episode5 sect26 ”2人の距離”
「手伝えること?」
迅雷の質問に甘菜はキョトンとした。こう言ってしまうと迅雷に失礼かもしれないが、今の話の流れで迅雷がそう切り出してくるのが意外だったのだ。ただ、迅雷と千影の仲を考えれば彼がそう思うのも意外ではなかったかもしれない。
「どうして、また?」
「だって、すぐそこにみんなを脅かす敵がいるかもしれないのに、黙って見てるなんて出来ないですよ」
「そっか。でも、心意気は頼もしいけど、それはダメだよ。迅雷くんはまだ高校生・・・子供だもの。今回の捜査はかなり危険だから、将来有望な君たちを巻き込んだりなんて出来ないよ」
「子供子供って・・・じゃあ俺よりずっと年下の千影は良いんですか?甘菜さんみたいに大人が子供を守るのが当然のことみたいに言うんなら、あいつを当たり前のように戦わせるのは、なんなんですか・・・?」
低く押し殺した声で言葉を漏らした迅雷の目は険しかった。
千影は傷付いて、それでも戦って、子供のくせに大人たちまで守って、それなのに傷付いて、そして休む間もなく次の戦いに駆り出されて。迅雷はそんなおかしな話が罷り通っていることに憤っていたのだ。
しかし、まくし立てる迅雷の声は次第に凄みを失って、悲しそうに切れた。
文句を言ってどうこうなる問題でないことは迅雷も身をもって知っている。千影が迅雷だけでなく、世間にとっても特別な存在であることは間違いない。
溢れかえるようなモンスターの群を涼しい顔で蹴散らし、人智を越えた異形の力を纏ったネビア・アネガメントさえ無傷で退けた千影個人の戦闘能力である。ギルドやIAMOが、持っていて使わない理由がない。
幾度となくその常識外れな力に命を救われてきた迅雷もまた、結局は千影がなんとかしてくれると思った時期があった。そして実際、その通りになってきた。
頼れば頼るほどに、千影は頼り甲斐を増してきた。
―――でも。
「あいつはすごく強い。だから大丈夫。任せればなんとかしてくれる―――。そんなのは全部ウソだ。千影は優しいから、甘いから、削っちゃいけないものまで削って俺たちの期待に応え続けてくれるんですよ。いっつも」
頼れるから頼り続けて、頼り尽くして、頼り倒して、それで、それから、そうしたら・・・?
「でも、じゃあなにが千影に返ってきたんですか?誰があいつの思いに応えてやれるんですか?あいつは誰に頼れば良いんですか?どこに拠りどころを求めれば良いんですか?」
全部、大人の勝手な独りよがりだ。今の迅雷はそのことをちゃんと分かっている。あの子は、あんなにも幼くて弱くて、ちっぽけな存在なのだと。
大人はそれを聞いたときに、そんなことは分かっていると言うかもしれないが、分かっているはずがない。現に今、千影は彼らにとってただの戦力だ。
迅雷も千影もなにも変わらない。期待されて、期待する。なのに、迅雷はそのちっぽけでありきたりな期待にさえ添ってやれなかった。
ずっと頭の片隅に残る千影の泣き顔と嗚咽が、生々しい。
「迅雷くん・・・・・・」
甘菜は迅雷が滔々と並べ立てた疑問の数々になにも言えなかった。
あさましい一方通行が、ほんの小さな女の子の心を苛んでいただけ。
矛盾を当たり前に矛盾だと認識していることは、彼が真っ直ぐな心を持つ故か―――あるいは彼も異常だからなのか。
「だからきっと、千影はあんなに苦しそうだったんだ・・・と思います」
「・・・・・・」
「な、なんかすいません!まくし立てちゃって・・・」
黙りこくってしまった甘菜に気付いて、迅雷もちょっとだけ冷静になった。
でも、思いはもう揺るがない。今改めて確認した。迅雷は真っ直ぐに甘菜の目を見据えた。
「甘菜さん。俺、なんとかして千影の力になってやりたいんです。ちゃんと、もう一度向き合いたい。・・・どうせちっぽけなあいつの期待なんです。そんくらい、俺が応えてやりたいんです」
「ちっぽけ、か。君が言うのなら、そうなのかもしれないね」
甘菜には、今すぐにストンと落ちる実感はない。彼女は迅雷ではないから、良く分からない。千影がなにを思い、憂い、密かに求めていたものがなにかなんて、考えてもみなかった。
でも、そんな甘菜も迅雷の変化には気が付いた。薄々感じていたものが、今は彼の瞳の奥で揺らぐことなく据わっているのが見えていた。それくらい、大きな変化だった。
「迅雷くん、なんていうのかな・・・強くなったね」
「・・・?急になんなんですか、変なこと言い出して」
「ううん。思っただけ。気にしないで良いよ?」
この少年は、昔ギルドで働き始めて間もない頃に「あれが神代疾風さんの息子さんなのよ」と言われて遠目に見ていた神代迅雷という少年と同一人物なのだ。不思議な感覚だった。
余計な感傷に浸ってしまったので、その間を誤魔化すために甘菜は苦笑と溜息と、それから微笑を混ぜた。それで十分に感情を表現したら、面持ちを切り替えた。仕事の顔だ。
「でも、だからダメって言ってるでしょ?」
「ちょっ・・・そこをなんとかお願いしま―――」
「・・・って言ったって、多分私が折れるまでしつこく頼んでくるんだよね」
「す・・・って、あれ?と言うと?」
もう大方察した迅雷の表情を見れば、甘菜も嬉しくなった。まるで良いことをした気分だった。そんなことをしたとバレたら、後で怒られそうなのに。でも、仕事なんて本来自分も相手も嬉しい結果になって欲しいものであったはずだ。
「どうしても、危険だって言われても、やりたい行きたい手伝いたいの一点張りなんでしょ?」
「それじゃあ俺がまるで駄々こねてるだけのガキンチョみたいじゃないですか・・・」
「君なんて私からしたらまだまだケツの青いガキンチョだもん」
「ひでぇ」
「・・・でも、良いんじゃない?迅雷くんは今までの方が大人びすぎてたんだよ。うん、そう。その意気だよ。そんな感じで、これからは思うようにやっちゃいなよ!私も応援するから!」
グッドサインをする甘菜は歯を見せて笑っていた。
それから、甘菜は仕事用で職場から預かっている携帯電話を取りだして、とある番号を打ち込んだ。そして、それを迅雷に差し出す。
なにか分からなかったが、差し出されたら受け取るものなので迅雷は携帯を手にとって、その画面に表示された番号をみて口をポカンと開けた。
「えっと・・・?甘菜さん、これは?」
「それ使って良いよ。これで電話したらきっと千影ちゃんも出てくれるから」
「うわぁ・・・察しが良くて恐いなぁ・・・」
女の勘という謎の技術だろうか。迅雷の番号でかけても多分千影は電話に出てくれないから、こっちを使え、と。別にそんな話はしていないはずなのに。
やっぱりこの世界には超能力があるのかもしれないな、なんて風に考えつつ、迅雷は甘菜の厚意に甘えることにした。
迅雷はさっそく甘菜から受け取ったケータイの発信ボタンを押して、耳に当てた。
緊張した様子の迅雷を見て甘菜はニヤリと笑う。
「あんまりしつこい男の子は嫌われちゃうかから、ほどほどにね?」
「発信した後で言うことなんですかね、それ?」
迅雷が気まずい顔をしてそう言い切るのと同じくらいで、電話は繋がった。
●
『はひ、もひもーひ?』
「・・・・・・」
『んっ。・・・もしもし?ひなっち?』
ひなっち、というのは多分、甘菜のことだろう。相も変わらず好き勝手にあだ名をつけて馴れ馴れしく呼ぶ、千影の声だ。
こんな頭の悪そうなしゃべり方なのに、こんなに間の抜けた声なのに。
迅雷は千影の元気そうな声が聞けただけで嬉しくなった。心が落ち着くかと思えば、ずっと聞きたかった声をようやく聞けて高揚する自分もいて、迅雷はしばらくなにも言えないでいた。
気を抜いたらその瞬間に涙腺が緩んでしまいそうな気がして、迅雷はニヤけて誤魔化した。
なんつーいつも通りだよ、と口の中で呟く。
『あれ・・・おかしいなー。もーしもーし?』
「千影」
『・・・っ!?』
向こう側で千影が息を呑むのが分かった。迅雷はこのまま切られてしまいはしないかと少しだけ恐かったが、そんなことはなかった。
『と、とっしー・・・?なんで?』
「悪い、ビックリさせた、よな・・・。実は甘菜さんにケータイ貸してもらったんだ。俺がかけても出てくれないだろ?でも、どうしても話がしたかったから」
『―――そっか』
まだ1日経ったかどうかだと言うのに、千影と話をするのがすごくひさしぶりに感じていた。こんなしょうもないことを、迅雷はとても恋しがっていたらしい。
でも、千影はそうではなかったのだろうか。
『でもごめんね。ボク、今忙しいから。全部終わらせたら、きっと帰るから』
「忙しいのは知ってるけど、どうせ今は飯食ってて暇なんだろ?」
『な、なんで分かったの!?ハッ、まさかボクの後ろに・・・!?』
「いねぇよ。むしろ千影が今どこにいるのか聞きたいくらいだわ。あと、口にもの入れたまましゃべんのは行儀悪いからな?」
『あぅ』
千影は変な声を出した後も黙り込むだけで、通話を切ったりはしなかった。
なんとなく口の動きに任せていた今の会話を思い返していると、迅雷はむず痒い気持ちになってきた。
『「ぷっ、あはははは!」』
結局、昨日までの暗く沈んでいた気持ちはなんだったのだろう。なんだかどうでも良い気がしてきて、2人は笑っていた。
急に大声を出すから、迅雷の向かいでじっと見守っていた甘菜も、周りにいた人たちも、ギョッとして彼に目を向けていた。
これは失敬したと思って迅雷は謝罪のジェスチャーをしながら、電話に意識を戻した。
『なんか、なんだろ、ヘンだね』
「なにが?」
『だって、そんな風に笑っちゃったら、昨日のことがなんか気のせいみたいじゃん』
「ウソなんかじゃねぇだろ。ホントのことだよ。千影は俺に怒ったし・・・俺も千影に怒鳴った。変えたくても変わんないんだ」
『そう・・・だよね。うん、分かってるよ』
笑ったなら、また一緒に笑えたから、確かに忘れてしまいたくなる。でも、それではいけない。現実逃避なんて許さない。迅雷は千影を諭し、スピーカーの奥から伝わる声にはミュートが入りかけていた。
ややあって、千影が先に話し出す。
『ねぇ、とっしー。あのさ――――――』
「千影」
『・・・・・・』
「俺さ、もっかい、頑張るよ」
その一言を千影に言わせたくなかった。言わせてはいけないと思った。
それを言うべきなのは迅雷だったけれど、でも、そんな言葉では足りない。だから、こう言った。
「今なら頑張れる。見えてる。半端なことは言わない。約束する」
『・・・約束しないで、大丈夫なんだよ。半端でいいじゃん。ほどほどでいいじゃん。ボクは別に、君の口からそんな言葉を聞きたかったんじゃないよ・・・』
「そんなこと言ってもなぁ。でも千影、俺はとにかく、お前の力になってやりたいってのは一緒なんだ。そこは、変わらないんだ。今、なにしてる?どこにいる?・・・ちょっとくらい手伝わせろよ」
『教えるわけないよ。君が首を突っ込むようなことじゃないもん』
「そりゃねえよ、一央市民全員の危機だってのにか?千影が1人でやることでもないだろ」
『なんだ、結局教えてもらっちゃったんだ・・・。でもどっちにしたって、ボクはボクにしか出来ないことをしてるんだから、とっしーに出来ることなんてないと思うけど?自分にしか出来ない仕事って、なんかカッコイイよね』
迅雷が今この街になにが起きているのかを知っていると分かったときの千影の声は、沈んでいた。
そんな声で言われたって、と迅雷は溜息を吐いた。
千影にしか頼めない仕事。千影にだったら頼んでしまって良い仕事。
千影の言う通りだ。彼女は他に替えが効かない貴重な存在だ。多分、たくさんにとって、様々に。それは絶対に凄いことだ。
とはいえ、だ。
「俺にだってやれる。頼ってくれるなら、俺はその期待に全力で応えたい」
『しつこいよ、とっしー。ボクがとっしーに頼る?そんなこと、あるわけないよ』
強い千影と弱い迅雷。迅雷は苦しい顔をして俯いた。冗談の片鱗さえない千影の声色は、気持ちだけでは彼女の隣に届くことなどないのだと如実に示していた。
あんなに近かったのに、今はまだ遠い。詰めようとすればするほど、本当は初めから開いていた互いの距離を思い知る。結局互いにその距離感が分かっていなかったのかもしれない。
でももう、その距離に甘えたくない。