episode5 sect22 ”All're in That Word”
決して迅雷の反応が遅れたわけではなかった。ただ、迅雷が反応の途中で踏み止まったのだ。
「―――ッ」
「取った!!」
「ぁがっ、は・・・・・・ぁ・・・」
だから迅雷は、その初対面の男にあっという間に首を掴まれ、壁に叩きつけられてしまった。
迅雷がその男に剣を向ける理由なんてなかった。それなのに、男には迅雷を攻撃するだけの理由があったかのように見えた。その矛盾、その錯誤。
喉が圧迫されて声を出すことすら苦痛になる。
「・・・・・・な、して・・・く・・・さぃ・・・!」
「日野ちゃん、よく呼んでくれた!間に合って良かったな。おかげで重要参考人が手に入ったぜ」
―――重要参考人?なんだそれは。迅雷はただ、千影のその後を聞くために来ただけなのに。
喉に加えられた力が強まり、迅雷は顔が膨らんでいくのを感じた。痛いし、熱いし、苦しい。
出せない声でそれでも必死に迅雷は助けを求めた。話す男の目は優位にありながら常に迅雷の行動を冷静に監視している。彼の後ろでは甘菜が胸に手を当てて複雑な表情を見せている。
疑惑、不審感、不安、心配。だが、なぜ?
『山崎組』の人たちが大怪我をしたのは、迅雷が不用意な行動を取って『ゲゲイ・ゼラ』に襲われたところに駆けつけたから。ああ、確かに迅雷が悪い。でも、甘菜は先ほどまで失態を犯した彼を暖かく迎えていた。
千影と喧嘩をして、むごいまでに罵った。当然、迅雷が悪いとも。でも、それは2人の間の問題で、甘菜とこの男たちが関与する深度ではない。
迅雷は例の千影が起こした騒動とやらを知らない。でもそれは、悪いことじゃあないはずだ。
―――なら、なにがいけなかった?
―――答えられない理由でも?そんなのなんて、どうせ信じてもらえる根拠もないからだ。
「ど・・・して・・・?」
いよいよ視界が霞み始めた頃、もはや抵抗する力さえ抜けた迅雷に、甘菜は言い放った。
「思えば、おかしかったわよね。あの子がこんなすぐに立ち直れるはずがない。初めから疑ってかかるべきでしたよね。耳が早すぎるけど・・・千影ちゃんを探していたのも、話を聞いていない素振りを見せたのも、これなら納得がいく・・・!」
「・・・・・・」
力の抜けた口からは涎が溢れ放題。もう迅雷に、甘菜の声は聞こえてはいても彼女の言葉を解するだけの余裕などなかった。
ただ要らない感情を押し殺したような冷たい目だけが朧気にに感じられている。もう人間を見る目ではない。それなら、迅雷は一体なんなのだ。
それでも、そんな迅雷の頭の中には、甘菜の声の代わりに全く別の女性の声が流れ込んできた。
―――やめて、その目で、見ないで。
見ないで―――。見ないで。見ないでっ。見ないでッ!見ないで!!
『見るなァァァァァァァァァァ!!』
白く、白く、白く淀んでいく、濁っていく、美しく汚れていく。世界まで真っ白になる。
「―――――――――ァァァァッ!!」
「なに!?こいつッ!」
「ヴァッ」
再覚醒した迅雷の首を握る男の力がいっそう強まった。のど仏が口から出そうなほどの圧迫に気味の悪い呻き声が出た。
でも、これはなにかの間違いだ。きっと迅雷がそうであってはならないはずの言葉を返し、あらぬ容疑をかけられただけなのだ。そもそも、なぜそこで千影の名前まで出る。
男が刃物を取り出すのが、迅雷にはハッキリと分かった。
このままだと、殺される。
「・・・るかよ」
「クソしぶてぇな、コイツ!!」
「なぁ、そうだよな、みんな」
当たり前のことを、初めて当たり前に感じるときが来た。さっそく、来た。
今まで身勝手にも許容してきたものを、迅雷は明確に拒絶した。
咄嗟に掴み取ったのだが未だに『インプレッサ』だったのは笑い話だったが、それでも、抗う。
「ぅ、ァァァァアアアア!!」
「あばっ」
剣は使わず、迅雷は代わりに膝を男の股間に叩き込んでやった。脱力した足にもう一度力を込め直す苦痛に耐え、迅雷は万力の如き束縛から逃れることに成功した。閉ざされていた気管に空気が雪崩れ込む。
「たまるかよ・・・」
本当に額が割れる勢いで男に頭突きをして、迅雷は男を一歩だけ下がらせた。鼻筋を新鮮な血が伝う。
そう、生の実感だ。死ではなく、生の。
だから迅雷は激昂する。
「死んで―――死んでたまるかよ!!」
牽制のために剣を横に薙ぎ、迅雷の周囲の空気は高圧電流で弾けた。
酸素が急激に肺胞を満たし始め、迅雷は血でも吐くように激しくむせ返る。
でも、その眼光は刃よりも鋭く―――。
「この野郎、ナメやがって!!」
「ぐぁッ!!」
指をピストルにした男が旋風の弾丸を高速連射する。頬を掠めただけで肉が裂けた。迅雷は走る。逃げるために。
どうせ今の迅雷の能力ではあの男に抵抗したところであえなくやられて終わるだけだ。だから、まともに取り合ってなんていられない。
掠める弾は無視して、直撃弾だけを必死に躱す。なのに、それでも当たる。皮膚は潰れ、血が滲む。
何度も、何度も何度も何度も助けられて生きてきた命だ。そんな価値なんてないはずなのに、今までずっと助けられてきた、空っぽの命だ。
だから、ある日突然死んでも大したことじゃないと思ってきた。死に瀕する都度、なるようになったのだと考えてきた。
「でもッ、『鎌鼬』!!」
「人間の真似事にしちゃあ上出来だな!!でもなぁ・・・所詮はァ!!」
でも、違っていた。価値なんて、理由なんて―――。
だから、迅雷はこの理不尽に抗う。きっと訪れるべくして訪れた、試練だったのだ。
全身に風の弾丸を浴びて地面を転がされたって、目に灯す光は消さない。
「待って・・・ください・・・!違うんです・・・!」
「剣を握りながら言うことなのか?」
全身のあちこちで手当をした傷が開き、着てきた白いシャツが赤く染まる。
立ち上がるためにうずくまらないといけないほど傷付いた迅雷は、男に胸ぐらを掴み上げられる。これで振り出しに戻ってしまった。
いや、今の方が酷い。体のどこもかしこも軋みを上げてしまっている。
「誤解です・・・」
「信用ならないな」
「それでも・・・違う!俺は、俺がっ!正真正銘・・・神代迅雷なんだ・・・ッ!!」
汗と血と涙と唾を全部全部撒き散らした。その一言で全てを語れていたはずだ。
でも、迅雷の叫びはなにか見えないフィルターに引っかかって男の心には届かない。むしろ汚い体液を浴びせられた嫌悪感に憤りさえしている。
「いつまでも騒いでんじゃねェ!!」
「ッ!!」
「どうせそのツラもこの腕もなんもかんもニセモンなんだろ?凝ってんなぁ、オイ?」
男はそう言って迅雷を床に放り投げ、肩から吊っている右腕を踏みつけた。ゴキリ、という音。
瞬間、形容し難い激熱が骨肉の中をゾワゾワと這い上がり、脳髄に突き刺さった。
「・・・は?ぁ、はァァァァァァああああああぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァ!?あぁっ、あう、ァァァ!?」
「これで見た目にちょうどピッタリだろ。ん?」
「あぐ・・・ぁぁぁ!あ、ハッ、ハッ、ハァッ、あかか、か・・・ッ」
手首ではない。また別のところを、新しく折られた。割れたギプスがガーゼの中から出られずに骨を圧迫する。
目がチカチカした。いくら叫んでも痛みがなくならない。
「フザ、フザけんなァァァ!!あぅああ!!」
立ち上がろうとして腕をついて激痛で倒れて、それでも這いつくばって絶叫して抗って見下されて、為す術のない迅雷の視線の先で数人の魔法士が駆けつける。
「清田さん!増援連れてきました!」
「オウ、ご苦労。でもまぁ、いいんじゃねぇかなもう」
清田と呼ばれた男に迅雷は顎で指され、増援たちに蔑視される。どこまでも理不尽で、腹の底が煮える。腕の痛みに劣らぬほど熱を帯びて、吐く息も灼熱する。
「クソ・・・クソ!クソ!クソッ!!そんな目で見るな!!俺は―――なんなんだよ、なんなんだよォォォォォォ!!ッざけん―――っ」
「ギャアギャアうっせぇなぁ。やっぱ殺すか?コイツ・・・」
髪を掴んで持ち上げられ、壁に叩きつけられ、ずり落ちることも許されず膝を叩き込まれ、また首を掴まれる。
眼球が飛び出しそうな握力で首を締め上げられた。超超高純度の憎悪でどこまでも黒く彩られた男の瞳。一切の加減なく殺さんとする害意の心拍が男の指先を伝わって迅雷に流れ込んでくる。消される命を前に酷薄に笑っている数人の男女。
―――こんな、こんなの、間違ってる。
だからこんなにも不和ばかり生まれる。
なにがそこまで唾棄すべき存在に貶めた。
・・・だったら、もう良い。だったら、今はなろうじゃないか。自分の皮を被った偽物になりきってやろうではないか。卑劣で狡猾な「こうあるべき敵対者」になってやる。
「たす・・・けて・・・くださ、い・・・」
やはり、彼女だけはその響きに肩を振るわせてくれた。勝った。今を生きられれば、勝ちなのだから。だから、もう大丈夫。迅雷は死を目前にして離れたところにある生に安堵した。
これで、心置きなく偽れる。
「助けるわけないだろうが、このクソ悪魔が。お前はここで終わ・・・・・・」
「ま、待ってください清田さん!!」
「うん?」
甘菜が男の肩を掴む。彼女の顔色は酷く悪い。きっと自己矛盾を起こして心の平衡が不安定になっているからだ。思えば初めから甘菜は自分に言い聞かせるようだった。だから、迅雷はそこにつけ込んで、彼女にそれを強いさせた。心の中で迅雷は謝り続ける。
「なんだ、止めんなよ日野ちゃん!コイツらはなぁ、いずれ殺し尽くさなきゃなんねぇんだよ」
「それでもっ!目的を忘れないでください!殺すのなんて、ダメです!」
「・・・ッ!」
迅雷はニヤリと口の端を歪めた。そう、迅雷はまさに彼女のその言葉が欲しかったのだ。
重要参考人。男は一番初めにそう言った。それなら、本来迅雷は死なされるはずがない。
だから、迅雷は全力で便乗してやるのだ。生きるために、迅雷は迅雷の見た目を真似た別の誰かになる。
「そ、そうだ!俺を殺したら、聞けるものも聞けないままになる・・・!その女が言ってる通り、殺したらダメなんじゃないのか・・・!?」
「あぁ!!黙れ外道!!」
「あッ、がはっ!!」
「待って!待ってください!お願いだから!そ・・・・・・それに、本当にこの人が魔族かどうかだって・・・分からないんですよ!」
「はぁ!?呼んだくせになに言ってるんだ!?それに今の態度見ただろうが!確定だよ、確定!検査なんざ―――」
言いながら、きっと男はほんの少しその可能性を考えた。だから言葉に詰まったのだ。迅雷の悪意はそこを見逃さない。消えかけの意識がそれでも牙を剥くために表出する。
「検査もしねぇで、殺るのか?俺が本物の神代迅雷、人間だったら?アンタはどうすりゃ良い?いいや、どうしようもないね!そんときは喜べよ、お互いいろんな意味で無事に死亡だよ!!もっとも、人殺しとして生きていく方が死ぬより辛いだろうけどなァ!!」
迅雷の絶叫は人間社会の常識をしっかりとなぞった正論だ。だから、誰もこの豹変に手を出せない。出させない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・ああ!!分かったよ、クソ!!」
「へっ・・・」
投げられ床に血を撒き散らしながら、迅雷は胸を撫で下ろす甘菜の姿を見た。ボンヤリと、意識が遠退いていく。