episode5 sect55 ”夏休み、どうする?”
「なっつだぁ!」
「うっみだぁ!」
「ほっしゅーだぁ!・・・・・・ウッ・・・」
「「あああっ!?」」
夏休み開始から数分で慈音は両膝を床についた。彼女にはこれから補習の日々が待ち受けていることをすっかり忘れて暢気にはしゃいだ向日葵と友香は、あまりにも今更、慈音をフォローし始めた。
「だ、大丈夫だって慈音っち!補習って言ったって夏休み全部じゃないでしょ!?」
「そうよ!それが終わったときにはみんなで遊びに行こう!ね、そうしよう!」
「向日葵ちゃん、友香ちゃんんんん、2人ともぉ・・・!」
元はと言えば慈音がテストで点を取れなかったのが問題だと言われれば、まぁ、そうなのだけれども・・・彼女の場合は本当に頑張ったのにダメなパターンなので、責めづらい。
女子3人があれこれしているのを近くで眺めて、迅雷は長く息を吐いた。なんだかんだしているうちに1年生の1学期が終わってしまった。
長かったようにもに思えて、でも、一瞬だったようにも思える。ただ、思い返してみれば、やたら波瀾万丈な4ヶ月だった。割と本当に、高校入学前の約16年間の密度を覆すレベルでいろいろあった。きっとこれから先は、もっといろいろなことが起きるのだろうが。
少し前まで体育館で終業式をしていたのだが、噂通り、式の場には学園長の清田宗二朗がやって来た。だからかして教頭の三田園松吉がいつもより気楽そうだった風に見えた。元々深い心理を表に出さない教頭がそうなので、今日は本当にストレスが少なかったのかもしれない。毎度学園長の代わりにスピーチをするのも大変なのだろう。
と、まぁ勤勉で健気な教頭先生のことは別にどうでも良くて、やはりみんなが見たかったのは宗二朗だった。
例えば、迅雷と真牙、そして煌熾の3人は例のギルドでの駆逐作戦開始直前に宗二朗を見かけていた。もちろん、彼がその作戦に戦力として参加していたことも知っていた。そして今日、彼がどんな姿で自分たちの前に現れるのだろうかと考えていた次第だった。なにしろ、その作戦は魔族の妨害など想定外の事態が続いて熾烈を極めていたというのだ。聞く話では犠牲になった魔法士の中にはかなりのベテランすら含まれていたとかで、宗二朗のことも心配になってしまう。
しかしまた、安心しか出来ないほど無事に戻ってきた宗二朗は、しかもそのときの話を壇上にて語ったくらいだった。だから、今日の生徒たちの食いつきはすごかった。さすがに現役の国内最高位クラス魔法士の紡ぐ武勇伝ともなると、魔法士志望者たちには興味の尽きない話題だ。相変わらず式の予定時間そのものを1時間多めに取っておいてもなお延長を余儀なくされる学園長の長話も、遂に花開くときが来たのかもしれない。
聞けば聞くほどに、迅雷は自分の通う学園のトップであるランク6魔法士、清田宗二朗の偉大さを思い知った。少なくとも彼が率いていたチームの被害はゼロだったそうだ。まだ「世界でも有数の光魔法使用者」でしかないのなら個人の強さ以外に評価する点はないが、彼はそこに留まらない。迅雷の父親も同様だが、本当に優れた魔法士というのは仲間とも上手に戦える人のことを言うのだ。
また道のりのゴールが遠く見えたなら、溜息の1つもしたくなる。
「なんだよ、溜息なんて吐いて。また鬱病発症したのか」
「うっせぇ、違うわ。・・・真牙は学園長の話聞いてなんも感じないのかよ」
「すごいとは思ったぞ。でさでさ、なぁ迅雷。お前、休み中の予定は?」
「いや、今週末にやることあるけど、それ以降はまだだな。お前はどうなんだ?」
「オレも未定多しってとこかねー。ちょくちょく家の手伝いさせられそうだけど。・・・まぁ要はどっちも暇ってこったな」
「そうだな」
「じゃあさ、慈音ちゃんの補習終わったらみんなで海でも行かね?」
「海かぁ。いいかもな、それも」
まだそこで慈音を慰めている向日葵と友香や、今ここにはいないが、直華や煌熾なんかも誘ってみたら楽しそうだ。それからもちろん、千影も。
今でこそこうしていつもっぽい日常を過ごせているが、溜まっているストレスは計り知れない。海に遊びに行ってみんなで騒いでパーッと発散してしまえればさぞ気持ちいいことだろう。
真牙も迅雷の表情を見て彼の考えを大体察した。
「そうそう。みんな一緒ってのがなによりだぜ。大小さまざまな水着を一度に拝めるチャンス―――それはもう素晴らしい思ひ出に・・・」
「死にかけてもその煩悩は治らなかったな」
「当たり前じゃんか。オレが煩悩を失うこと、それすなわち精神的な死を意味するのであって、またもってこの世におにゃのこのエロスがある限りオレの煩悩の火が消えることはないのさっ!」
「よく分かんねぇけど要はただの変態ってことですね分かります」
指で丸めがねを作った真牙がクラスの女子たちを観察して鼻息を荒くしている。教室の中にいた女子の敵にドン引きした女子たちが足早に下校してしまった。こんな友人の姿を見て謎の安心感を感じてしまう迅雷はきっと異常なのだろう。早々に精神科にかかるべきか。
「お前最近1年の女子の間でなんて言われてるか知ってるか?」
「いや。え、なに?イケメン真牙様?」
「『なんで生きて帰ってきたんだろうあの変態』だそうだ」
「がふっ・・・、ご、ご褒美かな・・・ッ!」
「無理すんなって。どう見ても苦しそうな顔してるぞ。まぁ安心しろって。ホントにごく一部の子しか言ってねぇし、そいつらには俺が厳重注意しといたから。もし死んだら夜な夜な同時多発的にお前らの枕元に現れて愛を囁くから生きてる方がマシだぞって。ま、これからは精々自粛しながら生活するんだな」
「そりゃお気遣いどーも、クソッたれめ」
無論、本当にそんなことを言ったわけがない。分かっているから、真牙もそれ以上なにも言わなかった。
迅雷は椅子の背もたれに体重を預けて、海の話題に戻した。慈音らも一応落ち着いたようで、迅雷と真牙の話を聞きつけて飛んできた。
「としくんたち、海行くの?いいねー!」
「まぁ、行こうかなって感じかな、まだ。もちろん行くときはしーちゃんたちも一緒に行こうよ。真牙だけとかむさ苦しすぎて絶対熱中症になるしな」
想像するだけで吐き気のする状況だ。男だけで海に行ってどうするというのだ。真牙ほどではないにしろ迅雷だって微塵もお色気要素がないようなら海になんて行く気にならない。
でも、慈音が水着を着たところで色気があるのかというと、ちょっと怪しい。特に胸囲の関係で。まぁ、そこは慈音よりかはまだ膨らんでいる方の健康的ボディな向日葵とか、学年でもトップクラスのワガママボディな友香を誘えばなんの問題もない。あとホントのところ、迅雷としては直華の水着さえ見られればノルマは達成である。末期シスコン患者は伊達じゃない。
海の話で盛り上がっているのは慈音だけではない。さっきもそういえば海だなんだと騒いでいた向日葵と友香もノリノリである。
「でも、友達みんなで海かぁ。なんかザ・青春って感じするね!」
「そうね。私も今から楽しみになってきちゃった。海用の水着、考えないとだね」
「あ、そっか。あたしも新しいの買わないと」
「「水着・・・」」
「今真牙クンも迅雷クンも変なこと考えたっしょ」
向日葵が怪訝な顔をしたが、はてなんのことやら、迅雷も真牙もフイとそっぽを向いた。
別に、友香がやたら布面積の少ない水着を着た姿とか、向日葵がサンオイルを塗って欲しいと頼んでくるシーンとかなんて、想像していない。
「ジー・・・」
「「~~~♪」」
「あっ!やっぱり!」
「仕方ないだろ!俺たちだって男子なんだから!それに減るもんじゃないっていうかむしろ水着姿なんて見せてナンボのもんじゃん!」
「そうだよ向日葵ちゃん!オレたちはなにも悪くない!純粋にみんなのサマースタイルが楽しみなだけなんだから!」
「いや、だから・・・2人の言う通りのような気もしなくもないけど、それでもなんか大切なものが減ってる気がするというか、知らんところでハードルがグングン高くなってる気がするんだよね!?そ、そしてなにより無駄に照れ臭い・・・」
当日初めてお披露目して悩殺するならまだしも今の時点からそれを期待されているとさすがに困るわけだ。しかもそんな期待を抱かれること自体が女子としてはくすぐったいところもあったりして。
一方、向日葵だってキレイな肌をしているのだから恥ずかしがることなんてないのに、なんて勝手なことを考える男子2人であった。
「海に行くなら、昼は泳いで夜は浜辺でバーベキューなんて良さそうだよな」
「それいいね。あ、それから花火なんていうのもオツじゃない?」
「おー、花火かぁ」
迅雷が話題を逸らすと、向日葵は簡単に流されてくれた。2人に続いてみんな口々に案を出し合う。例えば沖まで競泳してみるとか、素潜り大会でバーベキューの食材見つけようだとか(どこで潜るつもりなのだか)、花火の後は星を眺めるとか、いろいろ。
まだ行くか決めたわけでもないくせにどんどん楽しそうになっていく海計画。いざ実際に行けたなら、とんでもなく楽しいことだろう。
「この楽しさも平和も、続くんだよな・・・」
「?どうかしたの、としくん?」
「いや、なんでも。こんなにいろいろ計画しちゃったら行くっきゃないなって思ってさ」
「そうだよね!うん、絶対行こうね!」
千影との約束の日は近い。この日常とわずか薄皮一枚のみを挟んだところに潜んでいる魔界との関係のこじれを修復しようという、その日だ。そして迅雷にとって、あのときから少しは変われたはずの自分を千影に見せてやる日だ。そうしてやっと千影が家に帰ってくるから、そこからが迅雷の本当の「いつも」なのだ。
みんなと立てた計画で、みんなと一緒に楽しめる日が待っているんだ。みんなで一緒に楽しめる日が待っているんだ。待っているはずだ。―――もちろん、千影も一緒に。
きっと一緒に行けるさ、と、迅雷は口の中で呟いた。
窓枠に区切られた校舎の外には、夏の青空がどこまでも広がっているように見えた。