episode5 sect50 ”作戦終了の報告”
7月21日、木曜日、午後5時37分。5番ダンジョン内で行われていた『ゲゲイ・ゼラ』駆逐作戦は完了した。作戦中に数件あった魔族による戦闘への介入によって状況は混迷を極め、駆けつけた増援からも少なくない犠牲者が出てしまったが、その全てに対処してきた。
最終的な作戦の規模は、動員人数300、期間1週間という激烈なものとなった。人員のうち戦闘に参加した魔法士は200人を超え、うち重傷者は97人、死亡は26人という結果になった。
なお、被害の大半は作戦開始から48時間以内に集中している。これは敵戦力の想定外の強大さに加え、地形を破壊することで人間側のアドバンテージを取り除こうという妨害を受けたためだ。加えて初期の介入には人間側がこの事態を想定していなかったタイミングで奇襲を仕掛けられたことも大きな原因の1つだ。
以降ギルドサイドは新たな敵勢力への警戒の強化を徹底した上で高ランクの極めて優秀な魔法士を追加で召集し、物量と連携を推奨。各隊に珍奇応変な指揮能力を持つ魔法士を配置することで対処した。
今回の件で明らかとなったのは、『ファーム』において魔族による異界生物『ゲゲイ・ゼラ』の品種改良が行われていたこと、それによって生み出されたのが、黒い『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』であること。また、魔族にはなんらかの方法で戦闘能力を増幅させる技術があり、ランク6の魔法士ですら対処しきれないほどになることがあること。実際、そちらによる被害は数百体にも上る『ゲゲイ・ゼラ』との戦闘で受けた被害を大幅に上回っていた。
未だ魔族が5番ダンジョンで行っていた研究の詳細や目的は不明であるが、以上の2件から彼らの脅威性は格段に増した。直接攻撃を行ってきた時点で敵対してきたものと見なされる。
また、不確定ではあるが、以前より不正な転移装置の利用、及び他種族殺害の容疑で拘束していたサキュバス族の男がこの作戦中にとある旨の情報を人間側に提供した。信憑性にかけては五分の域を出ないものの、ギルドの懸念やとある噂を遙かに凌ぐ恐ろしい内容だった故に、仮に事実であれば一央市全体に大きな危険が及ぶのではないかという危惧がギルド内部で浮上していた。
駆逐作戦が終了してすぐではあるが、そちらの事案についても具体的かつ迅速な調査に取りかかることになる。
一般への情報の公開に際しては、現状としては魔族との戦闘にぼかしをかけつつ、彼らが事件に関与していたという内容のみを開示した。報道関係への情報統制は日本政府のみならずIAMOや国連が慎重な審議を交えて執り行っている。
ただし、規制された情報は人間界と魔界の決定的確執を誤認させかねない過激な戦闘の情報のみだ。ただ、市井に流行する数々の噂は一部が事実と合致していた点に問題がある。不用意に隠し尽くせば疑いと不安は強まり、全て認めればそれはそれで大問題に発展する。民衆の集団ヒステリーを未然に防ぐための措置であり、故に今回に限ってはあれからこれまでまとめて封印したわけではないらしい。
2ヶ月前より続いている人間界側の魔界側の交渉の運び次第では、きっと、まだ最悪な状況に陥ることだけは避けられるはずなのだ。
望まぬ結末を迎えないために政治関係者たちが奔走している。一央市ギルドのまとめた報告書やサキュバスの男たちが提供してくれた情報は外交の武器としてすぐにでも利用されるだろう。
一方で、一部の好戦的な性格の幹部職たちは今回の件に触発されたかこれを機と断じたのか、更なる戦闘を推していこうとするので、そちらへの対応、沈静化も課題となっている。彼らの言うような戦争状態になれば、まず人間は叩き潰されてしまう。
特に新兵器の開発が順調な米国やそれに続くべく躍起になっているロシアの上層部が好戦的なため、牽制は慎重となっている。
さて、話の規模が大きくなってきたが、やはり目下最大の問題は一央市の安全だ。今はなにもしないが、場合によっては避難勧告を出すことになるかもしれない。だが、そもそも供述がなくともサキュバスの侵入が発覚した時点から予想出来ていた事態だ。当然、そんなことにならないための手はもっと前から打っていた。
作戦終了に先駆けて市内に潜伏する魔族の調査を行っていた千影から、ギルドに全対象のチェックを終了の知らせが入った。
計画は次の段階へ移行し、ともすればここからこそが本番と言えるかもしれない。既に魔族の紛れ込みという風説がちらほらと囁かれているが、いずれは事実と判明してしまう。なぜなら魔族の強制送還が目的のこの計画が完了すれば必然的にいなくなった人々の存在が明るみに出て指摘されるからだ。
いずれにせよ混乱は免れられない。被害者の親族が受ける衝撃もさることながら、世論は反魔界を唱え始める可能性もある。
でも、それで問題を放置するわけにはいかない。最終的な事態の決定権は権力者のみにあり、民衆の声なぞは所詮、彼ら有力者が活動するのに必要な理由の水増しに過ぎない。今回はその事実が事態の歯止めになる。お偉い方さえ冷静なら、人間は理性的に問題と向き合える。
とにかく、直近の問題を解決せねばどうにもならない。
リストアップされたサキュバスの擬態と思しき魔法士にはギルドからクエストの依頼をしたという形で呼び出しをかけ、極力穏便に1ヶ所へ集まってもらうことになる。要は、正式な形で人間に対応する体を為しつつ、会談を設けるために集まらせるということになる。
ただし、これに関してはギルドの意図が勘付かれないはずがないため、そこに反抗してきた場合のため相応の対策も講じられる。抵抗・攻撃に対応出来る高ランク魔法士は多数募っているところだ。しかし、こちらに関してはランク4以上の一般ライセンサーから募集を行い、40名ほどを確保する予定だ。疲弊しきったIAMOや警察に追加の支援は要請しにくいのだ。それに、ギルドは公的機関でありつつ民間の魔法士グループをサポートする事を目的としているので、これの方が本来の業務形態である。
以上、現在の状況報告。駆逐作戦終了に伴い計画は次のフェイズへと移行し、ここからは情報の公開と会談護衛の募集が始まる。
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「やりたいようにとは言ったけども・・・」
まだ通常運転への復旧作業が終わっていないギルドは、なんだかんだで今日も賑やかだ。
昨日遂に『ゲゲイ・ゼラ』駆逐作戦の完遂が発表されて、世間は台風一過だった。暗く沈んでいた街はリバウンドで騒がしく、不穏な噂はめっきり数を減らしている。伴った犠牲が顧みられ始めるのはそう遠くないはずだが、これは十分良い方向なことに間違いはないだろう。
長引いた戦闘の様子なんかを聞きに来る中高生が多く、中には小学生までいるときていて、ギルド職員たちは連日休まず―――を今日も続ける羽目に。まぁ、平和になった分、精神的な面ではかなり楽なものだ。
ちょうど水曜日あたりで先駆けて小学校が終業式を迎え、世間は夏休みムードへと移りつつもある。海や花火に今日の土産話で、なんとか眩しい夏になるよう、関係者各位は祈るばかりだ。
・・・で、最初のセリフに戻るのだが、日野甘菜がなんでこうも呆れた様子なのかというと。
「さすがに好きにしすぎだよ!」
「えー・・・」
予想していなかったと言えば嘘になるが、案の定ダメ出しを食らった迅雷は口をへの字に曲げた。女の二言は禁止されてませんもんね。
「大体、これの参加条件は、ランク4以上だよ!君もう1回自分のライセンス見てみ!」
「ぬぐっ!で、でもですよ甘菜さん?」
「でももへったくれもありまっせーん」
そもそも、この依頼は信頼のおける「確実に人間である」と言える、一央市ギルド管轄エリアのランク4以上の魔法士に、IAMOのアプリケーション内のメールで秘密裏に配信されたものだ。なぜ迅雷にその話が回ってきているのかが不思議でならない。とにかくルールはルールなので、甘菜はシッシッと迅雷を追い払おうとする。
一方、迅雷がどうしてこの話を知っていたかというと簡単な話だ。だって、昨日千影から電話がかかってきて飛びつくように出てみれば、これこれしかじかな仕事の依頼があるんだが参加して欲しい、との話をされたのだから。それから―――。
「シッシッ。出しゃばりすぎなんだよ迅雷くんは。早々に去りなさーい」
「話くらい聞いてくださいって・・・」
「ダメのものはダーメ。さ、帰った帰った」
「ぐぬぬぬ・・・!千影にこれ手伝ってくれって言われたんですよ!?」
「いい加減に・・・って、え?千影ちゃん?」
千影の名前を出されて、甘菜はようやく理解した。また勝手なことをしてくれたものだ、と頭を抱える。どうしてそんな出来もしないはずのことを易々と吹き込んでしまうのだろうか、溜息が止まらない。あの子のワガママが迅雷に感染ったとかだろうか。
「あのさぁ、いくら千影ちゃんの頼みでも・・・はぁ。誰になんと言われようが関係ないのよ?本来」
「頼みますよ。こればっかりは俺も簡単には引き下がるつもりはないですからね!いっつも肝心なときに1人で抱え込む千影から初めて頼ってもらえたんですよ?それなのに、こんなことで無理だとか言えっこないですよ・・・」
「こんなことってねぇ・・・。規則をなんだと思ってるのかしら。君の安全も考えて私はダメって言ってるんだよ?」
「でも・・・!」
迅雷が本気でやりたいと言うのなら、甘菜も本気でダメだと言っている。ただ、思いの丈は迅雷の方がずっと強い。甘菜はそれに流されないように気を張っていた。
「一生のお願いですよ!本気で、俺はあいつの頼みに応えてやりたいって思ってるんです!」
「一生の?使っちゃうには早いんじゃない?」
「今しかないと思いますけどね!俺は今本気で一生懸けて頼んでるんです。これが終わったら、それ以降甘菜さんの言うことなんでも聞いたって良いですから」
20代前半の甘菜が言えたことでもないのかもしれないけれど、それにしても、たかだか16歳の子供が真剣になったところで一生なんて懸けられるはずがない。彼に己の一生を見通せているわけはなく、浅はかに過ぎる。
それなのに、甘菜は彼の目から視線を逸らせなかった。君の力なんて必要ないとあしらえば簡単に終わるはずなのに、なぜか冷たく突き放せないのだ。今まで暖かくしてきた態度を豹変させるのが難しいのではなく、少年の剣幕に怯まされたわけでもない。
ただただ、迅雷の心の、叫びが、聞こえるようだった。
本当は泣きたいほど恐くて不安で心配で、そして本当は泣きたいほど嬉しい。これは責任感と呼ぶべきものだった。難事でも、寄せられた信頼に彼は強く歓喜していた。
実際なら彼がそんな責任を感じる必要なんてなかったのだろうけれど、その重荷を喜んで背負ってしまおうというのだから甘菜は目が離せないのだ。
甘菜は迷い始めた。張っていた気はどちらが正解か分からなくなった時点で崩れている。
でも、考え直せ。迅雷は参加するべきではないはずだ。それだけは間違いない。少しの間唇を引き結んで、抗う意思を決める。
「あのね、迅雷くん。冷たいことを言うようだけど、この仕事に君の力は必要ないの。君が欠けることで回らなくなる歯車なんて―――」
言いかけて―――甘菜はハッとした。
―――そういうことか。
きっともう甘菜は競り負けていた。入れ込みすぎだったのだろうか。
「私のヤキが回ったなぁ・・・。あーあ、なんでいっつも私ばっかりこんな面倒な子を抱えちゃうのかなぁ。ホントやんなっちゃうよ、もう!」
「えっ!?急になんなんですか!?いや、今は確かに面倒な客やってる自覚はありましたけども!」
なんだか吹っ切れたような吹っ飛んだような突飛なことを言い出す甘菜に迅雷は目を丸くする。
甘菜は椅子の背もたれがしなるほど背伸びをしてから、姿勢を元に戻した。
「そりゃそうよね。頼ってもらえるのが嬉しいことくらい、私が一番よく分かってるもの。迅雷くんも無理しちゃって・・・」
「いや・・・」
迅雷も甘菜も、よくよく不運な人間だ。手の掛かる子供に振り回されてばっかりで。
結局それが全てなのだ。不運である中に最上の幸せがたくさん潜んでいるような気がしてならないのだ。一度そう感じてしまったら、もうどうしようもないではないか。
・・・でもだ。
「でもね、君。じゃあ本当に一生私の言うこと聞けんの?」
「え・・・?」
だからって、一生は重すぎる。