episode5 sect34 ”全部、俺のせいだった。だから”
「――――――」
迅雷の問いかけに対してなにもないまま、30分が過ぎようとしてたとき、かすかに声が響いた。静寂に包まれた病室の中で、それでもはっきりとは聞き取れない、小さく掠れた少女の声、だった。
それが初めて、今日この場所に来た迅雷の平静を揺るがした。
「しー・・・ちゃん・・・?」
大きな音を立てて椅子を離れた迅雷は光に誘われる虫のように、カーテンの向こうで見えない幼馴染みの姿を探した。
ベッドの上で上体だけを起こした彼女は、急に弱っちい顔をする迅雷を見て優しく笑った。
「しのは、ここでやめたくないなぁ・・・・・・」
「・・・・・・うん」
良かったとも、分かったとも言えなくて、迅雷は、それだけ呟いた。壊れものより大事そうに慈音を抱き締めるて無事を実感するのが、迅雷にとって精一杯だった。
●
「俺と阿本は明後日にも退院出来るはずだ。だから、その日にギルドへ行こう」
「それが良いっすね、うん!」
ギルドに学園が直接『DiS』の活動停止を要求している可能性は十分ある。迅雷がそれを言えば、この流れになっていた。
―――いや、良い。良いはずなのだ。少なくとも、迅雷にとっては、良いに決まっている。
「分かりました。じゃあ、木曜は俺と真牙、焔先輩の3人でギルドに直訴するとしましょう。もちろん、予想が当たってれば、ですけどね」
目覚めてすぐに答えを出した慈音の言葉で、真牙と煌熾も意志が決まったのだろう。それが迅雷としては、とても複雑だった。
元々『DiS』は迅雷を立ち直らせるために設けられた場所だったのであって、それが達成された今、各々がそれ以外の目的を持ち、きっちり危険と天秤にかけたのか。彼はそこが気がかりなのだ。
でも、もう決めたと言うのなら、それも本人の本心に一端には違いない。問い直すことにもはや意味はない。
「そうと決まれば、今日は解散だな」
迅雷が疲れた様子でそう言うと、もっと疲れた真牙と煌熾が声を揃えた。
「解散しても俺はここから出られないんだけどな」
「解散してもオレはこっから出れないんだけどな」
「はいはい、すんません」
やれやれと肩をすくめる2人はどっちが本当に疲れているのだか思い知れと言わんばかり。どっちもどっちだ。思わず笑いが溢れる。まだまだいけそうな気がした。
そうして帰り支度をする迅雷に、慈音が「待って」と声をかけた。
「どうかした?しーちゃん」
「うん。だから、ちょっとだけ待って欲しいな・・・」
いつになく虚ろげな慈音の瞳を見て、迅雷は頷いた。
「あー、急に腹痛くなってきた!ほ、焔先輩、連れウンコ行きましょうや」
「は!?連れウン・・・はぁ!?阿本おま、引っ張るなよ!?」
底抜けに白々しい真牙に引きずられて煌熾までもが部屋を出る羽目に。
去り際、真牙は迅雷にこう耳打ちした。
「多分、オレなんかよりずっと傷付いてるよ」
「・・・・・・だよな」
「なにコソコソ2人で・・・」
「はーいはい、先輩!ちっとは気ぃ遣いましょうや。お邪魔虫はここらで退散しますよ」
「お、お邪・・・!?ぐぅ・・・、ぬぅ・・・」
それならそうと云々、とか言いたかったのだろうが、もう手遅れなので煌熾は泣く泣く捨て台詞すら噛み潰して退室したのだった。
これで、病室には迅雷と慈音の2人しかいない。
「としくん―――」
「あいよ」
「としくん」
「はいよ」
慈音の黒くて純朴な瞳が不自然に揺れている。
「なんだよ。俺はちゃんといるぜ?」
そっと近寄って、迅雷はベッドの上の慈音と視線の高さを合わせた。
「としくん、としくん・・・としくん」
「・・・」
「としくん、としくんとしくんとしくんとしくん、としくんとしくんとしくんとしくんとしくんとしくんとしくんとしくんとしくんとしくんんんんッ!!!!!!」
「―――ッ!?」
ゾッ――――――と、這い上がってきたのは、なんだ?
慈音の顔が今まで見たことのない形に歪む。
なにかが壊れてしまった。体の傷ではない、なにかが壊れてしまったのだ。
「酷い、酷いよ!!としくん、としくんとしくん!!なんで、どして、あ、あんな、でも、ねぇっ、としくん・・・としくんっ!!しのは、しのは待ってただけなのに、どうして、あんなこと、ねぇ!!」
「し、しーちゃん、落ち着いてくれ!」
「しのは落ち着いてるよぉ!だから!!ねぇ・・・教えてよ!!な、なんでしのは、分かんないよぉ!!全然なんにも分かんないの!!なにが悪かっ・・・・・・ううん、そう、そうだ!しのが悪かったんだよねうん!!でも、でもねとしくん、ねぇ、おかしいよなんでこんな、でもほら、その―――」
「しーちゃん!!」
「だからとしくん・・・!!」
「ごめん、ごめん、ごめんッッ!!許してなんて言わない・・・言えない!俺はしーちゃんのことを助けてやれなかったんだ。しーちゃんを傷つけたのは紛れもなく俺なんだ!・・・だから・・・ごめん」
「ぅぅうう、ぁ、ああああああああ!!いやあああああぁぁあ!?」
抱き留めた非力な体が迅雷を―――いいや恐らくはそれに代表された現実に望まぬ拒絶反応を起こしていた。もはや錯乱に近い。
慈音をそうしたのは、迅雷に他ならない。決して、迅雷のフリをして彼女に忍び寄った誰かなどではない。謝って、謝って、そして迅雷は彼女の名前を呼ぶ。
「しーちゃんっ!!」
「ぁぁっ、ぁ、う?」
「しーちゃん、もう、もう大丈夫なんだよ。生きてる。しーちゃんも、俺も、本物だ。本当なんだ。しーちゃんの見たものも見てるものも、今抱き留めているのだって本当なんだ。もう誰もしーちゃんを傷つけない。俺は絶対にしーちゃんをこれ以上傷つけない。誰にも、俺が、そんなこと、させないから・・・!」
「ぁぐ、ひっぅ、うぇ、ぇぇぇ・・・とし・・・くん・・・・・・としくん、本物の・・・としくん・・・」
「そう。本物。しーちゃんのことが大切で大切で仕方ないような、いつものお向かいさんの、神代迅雷だよ」
「しの、分かってるんだよ、本当は。あんなこと、としくんがするわけないって・・・。でも、でも、怖くて・・・本当に怖くて、すごい怖くて!千影ちゃんが、しかも、としくんを、殺・・・斬っちゃって・・・!怖かった、すごく怖かったんだよ!すっごく・・・すっごくすっごくすっごく・・・!・・・怖かったの・・・」
「うん。うん・・・。本当に、ごめん。待たせて、ごめん。1人で置いていって、ごめん」
「あぅ・・・ぅぁっ、ぁぁん、ひっぐ、あはぁ、うぇぇぇぇぇええ・・・!!」
こんなに慈音が泣いているのなんて、いつ以来だろう。きっと今までずっと溜め込んでいたのだ。恐かったことも、寂しかったことも、不安だったことも、全部。
だから、迅雷は汚く泣きじゃくる慈音を受け止め続けた。今までずっと、慈音が迅雷にそうしてくれたように。
やっと外に出てこられた涙も鼻水も涎でさえも、迅雷は甘んじて受け入れていた。
「本当に、ごめんな」
慈音が顔を上げたのは、それから1時間も後のことだった。さすがに2人とも疲れ切ったけれど、枯れきった唇に水を含ませてやったら、そこにはスッキリ晴れた笑顔があった。
●
慈音のこともあってゲッソリやつれた迅雷は、慈音の母親に彼女が目を覚ましたことを伝えてから病院を出た。もっとも、それより先に看護婦さんにそのことを伝えるのは忘れないようにしたけれど。
またしばらくバスに揺られ、歩いて、ようやく家に到着した頃には日も暮れていた。
「ただいまぁ」
「「おかえりー」」
間延びした挨拶には間延びした返事が返ってきた。迅雷が2階に上がる前にリビングを覗くと、なんと直華と真名はもう夕飯を食べていた。
「あぁっ!?ちょ、待ってくれよ・・・」
「えー、だってもー7時半過ぎてるし?冷めちゃってももったいないでしょー?」
「ごめんねお兄ちゃん、お先にー」
「・・・・・・」
ぐうの音も出せず、迅雷はいそいそと2階に上がった。家なのに1人で食べる夕飯がどれほど淋しいことか。
1階に戻り、迅雷は遅れた夕食をとるが、半分も終わらないうちに母と妹は食器を片付けてしまった。迅雷はやるせない気分である。
・・・なんて思っていると、直華がまた迅雷の向かいに座り直した。頬杖をついて迅雷の目をまっすぐ見つめている。
「・・・ど、どうしたんだ?なんか、そんな熱心に見つめられると食べにくいんですが」
と言うと、直華はジト目になる。いよいよ反応に困った迅雷は箸を持つ手を止める。
「だからどうしたんだよ、ナオ」
「・・・お兄ちゃん」
「は、はいっ」
「なにか、言うことがあるのではないでしょうか?」
「言うこと?」
「むー・・・!」
頬を膨らませる直華。そんなに不機嫌になるようなことがあっただろうか。迅雷はしばらく眉間にしわを寄せ続けて、諦めた。
「すまんナオ、分からん。正解やいかに?」
「もうっ!お兄ちゃんのバカ!私、お兄ちゃんと魔法大会に向けて練習するの楽しみにしてたんだよ!?」
「あぁ、そ、それか!!いやホントに悪かったって!でもほら、しゃーないんだって、お兄ちゃんにもいろいろ用事とか事情とか諸々のがあって!」
「それは分かるけどぉ・・・・・・はぁ・・・」
あの直華がこんなに拗ねるなんて、特訓をよほど楽しみにしてくれていたに違いない。今日は申し訳なく思ってばっかりの迅雷は、重なる疲労感に肩を落とした。
「じゃあナオ、明日こそはちゃんとやろう。ただ、木曜は多分キツいからその日はゴメンな」
「今度こそ約束だよ?破ったらおしおきだからね?」
「それはそれでアリかも?」
直華にならちょっとくらい痛いおしおきでもされてみたい気がして、迅雷はニッコリする。
「それはそうとして、用事ってなんだったの?」
「うん?まぁナオになら言っても良いよな。いや、実は学校の先生からパーティー解散しやがれと言われてさ」
「えぇっ!?また急な!?」
「でもほら、俺はこうでもみんながな」
「そ、そっか。それで、本当に―――」
「いや、やめないよ。俺たちとしては。で、今日はその話をしに病院に行ってたんだ」
「そっか。先に言ってくれたらあんなに怒んなかったのに・・・ごめんねお兄ちゃん」
「良いって。ナオがあんなに言うんだから、ホントに楽しみだったんだろうしな。それと、そう、しーちゃんも目、覚ましたよ」
「ほ、本当!?」
「本当」
「よかったぁ・・・」
迅雷にとって家族同然なら、直華にとってだって慈音は姉みたいなものだ。すっかり安心したのか、直華の肩はさっきより落ち着いた高さになっている気がした。いつも通りに振る舞っているように見えていたって、気にしていないはずがなかった。
さて、細かいことは言わずに迅雷は話を切り上げた。
「よし、もう拗ねてないで明日の準備でもしてなさい」
「んなっ!?拗ねてなんてないもん!」