episode5 sect57 ”界斗君の発狂廃ビル探索ツアー前編”
夕闇が空に満ち始めた頃、藤沼界斗は一央市内にある、壁面の一部がガラス張りにもなっている、とある大型複合施設の立派なビルに来ていた。ただし、ビルと言っても廃ビルだ。そこは2、3年ほど前に所有していた企業が不正の発覚等で経営に大打撃を受けた影響で撤退して以降、幽霊が出るやらモンスターの巣窟になっているやらの噂が流れ、新しい買い手がつかないまま放置されていた場所だ。
昼間はもちろんのことながら、夜間でさえ周辺の交通量は一定値を安定させているような土地でありながら、その暗い噂故にここには人が寄りつかない。今も工事中と誤魔化して地上3階程度までを壁に囲まれたままだ。
事実かは分からないが、肝試しに行った若者が戻ってこなかったとか、大怪我をして声すら出せなくなったとか、それは恐ろしい話すらある。界斗の意見としては、そいつらが生きていようが死んでいようが知ったことではないのだが、一方で面白い話ではあると感じた。なんの因果なのだか、いろいろな人にとっていろいろな意味で邪魔でしかないこの巨大な廃屋は取り壊されていないどころか、不良の落書き跡すら見られない。
恐らく、ギルドはそれを今日に都合が良いと判断したのだろう。確かに、良い物件に違いない。
「―――にしても、くくく、冗談でもお話をしに集まるようなトコじゃないよねぇ・・・。まぁ、中は綺麗なもんなんだろう?確かに会議室みたいなのはまるごと残ってるのかもしれないな」
お化け屋敷で怪談ではなく会談をするような物好きはいないだろうけれど、それでも両者は無様な争いを回避したいだろうから、話し合いのテーブルに着くはずだ。想像するにも滑稽すぎて、界斗は笑いを堪えるのに必死だった。
きっと誰も界斗がここにいるなどとは思わないだろうな、と彼はほくそ笑む。分かるはずがない。なにせ、今日ここで行われることの情報は関係者以外には教えてはいけないことになっているのだから。
―――でも、その関係者の輪はどこまでだ?つまり界斗がここに来られたのもそういうこと。
「僕はツイてたよ。神代がギルドでしていた話と、受け取った封筒。そして僕自身の父さんもライセンスを持っていた・・・全部、その時点で揃ってたんだ」
悪魔が街に潜んでいるという噂の真偽を確かめようと歩き回っているうちに辿り着いたのが、先日の神代迅雷とギルド職員の会話の場面だったわけだ。その後、思いがけずランク4のライセンサーでもあった父親が迅雷と同じ封筒を手に持っていたのを見かけたときは、感動さえ覚えたものだった。あれほどまでに条件が整えば、界斗が父親から今日の話を聞き出すのは難しくなかった。
なにせ、家族なのだ。別に職種にかかわらず、いつどんな仕事をするという話を教えてもらってなにがおかしい。魔族のことなど多少伏せられた内容はあっても、そこは界斗が苦労して集めた話から全体を類推出来た。
今頃はギルドに向かっている父もまず大人しくて穏やかな自分の息子が先回りしてここへ来ようとは思っていない。親に知られることもなく、それ以外の誰に見られることもなく、界斗は易々と忍び込んだ。後は、彼らが来て見つかる前にしたいことをするだけ。
「僕がわざわざここまで手をかけたんだ。その分は僕が楽しいようになってもらわないと困っちゃうな。うひひ、えはははっ!」
雑草の生えた駐車場には車が何台もあった。誰も気にも留めない場所だから、なんの気兼ねもなく車を停められたのだろう。
まぁつまり、既にこの建物の中には誰かが―――それもそこそこの人数が集まっている。
その誰かというのは、十中八九魔族の者たちだ。
―――あぁ、もう、面白くて笑いが止まらない。もしも、界斗が1人でここに立ち入って、本来やって来るはずの人間を待つ悪魔を撃ち殺してやったら・・・なにが起こるのだろう。いやぁ、ただの純粋な興味だ。彼らは界斗にどれほどの憎悪を抱くだろう。仲間の死にどれほど戦慄するだろう。恐怖はいかほどのものか。
正直、最近はもうどうだって良い気がしていた界斗は、そんなことを考えていた。もちろん、なんの思慮もない。規模が違うだけで、衝突回避のために国のお偉いさん方が集まる会談にテロを仕掛けるのと一緒だ。どういう意味で規模が違ってくるのかは、想像に任せるが。
でも、どうだって良いのだから、戦争になろうが人間が他の世界から軽蔑されるような事態になろうが、構いやしない。彼は自分がその一瞬を楽しめればそれで良いと本気で思っている。ネビア・アネガメントとの一戦で屈辱を味わった彼は、とうに自棄をこじらせて破綻していた。元々歪んでいた倫理観は今度こそ消し飛んで、論理的な思考が出来ているのに論理的な思考が出来ていない・・・みたいに言える。とりあえず常人には理解出来ないものの考え方になっている。
つまり、今の界斗は至極当然のように常軌を逸した行動を起こせてしまうのだ。ちょうど、先日学校で同学年の生徒に散弾銃の引き金を引いたときのように。
界斗は電源が入っていないからか動かない自動ドアを諦めて、普通の扉を手で押し開け、ビルの中へと踏み込んだ。
潰れる前はさぞ人で溢れていたのだろう。暗くてがらんどうの1階は広々としていて、オブジェや壁が残されているだけだ。確か裏からも入れたはずだが、そちらの様子はその壁などで遮られて界斗の入ってきた入り口からは窺えない。
「へぇ・・・まだ電気も通っていたんだな、ここ」
廊下の照明はスイッチを入れたら明かりが点いた。もっとも、コッソリ移動したいので、すぐに電気は消したが。
まず自分よりも強い力を持つはずの魔族が何人もいる建物の中を、界斗はショットガン片手にゆったりと散策する。まるで余裕である。
「撃ったらどんな顔をするかなぁ。いや、顔を吹き飛ばしてやるのも面白いかもしれないなぁ」
感情を持たない小型のモンスターを痛めつける遊びには、もう飽き飽きしていた。人と同じように感情を持つ異世界の住人たちを手にかければ、新たな悦びが待っていそうな気がした。いっそ人間でも良いのではないかと思う瞬間もあったが、せっかく世論は魔界に怯えて嫌悪を募らせているのだ。魔族を殺した方が愉快になるに違いない。
しかし、界斗はビルの1階を1周したが、人影のひとつも見つけられなかった。
「1階にはいないのかー。そうかー」
止まったエスカレーターはシャッターが下ろされて立ち入れない。エレベーターも恐らく動かない。向こうに見える階段を使うほかに上へ行く方法はないだろう。階段を見上げ、界斗は舌打ちをした。
「なんでこの僕がわざわざ階段を登らなきゃいけないんだっ。あー・・・ムカつくなぁ。さっさと目の前に出てきてブッ殺させてよ、ねぇ・・・?」
文句を垂れつつ、界斗は階段の1段目に足をかけた。手すりを握っても、埃の感触はなかった。2年以上放置された建物でそれはなかなか考えにくい。やはり直前に誰かがこの階段を使用したのだと分かる。
苛立ちを押し退けて胸が高鳴るのを感じながら、界斗は階段を一段一段丁寧に上がっていく。獲物を目の前にした狩人のような気分だろうか。
しかし、階段を登り切ったところで界斗が見つけたのは、とても興醒めするものだった。
「・・・服?誰のだろう・・・酷くボロだな」
ダメージジーンズは流行しているかもしれないが、普通のTシャツまでズタズタにするのも流行っているのだろうか。
触ってみても、ボロボロなこと以外にはこれといっておかしなところもない。数メートル離れたところには若者が夏に好んで穿きそうな短パンも落ちている。チャラいベルトもついたままだ。
こまめに洗濯されていたのかホームレスが着用していたような雰囲気もない。ただ、ボロボロなだけだ。
「まさか、こんなとこにまで連れてきてレイプでもしてんのか?とんだ変態だな、だとしたら」
1階はエントランスだったが、2階のフロアは本格的に店舗が入っていた階だ。いっそう壁が多くなって見通しは悪い。服が落ちていた場所から一番近い部屋の中を覗いても人はいなかった。でも、実際にもう少し探すと、女性用の衣類も床に落ちていた。下着なんかも見えたが、最近の界斗はそんなものを見てもなにも思わなくなった。死体の方がずっと界斗を快楽に浸らせてくれそうだ。
「・・・・・・はぁ、鬱陶しい」
この服の持ち主を見つけたらついでで射殺して気を晴らそう、と界斗は気を取り直した。どうせ今日は少しすればギルドの人間が来て見つかるのがオチだ。強姦だかなんだか知らないが、襲う側も襲われる側も望まない結末を迎えるのが想像出来る―――。
「―――からしてぇ?僕は優しいから2人とも殺してあげるのさ。まぁ、代償としてじっくりと逝ってもらうんだけどねぇぇ。うふふふふふ」
裸体の男女を散弾でグシャグシャの肉片に変えるシーンを想像しながら、界斗は2階を歩き回った。愉悦に助けられて足取りは軽い。
シャッターが降りている場所とそうでない場所がまちまちだったが、入れないところには界斗もわざわざ入ろうとは思わなかった。メインフロアを散歩した後、彼はスタッフオンリーの業務スペースを覗いてみたりもした。ほとんどの部屋が鍵もかけられていなかったのに、1ヶ所だけ鍵が閉められていたときはさすがにイラッとしたか。一瞬ショットガンで扉ごと吹っ飛ばそうかとも思ったが、それでいるのがバレてサプライズに失敗しては面白くないので我慢した。
しかし、妙だ。2階にも結局誰もおらず、反してなぜか服だけがもう2着ほど見つかった。しかも、そのどれもが破れている。まるでなにか野蛮な力に襲われたかのように。
「まさか・・・既にギルドの連中が悪魔に殺された後だったとか言うのか?いや・・・っ!」
―――そんなはずがない。だって、父親は界斗に、午後6時にギルドに集まると言っていたのだ。実際、界斗が家を出たときにはまだ彼は家にいた。
「別の部隊が先に来ていた・・・か?くそ、くそがくそがくそがキモいんだよこんなの・・・ッ!!もしかしてアレか?あのクソ親父が僕を騙したとかですかねぇ、ありえるもんなぁ。あー・・・帰ったら殺してやる!」
現在の時刻、ちょうど午後の6時。
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「おっるすっばんー、おっるすばんー、今日は夜までゲームざんまーい」
・・・とはいかない。
時計の時針は本日二度目の6を指している。テーブルの上にはもう準備を済ませてある夕飯を自分で温め直して食べておいてね、という書き置き。なにやらえらく気合いが入っている様子だったが、果たして今日も大丈夫なのだろうか。