episode5 sect28 ”再帰”
迅雷が慈音の寝顔を見つめていると、病室にはまた別の客人が訪れた。見れば、それは慈音の母だった。
彼女は慈音のベッドの脇にいた迅雷と目が合うと、少し驚いた顔をした。
「あら・・・とし君。こんにちは。慈音ちゃんのお見舞いにきてくれてたの?」
「こんにちは。俺はそうですけど、晴香さんもですか?」
「そうだよ?今ちょうどお昼食べて戻ってきたところなのよ。・・・あら?でもとし君は今日学校は?」
「いや、昨日の夜にいろいろあって死にかけたり生き返ったり忙しかったのでお休みさせてもらってます・・・」
「し、死にかけ!?生き返った!?」
不穏な響きで慈音の母は目を白黒させている。幽霊かと疑われたから迅雷は慌てて生きていることをアピールした。
さっきは詳しく説明しなかったので煌熾も唖然としていた。これは後で無難な内容の弁解をしないといけないかもしれない。
ひとまず迅雷が生きているということで安心した晴香は落ち着きを取り戻した。
「大変だったのね。良かったわもう、ホントに。わざわざありがとうね、慈音ちゃんのお見舞いにも来てくれて。とし君が来てくれて慈音ちゃんも嬉しいんじゃない?」
晴香も昨日と比べればだいぶいつも通りの調子に見えた。昨日までは自分の娘が怪我で入院する日が来るなんて考えたこともなかっただろう。疲れはまだ滲んでいると見える。
慈音の表情は母親譲りなのだろう。柔和に笑う晴香は慈音とそっくりだ。彼女に迅雷も小さく笑い返して、再び慈音の顔に目を落とした。
「だったら、良いんだけどなぁ。しーちゃんには酷いことしちゃったから・・・」
「・・・・・・」
しばらく誰もなにも言わない時間が続いたが、それを破ったのは迅雷と晴香の様子を後ろから見ていた煌熾だった。
「東雲のお母さんも、少しはちゃんと休む時間を作ったほうが良いですよ」
ずっとここにいた煌熾は知っているが、晴香は昨日からずっと病院にいる。規則に少し無理を言ってまで、慈音の様子が気になって帰らずにいた。それほどまでに彼女は慈音のことが心配で堪らないのだ。
「昨日からずっとですし、東雲のことが心配なのは分かりますが、それでお体を壊したら元も子もないですし・・・」
「ありがとう、煌熾君。でもまぁ、もうちょっといさせてちょうだい?」
「んー・・・・・・」
優しい口調とは裏腹に固い意志のある晴香の言葉に煌熾も黙った。困ったように頭を掻くが、それ以上はなにも出来ない。
2人の会話を聞いていて、迅雷は苦々しい気分だった。
「本当にごめんなさい。俺がもっとしっかりしてたら今頃普通にみんなで学校に行ってるはずだったのに」
「とし君が悪いわけじゃないでしょ。昨日はみんなツイてなかっただけ。それに、とし君1人じゃどうしようもないでしょ?人はみんな、1人じゃなんにも出来ないんだから、無茶なことは考えてもしちゃダメよ?」
「それでも、こんなんじゃいけないんですよ」
「そうなの?」
「そうなんです」
「とし君、またなんかオーラ変わった?」
「それ、さっき別の人にも言われました」
ほんの少し、きっと今の迅雷は今までの迅雷とは違って見える。決して大きくないけれど、確実に。
自覚はある。というよりも、そうでないと全部繰り返すだけだから。迅雷は笑う。
迅雷は左手を強く握って、開いた。1人じゃなにも出来なくたって、1人になっても頑張らなきゃいけないときもくる。
だから、それでも、なのだ。
―――なんて思っていたところだった。
「ぶはぁっ!?」
「「「!?」」」
突然大きな音がして、起きている全員がビクリと跳ねた。何事かと思えば、慈音の向かいのベッドで眠っていた真牙が跳ね起きた第一声だった。
今の今まで意識不明だった人が爆発的な目の覚まし方をすれば、そりゃビックリだ。
「お、おぼれるっ!!」
「ちょ、落ち着け落ち着け、落ち着けって真牙!?」
直前まで水に溺れる夢でも見ていたらしい真牙がベッドの上で苦しそうにもがき始めたので、迅雷は慌てて真牙のそばに駆け寄った。
「大丈夫だ!ここは病院だから!息してみろ!」
「と・・・迅雷?ヤバイ、本格的にあの世・・・?」
「オイ待て、なんで俺まで死んでるんだ!?」
生死の判断基準扱いとは心外極まりないので、迅雷は反射的に目覚めたばかりの友人に怒鳴ってしまった。けれど、その大声が効いたのか、真牙の意識も安定し始めた。
「・・・すぅ、はぁ・・・。・・・?おかしいな、息が出来るぞ?―――心臓も動いてる」
「目覚め立てとは思えないほど元気でなによりだよ」
「ということは、迅雷も生きてる?」
「あぁ、しぶとく生きてるよ。真牙も」
「あー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ・・・そっか・・・・・・」
真牙は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。それくらい、今の真牙には現実の方が衝撃的な感覚だった。
「生きてんのか・・・オレも、みんなも」
「生きてるよ。生きてる。ちゃんとそこにいる」
おもむろな様子で部屋を見渡し、真牙は肩の力を抜いた。
「なぁ、迅雷。お前さ―――」
まだ生気の薄い虚ろな目で、真牙は迅雷の顔を見つめる。なにかを確かめようとしているように見えた。彼から伸ばされた手を迅雷は取った。握る力は強くて、弱かった。まだなにかに怯えているような。
「どうした?」
「お前、本当に、迅雷なんだよな?」
―――あぁそうか、と、迅雷は思った。結局のところ、真牙の意識はまだあの地獄のようなダンジョンの中だったのだ。
迅雷と同じ見た目をした何者かの死体。首に危うい痣をつけて倒れた慈音。唐突に襲い来る巨大な怪物。現れた2人目の迅雷。砕け散る友の死体。倒れる仲間たち。
なにもかもが重圧だったに違いない。恐怖だったはずだ。困惑だっただろう。脅威でもあっただろう。
真牙のメンタルは、その時点でパンクしていた。だから、『ゲゲイ・ゼラ』に弾き飛ばされた瞬間で彼の記憶は更新を止めていた。
そうなると、湖に沈んだまま、真牙は無意識の生存本能だけで這い上がってきたことになるのだが。
ただ、だから、みんなこうして生きているのだ。
真牙の心に傷は簡単に癒やせるものじゃないと分かっている。それでも、今はこの現実が真牙にとって、そしてみんなにとって十分に喜べる世界なのだと教えたくて、迅雷は歯を見せて笑った。
「当たり前だろ?俺は、俺だよ」
「・・・ぁぁ、あああああ・・・ッ!!くそ・・・みんないなくなるんじゃねぇかって思ったよぉ!!ううう・・・!!」
迅雷は笑ったのに、堰を切ったように真牙は泣いていた。彼のそんな表情を見るのは、迅雷でも初めてだった。こんなときになって、自分たちの間にあった確かなものを感じる。
「いけね・・・やめろよ、俺までウルってくんだろが・・・」
一度は『守れ』ないから仕方ないと諦めようとしたのが、この涙だった。失うことの苦しさを知っていたはずなのに。
もう絶対に失くさない。失くせない。本当の失くしたくない想いが、今ならちゃんとここにある。
●
「ってかお兄ちゃん、なんで家にいるの?」
「今お兄ちゃんのなけなしのHPがゴッソリ削れたぞ」
そもそも入院している理由がなにひとつない迅雷は、当然として退院していた。というより、させられていた。追い出された。「健常者になんでわざわざ個室あてがわなきゃなんねーんだ起きたなら帰れ」みたいな感じだ。
そんなわけで、学校が終わって帰ってきた直華はてっきりまだ病院でベッドの上だと思っていた兄の姿を二度見してしまった。
「ご、ごめんね!そんなつもりじゃないんだけど!?」
「ほう、ならば態度で示してもらおうか」
ソファーにもたれて直華を見つめる迅雷は、本当に生命力が半減したような顔をしている。
「態度で?えっと、つまりどうしたら良いの?」
「え?そうだなぁ・・・例えば『お帰りお兄ちゃん、ずっと心配だったんだよ。ホントに良かった。お兄ちゃん大好き!』って言って抱き付くとか?」
「えぇっ!?」
「ほれほれ、はよ」
「そ、そんなぁ・・・!」
女子中学生の声真似までして具体的な状況を提示した迅雷は直華にいやらしく手招きをする。
ただ、実際迅雷の言った台詞がほぼ完璧に直華の本心と合っているのでどうしようもない。今日一日まるまるずっと迅雷のことが気になって授業態度もなあなあだったし、お兄ちゃん大好きも確かにそうだし。
いや、しかし恥ずかしい。直華は尻込みしてモジモジするが、とはいえ言うだけならなんだかんだ・・・。
「でもでもぉ・・・!(―――ここは思い切っちゃうべき?だってお兄ちゃんがそうしてと言っているんだし?い、いやいや、言い訳とかじゃなくてっ!)」
直華は唐突に突き付けられた難題に頭を抱えた。ひたすらに顔が熱い。迅雷の期待に満ちた表情の憎たらしいことと言ったら。
「ほれ、どうした妹よ」
「くぅぅぅぅ・・・!わ、分かった!言う!言いますから!」
「よっしゃ!」
「お・・・お帰りお兄ちゃん、今日はずっと心配でどうしようもなかったんだよ?なんともないみたいで良かったよ。お、お・・・おにっ、お兄ちゃ・・・・・・」
「ワクワク」
「鬼ー!やっぱりダメぇ!恥ずかしいっ!!」
結局直華は「お兄ちゃん大好き」は言えなかった。言えなかったのに顔が火を噴きそうなほど熱い。真っ赤になっていそうな顔を見られたくなくて、直華は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
迅雷も一番言って欲しかった一言が聞けずにションボリである。
「にしても、なんか俺が教えた前口上よりもナオの言葉は心こもってたな」
「だって・・・心配したのはホントだもん・・・」
直華は指の隙間から目だけ覗かせてそう言った。
「そっか。ありがとな。やっぱナオは最高に素晴らしい妹だよ。俺は幸せ者だな」
「からかわないでよぅ・・・」
「ホントに」
なんだかんだ言ったって、こんなに兄想いな優しい妹なんてそうそう巡り会えない。迅雷はシスコン抜きに素直にそう思った。
迅雷は直華を落ち着かせてから自分も一息つこうと思って台所に向かった。実は迅雷も直華が帰ってくる10分前くらいに帰宅したばかりで、ボンヤリしていたところだったのだ。
さてしかし、いつも通りにインスタントコーヒーで良いかと思って戸棚を開けたのだが。
「あれ?ねぇな・・・昨日まではあったのに」
奥の方を漁ったり隣の棚を見てもコーヒーのビンがない様子なので、迅雷はガッカリして肩を落とした。
「あーあ、参ったなぁ」
「どうしたの?」
学校の荷物は部屋に置いてきたらしい直華が戻ってきて、台所で疲れた顔をする迅雷に尋ねた。
「いや、コーヒーがないなぁって」
「コーヒー?あー、なんかお母さんが昨日病院から帰ったあとがぶがぶ飲んでたよ」
「なんでやねん!」
「さぁ・・・」
よくカフェイン中毒でぶっ倒れなかったな、と迅雷は心の中で毒づいた。
「あ、でも前にお兄ちゃんがケガで入院したときもそうだったっけ?うーん・・・」
「それは参ったな・・・」
大方不安を紛らわすためにそんな謎行動に乗り出したということだろうか。慣れない感情への対処法というのは実に暴力的であるものだ。
少なからず心苦しさを覚えつつ、迅雷は軽く相槌を打つ程度で済ませた。これからはなるべく大怪我をしないように気を付ければ良いだけである。
それよりも今はコーヒーだ。ないものは仕方ないが、どうせ明日も明後日もそれ以降も嗜むものなので、迅雷はスーパーまで買いに行くことにした。
「ナオ、俺ちょっとスーパー言ってコーヒーの新しいの買ってくるけど、なんか要るもんあるか?」
「え?ううん、ないけど」
「そっか」
「あ、待ってお兄ちゃん!私が行くよ。一応お兄ちゃんは退院したばっかりなんだから、ちゃんと休んでないとダメだよ」
「ナオ・・・お前ホントにいい子だなぁ・・・」
許されるなら嫁にしてしまいたいレベルで妹に惚れ直しながら、しみじみと迅雷は滲む涙を指で拭った。ただ、迅雷の調子は予断を許しまくるレベルですこぶる快調であるから、学校終わりの直華に任せるのは忍びない。でも直華の思いやりを無碍にしたくもない。
ということで。
「それじゃあ、一緒に買いに行くか。ついでだからなにかおやつでも買ってさ」
「うん、じゃあそうしよっか」