episode1 sect16 ”見知らぬ天井、慣れない感触、それは安寧”
4月11日、月曜日。
教室、いや学校中が、昨日ギルドで起きた事故の話で持ちきりだった。やれ何人死んだとか、実はIAMOの陰謀だったとか、本当は新種の生物だったとか、などと見もしていないのに口から出任せばかりを言う輩もちらほらと見える。
だが実際のところ、奇跡としか言いようがないが、多数の重傷者こそ出はしたが死者はゼロだった。
「ねぇねぇ、慈音ちゃんも昨日のニュース見た?なんか凄いことになってたよね!」
向日葵と友香が、席に座ったまま珍しく小難しい顔をしている慈音に声をかけてきた。慈音はちょっとだけ遅れてそれに気付く。
「・・・あ、うん!ニュースね・・・?あれは大変だった・・・、みたいだよね!?」
慈音は一瞬「だった」で言葉を切りそうになって慌てて言葉を繋げた。大きな事件・事故の当事者はこういうときやはり自分がその渦中にいたことを知られたくないものなのだ。様子のおかしかった慈音を見て向日葵も友香も首を傾げる。
少し間を置いて、友香がふとした様子で質問を変えた。
「そういえば今日、神代君は?いつもなら一緒に来てたと思うんだけど?」
友香の質問に慈音の方がピクリと動いた。それは、慈音にとって今一番デリケートなところだったからだ。
「と、としくんは・・・・・・その・・・」
慈音が返答に言葉を詰まらせていると、その間にも近くにいた他の女子数人までもが、「なになに、夫婦喧嘩でもしたの?」と近寄ってきた。もちろん夫婦でもなければ喧嘩でもない。もっと大変だった。慈音はよりいっそう辛そうな顔になる。
と、そのときだった。
「お!?みなさん集まってるねー!、なになに、昨日の話かな?ありゃ凄かったよなー!いろいろあることないこと集めちゃったけど聞く?サービスしちゃうよー?」
「ひゃっ!?し、真牙くん!?」
そう言ってべらべらと喋りながら野次馬の中に突っ込んできたのは真牙だった。彼は慈音の机に両手を載せて野次馬の真ん中まで乗り出すようにしてから今日集めてきた昨日の噂話を冗長なまでに長々と喋り出した。
彼の話し始めた噂話は、最初の1,2個ほどは実際面白くてコミカルな内容だったのだが、3個、4個・・・と続くうちに聞いているだけでも胸糞悪くなるような内容になっていった。そんな話を嬉々として語る真牙に嫌気が差したのか慈音の席にたかっていた女子たちは1人、また1人と離れていった。
●
「真牙くん・・・?」
慈音は、いつもは冗談とか明るい内容とか、そういったことしか言わない真牙がこんな不快な内容の話をしたので、彼に怪訝な視線を向ける。真牙の話の後に残っていたのは結局向日葵と友香だけだったが、2人もまた、ひどく不愉快そうな顔をしていた。
「ご静聴どーもってな。・・・慈音ちゃん大丈夫?顔色悪いぜ?」
いつもなら女子に逃げられたら落ち込む真牙はかえってスッキリしたような顔をしている。話を終えて、真牙は慈音の方を見て二カッと笑ってみせた。
「ちょっと、顔色悪くなったのは阿本クンのせいじゃん!謝りなよ」
向日葵がへらへらした様子の真牙にむっとした様子でそう言う。友香が戸惑ったようにおろおろしている。
ただ、慈音は彼に食ってかかる向日葵を手で止めて首を振った。慈音は笑っていた。
「ありがとね、真牙くん」
「いえいえ?オレはなーんにもしてないよ?」
向日葵も友香も2人のやりとりにまったくついて行けない。向日葵が困惑した様子で尋ねる。
「なになに、どうしたの?なんかあったの?」
向日葵も友香も昨日の事の次第を知るよしもなかった。
慈音は昨日の出来事を思い返し、この3人には話すことにした。
●
何度も駆けつけたくなった。爆音が鳴る度、彼の叫びがうっすらと聞こえてくる度に。そう思う度に、慈音は唇を噛んで堪えた。自分は迅雷が「生きて帰ってくる」と言ったのを「信じて待つ」と決めたのだ。その思いは隣で祈るように手を組んでいる直華も同じようだった。
始めに空に向けて一本の黒い柱が立ったときには足が一歩出てしまった直華の手を掴んで引き留めてしまたのだから、慈音ももう、彼の帰りをひたすらに待つしかなかった。
しかし、一連の嵐のような轟音の後、迅雷の苦しそうな叫びを皮切りに一切の音が止んだとき、慈音は遂にいても立ってもいられなくなった。本当は待っていてあげるべきだと分かっていながら、彼の声が聞こえてきていた建物の角の向こう側へと走り出した。中途半端にしか迅雷のことを信じていなかったわけではなかった。ただそれでも、絶対などというものがないということも慈音は5年前の経験からよく知っていた。
故に彼女は駆け出さずにはいられなかった。不気味な静寂がなによりも恐ろしかった。
「としくん!!」
直華も自分の後を追うようにして走り出したのがちらりと見えた。
2つの足音は角を曲がって、それを見た。
めくり上げられたアスファルトとコンクリートの山、鉄屑の散乱した鈍く光る地面。
そして、その真ん中に血を流して倒れている、少年の姿を。
凄惨な光景に思わず息を飲んだ。
「・・・お兄ちゃん!?」
直華が先に走り出した。既に涙が零れていた。少年の横で腕を押さえてへたり込んでいる少女に叫ぶ。
「千影ちゃん!!お兄ちゃんは、お兄ちゃんは大丈夫なの!?」
とてもそんな風には見えないが、それでも彼の安否を聞いてしまう。
しかし、千影は顔を上げて疲れたように笑って応えた。
「ナオ・・・。一応生きてるよ、ちゃんと。応急処置もしたから。今救急車を呼んだところだよ」
「本当に・・・、大丈夫なんだよね?」
直華はそう言って仰向けに寝かされた兄の姿を見て、口元を押さえた。胃が締め上げられ、喉に熱がこみ上げる。
「う・・・!?」
呼吸はあるから生きているのは確かだったが、彼の胸は大きく抉られ、もうちょっとで心臓が見えてしまいそうなほどだった。今度こそ恐怖と焦燥で涙を流して千影の顔を見る直華だったが、千影も千影で重傷のようだった。右肩から下がとても直視できないレベルである。
慈音だって、2人の怪我の具合を見て泣き出したくもなった。無責任に「信じる」などと言って迅雷を送り出した自分を責めずにはいられなかった。
彼女も、どれだけ大層なことを語ったところでまだ15歳の少女なのだから、口にした言葉一つを頑なに貫き通せるほど人間はできていない。あの時迅雷に発破をかけて行かせたりしなければ2人はこんな目に遭わなくても済んだのではないか、と思うと胸が締め上げられる。
「そんな顔しないでよ、しーちゃん。しーちゃんがとっしーになにを言ったりしたのかは分からないけど、しーちゃんはなにも悪くなんてないよ?」
千影が優しく慈音に語りかける。
「それに、責めを負うとしたらボクの方だよ。とっしーはボクを守ってくれて怪我しちゃったんだから。だから、しーちゃんのせいなんかじゃない。ね、顔を上げて?」
そう言う千影の顔にはなんとなく分かったような微笑みがあった。
「千影ちゃんも悪くないと思うよ。ううん、誰も悪くないと思う。これはお兄ちゃんが望んで、私たちが信じたことなんだもん」
直華がポツリとそんな風に言った。
迅雷は千影を『守り』たいと言った。そしてそれを慈音と直華は信じて見送ることにした。
そして、彼はきちんと千影を『守る』ためにその剣が折れるまで戦って、今は全員生きている。
今はそれだけで、十分だった。
「そっか・・・そうだよね」
千影は迅雷の顔を見てそう言った。慈音もそう思うこそにした。なによりも、今日一番頑張ってくれた、迅雷のためにも。
救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
●
慈音は昨日のことを真牙、向日葵、友香の3人に話した。今、迅雷は入院中だということも。割り切ろうと思ってもまだまだ割り切れないところもある。
「そっか・・・そんなことがあったんですね。神代君、大丈夫かな・・・」
友香が話を聞き終えて辛そうな顔をした。向日葵も神妙な様子で静かに話を聞いていてくれた。
「ふむ、なるほどな。んじゃ、帰りに馬鹿のお見舞いにでも行ってやるかー」
しかし、真牙だけは軽い様子でそう言った。昨日の話は慈音に聞くまでは知らなかったはずなのに、まるで最初からなんとなく予想していたとでもいうような表情だった。
「なんか阿本クン最初から知ってたみたいなんだけど」
「ん?知らないよ?まぁでも迅雷のことだしな。アイツも大概アホだから」
向日葵がポカンとしているのを真牙はからかうようにそんなことを言った。向日葵はプッと笑い出す。
「アハハ、なによそれ、心配じゃないみたいに見えるし。お見舞いはあたしも行くよ、ちゃんと心配だから」
「わ、私も行きます!」
向日葵も友香も、まだ出会って間もない迅雷のことをこれほどまでに心配してくれているのが慈音には嬉しかった。真牙も満足げに頷いている。
予鈴が鳴り、真波が出席簿を持って教室にやってきた。
●
「・・・・・・」
雪姫は頬に貼ったガーゼを上から押さえるように頬杖をつき、ホームルームの出席確認も適当に聞き流しながら窓の外を眺めていた。ぼんやりと窓を通して校舎の壁の向こう側の有象無象を眺める。
昨日、『ゲゲイ・ゼラ』が穴から下に落ちたあと、彼女は嫌な予感がして「渡し場」に駆け戻った。既に落下したモンスターを追いかけて、大穴から見下ろした先で起こったことも見ていた。その一部始終を思い返し、考え込む。
(神代迅雷は入院中、か。アレでよく生きてたわね。・・・・・・それにしてもアイツの魔力量、一体なんだったんだか。それにあのちっこいのも・・・異常としか言えない)
表情には出さないが、しかし昨日の一連の事件は雪姫の心に僅かながらしこりを残していた。
いろいろと疑問が残ったが、雪姫は大きく溜息をついて、まぁいいか、と呟く。だからといって彼らが自分の障害になるとは思えない。それにまず、他人のことについて考えるのは避けたかった。
●
「・・・・・・ん・・・・・・」
見慣れない、真っ白な天井。触り慣れない背中や後頭部の感触。
「病院・・・か?」
迅雷はまだはっきりしない頭で、なんとなく見える景色、触れているもの、聞こえる音からここがどこなのかを導き出した。しかし、自分がなぜ病院なんかにいるのか、心当たりがない。
「・・・・・・。・・・。・・・・・・」
部屋の片隅からぼんやりと、聞き慣れた声が聞こえてきた。電話でもしているのだろうか。まだ耳がうまく働いてくれないのでなにを話しているのかまでは聞こえない。
「・・・・・・千、影?」
様子を見ようかと思って体に力を加えようと思ったら、その瞬間胸に激痛が走った。小さく呻いて迅雷はベッドに倒れ込む。
気が付くと胸だけでなく、全身もひどい筋肉痛で覆われていてまともに体が動かせない。それに、心電計や輸血パックとかがいろいろ自分にくっつけられているらしいことにも気が付いた。
結局体を起こすのは断念せざるを得なかったが、千影は迅雷の掠れた声に気が付いたようで、反応したのが分かった。
「・・・!・・・・・・。・・・・・・ら。またね!」
電話を切ったのだろう。最後の方にはやっと耳が機能を取り戻してきた。千影の小さな足音がパタパタと隣に駆け寄ってくる。
「とっしー!目が覚めたんだね!・・・・・・気分は、どう?」
千影は心配そうに迅雷の顔を覗き込んだ。
迅雷はなんとなく今一番思ったことを口に出す。
「・・・・・・顔近い」
「うん、冗談が言えるなら大丈夫だね」
顔と顔の距離が10cmくらいの状態で千影は安心したようににっこりと笑った。迅雷としても体が起こせないので、この方が顔が見られて良いのだが、さすがに近い。
「おい、勝手に決めつけんな。全身ありとあらゆるところが痛いんですけど」
むっとした様子で迅雷は体調不良を訴える。
千影と話しながら、彼の脳内では昨日の出来事が次第にフラッシュバックされ始めた。徐々に自分がこの真っ白なベッドに寝かされている理由も思い出してきた。痛みの理由も。
(・・・そういえば・・・そう、だったな)
と、千影が急に迅雷の患者服の胸の部分をまくって覗き込んだ。
「・・・!?逆セクハラか!?」
「うむむ、綺麗さっぱりだね、やっぱり」
「なにがだ?」
千影が感心したように唸り、なぜか赤くなってしまった迅雷は身をよじるようにして襟元をめくる千影の手を払いながら尋ねる。
「なにって、昨日の傷だよ。ほら見てみてよ・・・って見れないのかな?」
そう言って千影はほぼ無抵抗な迅雷の胸元をまためくる。言われてみて迅雷は、プルプル震えながら首を持ち上げて自分の胸元を見る。
あれほど大きく抉れていた爪痕はどこにもなかった。
「・・・ぷはっ、なるほど」
もたげた頭を支えるために堪えていた息を吐いて迅雷はまた枕に頭を投げ出した。痛みはまだあるが、外傷としての痕跡は本当に綺麗さっぱりだった。
「現代魔法学医療技術もここに極まれりって感じだね。でもホントに目を覚ましてくれて良かったよ」
迅雷はそんな風に言ってくれている彼女の右腕を見た。痛々しいほどがっちりと包帯が巻かれて固定までされている。聞くまでもないのは見て取れたのだが、それでも一応本人から状態を聞いておきたかった迅雷は恐る恐る尋ねる。
「・・・千影、右手は大丈夫だったのか?」
のだが。
「ん?あー、こんながっちりやんなくていいって言ったのにセンセーが巻いとけって言うからさ」
いやいや、大丈夫じゃなかっただろう、と迅雷は心の中でツッコむ。あの時掴んだ千影の右腕はもはや肌の感触などしなかった。
「むー、信じてないって顔だね。いいよ、どうせこれも鬱陶しいと思ってたとこだし」
そう言って千影はするすると固定を外し包帯をほどいていく。
「な、ちょっ馬鹿ヤロ、外したらダメだろ!?」
しかし、迅雷の予想に反して包帯の下から出てきたのは痛々しい傷の残った腕だったなにか、ではなく。つやつやすべすべ健康そのものな少女の腕だった。
「あれ?」
「ね?」
目が点になっている迅雷に千影は右腕をグルグルと回しながら勝ち誇ったような顔をした。彼女も迅雷同様外傷だけ塞ぐように治してもらったのなら分かるがさすがに治りすぎではなかろうか。
「・・・若いもんは元気でいいなオイ。なんでそんなにピンピンしてんだよ?」
「・・・・・・それは秘密・・・かな?」
千影がなぜか困ったような顔をした。仕方ないので迅雷もそれ以上のことは尋ねないことにした。
「それはそうとして。なぁ、千影」
迅雷は昨日の最後の記憶について考えながら、千影の腕の次に気になっていたことについて聞くことにした。
「俺の魔力ってどうなったんだ?」
目が覚めるまで迅雷の頭には自分の声が木霊していた。ぼんやりと、しっかりと、覚えている。
「嫌だ」、「失いたくない」、「手放したくない」、「やっと手に入れたのに」、「『守る』ための力を」・・・。
迅雷の顔を見て、千影は残念そうな顔をした。
「・・・・・・ごめんね、とっしー」
千影は少しの間口をつぐみ、そして開いた。もう、隠すことではない。
「とっしーの魔力にはボクの永続式魔法で制限をかけたんだ。・・・そうだなぁ、多分だけど。今のとっしーは昨日の20%くらいの魔力しかないよ」
「・・・・・・そうかよ」
迅雷の表情にくらい影が差すのが分かった。それは、千影にも苦しいことだった。この場に彼がいたら、きっと彼も同じ痛みを感じるのだろう、と千影は思う。
彼、とは。
「本当に、ごめんね。でも責任はちゃんと取るから、許して欲しいんだ。それに、これは君のお父さんからの頼み事でもあったんだ」
そう、千影が迅雷のところへ、神代家へやってきた理由の1つは、このためだった。
元話 episode1 sect43 ”After the Sunday , Despair will be Purified” (2016/7/10)
episode1 sect44 ”見知らぬ天井、慣れない感触、それは安寧” (2016/7/12)




