・・・でした」
「・・・なんか、ごめんねお兄ちゃん」
「やめろ、ナオはなにも悪くない!悪いのは、悪いのは俺の運だ!」
茶番をやっていると、千影がヒョイと迅雷からおみくじを取り上げて音読し始めた。
「願い事、全くうまくいきません。旅行、遠出は可能な限り控えるべきです。家庭、親の言葉や心を忘れず心に留めておくことです。恋愛、ライバルをあまり意識しないことです。出世、早すぎる出世は災いをもたらします。学業、一人の力には限りがあります、人に頼りましょう。商売、安全のための投資は控えるべきです。縁談、破談になります、態度を改めるべきです。運転、運転しているのはあなただけではないことを忘れないようにしましょう。病気、心の病に気を付けることです。出産、安産でしょう。試験、焦らず落ち着いて臨めばうまくいくでしょう」
『・・・』
全員分の沈黙がかえって耳に痛い。ある意味真牙を黙らせることにも成功してしまった。永遠にさえ思える気まずい空気の中、雪姫が迅雷の肩に手を置いた。
「結ぼっか」
「そだね・・・」
おみくじの常としていちいち意味深で不安を煽ってくるからいやらしい。それは大吉でも変わらないことなので、大凶だから特別そうということはないが、やはり大凶だからこそ過剰に心に刺さる。
可哀想な人を見る目で見上げてくる千影におみくじを返してもらって、迅雷はおみくじを結んだ。
でも、そんなに悲観することはない。されどおみくじ、たかがおみくじ。たまには順番を逆にしても怒られないはずだ。結び終え、迅雷は笑顔でみんなに振り返った。
「・・・さ、みんな。そろそろ帰ろうか」
向こうでは疾風たちも用事が終わったらしい。手を振って子供たちを呼んでいた。みんな迅雷の言葉に頷いて、登ってきた階段に今度はくだるために雪崩れ込んだ。下を覗き込めばまたしても果てしない道のりが続いているからちょっぴりうんざりするような、でもみんなといられる時間も長くなるから嬉しいような。
最後に、千影が迅雷の背中にぴょんと跳び乗って頬ずりしてきた。
「ま、大丈夫だよとっしー!ボクがきっと君を幸せにしてあげるからね!」
「余計なお世話だよ!・・・まぁ、ありがとな、千影」
なんにしたって、今の迅雷は十分大々吉だった。
作者は実は2、3年ほど前に大々吉を引いたことがあるんですよ?もしかしたら読者様の中にも引いたことある!って方もいらっしゃる?
そんなわけで、お正月特別編はいかがだったでしょうか。メタ?知らない子ですね。いろいろあっただけです。天の意思です。
では、今年が皆様にとって幸せで実りある1年になりますよう願っております。