episode1 sect17 ”家族”
―――――ごめんね。でも、これは君のお父さんからの頼みでもあったんだよ―――――
千影は、確かにそう言った。迅雷の魔力が封印されたのは、父、神代疾風が千影にそう頼んだから。
迅雷は言葉の意味が理解できず、困惑する。
「・・・待て、なんだよそれは・・・?」
―――――なぜ、父さんは俺の魔力を抑制しようとするんだ?
「言ってる意味が分かんねぇよ。なぁ、冗談だろ?」
「ううん。事実だよ」
引きつった笑みで迅雷は聞き返すが、振り絞った逃避は真っ向から否定される。
「・・・・・・、それって、どういう・・・」
「初めはね?」
迅雷の困惑も当然だと言わんばかりの顔で、しかし千影は彼の言葉を遮って語り出した。
「初めは、今月、ボクははやチンと一緒に君の家に帰る予定だったんだ。でも、はやチンの場合立場が立場だからね。とっしーも知ってるとは思うけど、急な仕事が入って結局ボクが1人で来たわけなんだけど・・・。これはちょっと違うか」
千影は途中まで話してから、黙り込んで数秒考え込む。それから、再び口を開く。
「・・・ねぇ、とっしー、『抑制』って魔法、知ってる?」
唐突に千影は質問を返してきた。
「それは、まぁ知ってるけど、それとこれはなんの関係があんだよ?」
迅雷は質問に質問で返されて思わず苛ついたような声を出してしまった。我ながら大人げないとは思うが、ただでさえ不穏な気分なのだから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
千影が名前を出した魔法については、迅雷もなんとなく知っていた。実例はともかく、どこかで何回かは聞いたことがある。
生まれてくる幼児の中には、稀に生命維持にも支障を来すほどの過剰な魔力量を持って生まれてくる子供がいるらしい。そのときに、IAMOの認可を得ている医師が、その子供の心臓、つまり生命力と同時に魔力の最大の根源となる部分の周囲に刷り込む魔力発生抑止用の永続式魔法のことだったはずだ。
――――――そう、心臓。
そこまで思い出して、迅雷は気が付いた。
「そう、つまりそういうことだよ。とっしーが今まで悩んできたのは全部それだよ」
千影が迅雷の表情の変化に合わせて話し出した。
「でもね、とっしーはその中でもさらに特殊だったらしいんだ」
「・・・は?」
肯定に続けて否定で言葉を繋がれて迅雷は首を傾げた。千影はさらに詳細に話を続ける。
「そういった先天性魔力過剰症はだいたい10~13歳くらいで自然と体の成長が魔力量に追いつくからそこで『抑制』は必要がなくなって解除してもらうものなんだ。だけど、君はそれ以上に魔力が強すぎた。だから今まで、ううん、はやチンに聞いた分では20歳くらいまでは、解除できなかった」
もう基準年齢を2,3歳もオーバーしようとしているにも関わらず、それでもなお『抑制』の解除が許可されないほどの魔力量。成長期を完全に通り過ぎるほどまで体が成熟してやっと耐えきれると判断されたのが、昨日彼がみせた嵐のような魔力。
簡単な話だった。つまりは、例外的な極度の魔力過剰で生まれた迅雷は自らの力で内側から弾けないように、生まれたその時から今までずっと心臓の周りに刻まれた魔法に守られていたということだった。その結果の無力さと惨めさだった。
「・・・・・・なるほどな。じゃあ、昨日のあの魔力量が・・・俺の本来の力だったってこと、なんだよな」
分かってみれば呆気なさ過ぎる結論に、さっきまで不安と矛先を持たない苛立ちを感じていたはずなのに、迅雷はなんだか笑えてきた。
一度頷いてから、千影はさらに逆接を重ねて話し続ける。
「うん。でも、とっしーがマンティオ学園に入るとなって、はやチンが決めたんだよ。無理を承知で『抑制』を解除してもらおうってね。まぁでも、当然そんな許可は出ないに決まってた。そこでボクなんだよ。昨日みたいな無茶なことはしないけど、『抑制』を強制的に解除して、とっしーがその魔力量に慣れるまでこの『制限』で『抑制』よりは弱い制限をかけて欲しいって言われたんだよ」
千影は、『制限』の刻まれた迅雷の左手首をさすりながら、釈明するかのように一連の予定されていた筋書きを伝え終えた。もっとも、そんな筋書きなどとうに白紙になっているのだが。
迅雷としても、魔力がまた減衰するのは恨事以外のなんでもなかったのだが、昨日味わった自らの内圧と千影の話を聞いて、なおも未練がましく『制限』を解いて欲しいなどとは言えなかった。
「そっか、あぁ、なるほどな」
唇を噛み締め、また失った力に泣きたい気持ちを抑えて、迅雷は声を出す。
「本当に、ごめんね。とっしーからまた魔力の自由を奪うのはボクも心苦しかったんだけど・・・」
そんなことは千影の顔を見れば分かることだ。彼女としても、やはりこれは苦渋の決断だったに違いない。少なくとも、迅雷と出会った後の彼女にとっては。
でも、違う。千影が感じるべきは、そうじゃない。迅雷が抱えるべきは、未練じゃない。
―――――――言うべき言葉は、他にあるはずだ。そうだろう。
そう思った途端、心の中のわだかまりが晴れて掻き消えるのを感じた。
「・・・ありがとう、千影」
迅雷は、ただただ、純粋に微笑んでそう言った。
「・・・・・・え?」
千影は俯き駆けた顔をゆっくりと上げた。彼女の顔には「どうして」と書いてある。
「どうして、とかは言うなよ?俺は結局助けてもらった方なんだぜ。千影はいつもみたいにしてればいいんだよ」
迅雷は千影に文句など言う理由を持たないのだ。なにかと悪戯をしては悪びれる様子も見せずにケラケラと笑う千影を思い出しながら迅雷はそう言った。
「でも!でも、悔しくないの?せっかく戻った魔力なのに?ボクは・・・とっしーにとっては・・・疫病神かもしれないのに・・・?」
千影は薄々感じていた。自分という要素が迅雷の生活に加わったことが彼の心の負担を加速させていたのではないか、と。自分がいなければ彼はここまで自分の力不足を嘆くことはなかったのではないか、と。それに、彼の負った傷も元はといえば、『ゲゲイ・ゼラ』を仕留め損なった自分を迅雷が庇った結果受けたものなのだ。
あのたった5日間で、迅雷が体も心も激しく消耗していたことを、千影は感じていた。そして、それは事実、間違いではなかった。
それでも迅雷は、そんなのはただの甘ったれた考えだと認めた上で、捨て置いた。否、彼一人ではそのまま置き去ることもできずあの場で朽ちていただろう。彼女は自分のために言ってくれたのだから、捨て置けたのだ。
「まぁ、悔しいけどな。でも俺のためにやってくれたんだろ?仕方ないさ」
巡り巡って、迅雷は千影の言葉を真っ向から斬り捨てる。
「・・・あとなぁ、疫病神とか言ってんじゃねーぞ、神様に失礼だろ。思い上がってんなよ?千影、お前1人がポッと出てきたくらいでこんなことになるもんかよ。今こうして寝かされて体にいろんなモン入れられてんのも、全部俺が望んでそうしたからだ」
そう。望んでいたとおりに、我儘に、迅雷は思うがままに千影を助けに駆けつけて、そして勝手に怪我をしただけの話だった。もうそれ以上でもなければそれ以下でもない。
律儀に傷付いてそれでもなにも出来なかった頃の自分を思い、無謀なことをして傷付いた今の自分を見て、感謝と感慨が溢れ出す。
これで、良かったのだ。なにもかもに怯えて心を休める場所すら失う前に、弱さも脆さも全部引っくるめて認めてしまえば良かったのだ。そして、そうした上で強い自分を、諦めない我儘な自分を、追い求めれば良かったのだ。
「・・・・・・たとえ邪魔になって足を引っ張ることになろうが、駆けつけたところでまともに戦うことすらできなかろうが、これっぽっちの役にも立たなかろうがな、それでも俺は千影だけに負担を負わせたくなかったんだよ。『守って』やりたかった。あぁ、全部日に日に積み重ねってく無力感とか劣等感の言い訳だったよ。・・・でも、言い訳だけでもなかった」
迅雷は震える千影の頭を左手で撫でながら優しく語る。宥めるように、あやすように。
「昔、大事な人と、1つ約束をしたんだよ。・・・『みんなを守る』・・・ってさ。大切な、大切な約束だ。でも、それだけじゃなくてさ、俺がそうしたかった。そのために努力してきた」
病室の窓の外を眺めて一拍おき、それから迅雷は千影に視線を戻す。
「・・・・・・俺はな、千影。お前が笑ってんのを見てるとき、なんかこう、こっちも嬉しくなったんだよ。確かに千影の強さに嫉妬もした。その差に落ち込んだりもしたし振り回されて疲れたりもしたさ」
少しも隠すことなく、迅雷も心の内に潜ませて蓋をしてきた浅ましい気持ちも、言うのも小っ恥ずかしくて遠回しに考えていたこともすべて曝け出した。ここにいる迅雷はもう、弱くて情けなくて、でもそれをあるべき自分の一面として認めた迅雷なのだから。
言ってしまえば案外大したこともなかったし、こびり付くような罪悪感も全部消えてくれた。
でも、と迅雷は話し続ける。
「でも、だからこそ大切だった。まるで本当の家族のように感じてた。いつの間にかさ、千影はここにいて当たり前なんだって。俺には欠かせない存在にすら思ったんだよ。そんなお前が1人で戦っているのを足手纏いだからって、それを放って逃げたくなかった」
「・・・とっしー・・・」
千影は、申し訳なさと嬉しさが心の中で絡み合って、そして、そう感じることのできる「家族」という喜びを、初めて知った。これほどまでに強い繋がりを感じさせる言葉があったのだな、と千影は思った。
千影にだって「家族」としてきた人たちはいた。楽しい時を彼女らや、彼らと過ごしもした。けれど、その中の誰よりも、迅雷の口からでたその一語の方が、ずっと暖かかった。
迅雷は、最後に一言、長々と言葉を並べてきた中で一番伝えたいことで結んだ。
「まぁ、つまりアレだよ。俺は、千影のことも『守って』やりたかったんだよ」
改めて言うのはやはり恥ずかしかったが、昨日は結局まともに言うこともできなかった一言を、今度こそ伝えることができた。
●
迅雷の思いは伝わった。千影はゆったりと微笑む。
「うん・・・。ありがと。ボクも。ボクもみんなのことが、とっしーのことが大切だよ。昨日は嫌われちゃったかな、なんて考えちゃったりもしたけど・・・やっぱり君に会えて良かったよ。・・・とっしー、これからもよろしくね!」
この少年との出会いは、きっと自分の人生の中でもきっと最後まで大切な出来事になるのだろうな、と千影は感じていた。もちろん、彼の周囲の人々との出会いも。だから、千影はこれ以上沈んだ顔はしないことにした。にっこりと笑って感謝にも似た気持ちを伝える。
「あぁ、もちろんだよ。それに嫌いになったりするもんかよ。・・・まぁ、また力は使えなくなっちまったけど・・・、でも次からは負担は無理にでも分け合ってもらうからな。覚悟しとけよ?」
明るくからっとした声で迅雷は笑った。千影もつられて笑う。
「あはは、うん、そうだね。頼りにしてるよ、とっしー?」
そして一拍おいて、
「ちなみになんだけど」
「ん?」
迅雷が急に冗談めいた様子で申し訳なさそうにウズウズし始めた千影を見て首を傾げる。ただ、反省とか後悔の様子は見えない。
「ちなみに?どうしたんだよ、まだなんか謝りたいことでもあんの?」
「あーううん、違う違う」
「じゃあなんだよ。もったいぶんなよー」
迅雷はそう言って左手で千影の頭をうりうりと軽く小突く。千影は姿勢を正して急に真面目な顔になって話し出した。
「えーっとですね。その『制限《リミテーション》』はボクが操作すれば最大で20分ほど限定的に解除可能です。あとそうでなくても今のとっしーにはほぼ標準レベルの魔力が残っていると思います」
言い終わって、千影が可愛らしくぺろっと舌を出して誤魔化した。そしてそのままベッド脇の椅子から立ち上がろうとする千影を迅雷は怪我人とは思えない反応速度でとっ捕まえた。左腕の力だけで彼女を椅子に縫い止める。
「・・・オイ?どこに行くんだい千影さん?」
「な、なにかな、とっしーさん?」
千影の目を見ながらにっこりと笑う迅雷の笑顔は俗に言う「恐い笑顔」というやつだ。明らかに笑っていない迅雷の笑顔を見て千影は引きつった声を出す。
「つまりアレか、普通に魔力あんのか俺?」
「あります」
千影が頷くと、少しずつ迅雷の声のトーンが上がり始めた。
「オイ、つまり普通に戦えるんじゃねーか。魔力封印された悔しさめっちゃ我慢して押さえ込んだんですけど。本当はすっげぇ悔しかったんですけど。ねぇ返して、俺の精神的労力と精神的努力を返して!?」
要約すると、千影は別に迅雷は戦う力を失ったわけではない、と言い、力を失くしたと思い込んでいた迅雷が大事なことは先に言え、と言っているのであった。
迅雷が今度こそ怪我人の限界を超えたパワーで千影を前後に揺さぶり始めた。
「ぎょわぁぁぁ!?やーめーてー!?ほ、ホントに怪我人?そんなブンブン揺さぶらないでー!」
迅雷が手を放すと、目を回した千影が迅雷のベッドに倒れ込んだ。
「キュゥ・・・」
「キュゥ、じゃねー!そういうのは早く言ってくれよ!」
「だ、だってなんかそういう雰囲気じゃなかっ・・・ま、待った!や、やめろー!抜けちゃうぅ!?」
先ほどまではしんみりとしていた空気にしんなりしていた千影のアホ毛がシャキッと立ったところで迅雷が収穫に入ったので千影が全力で抵抗する。
「だ、だいたいそんな嬉しそうに怒られてもなんだけどっ!?」
そう言われて迅雷は動きをピタッと止めた。千影はその隙に髪を整え直しながら椅子に座り直す。
・・・嬉しそう?
「・・・笑ってんのか、俺?」
迅雷はなんだか自分の顔の筋肉の状態も分からないままそう尋ねた。千影はコクコクと頷く。
「笑ってるよ。そりゃぁもう嬉しそうに」
ここで冷静に迅雷は自分の口元や頬を手で撫でて、自分が今笑顔・・・それこそ満面の笑みでいることに気が付いた。
「・・・そっか」
そうか、嬉しい。嬉しいんだ。まだ少し制限が付いたままだけど、あの魔力は残っていた。『守れ』る力が、ちゃんと残っていた。そうだ。
「そうだよな。あぁ、嬉しいよな!はははっ!」
「うにゃっ」
怒っていたのかと思っていたら今度は急に抱き寄せられて千影が変な声を出した。姿勢がキツかったが、千影もまた迅雷の喜ぶ顔を見ていると暖かい気持ちになってきた。迅雷の胸の下辺りに顔を埋めながら千影は。
「うん。良かったね、とっしー!」
今は余計なものなどなにもかも削ぎ落として、共に喜びを分かち合った。
●
午後5時頃。学校帰りに慈音、真牙、向日葵、友香の4人はそのまま迅雷の入院している一央市の総合病院に来ていた。慈音は彼の病室を知っていたので、受付で面会の許可を取ってから3人を連れて病院の割と広い廊下を歩く。
ところが、いざ迅雷のいる病室の前に立ってドアをノックしようとしたところで急に緊張してきた。昨日傷は完全に塞がっていたことは確認したのに。
「あ、あれ、そういえばとしくんになんて言ったらいいんだろう?はっ、まだ寝てたらどうしよう!?」
今更ながら昨日のことを思い出してどうすればいいのかよく分からなくなって、あれやこれやと言いながらモジモジし始める慈音。そんな彼女の横を真牙がスルリと通り抜ける。
「いいか、慈音ちゃん。そういうときはこうするんだぜ!」
「ふぇ!?ちょ、真牙く・・・」
慈音がなにか言い切る前に真牙はノックもなしに病室のドアを開けた。
「オーッス迅雷!元気してっかー?」
「ちょっと阿本クン、病院では静かにだよ!」
そういう向日葵の声も普通に大きい。友香はツッコもうかどうか考えたが、なんか向日葵が期待するような目で自分の方を見ているので面倒になってやめた。
「し、失礼しまーす・・・?」
友香はとりあえず一言断ることだけして病室に入り、慈音も彼女に続いて病室に入った。
しかし、いざ病室に入ってみると、なぜか真牙以外の全員が固まっていた。
「は、はわわわ」
「ど、どうしたの?友香ちゃん?」
慈音が友香になにがあったのか聞こうとしたが、その必要はなかった。
「きゃあああぁぁぁぁ!?」
悲鳴が響いた。・・・・・・男性の低めな声で。
そこでは、なんとか体が動くようになってきて、体に付けられていた種々雑多なチューブやコードも外してもらって、さっき千影が置いて行ってくれた下着を着替えているところだった。ちなみに、実際は千影がうまく動けない迅雷の着替えを彼女が自分の手でしてやろうとしたのを強引に帰らせて、着替えだけ置かせて難を逃れたという経緯がある。
迅雷の悲鳴を聞きながら女子勢が狼狽える。
「な、ちょっ、それあたしたちの台詞!」
向日葵が真っ赤になった顔を両手で覆いながら怒鳴った。・・・妙に指の隙間が広いのが気になるが。
「お、男の人の着替え・・・キュゥ・・・」
男性耐性低めな友香が卒倒したのを慈音が慌てて支えた。
「と、友香ちゃん!?としくん、早く着替えちゃってよぉ!」
いつの間にか迅雷が悪いみたいな雰囲気になっている。フラフラヨロヨロとしながらも迅雷は慌てて着替えを済ませた。突然のハプニングのせいで、着替えるだけで息が上がってしまった。
●
「・・・・・・ノックぐらいするべきだと思う」
着替え終わってベッドに入り直して半身を起こすようにして座った迅雷は、さぞお怒りの様子でそう言った。というか本当に心臓に悪い。昨日はかなり負担のかかった心臓なので本当にやめて欲しい。マジでショック死する。
「やー、悪ぃ悪ぃ。ま、つーわけでお見舞いに来てやったんだからプンスカしてねーで喜びたまえよ、な?」
「つーわけで、じゃねぇよコラ。真牙、テメェ退院したらぶっ殺す」
まあまあ、と慈音が迅雷を宥める。
「でも、思ったより元気そうだね、としくん。しのもほっとしたぁー」
友香と向日葵もうんうんと頷いている。
「俺もびっくりだよ。これが最新のテクノロジーと高度な魔法治療のイリュージョンなんだな。治療費を想像したらぞっとするけど」
迅雷は若干苦々しく笑う。これだけ元気だと女の子にチヤホヤと看病してもらえそうにない。いや、元気じゃないフリをするという選択肢もあるにはあったが、既に元気な姿を見られてしまったし、そもそも迅雷はそこまでゲスじゃない。迅雷は残念そうに溜息をついた。
理由は不明だが、そこはかとなく残念そうにしている迅雷を見ながら、向日葵が彼に素朴な疑問を投げかけた。
「元気なのは分かって安心したけど、じゃあ退院はいつ頃になるのかな?なんか迅雷クン明日くらいには外出てもいけそうなくらいには見えるけど」
「あぁ、まぁそう見えるよな。俺も実際大丈夫そうな気がするくらいだし。でもまぁ、胸をぐっさりやられて重傷だったからな。傷はこの通りキレイサッパリだけど一応木曜までは、だってさ」
迅雷も先ほど治療を担当してくれた先生が部屋に来たときにちょうど向日葵と同じことを尋ねていて、彼はそのとき聞いたことをそのまま話した。
「そっか。まぁ安静が一番だよね」
●
それから30分ほど他愛ない会話が続いた。日曜日に迅雷たちがピンチしていたときになにをしていたか、とか今日の学校での出来事とか。しかし、そんな日常的なワンシーンだけで迅雷は帰ってきた、と感じていた。死の淵からも、危険な戦場からも。
ただ、話している内に日も傾き始めたので、迅雷は慈音らに日が完全に暮れてしまう前に帰るよう促した。真牙もいるので万が一のこともないとは思ったが、やはり女の子3人に夜道を帰らせるのは安心できなかった。
「じゃーなー、迅雷ー」
「バイバーイ」
「また来ますね」
真牙、向日葵、友香が順々に病室から出て行く。
だが、慈音だけは最後まで1人残っていた。
「しーちゃんも、早く帰りなよ。暗くなっちまうぜ?・・・はぁ。俺はほれ、心配要らないからさ」
迅雷は突っ立ったまま迅雷の顔を見ていた慈音に、困ったように笑いながら溜息を1つして、それから力こぶを作ってみせてそう言った。慈音もそれを見てふふっと笑う。
「うん、ありがとう。・・・・・・本当に、としくんが生きててくれて良かった!じゃあね、としくん、また明日も来るからー」
「おう。・・・あ、そういや」
送りだそうとした張本人が呼び止めるように呟いた。
「ん?どうしたのとしくん?」
迅雷はなにか昨日慈音に言われたような気がするのだが・・・気になるのになぜか思い出せなくてモヤつく。
「いや、その、んー・・・なんか昨日しーちゃんになんか重要なことを言われたような気がするんだよな・・・」
喉元まで出かかっているのになかなか思い出せない。慈音も首を傾げながら迅雷と一緒に考え込む。
「うーん、としくんのやりたいことをした方がいいよ、とか?」
「あ、それは覚えてるよ。・・・あの一言で吹っ切れたよ。ありがとな、しーちゃん」
今更ながら自分のした発言に慈音は耳を赤くし、迅雷にお礼を言われてさらに照れて慈音が真っ赤になる。
今のやりとりで迅雷は出かかっていた記憶が振り出しまで落ち込んでしまった。と、思っていたらなんか、少しこみ上げてきた。
「あ・・・ちょっと思い出してきた」
「お、なになに?」
慈音が興味深そうに迅雷の顔を見つめる。
「えーっと、たしか・・・す、す・・・す・・・」
そこまで聞いた慈音が急に赤くなった。そういえば、慈音は迅雷に説教をかましている時に勢いでなんかとんでもないことを口走ってしまったような気がした。
「わあぁぁ!?多分あれだよっ!『擦り傷なんかでウジウジしないで!』だよきっと!」
これは言った憶えがないが今はなりふり構っていられない。さすがに今そんな話をされるのは恥ずかしすぎる。それに実のところ慈音としても迅雷との関係は今ぐらいの間柄でいるのが一番幸せだった。
「ん?そうだっけか?なんかもうちょっと短かったような気もするんだけど・・・」
「短くないし違わないって!しのが言ったんだからしのが正しいの!ね、ね?」
なんだか鬼気迫る勢いでズイと迫られて迅雷がたじろぐ。息がかかりそうなほど顔が近い。
「お、おう・・・?分かったよ・・・」
慈音が胸をなで下ろす。それから、慈音は迅雷に手を振って別れの挨拶をし、そそくさと病室を出て行った。
廊下からは4人の明るい声が聞こえてくる。こうして自分を心配して見舞いに来てくれる友人がいることに迅雷はささやかな幸せを感じていた。こうして元気な姿を見せることができて本当に良かった。
●
半分が沈んでしまったもののまだまだ明るい夕日に照らされながら、迅雷はゆっくりと目を閉じて枕に頭を埋めた。もう話し疲れて結構眠かった。
「・・・それにしても、最後しーちゃん必死だったなぁ。結局なんだったんだろな。す、す・・・んー、『好き』とか?いやまさかなぁ、あんな状況でそんなこと言うか普通。いやでもなんかやる気出たんだよなぁ、あのとき・・・じゃあもしかして合ってる?」
1人になってぼんやりとそのことについて考えていたら眠いのに悶々としてきて寝るに寝られなくなってきた。
「え、でも、あれ、え?いやまてまて・・・でも、え?」
なんだろう、落ち着かないんですけど。ドキがむねむねするんですけど。
「まて、落ち着け神代迅雷。それはお前の妄想だ。勝手な思い込みだ。普通言わないだろ、あんな状況で『好き』とか。うん、そうだよ」
・・・いやでも・・・?もしそうだとしたらさっきめっちゃ失礼なことをしたのではないだろうか?迅雷としても慈音のことは、まぁ、確かに好きか嫌いかと言われたらもちろん好きなのだが、でもそういう目で見たことはないですし?
「にゃー!アカン!」
思考のループから抜け出せなくなった迅雷は遂に脳がショートしかけたので考えることを、やめた。明日本人に聞こう。それでそうならそう、違うなら違うではっきりさせればいい。
やっと眠れそうな気分になったときには既に日も暮れてすっかり夜だった。一体どれだけの間同じことを考えていたのだろうか。迅雷はもう一度深く枕に頭を埋めて目を閉じて・・・寝る・・・はずだったのだが。
コンコン、と病室のドアがノックされた。
「・・・はい?」
迅雷の返事に合わせてドアが開けられる。
「あ、よかったー。まだお兄ちゃん起きてた。寝てたらどうしちゃおっかなって思ってたよ」
そう言って病室に入ってきたのは直華だった。どうしようか、ではなくどうしちゃおっか、と言ったのが不穏だ。入り際にバッグになにか、赤とか青の油性ペンを入れていたような気がする。怪我人の寝顔に落書きでもするつもりだったのだろうか?とにかく起きていて良かった。
迅雷は直華が入ってきたので、こんな時間に?と思ったのだが、その後ろから真名と千影(本日2回目のご登場)がやってきた。
「・・・母さん」
「やっほー、迅雷。またずいぶんと無理したわねー。まったく、お父さんの子供だなーっていうかなんていうか?さすがに心配しちゃったわよ、母さん。お父さんに言ったら大慌てだったんだから、もー」
真名が大袈裟に頬を膨らませる。どうやら疾風のことは千影が宥めてくれて事なきを得たらしい。迅雷もちょっと苦笑する。
「ごめんな、母さん」
「・・・ううん、いいのよ。こうしてちゃんと無事なんだから」
そう言って真名は迅雷を強く優しく抱きしめた。まだ痛む体だったが、不思議と強く抱き寄せられても暖かいだけで、痛みはなかった。
「こうして母さんに抱きしめられんのもいつぶりかなぁ、なんか照れくさいからやめてくれよ」
存外まんざらでもなさそうに迅雷はそう言ったが、真名は、もう少しだけ、と言って30秒ほど迅雷を抱きしめ続けてから彼の体を解放した。
「ところで、こんな時間に揃って来て一体どうしたんだよ?」
迅雷はここで当初の疑問を投げかける。すると、直華が肩に提げてきていたバッグを漁りながら答えた。
「うーんとね、ハイ!こういうことでした!」
直華に差し出されたそれを迅雷は受け取る。
「これ・・・弁当?」
「そう!なんかやっぱり4人で食べないと寂しいでしょ?」
そう言って直華はさらに3つの弁当箱を取り出して千影と真名にも手渡す。
直華の笑顔に迅雷の目はちょっとウルウルした。零れそうな涙をなんとか我慢したものの、目が赤くなってしまったので隠しようがない。その様子を見ていた千影がにやにやしている。
「それじゃー、いただきましょう!」
真名がそう言い、4人は弁当箱を包む布を開いて、次いで蓋を開ける。中からは卵焼きや野菜炒めが色鮮やかに顔を出した。
「「「「いただきまーす!」」」」
●
「・・・お兄ちゃん、寝ちゃったね」
直華は迅雷の寝顔を見ながらそんな風に言った。安らかな顔で眠る兄を見ているとこちらまで眠くなってくる。食後の団欒の途中で迅雷は疲れて眠ってしまったのだが、本当に怪我人だったのだろうかと思ってしまうほどには彼の寝顔は健康だった。
「ふふ、なんかもう本当に元気そうだね。もう、食べてすぐに寝たら牛になっちゃうんだぞ?」
直華は迅雷の頬を指でつついて反応がなかったので、耳元に口を寄せてそう囁いてみた。すると迅雷が寝返りを打ったので少し驚いた直華だったが、まだ彼が眠っているらしいことは分かったので、改めてぐうたらな兄に布団をかけ直して穏やかに微笑んだ。昨日の今日なので、こうして迅雷の健やかで少しだらしない感じもする寝顔を見ているだけで心の底から安堵できた。
「ナオ、起こしちゃったら悪いよ。さ、帰ろ?」
千影もそんな直華を見て嬉しそうにしながら、そう言った。
「そうだね。・・・じゃあね、お兄ちゃん、お休みなさい」
最後にもう一度だけ耳元でそう囁いて、直華も病室を出た。
気のせいかもしれないが、迅雷は最後少し笑ったように見えた。
元話 episode1 sect45 ”家族” (2016/7/14)
episode1 sect46 ”あ、ちなみにだけど、言い忘れが” (2016/7/16)
episode1 sect47 ”色彩” (2016/7/17)