episode5 sect43 ”絶望に貫かれろ”
過剰なほど膨大だった黒色魔力の塊を、矮小な人間が腕のたった一振りで掻き散らした。
誰にも理解出来ない現象だった。『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』の『黒閃』は魔力拡散加工を全面に施した建築物の壁すら容易に貫通するほどの威力になるように品種改良を続けてきたもののはずなのに、あの女は、それを片手で打ち払った。それも、2発同時に。
そんなことがあって良いはずがないのに。
非常識な女に何者か、と悪魔は問う。
しかし女は答えない。しかも、あろうことか彼女は悪魔のことなど見もせずになにか話している。
魔族如き、眼中にないという意味なのか?
―――魔界七十二帝騎の一人に数えられる、このエリゴスを?
『何者だ、貴様は!!一体なにをした!!答えろ!!』
魔の放つ怒号に女は鬱陶しそうな目を向ける。
「さっきからうるっさいですねぇ、あなたは。私ですか?私は警視庁魔法事件対策課所属特務A1班班長代理、小西李です。なにをしたかについては教えませんので、悪しからず」
『人間の小娘が調子に乗ったことを・・・!ま、まぁいい。たかが人間、1人増えたところで変わらん。一瞬でその生意気な顔を泥と涙で汚してやろう!フハハハハハ!!』
「なんなんですかそのカマセ感満載の聞いてるこっちが恥ずかしくなる台詞は」
李はそう吐き捨てながらエイミィの服の襟を掴んで放り投げ、それを受け止めたのは、また別の女だった。
「みなさん、ここは私が1人で押さえるので、この2人を連れて脱出してください!」
「了解や。ほんなら任せたで、李ちゃん!」
『行かせると思うのか?やれ、「ゲゲイ・ゼラ・ロドス」!!』
命令の直後、光が瞬いて『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』が2体とも消滅した。いや、違う。今のは剣閃だ。
「やらせると思いますか?」
『貴様・・・ッ!』
「隙だらけやったね」
『!?』
一陣の風を感じてエリゴスが背後を振り返れば、今までその体に刃を突き立てていたはずの男の姿が忽然と消えていた。切断した腕まできっちりとだ。怒りに気を取られたその刹那でもう一人いた気の抜けたしゃべり方をする女に奪還されたのだ。
しかも、その気になれば、あの女、今の隙でエリゴスを倒すことが出来たとでも言うようではないか。
『どこまでもコケにして・・・よもや堪忍ならぬ。このエリゴスをここまで苛立たせたことを後悔しろ。そして果てには泣き喚き、惨めに地を這いつくばり、命乞いをすることになると思い知れ!!』
エリゴスの激昂に応えるように周囲の空気が黒く淀み始めた。これこそ、七十二帝騎に選ばれし名誉ある魔族の騎士のみに許された秘術。
その術を帯びし者は、その力を限界を超えて解放する。
『嗚呼、我が君の恩寵―――「レメゲトン」』
「ッ!?」
エリゴスの背からは槍のような羽根をたくわえた翼が生え、頭上には漆黒のエンジェルハイロウが現れる。邪眼が見開かれ、深闇の重圧が荒れ果てた大地を席巻した。
「なんやねんアレ。ウチあんなん見たことないんやけど、なんやヤバそうな感じするわ」
『畏れろ、慄け。これがお前たちの選んだ死の形だ。絶望に身を貫かれる疼きに喘げ』
エリゴスの長剣に膨大な魔力が纏わり付き、白銀の刃が真っ黒になる。
そして、エリゴスの姿が消えた。
「速い!?」
李や空奈たちは知らないが、『レメゲトン』を使用したエリゴスの戦闘能力は兼平を圧倒していたときの、さらに数倍にまで到達していた。しかし、『レメゲトン』の恐ろしさは、それだけではないのだ。
凶悪なまでの速力で飛び出したエリゴスが兼平を抱えて李の横に並んだ空奈を狙う。
しかし、李の剣がそれを受け止めた。
「さぁ、早く行ってください」
「おおきに!」
空奈に担がれたまま、兼平は李の顔を見た。
「すみません・・・・・・助かりました」
「これも仕事なので。あと、話しかけないでください。じんましんが出ます」
「えぇ・・・」
よくよく見たら李は冷や汗まみれだ。こんなときでも人間恐怖症は健在らしい。
兼平が黙ると、今度こそ空奈は他の班員も引き連れてすぐそこの転移ステーションに向かって走り出した。
「ほな、頑張ってなぁ!」
『だから、行かせるかと―――』
「だから」
『がっ!!』
その細い腕のどこにそんな力があるのだろうか。押し返されたエリゴスは遂に空奈たちに追いつくことは出来なかった。
解放したはずなのに、なぜ力で押し負けるのだ。エリゴスは驚愕で目を剥いた。
「やらせないって言ってるでしょう?」
李が構えた剣は、細い、レイピアだった。
「さぁ、第2ラウンドですね、悪魔さん」
『・・・良かろう。私をこうも愚弄する人間は初めてだ。だが、私には見えている。貴様の肌に浮かぶ汗。恐怖の証明だ。我が真なる能力、「あらゆるものを貫通する力」を以て、滅してくれよう!!』
●
「救護班!!さっさと来てちょうだい!」
兼平とエイミィを連れて一央市ギルドに帰還した空奈は、門を出るなり救護専門のチームに兼平を押し付けた。エイミィは軽傷だが、兼平はもはやなんで生きているのかも分からないほどの重傷だった。横腹は裂け、骨は砕け、片腕を失い、腹を貫かれ、しかしまだ、兼平は必死に命を繋いでいた。
顔面蒼白のエイミィが彼を追うが、治療の邪魔と言われて追い払われた。
ただ、ここまで来れば、きっと兼平は助かる。リーダーもブライアンも殺されたが、まだ、彼だけは助かる。わずかな救いで、辛うじて理性的ではいられた。すぐにエイミィのところにも医療班の人間が来て、怪我の具合を確かめ始めた。
空奈たち警察組は、門のすぐ近くで李の帰りを待っていた。今回の作戦のためだけに医療設備や魔力検査装置を『渡し場』内に揃えたため、怪我をしている2人は彼女たちのすぐ後ろで手当を受けている。
もっとも、重傷の兼平はともかくとしてエイミィは目立った傷もない。腐ってもIAMOの上級魔法士ということか。
ただ、彼女の場合は体の傷より心の傷が深いのは見て取れる。李は覚悟が足りていないと一蹴したが、空奈はエイミィの気持ちが分からないことはない気がした。
「えっと、アメリアはんやったっけ?」
「・・・・・・はい、そうです。ごめんなさい、今は作戦中だから落ち込むなということですよね・・・」
「ええんよ、それは。しゃーないよ。やられてしもたんは残念やけど、でも2人が無事で済んだから、ほんま良かったわ」
「・・・・・・」
関西弁は聞き慣れないのか、エイミィは空奈の言葉を聞くときに眉間にしわを寄せて真剣に考えている。その態度が健気なので空奈はほろりとしつつ、優しい笑みを浮かべていた。
「まぁ、川内さんの方は無事・・・とはいけへんみたいやけどな。かなーり重傷やったもんなぁ。えらい頑張ったんやな」
「私がもっとしっかりしていれば・・・兼平君もあそこまで傷付かずに済んだはずなのに・・・励ましてくださるのはありがたいのですが、やはり私は全然・・・覚悟がなっていませんね・・・」
「あーのーなー、アメリアはん?」
「!?」
なんだか急に空奈の笑顔が恐ろしく見えてエイミィは息を呑んだ。でもよく見れば空奈の表情はちっとも変わっていない。それなのに背中に氷水でも流し込まれるような緊張感を感じさせられている。
けれど、空奈はエイミィを黙らせてから、今度は彼女を強く抱き締めてあげた。
「ほんま、恐かったんやろ?ええやん、恐うて。しゃーないやん、ウチかてあんな連中を戦え言われたらビビってまうわ」
「は、はぃ・・・?」
「でもな?せやから言うて、後までズルズル引きずって泣き言言うのはあかんよ。恐いもんはほってたらもっと恐なるよ?そんなん嫌やろ?ほんなら、やるしかないねん。な?」
「やらないと、もっと恐くなる・・・んですか?」
「そ。ウチも昔からなんでこんな危ない仕事してんねやろ考えてたけど、ほいだら追いかけてる犯人がどんどん恐ぁなってきてな?これはあかんと思って、目ぇ瞑りながらその犯人張り倒したってん・・・むしろな!あっはっは!」
「そ、それはすごい・・・ですね?」
「やろ?お姉さんこう見えてすごいねん。ん?いや、ウチとアメリアはんのどっちが先輩か知らんけどな。もしかしたらウチは永遠の17歳かもしれへんで。そんときはアメリアはんがお姉さんや」
「え、え・・・?」
テンションの差に困惑してエイミィが目を回している。可愛げのある現状後輩の彼女に、李は話を続けた。
「んでな?犯人しばき倒してみたらなんちゅうこともない、顔見たって全然恐いなんて思わなくなってたんよ。むしろわろたわ」
「え?わ、笑ったんですか?なんでまた・・・」
「そんなん決まっとるやん!ウチ、そいつのことマジでしばいたもんやから目ぇ開けたらぼっこぼこの顔が目の前にあってな、タコみたいやってん!特に口とか、きゅーってなっとんねん!あれはまさしくタコ殴りってヤツやったで?スッキリ爽快、いやぁ、愉快やったわぁ!」
よくしゃべる空奈にエイミィは終始圧倒されていた。目に優しそうな群青色の髪やずっとニコニコしている目に、それからふんわりした口調なのに、なにやら物騒な武勇伝を嬉々として語るのだ。
高らかに笑っている空奈を見て、エイミィも思わず笑ってしまった。
「そういえば私、なにで落ち込んでいたんでしたっけ・・・?」
「さぁ、なんやろね」
空奈にそう言ったが、考え出すと思い出してしまうものだった。あの2人は付き合いはそう長くはなかったが、それでも仲間を失う苦しみというのエイミィにとってそう簡単に忘れ去れるものではなかった。
ただ、思い出したことをエイミィは口には出さなかった。わざわざ他班のエイミィをこんなに気遣ってくれた空奈の気持ちを無碍にはしたくなかったからだ。
その代わり、エイミィはここにはいないのだが、まだ生きている人のことを考えた。
「あの人―――小西李さんは無事でしょうか?」
「李ちゃんのこと心配してくれるん?優しいなぁ。でもそれなら心配要らんよ。あの子、普段はアレやけどメッチャ強いから」
空奈がそう言うのと同時に、5番ダンジョンの門が起動した。
●
「じゃあ、行きますよ」
その両手には指なしのグローブをはめている。
エリゴスが構え直すのも待たずに李は飛び出した。エリゴスをいちいち待ってやる必要なんてないのだ。
『なにかと思えば単調なことだな!!』
エリゴスは李の剣を破壊するために槍羽の翼をはためかせた。
『私の力は全てを貫く力!目標とした物体を必ず貫通する力だ!!貴様のその頼りない剣など容易く穿ち抜いてみせよう!!』
『レメゲトン』で力を解放すると、使用者の持つ固有能力を極限まで高め、完成させることが出来る。エリゴスの場合、その能力は「あらゆるものを貫通する力」だ。彼がもし空を飛ぶ鳥に小石を投げれば、その小石は全ての物理的束縛を断ち切って問答無用にその鳥の体を貫通する。ただ、小石をまっすぐ鳥に当てるだけで良いのだ。
そして、エリゴスは今、李のレイピアを狙って翼を薙ごうとしている。刺突武器であるレイピアなど彼にとって真っ直ぐ突っ込んでくるだけの恰好の的である。
だが、しかし。
結晶が砕け散るような音がした。
『!・・・?』
斬撃には向かないはずのレイピアで、鋼の硬度を誇るエリゴスの大翼が縦に斬り裂かれた。
「よっと」
『っ』
李は返す刀でエリゴスの首目がけて剣を振るったが、さすがにそれは後ろに跳んで躱された。
『馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なァァァァ!?私の翼がァァ!?』
「残念ですがその程度じゃ私の攻撃を防ぐには脆すぎますね。死にたくないならもっと本気でやって欲しいものです」
『ぐぎィィィッ!!』
「もっとも、次で確実に決めますけど、ね!」
本気もクソもない。エリゴスは最初から殺すつもりだった。手加減は既にやめている。それにも関わらず李は、彼の攻撃を防御とさえ間違えて挑発した。否、恐らくそうと知っていて嘲弄しているのだ。
李はエリゴスの左右の移動を制限するように雷魔法を放ち、さらに頭上も高圧水流のカッターで閉ざす。
『所詮魔法などすぐに消える!それで私の動きを制限したつもりか!!』
「私の魔法は消えませんよ。あなたが消えるまで」
『なに!?』
李は設置技が得意だ。まるでロープを張るように、彼女の魔法はそこに留まり続ける。敵が絶命するまで、いつまでも。
そしてその威力は大型魔法相当だ。無理に通ればまずほとんどの敵はバラバラになって死ぬ。
それに気付いたエリゴスの表情が歪む。
しかし、もう遅い。ここは李の戦場だ。
剣に轟々と盛る炎を纏わせ、李はエリゴスに突進した。もはやエリゴスに残された退路は後ろしかなく、そしてスピードなら李の方が上だ。なぜなら、彼女の初速は《神速》と呼ばれるあの千影にすら肉薄するのだから。
しかし、エリゴスもそう簡単に倒されるわけにはいかない。彼は長剣の鋒を李に向け、そこに全魔力を集中させた。
『傲るなよ小娘!!「レメゲトン」状態の私の絶対なる「黒閃」で跡形もなく消し飛ぶが良い!!』
黒色魔力を持つ悪魔にだって、『黒閃』は使える。いいや、むしろ今の彼のそれは『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』のそれを上回る。
それなのに、李は彼の本気の殺意を愚策として一笑に付した。
『・・・・・・!!死ね、人間!!』
「『アブソープション』」
『・・・ぁ?』
また、李の左手が『黒閃』を消した。
絶望に貫かれるのは、エリゴスだった。
『貴様は・・・貴様は一体なんなんだァァァ!?』
「フッ!!」
既にエリゴスを守るものはなく、そして抗う術をも否定され、李の刃はあっさりと大悪魔の心臓を焼き尽くした。