episode5 sect42 ”Acceleration into Abyss of Malice ”
綺麗な断面を晒して、『ゲゲイ・ゼラ』の巨大な上半身が兼平の頭上を飛び越えていく。真っ赤な血の雨に目を瞑り、兼平は予想通りの道を突っ込んでくる残った下半身の肉弾丸を避けた。真っ二つにされて制御は失っているが、むしろその方が軌道予測はしやすいくらいだ。
もともとの運動量が馬鹿みたいに大きかったので、切り分けた下半身の速度は速い。鼻先を掠めるか否かの距離を通っていく黒い肉塊は、動かないと知っていても恐怖を煽ってきた。
だが、どっちみち、もうなにも恐れることはない。
兼平が逃げながら撃つような魔法では有効打なんて与えられっこない?なら、そんな強大な敵の力そのものを利用してやれば良いではないか。
もう動かない怪物の下半身を足蹴にして、兼平はうんざりした。
「こんなトドのヒレみたいな足でどうやってあんなスピードを出してたんだかな・・・。だけど、もう終わりだ」
兼平は掌を天にかざした。膨大な魔力を確実に制御する。兼平の右腕に轟く雷電が纏わり付き、同時に霧が彼を中心に渦を巻く。
大技を叩き込む隙がないのであれば、作れば良いだけの話だった。
難しくたって、出来ないことではない。なんのために人間は二足歩行をして考える葦になったのだ?そんな数少ない取り柄さえ奪われては堪ったものではない。
兼平は右手の拳を握り、血を噴いて喘ぐ『ゲゲイ・ゼラ』の上半身に向けた。もはやあの怪物には攻める足も逃げる足もない。その自由は、兼平が張ったワイヤートラップに奪われた。
「ちょっと知恵つけただけで俺たち人間と勝負出来ると思うなよ、ペット風情が。悪いがこいつで終わりだ・・・・・・『スプラッター』!!」
青と黄、2色の魔力を混ぜ合わせて繰り出す、『二個持ち』の人間にのみ許された複属性魔法。白色魔力の人間がする真似事なんかとは全くの別物、その威力は総じて、単色の魔法を大きく上回る。
特大の魔法陣から鉄塊すら容易く貫通する高圧水流を、殺人的な電流でコーティングして放つ。
要は、たったそれだけの魔法かもしれない。
ただ、水流が巨躯に風穴を空け、数千アンペアの電流が肉体の内側で炸裂する。
それだけ。
つまり、単純明快な、一撃必殺、過剰火力、最凶最悪の魔法だ。
赤熱した閃光すら放って爆散した『ゲゲイ・ゼラ』の上半身と、足下の下半身が黒く霧散する。
兼平はその様を見届けることなく、次なる戦いのために走り出した。エイミィとブライアンに加勢するのだ。
「くそっ。木が薙ぎ払われてなければもっと高くワイヤーを張ってトラップだけで殺せたのに・・・!おかげで特大魔法まで使うハメになったじゃねえか!」
しかも、兼平自身、冗談でも無事とは言えない傷を負った。肘の壊れた左腕は宙ぶらりんだし、横っ腹はパックリ裂けている。全身ボロボロで血まみれだ。
兼平はひとつ、舌打ちをした。勝ったとはいえ時間をかけすぎた。エイミィもブライアンも兼平よりは優秀だ。兼平が勝っていれば、あの2人もそうであって欲しい。願わくば、自分が加勢するまでもなく2人が勝利を収めていることを―――。今の兼平が戦力になれる自信は、どちらかというとない。
「泣き言はあと、泣き言はあと・・・!」
あの『ゲゲイ・ゼラ』にはだいぶ追いかけられたらしい。思いの外離れたところにまで来てしまっていた。そんな距離まで初めの『黒閃』に薙ぎ払われていたのかと思うと、ゾッとする。
木がなくなった森の中を走りながら水魔法で顔、特に目を洗い流し、血や泥の汚れを落とした。
しょぼつく目を何度か瞬きをして復活させる。
―――次の瞬間に兼平が目にしたのは、まさにブライアンの足が喰い千切られた、その瞬間だった。
「――――――ウッ!?」
「あがゃ、あああああああああああああッ!!!!」
「『スプラッター』ァァァァ!!」
―――「ちくしょう」と、心の中で呟いた。
再び放たれた特大型魔法が、足を飲み込む『ゲゲイ・ゼラ』を粉砕した。
仲間の右足1本と引き替えの安易な勝利。今後の展開を考えたら、釣り合わなすぎる。
不幸中の幸いか、ブライアンの足は原型を留めたまま地面に落ちた。噛み砕かれていれば一巻の終わりだったが、これなら今さえ凌げば、ギルドに戻って医療魔法で元通りに治してもらうことは可能だ。
激痛に短くなった足を押さえつつも、ブライアンは兼平にアイコンタクトを送ってくれた。重症を負おうと彼は優れた魔法士、まだ部下を気遣うだけの余裕はあったらしい。それは実際に兼平の負担を和らげてくれた。
「か、兼平君!無事!?」
「一応命に別状はない程度です!!」
「じゃあ無理しない程度に援護して!」
「はい!!」
なにはともあれ、残る『ゲゲイ・ゼラ』はエイミィが対峙するこの1体のみ。コイツさえ倒せばブライアンも連れて人間の世界に帰れる。
瀕死のブライアンが心配で気が気でない様子のエイミィだが、それでも彼女は1人であの化物と奮戦している。ただ、彼女もまた決め手に欠けているのだ。
なら兼平は数秒だけでも『ゲゲイ・ゼラ』の注意を引ければ良い。
「それだけなら!」
昔から一緒に戦ってきた兼平とエイミィであれば、連携に言葉は要らない。エイミィの動きを視界の端で捉えつつ、彼女がやろうとしていることをサポートする。
もう『スプラッター』のような大技で魔力を浪費する必要はない。小技を確実に適確にぶつければ、きっと注意くらいは引ける。
狙うべきは急所の鋏か、さっきもダガーナイフが目に刺さったので、そこだろう。
「『ストライク・フィンガー』!」
紫電のクナイ手裏剣を生成し、『ゲゲイ・ゼラ』に投げつける。指と指の間に持つように作るので右手しか使えない今、一度に作れるのは4つが限界だが、これで意外に見た目より威力はある。
眼球狙いのは外れたが、投げつけたクナイの1本が見事に『ゲゲイ・ゼラ』の鋏翼に傷をつけた。致命傷には程遠くとも、急所にダメージを与えたのだ。成功だろう。
しかし兼平は攻撃の手を緩めない。巨大な水のカッターを飛ばして斬撃を叩き込む。その刃が敵の肉に食い込むと同時、次の命令を与える。
水の刃は流動方向を90度変え、大量の小さなカッターに変化する。威力は微妙だが、皮膚の上を走るようにして広範囲を撫で斬る魔法だ。
今、確実に『ゲゲイ・ゼラ』が兼平を見た。
「今です!!」
「はああああァァァァァッ!!」
刹那ほどしかないその隙をエイミィは逃さない。予定調和的なまでに完璧なタイミングで、ドラゴンを象った巨大な炎が『ゲゲイ・ゼラ』を焼き尽くす。
まさに龍の業火と言うべき火炎魔法には、さしもの『ゲゲイ・ゼラ』も息絶えた。素人の火炎魔法とは火力が違いすぎるのだ。
火の粉が吹き散って、兼平はエイミィに向けて親指を立てた。
「さすがです、エイミィさん」
「ありがとう。良い援護だったわ」
「早くブライアンさんを連れて離脱しましょう」
「そ・・・そうね、急ぎましょう。まだ―――」
――まだ間に合う。エイミィはそう言おうとしていた。
しかし、事態は加速する。
『まだ、なんだと言うのかね?』
「「ッ!?」」
「ダメだ、川内!!」
頭に直接響いた「人間の言葉」。その意味を思い出すより早く目の前に飛び込んできたブライアン。弾ける血滴。
突き飛ばされ、ほんの数メートルだけ後退した兼平の視界の中で、悪魔が嗤う。
『おや、足を失ってまだそんな力が残っていたとは。人間の生命力と精神力はさすがに強いな』
剣を引き抜かれ、ブライアンは呆気なく絶命した。心臓を一突きだった。
その男は優美で禍々しい鎧に身を包んでいて、黒い目に黄色い瞳を浮かべていた。
人と酷似した姿。しかし背は高く、肌は不健康なまでに白く、浮き世離れした悪辣さと端麗さを放つ。一見して理解せざるを得ない上位存在の異彩。
あるときは愚かな人間に知恵を与え、あるときは強かな人間に死を与える。書物の中の登場人物などではない。
『悪魔』―――人間は遙か昔から、彼の者たちをそう呼んできた。
「い・・・い、いや・・・いやぁぁぁぁぁぁぁァァァッ!?」
2人もの仲間を目の前で失えば、今まで堪えていたエイミィの恐怖はもう限界だった。臨界点を破壊して蓄積された恐怖とトラウマが爆発する。
泣き叫ぶ人間の女を見下してそれはなお一層として高らかに嗤う。狂笑する。
『ハハハハハ!!フゥハハハハハ!!まだ間に合うなどと?あぁ、あぁ、間に合わなかったなぁ、残念だなぁ!!可哀想になぁ!!あ・・・すまん、それは私のせいだったか。これは悪いことをした・・・くっ、くはは、ハハハハハハ!!』
愉悦。
その一言で彼の者の今滾らせる感情の全てを語り得たかもしれない。
兼平たちが悪魔の言葉を理解出来るのは、ダンジョン潜入前に予め彼らと遭遇した場合を想定して、特殊な意思疎通用の魔法をかけておいたからだ。
この邂逅は、事前に一央市内に魔族が潜んでいるという確定情報があったために懸念されていた事態ではあった。
でも、タイミングも相手も悪すぎた。いや、だからこそ彼らの底なしの悪意と敵意と害意をして、人間は『悪魔』という呼び方を思いついたのだ。
「貴、様ァァァァ!!ナメるなァァ!!」
こんなときこそ、冷静に。敵は魔族。人には扱えない特殊な術を扱う。激昂の裏で兼平の精神だけは深呼吸を繰り返していた。
だが、これはおかしな話だ。遂に彼らはIAMOの正規の魔法士にまで攻撃を仕掛けた。いや、そもそも魔法士の所属なんて関係なく、人を襲えば条約違反だろうに、彼らはそれを堂々と犯したことになる。
―――ああ、つまり、これは開戦の狼煙だと?
兼平は容赦なく雷撃を連発したが、悪魔は手に持った長い剣で全弾を叩き落とした。この程度の攻撃では、やはり通用しないらしい。
恐らくあの悪魔は、長剣による接近戦を得意としているはずだ。だとすれば―――。
「『パラライズ・レイン』!!」
大量の魔法陣を展開し、筋肉を痙攣させるための雷撃を一斉放射させる。
『無駄な足掻きと思い知れ!』
「来る・・・ッ!」
悪魔はその弾幕を易々とかいくぐって兼平の目の前に迫る。だが、それは兼平の目論み通りだった。力の劣る敵を侮るのは上位者の悪癖だ。今の『パラライズ・レイン』はただの目眩ましに過ぎない。本命はその裏で『召喚』したダガーナイフに水と雷の魔力を纏わせて伸長した魔力の刃だ。
向こうから突っ込んでくるなら願ってもない好機。兼平は敵に躱す隙を与えないために全力で腕を―――。
「・・・・・・あれ?」
―――腕は・・・どこへ?
「ッ!?」
気付かないままでいたら、痛みを感じなかったかもしれない。それほど一瞬で、肩口からスッパリと、右腕を斬り落とされた。
「うぁぁっ!?」
『だから無駄と言った!』
激痛と失血で倒れそうになるところを、兼平は必死に足を踏ん張って耐えた。体の重心がおかしい。当然か。腕が1本なくなったのだから。
『ほう、なかなか精神力はあるのだな。力はあるのに怯え震えているそこの女とは大違いだな。所詮ただの蛮勇だが、褒めてやろう。ハッハハハ!!』
多分、普通に死んでいてもおかしくないくらい血を流した。体のパーツがどこかまるまる取れてしまう経験なんて、兼平はこれが初めてだ。あまりの違和感にただでさえ血が足りないのに血の気が引いていく。
しかし。
「こんなところで倒れるかよ・・・あいつはこれをあと3回も受けて、それでも笑ったんだ!」
ギチリと不自然なのもお構いなしに兼平は歯を見せた。動かせない左腕に無理を言って、持ち上げる。
今日だけで3度目にもなる特大魔法の魔法陣を展開し、兼平は吠えた。もう魔力も体力も限界だが、それでも倒れるわけにはいかない。
正義を目指すのに悪の前に膝を折るのは決して許されない。リーダーの死もブライアンの死も許してしまったが、だからこそ、これ以上―――せめてエイミィだけは守り抜く。
「消え失せろ!!『スプラ―――」
『遅いぞ!』
一瞬で懐に飛び込まれたが、今度の斬撃は紙一重で回避した。腕一本分体が軽くなったおかげだとしたら、皮肉な話だ。
すぐさま腹に重い蹴りを入れられて吹っ飛びつつも、兼平は展開した陣を保持してみせた。
「―――ッター』!!」
『な、なにぃ!?』
無茶な姿勢で発射したせいで元々折れていた骨がさらに砕け、肩も脱臼したが、根性で射線を維持してやった。俊敏なる悪魔も蹴り直後の姿勢では躱せまい。直撃コースだ。
それでもなにかの防衛策を講じたようだが、そんな付け焼き刃で防げる威力ではない。
一瞬で爆発が起きて、大量の肉片が飛び散った。
腕力の代わりに地面を転がる勢いを利用して兼平は跳ね起き、黒い粒子の混じる血煙の奥を睨み付けた。
「やった・・・・・・?」
―――いや、やったはずだ。そのはずなのに、なんでこの不安は消え去らない?
血の雨が止んで姿を現したのは・・・。
『今のは惜しかったな、人間。まさか一瞬でも私に肝を冷やさせるほどとは。なるほど、侮れない。なるほど―――実に、実に不愉快だ』
「そんな・・・!?なんだ、そいつらは!?」
どこから現れた?いつ現れた?
希望の度にそれを押し潰す理不尽な絶望。悪魔の傍らには『ゲゲイ・ゼラ』が2体。
いや、つまり3体?1体を盾にして『スプラッター』を防いだというのか?
『既に1体失ったが、紹介しよう。私の忠実なる僕、「ゲゲイ・ゼラ・ロドス」だ。もう見知りおきいただいているだろうがな』
「『ロド・・・ス』?通常種じゃないのか?」
それはつまり、さっきの妙に強い個体と同一の存在ということなのか?それとも―――?
兼平はもう両腕が使い物にならない。エイミィはもはや放心状態だ。戦えるはずがない。
「くそ・・・」
『さぁ「ゲゲイ・ゼラ・ロドス」たちよ。お前たちはそこの女を殺れ。男は私が直々に殺してやろう』
『『キュアアア・・・』』
「くそ・・・」
本当に、あの化物が悪魔の命令を聞いている。下手に暴れる姿を見るよりずっと、ずっと恐ろしい光景だった。
とっくに無駄と分かっていたが、兼平はエイミィの下へと駆け出した。
「くそォ!!エイミィさん!!逃げて!!せめてあなただけでも逃げ延びて報こッ、ぶァッ!?」
腹を剣で刺し貫かれ、兼平はまた血を噴いた。もう足にも力が入らない。
視界も暗くなってきた。
寒い。
底冷えするように。
「エイ・・・ん、逃げ・・・・・・」
『案ずるな、勇猛なる人間の男よ。女の方はきっと痛みを感じることなく消滅するはずだ。苦しまずに済むぞ』
エイミィがようやく自らが立たされた状況に目を向けたときには、もう黒が溢れかえっていた。
「あ」
「『リジェクション』!!」
しかし、直後、女の声と共にあれほど荒れ狂っていた『黒閃』が跡形もなく掻き消えた。
悪魔は驚愕してそれを見る。
『なんだ・・・!?誰だ!!なにをした!?』
なにかが起きたらしい―――朧気な感覚に身を委ね、兼平はおもむろに顔を上げ、そして息を吹き返すように目を見張った。
目にうるさいピンク色の髪を結った触角ツインテールを揺らし、ウサ耳のついたパーカーを風に靡かせて、その女はまるで別人のような様相を醸して立っていた。
悪魔の言葉など聞こえなかったかのように平然と、女は口を開いた。
「なにを怯えてるんですか?元より犠牲者が出ることなんて織り込み済みだったと思いますけど。これしきのことで竦んでるような方にIAMOの魔法士を語って欲しくないですね」
兼平は数千アンペアの電流をぶっ放していましたが、参考程度に書いておくと100mAの電流を流してあげると人間は高確率で御陀仏です。つまり0.1アンペアですね。ビリビリ。