episode5 sect58 ”界斗君の発狂廃ビル探索ツアー 殺害編”
散らかったボロ切れ同然の衣服と、それに反して全く人の気配が感じられないことに、界斗は激しく疑念と怒りを募らせていた。もしやギルドの連中は先に来ていたのか?実は親に嘘の場所か時間を教えられていたのではないか?考え出すとキリのない人間不信が強烈な吸引力をもって彼を殺意の底へと引きずり込む。
いずれにせよ、もう事は起きている。中は暗くて分かりづらいが、何者か同士が争った形跡もある。それが今日のものかは判別がつかないが、界斗にはそのことは関係なかった。・・・関係があろうとなかろうと、関係があるのだ。彼の中では。
そして実際、その痕跡と床に落ちたボロ切れ同然の衣服には関係があった。
2階にさえ誰もいないことに苛立ちを募らせ、界斗は上への階段を探した。歩き回ったので、さっき上がってきた階段とは別の階段に辿り着く。ビルのデザインのつもりだったのか、階段は下の階へのものと上の階へのものとで無駄に間隔を空けて配置されているのが今は無性に腹立たしい。まるで時間稼ぎでもされている気分だ。
このビルは地上10階建てだ。今ので2割、次でいなければ3割。でも、界斗にとってはとっくに半分以上探し回ったような気分だ。自然と気持ちが逸り、界斗は忍び足を忘れていた。
靴底と床でツカツカと音を立てながら界斗は3階へと向かう。
「これでいなけりゃ殺してやる・・・ッ!」
いないのに、誰を殺すというのか。奥歯を削る強さで界斗は歯軋りをする。すると、そのイヤな音の隙間で、誰か―――男の声が聞こえてきた。
その事実だけで、界斗の心は冬の青空のように澄み渡った。メリメリと口の端が吊り上がって目尻が尖り、歓喜に全身の筋肉が震える。痙攣と紛うほどの武者震いをしてから、界斗は一度身を潜め、耳を澄ました。
「・・・・・・えちまっ・・・。しかもふ・・・・・・残して。さりげ・・・・・・馴染・・・じま・・・。笑えねぇな」
「!?」
でも、その男の声は、足先から虫が這い上がってくるような悪寒を覚える声だった。界斗には一瞬で分かった。これは人間のものではない。
―――しかしまた、どこかで聞いたことのある声のようにも思えた。
ともすれば界斗よりも冷酷で快楽的にも聞こえ、しかしまたどこかくだらなそうでもある。総じて言えば、全く感情が読み取れないのだ。一切の感情が読み取れないのではなく、あまりにも混沌としていて、まるでテレビの砂嵐のようになっているのである。
人間という生き物が発せられる声の質とは到底思えない音色に、界斗は確信を得た。
「間違いない・・・あれが悪魔だな・・・」
肌に感じるような緊張感で冷静さを取り戻した界斗は、ソローリと階段を上がり、頭だけを3階に出した。物音を立てないようにして、界斗は暗い廊下を階段の手すりがついた柵の隙間から覗いてみた。
そこにいたのは、若い男だった。なにをしていたのか―――疑問に思うまでもなかった。だって、今まさに男の周りに、さっき界斗が見つけたような、引き裂かれた衣服が舞っているのだから。
そしてなにより、界斗はその男に見覚えがあった。そう、忘れもしない。あのときの青年だ。
洞窟の暗さとその距離で彼の姿ははっきりと見えなかったけれど、今背後を振り返った青年の瞳は界斗の脳裏に刻み込まれたあの黄色に、淡く輝いていた。
男に見つかっては元も子もないと感じ、界斗は素早く全身を階段の陰に隠した。
「あいつ・・・間違いないぞ。合宿のときに急に出てきた、あの気色悪いヤツだ・・・・・・!」
あの日、洞窟の中から青年の様子を見ていただけの界斗でも、鮮明に覚えている。あまりにも異常で異様で、どこからが普通でないのかも分からなかった。
でも、これで納得だ。あの男こそ、人の皮を被った魔族だったのだ。ちょうど人に化けて人間界に向かう途中だったのだ。彼が悪魔だったなら、あの異常性も説明がつくはずだ、と界斗は考える。だって人間ではないのに、人間として見たときに正常なはずがない。
男の足音がする。界斗がいる方向に向かってきていると分かった。界斗は見つからないように息を潜める。
しかし、逃げようとは思わなかった。だって、界斗は今日ここに悪魔退治をしに来たのだから。
「・・・・・・(見つからなければ良いだけさ。隙あらば撃つ。それで終わりなのさ・・・)」
男の足音が近付けば近付くほど、界斗の興奮はますます強まっていった。ショットガンの引き金にかけたままの指が武者震いをしていて、意識しないと今にも引いてしまいそうだ。
どれほど強い力を持つ敵でもショットガンを至近距離で撃たれて傷を負わないはずがない。銃はスマートな武器だ。扱うだけの技術さえあれば、余計な鍛錬なんてしなくたって簡単に肉を穿つ威力を使えるのだから。だから、例え相手が悪魔でも、界斗であれば容易に殺害出来る。
不意に男の足音が止んだ。界斗のすぐ頭上だ。
男はキョロキョロと水平方向ばかりを確認して、階段に隠れた界斗には気付かないようだ。
「っかしいなぁ・・・。なーんかいたような気がしたんだけど。気のせいだったか?ちぇっ」
流暢な日本語で独り言を言って、青年は短めの髪をガシガシ掻いて大きな溜息を吐いた。敵がいるかもしれない場所でよくもそう大きな音を出せるものだ。よほど余裕に違いないな、と界斗は小さく笑う。この直後に殺されるなどと、あの暢気な悪魔は想像していないだろうに・・・それが界斗にはこの上なく面白可笑しいのだ。
いつでも隙を突けるよう、界斗は全身に弱めの『マジックブースト』をかけ、男の様子を窺い続ける。そして、そのときはすぐに訪れた。
「・・・まぁイイか」
「――――――(今・・・ぁ)!!」
男が界斗に背を向けた。すかさず界斗は立ち上がり、階段の柵の隙間にショットガンの銃身を挿し込んだ。柵の鉄と銃身の鋼が軽く擦れて音が鳴り、男が振り向くが―――。
「もう遅いんだよなぁぁぁぁぁ!!あっははははははは!!」
銃声が響き、界斗は真っ赤に咲く大きな花を見た。顔面に弾丸を浴びせられた男はぐらりと仰け反った。吹っ飛びこそしなかったが、水面に大きな石を投げ込んだように大量の血と肉が飛び散った。びしゃっと顔に浴びた生温い液体がとんでもなく気持ちいい。
「入った・・・決まった・・・!!うひゃっ、やった、ぃやったやったやっらぁぁぁぁっははははははははッ!!なーんて気持ち良いんだ・・・ろうなあ、ぶっひゃ、ぎゃはははごほっ、は、あははは!!血だよ、血だぁ!あはは、うふふうふっひひひひ真っ赤に弾けて見た?見たかよ今の赤いのえへへ」
絶頂。今まで感じたこともない快感の極みだった。なんて言ったら良いのか全く思いつかない至上のエクスタシー。2秒前までしゃべっていたヤツをブッ殺す感触。抑えようもなく股間が熱くなるような秀逸な愉悦だった。
「痛いのかにゃぁ、痛いんですかぬうぇえ?いひひひひ!!もう痛みわかんないかな、頭がブッ壊れたわけだし!いやぁ、元々だっけ?だって人間じゃないんだもんわかんないんだごぉめんねぇぇぇ!でも苦しいんだろぉぅ?いいよ、今楽にしてあげるから・・・ふひょ、んほほほ・・・!!」
噴水みたいに血を噴いて、こんなにも仰け反ってなお、両足を地面につけている気色悪い悪魔に界斗は話しかけ続ける。いよいよトドメを刺すために再び銃口を突き付けると、さっきの手応えが思い出されて鼻血が垂れてきた。誕生日に豪華なご馳走を用意されたときにもこんなに涎は出てこなかったように思う。
今度は近くまで歩み寄って腹に接射してやるつもりだった。硬くて黒い筒の先っちょを死にかけの悪魔の腹にぴとっと当てると、またもやなんという気持ちよさだろうか。生命も尊厳もなにもかも蹂躙して蹂躙して蹂躙しつくすこの一瞬こそ界斗がこの人生で一番求めたものかもしれない。僅かに感じた肉の弾力で遂に界斗はびくんと跳ねた。下着の内側でどろりという感触。
「・・・ぁふぅ・・・さっさと終わらせよう・・・」
まだ体にビリビリと流れ込んでくる不快感と嫌悪感。一刻も早く、この男の体を粉々にしてやりたかった。そしてもう一度快楽の向こう側へ―――。
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迅雷はギルドに向かって歩きながら、ずっと考え事をしていた。
千影とはずっと顔を合わせていなかったが、その一方で以前甘菜のケータイを借りて電話をかけて以降は、ときどき千影と連絡を取り合っていた。それなら全く音沙汰なしよりマシに思えるかもしれないが、むしろ声しか聞けないことが迅雷を寂しい気分にさせていた。
調査の仕事が終わった後も彼女はなにかしら新しい仕事があって忙しく、家に帰ることが出来ないと言っていたのを思い出す。なにをしているのかと聞いたら、今度は魔族たちが今日の会談の前に不穏な行動を見せないか監視しておいて欲しいと頼まれたとか、なんとか。
結局彼女を良いように使い続けるギルドには、多少やるせない気分になったのは間違いない。誰か一人でもいいから、千影がほんの幼い少女なのだと認識してやって欲しい。
何度も電話をかけているうちに千影には、そんなに寂しいのか、とからかわれた。それはもう言うまでもなかったが、口を突いて出る強がりは治らなかった。千影があざとく笑うので誤魔化すようにそっちは寂しくないのか、と尋ね返すと、彼女はこう応えた。
『大丈夫だよ』
1人で仕事をするのは大変なのではないかと聞けば、そんなことはないと言われた。でも、本当にそう思っているなら、もう少し、元気に言って欲しかった。強がりで言えば、結局どっちもどっちだ。
本当にワガママなんだと言い張るのなら、もっと最初から一緒に戦えるようになってくれと駄々をこねて欲しかった。
ふと、もう関わらないでと叫んだ千影の顔を思い出すときもあった。その度に、千影にあんな顔をさせた自分が今更彼女との再会を喜ぶのが許されるのかと恐くなった。初めに相手を拒絶したのは迅雷だったのだ。
でも、少なくとも迅雷は本心から千影を突き放そうなどとは欠片も思っていなかった。本当ならずっとずっと感謝しなければいけなかったのだ。だから、もう一度千影の目を見て言わなければならない。今度は、夢の中ではなく現実で。そうでないとなにも戻ってこない。千影を連れて帰るというのは、そういうことなのだ。
ただ、迅雷にはそんな千影との電話のやりとりの中でひとつ、心残りな一言があった。
『―――今はまだ、寂しくないから』
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「いだいいだいよいだいってばやめてくださいいたいのはイヤなんだやめでッ!!」
他に誰もいない建物の中で叫び声だけが響いていた。