episode5 sect23 ”今のなし!”
「うっ・・・・・・・・・ハッ!?」
迅雷は弾けるように目を覚ました。
そんでもって、次の瞬間にはバカデカい声が降り注ぐので、驚いてベッドの上を跳ねた。
「起きた!!目を覚ました!あぁ良かった!本ッッ当に、すまなかった!!この通りだ申し訳ない!!治療費も全部俺が負担する!!」
「のぁッ!?な、なんだどこだいつだここは!?」
とんでもなく驚いたあまり迅雷はベッドから転がり落ちて、リノリウムの床に鼻の頭をぶつけた。地味な鈍痛に彼が顔面を押さえて転げ回っていると、ベッドの反対側から男が1人すっ飛んできた。急に声をかけて迅雷を驚かせた張本人だ。
「ああっ、大丈夫か!?ち、治療しないと・・・せ、先生ーっ!」
「いや、まっ、ホント大丈夫です、鼻打っただけ―――って」
とりあえず自分を介抱してくれている誰かさんは大袈裟な反応をしているらしいので、迅雷はその男を制止しようと顔を上げ、しかしその顔を見るなり声を詰まらせた。
なぜなら、今迅雷の目の前で目を白黒させている男は、まさに迅雷を理不尽に叩きのめし、あまつさえ息の根を止めようとしてきたあの男本人だったのだ。
ゾワリと肉体のスイッチが切り替わり、じんらいは反射的に男の腕の中から飛び出した。
「ア、アンタは―――くそッ!!なんで・・・!」
迅雷は訳も分からないまま『召喚』を唱えて右手を横に突き出した。
しかし、男の方は今まで剥き出しにしていた敵意はどこに落としてきたのか、慌ててバンザイして無抵抗を主張してきた。
あまりに唐突すぎる態度の変化に困惑した迅雷は眉をひそめる。
でも、そうして一瞬気が緩んだ途端に迅雷はたくさんの不可思議な点に気が付いた。
まず1つ、ここはどこなのか、というところだ。さっきは直接臭いを嗅いだリノリウム、そして白い壁、天井、ベッド。このなんだか見慣れてきたことに多少焦りを覚える光景は、病院だ。
次に、迅雷が咄嗟に使った右腕だ。右腕は手首は複雑骨折で、しかもこの男にオマケでもう1箇所へし折られていたはずだ。それなのに、ギブスがないどころか、痛くもないしよく動く。
他のところもそうだ。まるであれだけの苦痛が嘘のように怪我が完治していた。
それから最後の違和感―――時間もおかしい。今の今まで外は真っ暗な深夜だったのに、カーテンの開いた窓は真っ青な空を透かしていた。
そこまで考えて、迅雷はようやく最後の記憶を思い出した。
「あ・・・そうだ、俺、あれで気絶した、のか・・・?」
記憶の断絶点を思い出してやっと、迅雷は初めの謎の状況にも大まかな察しをつけることが出来た。きっと甘菜がうまくやってくれたのだろう。
急に体の緊張が解けて、迅雷は床に尻餅をついた。取りだしかけた魔剣も元のところに押し戻して深い溜息を吐く。
「とりあえず、なにがどうなったのか説明してくれるんですよね?」
病室もまさかの個室で、しかも全身快癒。悪いようにはならなかったのだろう。でも、だからと言って迅雷の怒りが収まるはずもなかった。
「あ、あぁ、そうだなそうだよな」
「まず一番重要なこと聞くんですけどね?」
男はとてもしおらしい様子で項垂れている。どんな罵詈雑言でも甘んじて受ける覚悟があるようだった。
そこで迅雷は、率直に最重要事項を尋ねる。
「結局、千影が起こした騒ぎってなんだったんですか?昨日?も聞けずじまいだったんで、今度こそ教えて欲しいんですけど」
「―――本当にそれは申し訳なか・・・ん?攻撃した理由は聞かない・・・のか?怒ってないはずないだろう?一番重要なことだっていうのに他人のことを先に聞くなんて変だろ?」
「変じゃないですよ。そりゃ今だってすげえ頭にきてますし、あんなの言い訳が通じるような事件じゃないと思ってますけど。・・・でももう、そもそも千影は他人なんかじゃないんです」
それだけの理由ではまだ綺麗事すぎて納得出来ず、男は困った顔をした。彼としてはむしろ責めてもらいたいほどに自責の念があるのだ。
迅雷の方がむしろ大人びた態度だったかもしれないが、その明白さ故に彼の怒りを押し殺した理性によるように思えた。人は誰のためと謳おうが、まず自分こそ可愛がるべきものなのだ。
妙な沈黙が挟まるので迅雷は「あー」と呟き、言葉を繋いだ。
「元々、俺が昨晩ギルドに行ったのも千影がどこにいるのか手がかりが聞けないかと思ってのことだったんです。そしたら、話を聞いてない云々ってところで。だから、千影の起こした騒動ってなんだったのか分かれば、俺が襲われた理由も分かるんじゃないかって」
男が納得してくれないと進めたい話も進まないので、迅雷は寝起きの頭でウンと考えてそう説明してやった。全然思ってもいないようなことを言ったわけではないのだが、妙に実利的というか、利口というか。
男はそう言われると追及する意味もなかったので、迅雷の初めの問いに答えることに・・・しようとしたところで、病室のに人がやってきた。
ノックと共に入ってきたのは、1人の女性と2人の男性だった。そのうちの女性は迅雷もよく知った人物なのだが、残りの男性2人は知らない。スーツを着てはいるが、それ以外にこれといった特徴があるわけではない。
女性が、今し方事情の説明を始めるつもりだった男に手招きをすると、男はわずかに複雑そうな顔をしたけれど、すぐに腰を上げた。
「分かった・・・仕方ないさ。それじゃあ、神代迅雷君、本当に申し訳なかった。俺はちょっと用事が入ったから、今日はこれで」
「え、ちょ、あの、話が終わってないんですけども・・・」
「それは別の人に聞いてくれ・・・」
「はぁ・・・?」
男はもう一度迅雷に深々と頭を下げてからすごすごと病室から出て行ってしまった。
急に広い室内で独りぼっちになった迅雷はなんだかもの寂しい気分になった。自分の腕を折ったクソ野郎との会話で寂しさを紛らわしていたのかと思ったらゾッとしない話なのだが。
かえって自然に動きすぎる自分の体がちょっと気持ち悪いな、なんていう風に感じながら、迅雷は床からベッドの上に戻る。
実際、今回の治療費はどんなものだったのだろう。もしかしなくても、あれだけの怪我を一晩で治したということはかなり高度な魔法治療を行ったはずだ。保険とかはあったとして、それでもお金がヤバそうだ。なにせ以前に魔法による治療を受けたときには、あの暢気な真名が顔色を変えていたくらいなのだし。
・・・と、母親のことを思い出して、迅雷は「あれ?」と首を傾げた。
「おい、今日って 何曜日だ?」
なんかもうめったやたらにいろいろな出来事があったが、ひとまず迅雷は昨日だと思っている日は日曜日だ。そして男は迅雷が「昨日」のことを昨日と言っても否定しなかった。―――と、いうことは。
「ああっ、む、無断欠席!!やばっ、学校に連絡しねぇと!?」
壁に時計があったのを見つけて、どう考えてもお昼時なので心が軋む。これまでの学校生活においてサボりだけはしたことがないのもあって、とにかく迅雷は冷や汗を噴き出させた。
それどころではない目に遭ったはずなのに、マジメなものである。
とはいえ、思えばスマホをどこに置いているのかも迅雷には分からない。つまり連絡手段がない。
「ひぃぃ、頭痛ぇよ・・・」
罪悪感で白い灰になっていく迅雷。ちなみに彼の荷物はボロボロになった洋服含め、全部ベッドの脇のカゴに入っている。見つけやすいところにあったはずなのだが、意外に慌てていると気付けないものだ。
かくして迅雷が涙ぐんで、歩き回れるほどは広くない病室内で荷物探しに転げ回っていると、またドアがノックされた。
―――まさか、学校からの刺客か!?無断で学校を休んだ迅雷を成敗しに・・・?
「ひゃいッ!?」
「改めて失礼するね―――ってなにをしてる最中だったのかな・・・?」
「かっ、甘菜さん!ヤバいよ、俺学校を無断欠席ですよこれじゃあっ!」
「は?」
馬鹿なことを言う弟分を甘菜は呆れた目で見た。もちろん彼女もかなり迅雷への罪悪感はあるのだが、こうも元気だと調子が狂う。
「いやいや、迅雷くん。私が言うのは筋違いだけど、自分が大変な目に遭ったばかりだったのを忘れちゃったの?学校への連絡はとっくに私たちの方からしてあるから心配しないで、ゆっくり休んで大丈夫だよ?」
「だから今まさに大変な目に―――へ?・・・あ」
言われてみれば。ムダに取り乱したことが恥ずかしくて迅雷はベッドに頭から潜った。
「サ、サイアクだ!よりにもよって甘菜さんの前で非常に恥じゅかしいところを!」
「そんな風に恥ずかしがってくれるってことは私が君の中でそこそこ良いポジションにいるってことなのかしら・・・?というか噛んだ・・・?と、とりあえず、顔を出して欲しいなぁ・・・」
甘菜が実際に迅雷の中の女性ランキングの上位ポジションにいるかどうかは置いておいて、迅雷は被った布団をモゾモゾとどかした。
「うん、やっと出てきたね」
「・・・・・・」
「迅雷くん・・・」
「・・・はい?」
「本当に・・・本当に、ごめんなさい!」
甘菜のもう少しで泣き出しそうな目を見ていれば、なんとなく、彼女がそう言うような気はしていた。
でも、迅雷はまだよく分からない。結局悪いのが甘菜なのか、あの男なのか、迅雷自身なのか、それとも回り回って千影だったのか、あるいはさらにその他にあるのか。
自分だったら諦めるし、千影だったら後でゲンコツするとして、今のところは迅雷も対応に困ってしまう。
「・・・まったくですよ、本当。なにしてくれてんですか。ケガまで治して証拠隠滅してくれちゃって。治療費は払ったんだからさぁ、とかじゃ誤魔化されてはあげられませんよ?」
「そ、そんなつもりじゃ・・・!で、でも本当にごめんなさい!昨日も、君が迅雷くん本人だって分かったとき、私、私は・・・・・・!」
迅雷が試しに眉をひそめたり肩をすくめてみたりしたところ、想像以上に甘菜がショックを受けてしまった。今度こそ甘菜の目が充血して、顔まで赤くなっていく。
「あーいや、その・・・」
「これで足りないならなんだってするから!な、なんなら私がか・・・体で払ってもッ!!」
「ハイそこまでぇ!!冗談です!冗談ですから真に受けないで!いや、許すかどうかは別問題ですけど、俺もそんな悪意があったわけじゃなくてですね・・・!」
「・・・ホント?」
「ホントです」
「―――ふあぁ・・・」
年上の女性と思っていた甘菜が、潤んだ瞳で不安げに見上げてくる。勝手に脅しておきながら不謹慎にもドキドキしてしまう。多分甘菜とは違う意味で赤くなってしまった顔を隠すように、迅雷は窓の外を見た。
「よ、よかったぁ・・・いや、よくないですよね、ごめんなさい・・・」
「いやよかったですよ変な流れにならなくて」
「?・・・あっ!はわわっ!やだ、もう忘れてよ!なしなし!ホントにさっきの発言は忘れてくださいお願いしますからぁ!」
「も、もういいですって。いや、よくないですけど」
「どっち!?」
「さぁ?」
なんだか、新鮮な会話だった。気が付けば2人揃って噴き出して笑っていた。