episode5 sect46 ”散悪の唇舌”
藤沼界斗、マンティオ学園1年1組に在籍する男子生徒であり、4月時点でライセンスを取得済みでもある実力者。また、学業等における成績も優秀である。
しかし、全体的に優れた成績を修める一方でその性格には問題もあった。特に『高総戦』本戦に出場させるメンバーを選抜する学内での模擬試合、通称学内戦のときの行動が顕著な例だ。
嗜虐的な思考の持ち主であり、同時に他者を自らに劣る存在として見下して当たる傾向もあり、周囲の人間がそれに嫌悪感を示すことにさえかえって喜びを見せるため、教師も手を焼いている。
恐らくは自身の行動を不正当なものと知っていて罪悪感や後悔を抱かないタイプの人間なのだ。
だが、そんな彼はその学内戦において、当時転校してきたばかりでありライセンスも持たない一般生徒であるはずのネビア・アネガメントに敗北したあと、塞ぎ込んで学校へも顔を出さなくなった。
そして、その藤沼界斗が、世の中が不穏な空気に緊張し始めた今の時期になって学園に戻ってきた。悪意の塊と言って差し支えない彼が、なんの理由もなく活力を取り戻したとは思いにくい。
「藤沼・・・界斗・・・!あんた、こんなことして謝る気とかないの!?信じらんない!」
「はぁ?なんでぼくが悪いみたいになってるんだろうなぁ?というかお前・・・名前なんだっけな・・・あー、そうそう。ゴミ、だったっけ・・・?ガーベイジじゃないか、思い出した思い出した」
「この・・・ガキみたいなこと言って!」
まるでそんな反応を待っていたとでも言うように界斗は冷ややかな笑みを浮かべる。
まるで健常者とかけ離れた目つきでいる界斗に、矢生と愛貴もゾッとした。以前はまだ心の汚れたクソ野郎で済んでいそうだったが、今の彼は本当に犯罪者然とした暗さがある。たかが一度の大敗で、彼はどこまで荒んでしまったのだろうか。
「そういやさぁ、お前らさっき面白そうな話をしてたよなぁ・・・なんだっけ、神代がなんか危ないガキを匿ってるとかぁ・・・なんとかさぁぁ?」
「あら、盗み聞きとは感心しませんわね。それに、そんなことはありえませんわ。絶対に」
「そうかな?これ見てもそう言えんの?」
おもむろに界斗は自分のスマートフォンを取り出して、1枚の画像を表示した。
ブレて焦点も定まらない写真だったが、それでも中央に映された赤はなにか分かる。鉄の臭いがする気がして、思わず矢生は口元を手で覆った。むしろピンボケしているせいで想像が掻き立てられ、その場の凄惨さが意識に飛び込んでくるのだ。生々しく、恐ろしい光景だった。
矢生の反応に味をしめたのか、界斗は「ほらほら」と言いながらその場に集まっていた野次馬含めた全員にその画面を突き付けた。もちろん、全員が顔を引きつらせ、呻き声を漏らした。
モザイクもなにもない血溜りの中に倒れた、恐らく男性。千切れたぬいぐるみのように転がる人の腕。男の上に馬乗りになった金髪の、恐らく少女。
「実はぼくさぁ、あの日現場にいたんだよね。そしたら、こんなのが撮れちゃった!あはははは、さすがにネットに上げたら引っかかっちゃうかもだからしなかったけど!」
「よく・・・笑ってられますね、藤沼さん・・・」
「はぁ?いやいや、こんな面白いもん他にないだろ、大丈夫か、紫宮ぁ?お前らの言っていた通り、この真ん中のガキは神代んとこのガキだったんだぞ?そばにあいつもいたし、間違いないからな!」
界斗の言葉に生徒たちがざわめいた。
神代迅雷といえば、クールな性格の割に間抜けなところが多くて憎めない人物だというのが多くの意見だ。勉強は普通らしいが、剣技魔法クラスの中では1年生でトップクラスの実力を持っているし、友人も多いなど、誰から見たって充実した学校生活を送っている部類だ。
その迅雷が『悪魔の子』を匿っている?いいや、この前怪我をしたのも『悪魔の子』に襲われたから?
で、千影はそういう人間には見えなかった―――というのはクラス会で迅雷についてきた彼女を知っている3組の生徒の意見か。けれど、では写真に写された少女は他の誰になるのか。
冗談と言って忘れることは難しく、信じるのもまた難しい。いずれにせよ、変に怪しい根拠を得てしまった憶測が飛び交い始めた。
そんな中で、愛貴だけは界斗の目を真っ直ぐ見て言い返した。
「デタラメです!あの子がこんな酷いことするなんて私には思えません!」
愛貴が特別千影のことをよく知っているわけではない。むしろ、全然知らない。けれど、だからと言って、あんな無邪気な少女が残忍に人を斬り刻むだろうか。
少なからず、愛貴の反論に「そうだ」と便乗する生徒がいる。それを界斗は鬱陶しそうに睨み付けながら、唸るように声を低くした。
結局、誰が反論しようが彼には関係ないのだ。なにせ、彼自身が目撃者なのだから。
「あのなぁ、ぼくは言ってるじゃないか。間違いないんだよ、あのガキで。速すぎてなにをしたのか分かんなかったけど、この写真撮る前にももう1人いた男の仲間の首の骨を折ったり、逃げようとした男を床に叩きつけて腕斬り落としたり・・・ヒヒヒ、あれはもう人間の動きじゃなかったよな!・・・っあはははははは!!そう、人じゃないよな、もう!」
「だっ、だとしても本当に悪魔だったのは男の人の方かもしれな―――」
「だとしてもだろ?お前、じゃあ平気で人間の姿した相手に斬りかかる子供がいて、それ普通の人間だって思う?普通の女の子だわぁ、可愛いなー、ウフフ、とか言っちゃう系の人なの?まさかまさかだよ!!」
狂人の言うことだと聞き捨てることが出来なかった。界斗の言ったことは、この噂話の真実や結果の如何に関わらず、それを聞いただけの誰もが元々抱いていた恐怖を的確に表していたからだ。
殺人鬼が恐いのと一緒。もはやこの少女が人だろうが魔族だろうが、『悪魔の子』と言われるに値する存在なのは明白だった。
その正体がさらに、同じ学校の、下の階隣の教室隣の席のあの生徒の身内である、となれば?
ああ、もはやまともなことにはならないはずだ。静かに、それでいて確実に不安と疑念は影を濃くする。
界斗は全部知っていてそんなことを言っていた。あの光景さえあれば経緯も結果も事実も憶測も必要ない。自分が愉しければそれで良いからだ。
なんて気分の悪い男なのだろう。正面から善意と信頼を噛み潰された愛貴は俯いて黙ってしまった。
愛貴が黙っても界斗はしゃべり続ける。
「で!なんか聞く話ではそもそもこの一央市には人の皮被った悪魔たちが潜んでるんだってさぁ!それでギルドはそいつらを片付けるために―――」
「いい加減にしてよ!!」
「―――あぁ?」
ただでさえ恐いことばかりなのにベラベラと不安と疑念の種を蒔いて人の心を弄び続ける界斗に、涼は吐き気さえ催した。開く度に誰かを不快な気分にして、ここにいない人でさえ容赦なく貶め、不幸にするあの口は、もう動いてはいけない。なんとかして、黙らせたくなった。
実は界斗こそ人々に冷静さを欠かせて操作しやすくするために派遣された悪魔なのではないかとさえ思えてくる。
だが界斗は、叫んだ涼の胸ぐらを掴み上げた。
「は?なに?なんなんだよゴミが。今ぼくがしゃべってるんだ。邪魔するのか?へえ・・・?」
「あんたの方がよっぽど悪魔だよ!さっきからさっきから・・・!本当はあんたこそ人間じゃないんじゃないの!?なんか言うごとに、ホンット!不愉快なのよ!」
「チッ・・・ゴミの唾がかかるだろうが!」
「あぅっ」
涼の胸ぐらを掴んだまま締め上げ、界斗は『召喚』を唱えた。
「なっ!?なにをするつもりですの!?」
「見れば分かるだろ、ゴミがうるさいからちょっと殺ちゃおうかなって思って」
「ま、待ちなさい、なにを・・・!?」
「最近分かったんだよね。あいつ死ねば良いなって思ったって、普通それで死んでくれるわけないじゃん?なら自分で殺せば望み通りにそいつは死んでくれるんだよね。いやぁ、なんで気付かなかったんだろう」
「だから、なにをおっしゃってますの!?」
どう見ても、今の界斗は正気ではない。いや、本当は彼が今日ここに現れた最初の時点で既に彼は正気ではなかったのだ。常軌を逸している。矢生の追及に彼は「あー」と唸り、持ち出したショットガンのストッパーを―――外した。
本気の殺意を感じ、悲鳴を上げて後ずさる者さえいた。
「お前たちは揃いも揃ってぼくのやることなすこと全部邪魔してくれてさ。いい加減、殺したって構わないよね。つか死んじゃえよ・・・」
今までに一瞬でも自分に都合が悪い出来事があった全ての人間は、生きている必要なんてない。目の前に立っているのを見るだけで頭にくる。なんの力のないくせに、全てにおいて劣るくせに、のうのうと歩いて、しゃべって、邪魔をしてくるあのクズども。
これはきっと界斗にとって見せしめだ。
彼は、本気で、涼を殺す気だ。
それが分かった瞬間、矢生も弓を取り出して矢を生成していた。
「涼さんを放して銃を捨てなさい!!」
「ダメだろ?言ってるのに、なんでまた邪魔すんの?バカなのかな聖護院矢生は」
「バカは藤沼さんでしょうに!!」
「おっと・・・撃つの?ぼくが躱したら?ゴミを盾にしたら?他のなんの関係もない生徒たちが怪我をしちゃうなぁ・・・ぼくとしてはそれも面白いんだけど」
「この・・・狂人めが。もう許しませんわ!」
「ウザいなお前」
「・・・」
涼に向けられていた銃口が、矢生に向け直された。教室の中で怯えながら見守っていた生徒たちが逃げ惑う中、矢生は界斗の前から退かなかった。弓を向けたまま、きつく睨み続ける。
ここで矢生が怯むわけにはいかない。その背には落ち込んだ愛貴と、怪我の痛みで未だに立ち上がれずにいる女子生徒がいる。そしていつ界斗の注意が涼に戻るかも分からないし、界斗はきっと本当にショットガンを発砲する。
界斗の言う通り、矢生は引いた矢から手を放すことが出来ない。射れば無用な悲劇を生み、手を下げれば涼に矛先が戻るだけ。
それでも、彼女は聖護院矢生なのだ。竦んではならない。退いてはならない。挫けてはならない。
間然することのない凜とした姿勢で居続ける矢生の眼差しに界斗は顔をしかめた。
界斗が嫌いな顔だ。彼の顔は自分こそ被害者だとでも言うかのように不快げに歪み、やがて歪みは狂笑に変わった。
「アハ、アハハハ!!ああああああ!!ウザいウザいウザい!!死ねば良いのに死ねば良いのに目の前からいなくなれよ気色悪いんだよマトモぶって正義の身からごっこかよ・・・あ、・・・あぁ、くそ・・・・・・なんだっけ・・・まぁいいや、死ねよ」
ギョッとするような狂乱を前にして騒然。
「・・・ッ!!」
誰の制止も聞くことなく、界斗は引き金を引いた。