episode5 sect54 ”心の成長”
直華のフルスイングが、神田の剣を弾き飛ばした。彼を守るものはもうない。焦りで彼が宙を舞う剣に手を伸ばすようなら、『ミョルニル』の柄頭がトドメを刺した。
ストップがかけられる。ようやく、直華は歓声を浴びていることに気が付いた。いつの間にか溢れる声援は直華の名前を呼んでいた。
「か、勝った・・・?やった、やったぁ!」
勝とうとして頑張った。負けたくないと思ってありったけの力を出し切った。でもまさか、こんなにもうまくいくなんて、想像していなかったはずだ。ホイッスルと同時に直華のところへクラスメートたちが押し寄せて、お祭り騒ぎになった。
しかし、一方が勝者なら、もう一方は敗者だ。
「クソがクソがクソが・・・納得いかねぇ・・・!!」
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「よし!」
直華が勝利を決めた瞬間、迅雷はガッツポーズをした。信じてはいたが、あんなにうまく巻き返してくれると自分のことのように嬉しかった。彼の隣では真名と慈音も手を叩いて大喜びだ。
「直華もいつの間にかあんなに強くなっちゃって。お父さんの血は争えないわねー」
「神田くんもすごかったのに、それに勝っちゃったなおちゃんはホントにすごいんだねー」
「ホントに特訓つきあった甲斐があったよな。兄孝行者のすばらしい妹だ、ナオは・・・しみじみ」
思い思いの感想を並べて立てているうちにレフェリーが試合終了のホイッスルを吹いた。今まで周りでウズウズしていた直華のクラスメートたちは、ワッと彼女の下へ駆け寄っていく。
1年生のくせに、なんとでしゃばりな大活躍だろうか。直華に群がった生徒たちの大騒ぎときたら相当だ。いつまで立っても捌ける様子がないので、スケジュールもあるから彼らを散らせようと先生たちは必死だ。でも、大勝利に酔った生徒たちの勢いに負けて床に尻餅なんかをつかされている。しまいには担任教師が駆けつけて生徒に混じるので収集がつかない。
見知った大人の情けない様子を見て迅雷と慈音も笑いを溢してしまった。
「あのマジメな戸村センセがこかされて目ぇ丸くしてんのな。ぷぷっ・・・」
「ダ、ダメだよとしくん・・・そんなに、笑っちゃ・・・ぷふっ・・・」
「いや、しーちゃんも笑ってんじゃん・・・」
「だってぇ・・・」
しかし、和やかな時間もそう長くは続かなかった。認められない敗者の張り上げた声で時間が止まる。
「納得がいかねぇよ!なんで勝ってんだ!」
ザワ・・・という擬音が空気中に色として溶け出したみたいに感じられた。まったく全ての取り繕いもなく放たれた悲痛で理不尽な訴えは神田のものだった。
神田は、これが現実だなんて認めたくないのだ。なにしろ、失敗を知らない人生の勝ち組だったはずの神田が、よもや年下の女子生徒に二度も顔に泥を塗られたのだ。そんなことを彼がよしとするはずもなかった。世界の中心が違う場所にズレたように感じられてならないのだ。
姿形は誰もの注目を集め、学業に秀で、魔法の腕も抜きんでていて、穏やかで爽やかで、もてはやされていなければならないのは、神田なのだ。まず疑う必要もなく、誰もがそう思っている。一切の認識の食い違いがないのに、神田の周囲が不穏な雰囲気を見せ始めた。
「ここはお前、俺が勝って『やっぱり神田君はすごいな』ってなるとこだったろ・・・?なぁ、みんな?」
幻でも見るような目をして神田は彼を慰めるべくして集まってきた級友たちの顔を見渡した。でも、いくら尋ねても誰も彼に明確な言葉を返せなかった。みんな自分たちの知らない神田少年の剥き出しの内心に怯えているのだ。あまりに激しい落差は彼が狂ったと思わせるに十分だ。
無言に耐えかねた神田は、しかし、確かに狂ったと言っても良かった。そもそも自分自身がこんな自分を知らないのだ。今まで公転軸だと思っていた自分がいつの間にか自転軸になってみんなの怯えた目を見回していることが屈辱でしかなかった。
「なぁ!?」
「あいつ・・・マズいなっ!」
「あ、としくん!?」
どれだけ今日の敗北がショックだったのだろう。化けの皮が剥がれた、と表現して良いのか、神田をどう表するべきなのか、迅雷には分かりかねた。でも間違いなく、今の神田は理性的とは言えないはずだ。
試合で弾かれた剣を拾い直して、神田は脅すように怒鳴り散らしている。あれは良くない。
迅雷は嫌な予感がした。ほんの最近にも自分の学校でこんなことがあったらしいからだ。教師たちですら、普段の優等生の変わりように今ひとつ信頼を捨てきれずに動けていない中で、迅雷だけが神田を止めるために駆け出していた。
「なんだよ、なんで誰もなんも言わないんだよぉ!あぁぁぁ!全部あの生意気な1年のせいだよ!お前さえいなけりゃッ!!」
「おい!!」
言葉になっていないような金切り声を上げた神田が剣を無造作に持ち上げた。やっと焦りだした大人は遅すぎる。
「この―――!!」
間一髪だった。神田が、子供が木の枝で遊ぶような無自覚さで振り下ろした剣が彼の近くにいた友人たちを襲う前に、迅雷の剣が間に合った。
「っぶねぇな!バカ野郎!なにしてんだよ!」
「ぁ・・・?神代先輩?なん・・・なんで止めんだよ!碌に魔力もねぇポンコツ剣士だったくせに俺の前に!」
「ポンコツはカンケーねぇだろ!余計なお世話だバカ野郎!」
「バッ・・・!?さっきからバカバカ言いやがって、邪魔なんだよ!!」
内心ではそんな風に思われていたことを知って迅雷は少なからずショックを受けたり受けなかったり。結局のところ、迅雷の中でも当時1年生だった神田のイメージはみんなと共有された理想的な中学生だったわけか。こんなことになってもその印象が生きていたのだから、もう十分すごい話だろうに。
悪意を表出させず好印象な少年でいた分マシも相当にマシだが、迅雷の中ではなんとなく、今の神田は藤沼界斗に重なった。そして、界斗の姿が神田に重なってもいた。
結局自分が優秀だったから他のみんなを見下しがちで、たまに劣勢になると認めたくなさに喚いてしまうだけだったのだ。
でも、自分を誇れることは素晴らしいことではないか。そう思えば神田も―――そしてあの藤沼界斗だって、空っぽだったどこかの誰かさんよりずっと救いようがある。
もしかしたら、いつかどこかで、迅雷から歩み寄れば彼とも和解出来る日がくるかもしれない。
「どけ、どけよ!」
「だから・・・暴れるな!」
神田の周りに集まっていた生徒たちが、迅雷が彼を押さえている間に離れてくれたので助かった。弾き飛ばすと危ないので、迅雷は神田の剣を下に流して踏みつけた。頭に血が上ったガキンチョをあしらうくらい、なんてことはなかった。
「は、放せよ!俺の剣なんだよ!?」
「落ち着けって神田。危うく同級生斬りつけるところだったぞ?お前」
「・・・ッ。・・・・・・」
中学2年生の職業病であれこれ考えて言ってしまうのは止めはしない。それで後になってうずくまるのは自分だけなのだから。でも、14歳になって人を斬れば、もう刑法だって適用されてしまうのだ。一体何人の手を焼かせて苦悩にうずくまらせるつもりなのか。
神田が剣を奪い返そうとする力が弱まった。まだ人を傷つけることに罪悪感を感じられる神田は素直な人間だ。それだけでも、迅雷はホッとした。
迅雷はそっと足をどかしてヨロリとしゃがんだ。なんだかんだで直華も危ないところだったし、肝をキンキンに冷やしてしまったものだから、気が抜けたのだ。神田を見上げる格好になるのは嬉しくなかったが、迅雷はそのまま話を続けた。
「あのな、神田。俺もみんなもお前のことはすごいやつだって認めてるんだから。だからさ、お前もたまには認めてあげようぜ。な?」
成績を維持するためには勉強だってしてきたんだろうし、スポーツとかはまぁ、才能なのかもしれないけれど、魔法だって頑張らなければあんなには戦えない。内心はともかくとして、みんなに好かれる神田であることにだって多少の努力は必要だったことだろう。それはきっとすごいことだ。
「負けたらもうすごくなんてない・・・」
「良いじゃんか、ちょっとくらい負けたって。負けたら神田の価値はないのかよ?違うだろ?負けても成績も運動神経も悪くなんないじゃん。フツーに考えてさ」
「そんなの・・・」
何回死にかけて土を食ったって、迅雷のそばにはいつもみんながいてくれた。迅雷なんかよりずっと友達の多い神田が自分の価値を危ぶむなんて、贅沢な悩みじゃないか。
離れて見ていた神田の友人たちは、迅雷の言葉にしきりに頷いてくれている。みんな、まだ神田のことを信じて慕っているのだ。
神田はなにか言い返そうとしたようだが、結局、なにも言わないで走り去ってしまった。彼の後ろ姿を不安そうに見つめている彼のクラスメートたちを振り返って、迅雷は溜息を吐いた。
神田がいなくなって、級友の1人が迅雷にお礼を言った。でも、そんな彼もまだ神田の豹変に同様は隠せず、そして同時に傷付いた神田のことが心配でもあるようだった。
「あの・・・ありがとうございました。・・・危ないところでした。本当に、ありがとうございました・・・」
「いいよ、むしろ俺がゴメンだよ。部外者が出しゃばって。あと、あいつのこと、嫌いにならないでやってくれよな。八方美人な完璧超人なんていないんだからさ」
「それは・・・大丈夫です。な、みんな」
また、全員が頷いた。なんだかくすぐったい光景だった。
「よし!・・・まぁ、俺は神田のこと許さないけどな」
『えっ』
「だって人の大事な妹に手を出しといて挙げ句の果てに逆ギレだからな。お兄ちゃんとしては見過ごせないわ」
みんな笑っているのでよしとする。
とはいえ、中学生たちの舞台に乱入してしまったことは、迅雷も割と本気で申し訳なく思っていた。加えて彼らの活躍を見に来ていたはずの大人たちまで迅雷に感心した顔をしているから敵わない。選択を間違ったつもりはないが、なんだかとっても恥ずかしい。
「お兄ちゃんっ」
「・・・あ、ナオ。ケガは―――」
「ないよ」
「―――みたいだな。よかったよかった」
「ごめんね・・・なんか。私にもちょっとは責任とかあるよね」
「なに言ってんだよ。ナオが悪いことなんてないだろ?俺的にはむしろあの神田をナオが返り討ちにしたんだから超スッキリ―――ゲッ」
「?」
謝る必要なんてない直華をほとんど生の本音だけで慰めていたところ、迅雷は今日ここで一番会いたくなかったとある人物が猛烈な勢いでこちらへ走ってくるのを見つけてしまった。
本当は直華に言いたいことは少し残っているのだが、迅雷はそれをグッと飲み込んだ。重度のシスコンである迅雷をしてその決断をさせるほどの脅威ということになる。
「えっとな」
「・・・?どうしたの、お兄ちゃん」
「悪いナオ、続きは家でゆっくりな!」
「あ、うん・・・って、家!?先帰っちゃうの!?」
「ホントごめん!たった今急に予定が変わったんだ!」
謝るや否や迅雷は今すぐにでもいろんな運動部からスカウトされそうな勢いで走り去ってしまった。
さっきまではヒーローみたいに見えていたOBが一目散に逃げ出したので、なにが起きたのかも分からずに一同は唖然として見送るしかなかった。
しかし、その数秒後には、迅雷の逃げ足にも劣らないスピードで誰かが会場のど真ん中を走り抜け、彼の後を追いかけ駆け去って行った。
すぐ横をその誰か―――恐らくは同じ学校の3年生の先輩が巻き起こした風圧で直華はクルクル回って床に尻餅をついた。まるで一陣の風であった。
「な、なんだったんだろ、今の人・・・?」
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ちなみにその後、迅雷は本当に家まで逃げ帰っていたので、表彰式で直華の栄光を讃えることが出来ず、それを悔いて一晩泣き明かしたという。なにやら怨念めいた呻き声が夜通し壁の向こうから聞こえてくるので、ついでに直華も寝不足になってしまうのだった。