episode5 sect63 ”踊れ、我が手の上で”
「出てきなよ2人とも」
千影が誰もいないように見えるビルの入り口の柱の陰に話しかけると、そこから2人の男が顔を出した。
「いやぁ、さすが千影だな。えげつなかったぜ」
「また派手にやらかしてくれちまって。向こうが増援寄越してきたらどうすんだっての。少しは考えろよ」
「まあ、ね。焦も鍛も、ひさしぶり。2人とも見てるだけで手伝わないなんて冷たいじゃん」
焦と呼ばれた赤髪のチンピラは呆れた顔をして肩をすくめる。
「そう言うなよ。そもそもお前と一緒に戦えって方が俺らには難しい話だぜ」
鍛と呼ばれた、腕の筋肉だけ異常に発達しているクールガイも焦の言葉に便乗する。
「そうそう。まぁ、ゴミ掃除は終わったんだ。さっさと行こう。本当に久々なんだから、親父と狐野郎にも挨拶してやれよ」
「言われなくたってそのつもりだよ」
焦と鍛に出迎えられた千影は、当然のように2人の背中を追う。
―――だが、微かに聞こえた声に千影は足を止めた。
「―――まだ生きてるんだね。君はすごいよ」
胸を刺し貫かれ体の内側を焼かれる重傷を負ってなお、迅雷は千影のことを睨み付けていた。恨みや憎しみではない。ただ、今にも苦痛に掻き消されそうな意識を千影を見失わないためだけに維持している、苦悶の表情だ。
その済んだ黒瞳を見て、千影は冷静、いや、冷酷だった。
「こ・・・れ、どういう、冗だ・・・ん、なのさ・・・?」
「冗談?聞いたかい2人とも、冗談だってさ。ボクはあっちが冗談言ってるようにしか聞こえないや」
「ははは!やっぱお前はやるときゃやるなぁ!」
「違いないな。あーあ、哀れなもんだな、あのガキも」
―――千影と共に嗤う男たちは、なんなのだ。千影とはどういう関係なんだ。
いや、それよりも―――。
「千影・・・お前、いった・・・い、なんなんだ・・・!」
「ボクはボクだよ。いつも通り、やりたいことをやりたいようにやるボクさ。マジックマフィアの『荘楽組』の組員の、千影だよ」
「まじっく、まふぃあ・・・?そうら、く・・・?なに、を・・・だっ、て、おま・・・ぁぐっ」
傷の痛みで喘ぎ藻掻く迅雷は、それでも千影の紅い瞳から視線を逸らさなかった。それでも、千影のことを諦められなかったのだろう。
「痛いんでしょ?苦しいんでしょ?じゃあもうゆっくり休んじゃいなよ。ほら、目を閉じてごらん。すぐに楽になれるから」
「いや、だね・・・」
いつまでも死にかけの少年に構っている千影を、後ろで待っている焦と鍛が急かした。
「おい、千影。そいつにトドメ刺さなくて良いのか?」
「いいよ別に。どうせすぐにポックリさ」
「そうか。じゃあとっとと行くぞ」
「あのさぁ・・・まぁいいよ。分かったよ」
千影はなにか文句でも言いたげに唇を尖らせたが、やれやれと肩をすくめ、深い溜息でそれを発散してしまった。
最後の最後ということで、千影は迅雷に別れを告げる。
「じゃあ、そういうことだから、さようなら。あー、そうそう。ボクら『荘楽組』はちゃんと人間の集団だよ。今日はここで君たちとはまた別の取引の予定が入っててさ」
「ま、待てよ千かッがっほ、ごほッ!!ゲホッ!!」
迅雷は千影に手を伸ばしたが、血に這いつくばる彼の手は、また、届かない。名前を呼びきることすら出来ずに、血を吐き散らして倒れ伏した。
「で、君たちも悪魔の連中もボクらの取引の邪魔だから消えてもらった次第さ。直に2号車の方も始末が済む。君の『制限』を外さなかったのは、君のその力だけはボクの障害になりえたからだよ」
「ウソだ・・・よ、それは・・・ウソ、だ・・・」
「まだボクのこと信用するんだ。笑えるね、哀れすぎて。出会ってから今までの出来事全部がボクの手の上で転がされてただけとも知らないで」
「・・・・・・」
「だから、全部、ボクの計画通りだったってことだよ」
「・・・・・・例えば・・・なんなんだ・・・?」
「フン」
なにと聞かれて応えてやる義理もないので、千影は迅雷の言葉を笑い飛ばした。
ただ、「なに」でなく、いつからだと聞かれれば、少なくとも迅雷と出会ったときには、と答えただろう。だって、入学式の日にマンティオ学園の敷地内で位相歪曲が起きて学校の中に大量のモンスターが溢れかえったのも、千影がそうなるように前夜から仕込んでいた結果だったのだから。過去の事例の無さからも分かるように対策が万全のマンティオ学園だ。普通似考えて、学生同士が校庭で試合をした程度でそんなことになるはずがないのに、みんながそう信じ込むようになった。
そこで迅雷を助け、自然な流れで千影は彼やその周囲の人間からの信頼を獲得した。迅雷の周辺の環境は千影にはとても理想的だった。心根の綺麗な馬鹿の集まりは実に御しやすく、その人の輪の中に隠れていれば向けられる疑念はとても小さかった。
『高総戦』の舞台裏もまた、始まる前から千影の思惑通りだった。頃良く現れたネビア・アネガメントを泳がせつつ迅雷を誘導してほぼ完璧な結果を作ったのも千影なのだ。数点の予想外はあったが、目的は達した。
そして、最後には適当な場所で適当に「一央市には悪魔が潜んでいる」という噂を発生させ、かつ5番ダンジョンの事態を利用して状況を動かした。あのときは偶然にも本人たちの力も利用出来たから、千影自身が驚くほどうまくいったものだ。
そこで迅雷の問題を解決することであれだけの騒動を起こした後でさえも一定の信頼を保つことに成功。おかげで今日この場所に全ての条件を揃え、最終段階に踏み切ることが出来たのだ。
思い返せば大体が迅雷のおかげかもしれないが、別に、彼は千影に利用されるためにそこにいただけだ。今となっては歯を食い縛る以上の行動すら取れない死を待つだけの少年に持ち合わせる感情などない。
最後まで愚直だった哀れな元同居人に背を向け、千影はなんだかんだで待ってくれている焦と鍛に「もういいよ」と告げた。
「さ、行くよ。2人とも」
「へいへい」
「なんでお前が仕切ってんだ」
「ボクの方が仕事してるからね」
―――待ってくれ。
這ってでも千影を追おうとして迅雷は地面を掴んだ。でも、もう限界なのは自覚していた。息も苦しくて、目は霞み、耳も聞こえているのかどうかも分からないくらい虚ろだ。咳き込む度に血を吐くのに、痛みを感じない。
「千影・・・なら、なんでお前・・・」
朦朧とした意識の中で、千影はもう一度だけ振り返ってくれたのが分かった。
「ごめんね―――とっしー。今までありがとう。そしてさようならだよ。永遠にね」
千影の姿は電源の切れた手動の自動ドアの向こうに消えた。
追いかけないといけない。まだ伝えたかったことも伝えられていない。千影をあのまま行かせたらきっと後悔する。そんなのは嫌だから。まだ、こんなところで止まってなんていられない。
自分が馬鹿なことを言っていることなんて分かっている。でも、馬鹿なのなんてお互い様だ。
悔しいし、腹は立つし、悲しいし。だから、なんとしても連れて帰るのだ。連れて帰って、夕飯を食べ終えた後にでもゆっくりと怒れば良い。寝る前には、一緒に笑えれば良い。
(千影・・・)
次にその名を呼ぶときにはもう、彼の目に光は灯ってなかった。
―――じゃあ、なんでそんな目、してんのさ―――。
●
「なんやろ―――あっちでどえらい音しよった気がすんねやけど」
「てか、多分しましたねぇ」
いや、多分というより、確実にした。
3号車チームになにかが起こったと見て間違いないだろう。空奈と李は顔を見合わせた。
「別に黒色魔力の反応はありませんでしたけどね。これは、うーむ、どういうことでしょう?」
「せやねぇ―――」
空奈は顎に手を当てて考える素振りをしながら、すぐそこにいる1号車と2号車のメンバーの様子を確認した。
爆発音を聞いてすぐ、会議室周辺の警備を担当する予定だった『山崎組』のメンバーが代表者たちをビルに入らせずに留めてくれていた。恐らく正しい判断だ。もはや会談を開くどころではない可能性が高い、と空奈は予測する。
今のところ北口に集まった者のうちでビル内に立ち入った人はいない。そして、立ち入るべきでもない。だが、立ち入らないわけにもいかない。なら、どうするか。
他の魔法士たちのまとめ役は『山崎組』のリーダーである山崎貴志が買って出てくれている。彼のリーダーシップがうまく他のメンバーの無闇な行動を制限しているのはありがたいことだ。普通の中年男に見えてもやはり一央市ギルドが誇る最優秀パーティーのリーダーなだけはあって聡明だ。
バスの外での待機を指示した後、貴志は空奈と李のところに駆け寄ってきた。李は反射的に空奈の背中に隠れたが、今は暢気にツッコミをしている場合ではないので空奈も貴志もスルーした。
「何人までは回せる?」
「そうは言いはりますけど」
空奈はこめかみに人差し指を立てて考え込んだ。
3号車の被害は分からないが、通信は出来ない状態だ。3号車に届かないだけではない。―――こちらの通信手段全てがジャミングされているのだ。何者かによって―――それは魔族か人かも分からないが―――まんまと嵌められた。
そして、その3号車だが、位置的には建物を挟むだけでそこまで遠くないはずが、助けを呼びに来る様子もない。仮に無事としても行動の自由度が皆無なことは察しがついた。
だが問題は、李が言っていた通り、黒色魔力の反応がないことだ。爆弾を投げつけられたと考えるのが妥当だが、それだけで行動不能にされる戦力ではない。
人に擬態したサキュバス族の魔力は表層的には人のものに似るが、まともな戦闘を行えば誤魔化しは効かなくなるはずだ。つまり、原因は他にある?
例えば―――。
「ウチ、なんやいやな予感してきましたわ」
「オイオイ、まさかバスの爆発事故じゃあるまいし」
「その方が何倍もマシやね」
「・・・・・・ひょっとして、裏切り者が出たとか、言い出しゃしないですよね?」
「否定は出来へん、とは言うときます」
裏切り、という一言だけで1人の顔を思い浮かべるには十分な情報量があった。すぐに全員がハッとした顔をした。
しかし、貴志は腑に落ちない表情だ。怒る寸前のようにも見える。彼は千影を信用して今回の作戦に歓迎するスタンスを主張した側の人間だ。彼女に疑いをかけるのを良く思わないのも自然であり、そして彼の仲間たちもリーダーがそう思うのだから、共に信じるのだ。
―――だが、空奈はその実、賛否のいずれでもない。
「真っ先にあの子の顔思いつきはったんやったら心のどこかでは疑っとったっちゅうことですやろ、山崎さん。・・・ま、いずれにせよこちらも戦力を大きく割きとうはない。そうですやろ?」
「・・・いや、参ったな。俺もまだまだのようですな。で、そうですね。こちらまで手薄になっては本末転倒ですからな。最低限のチームで分割しましょう」
空奈は李ともその点確認を取ってから、バスの外に出て待機している救護班にだけ声をかけた。
「みなさんのうちから特に応急処置が得意な方2名、向こうの様子見に行ったってください。李ちゃんをついてかせますんで」
背後からうわずった返事が聞こえてきた。でも、空奈はそれを無視する。
そしてまた、医療班も行動を躊躇っていた。李はこの様子であり、頼りないにもほどがある。なにが待っているかも分からない向こうに駆けつけたところで助ける前に殺されては話にならない。冗談も大概にしろという話だ。
だが、背中に隠れている李をつまみ出して彼らに差し出した。
「大丈夫。この子がみなさんのことしっかり守ってくれはるんで、大丈夫です。さ、早く」
さすがに迅速な判断だった。医師2名がバスを飛び出して3班の持ち場に向かった。