episode5 sect14 ”2人の迅雷”
――――――「と、迅雷?なんで・・・!?」「神代・・・なのか?」――――――
声が聞こえた。よく知っている、声が。この瞬間に聞こえてくるはずもないと思っていた声が。
転がり辿着したその場所で、迅雷は今日共にこの5番ダンジョンへやって来て、湖の向こう側に置き去りにしたはずの仲間を見た。
それから―――彼らの足下に転がっている自分の死体も。
「・・・え?」
●
「は、は、ふぅッ、ふぅッ・・・・・・はッ!?」
一度にたくさんのことが起こりすぎだったのだ。
全く理解の追いつかない目の前の光景と身に染みて理解している死の恐怖。
それらが競合し、反発し、脳を焼き尽くす頭痛に変わっていく。もはや呼吸すらまともに出来ない。
喉を抉られて血を撒き散らし絶命した「神代迅雷」。首を強い力で絞められたような痕が残った慈音は木にもたれかかっていて、そんな彼女の傍らに屈み込んだ真牙と煌熾がまるで存在し得ないものを見るような目で見上げてくる。
本当に恐ろしいのは、きっとなにも理解出来ないままその状況に置かれ続けることだ。
ともすれば『ゲゲイ・ゼラ』の爪を受ける恐怖よりも胸を掻き毟る思いだったかもしれない。直前までのことさえ忘れて立ち尽くす。
「な、なんでお前・・・、だって、さ、さっき千影ちゃんに!いや、そうじゃなくって、お前、ここ、に・・・?なんっ、なんなんだよ、なん、な、ちくしょう・・・わけ分かんねェよッッ!!」
あの飄々とした真牙が動転している。
煌熾はまだ、ただひたすらになにかに怯えているようで、涙も鼻水も流れるままにしていた。それが恐怖なのか後悔なのかは、一握の平静すら保てない彼らには計れなかったが。
「・・・ぇよ。俺だって分かんねぇよ・・・!!なんでだよ、なにがあったんだよ!」
あぁしかし、なぜだろうか。ここでなにが起きていたというのだろうか。真牙なんかよりずっと意味もなにも分からない。迅雷は頭がおかしくなったのかもしれない。引きつった絶叫を上げながら左手で自分の顔を叩きまくり、その度にバチョバチョと血を張った音がした。
歪みが限度を超えて焦燥が心を恐そうとして、しかし、その直前、迅雷はそれでも今一番にやらなければならないことを思い出した。
例えなにも分からなくても、恐くても、みんなが生きているなら、それでも―――。
「あ、あ、ぐぁッ!!あぁ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
迫る恐怖と与えられた苦痛を訴える呻き声と共に迅雷のすぐ横に飛んできたのは鹿野礼仁だった。ドスリという重い音を伴って彼を追撃した黒い巨影が、皮肉にも、迅雷が取るべき現実を思い出す契機になった。
執拗なまでの殺意と、まるで引き延ばした映像のように視界の端でぶれた見たくもない黒。迅雷がそれに恐る恐る目だけを向けたのは、果たしてゆっくりだったのかそう感じただけの一瞬だったのか。
「・・・・・・ッ、そうだ―――そうだそうだそうだそうだ!!考えてる場合なんかじゃない!!」
目の前に転がっている自分の死体。でも、本物の「神代迅雷」は今ここに立っている自分自身だと、確信を持って言える。倒れた慈音だって気を失っているだけだ。生きている。
「まだ、まだ助かる!助けられる!!」
左手に剣を握り直し、迅雷は駆け抜ける。正直、彼自身、自分がなにをしようとしているかよく分からないのだ。ただ必死で、なにも考えない。
まずは、『ゲゲイ・ゼラ』に爪で太ももを貫かれ、逆さの宙吊りで木の幹に刺し留められた礼仁を『守る』のだ。
『インプレッサ』でも剣技魔法は十分に使える。魔法陣を刀身の中に描き上げて、紫電を走らせる。
所詮は獣、『ゲゲイ・ゼラ』は黒色魔力を蓄え始め、礼仁のことしか見ていない。迅雷は一気にその懐へ飛び込んで剣を振り下ろした。
「『雷・・・斬』ィィィ!」
激しい雷光を纏った刃が『ゲゲイ・ゼラ』の右腕を半ばで斬り落とした。しかし、『ゲゲイ・ゼラ』は体の一部を破壊された程度で怯むような生ぬるい生物ではない。
そいつは未だ、木に突き刺さる爪で縫い止められた礼仁から注意を逸らさない。腕を落とした相手のことを意に介しすらしない。
迅雷は礼仁を木から降ろすのではなく敵の標的を自分に切り替えさせる方を選んだ。
「こっち向けよ、バケモノ!!」
本心を言うなら―――『制限』が解除されていたならこの隙に魔力を全開にした一撃で『ゲゲイ・ゼラ』を仕留めてしまいたかったが、そうでない今は魔力が足りない。
だから、せめて。
迅雷はもう一度『雷斬』を発動させた。だが一撃では『ゲゲイ・ゼラ』には虫に噛まれた程度の痛みしか与えられない。それはもはや威力と呼べるものではない。
だから、繰り出すのは『雷斬』ではなく、『万雷』―――今まで使ったこともない絵空事のような大技、四連続重斬撃だ。
振り下ろした剣で腹を斜め上に斬り上げ、腹筋と背筋で体を強引に捻り戻して水平斬り。
「るぅッ、くッ、らァァァァァァァァ!!」
恐らく市販されている量産品魔剣の設計はこれほどの高負荷なんて想定していないはずだ。『インプレッサ』の刀身は既に奇妙な軋音を立てている。だが、迅雷はそんなことなどもう気にも留めない。
全体重をかけて迅雷は右に振った剣を左に斬り返し、そのまま一回転。振り戻ってきた刃を『ゲゲイ・ゼラ』の腹に滑り込ませ、そのまま背まで切り抜けるために渾身の力を込める。
分厚い肉を裂き、筋を断ち、骨を砕く。『ゲゲイ・ゼラ』の肉体は意外に柔らかく、脆弱だった。
それは巨体に似合わぬ敏捷性を獲得した代価なのだが、今は細かいことを迅雷は知らない。知っていなくたって関係ない。噴き出す返り血で体中を濡らしながら、迅雷は吠えた。
そして迅雷の剣は『ゲゲイ・ゼラ』の胴を斬り裂き、背から飛び出した。それでも余る勢いでバランスを崩さないように迅雷は半歩回って敵に向き直った。
『ギュビビャァアァァァァ!!』
横腹から内臓を溢した『ゲゲイ・ゼラ』が絶叫し、作りかけの『黒閃』は虚空に消えた。
「真牙!!頼む、礼仁さんを!!」
「ッ!?わ、分かった!!そこの人だよな!?」
「ああ!」
迅雷の剣幕に押され真牙は目まぐるしく変化する状況への理解も為さないままに名前も不確かな礼仁という青年を助ける。木に深く食い込んだ『ゲゲイ・ゼラ』の爪を引き抜くのはかなりの力を要したが、火事場の馬鹿力でも出たのだろう。真牙は一息に爪を引き抜いて、礼仁を木から降ろした。
貴志と一太が追いついてきたのはそのすぐ後だった。
「とし坊、無事か!?・・・って、おいおいなんだ!?なんでとし坊が2人・・・・・・って片方死んでるじゃねえか!?」
「死んでっけど俺は無事です!それから―――」
「分ぁってる!!無事なら良いからさっさと逃げるぞってんだ!!」
さすがにベテランは違う。迅雷が発狂する寸前まで追い詰められたこの光景を見て、貴志の反応、そして対応は適確だった。
貴志の発した複数の銃魔法が『ゲゲイ・ゼラ』の群れに飛び込んで炸裂し、その隙に一太が足を負傷した礼仁をヒョイと拾い上げて肩に担いだ。
どうやら先ほどの貴志の攻撃で完全に頭部を失った『ゲゲイ・ゼラ』は視覚と聴覚を失ったために見当違いの方向へ行ったらしく、そしてあと1体もまともに倒してしまったのだろう。貴志と一太が引き連れてきた怪物は5体だった。
それと、今迅雷が斬った『ゲゲイ・ゼラ』が合流して合計6体。
ランク5の貴志がいるというのと、周囲に一般人がいないこと(慈音が今加わったが)が、この少人数の戦闘能力を4月のあの日よりも飛躍的に高くしていたのだろう。
けれど、こちらが相対的に強くなろうが向こうは未だ6体。あのときの3倍だ。
依然として絶望的。この際なにが起きているのかなんて説明している時間なんてないし、正しくは迅雷だって分かっていないかもしれない。ひとまず愕然としている煌熾と真牙に迅雷は声を荒げて突き動かすことにした。
真牙はまだなにかした分マシだろうが、特に煌熾がマズい。突如眼前に飛び込んできた災厄に彼は立ち尽くしてしまっている。
「真牙!焔先輩!!走って!!逃げるから!!」
「・・・ッ!?あ、ああ・・・!」
迅雷が慈音を左手で抱えようとすると、それより早く煌熾が脇から彼女を取り上げた。
もしかしたら迅雷は少しだけ思い違いをしたかもしれない。まだ煌熾の目は生きていた。こんなときだというのに、彼は力強く笑ってくれた。
「無茶するな、神代は右腕が使えないんだろ」
「・・・すみません、しーちゃんを頼みます!」
「な、なぁオイ!」
「っ!?」
しかし、逡巡したのは煌熾ではなかった。迅雷を呼び止めたのは真牙で、彼が捨て置き、走り去ることを躊躇したのはいうまでもなくそれだった。
「なんだよ、逃げるって言ってんだろ!!」
「でも、こっちのお前は・・・どうす―――」
「そんなもん置いてけ!!ただの死体だろ!!」
「――――――ッ!?く、そ・・・」
恐らく、迅雷が自分と瓜二つ―――否、正しくは自分そのものとしか思えない人間の死体を「そんなもの」と言い捨てて地面に転がしたままに出来るのは、自分への執着も愛着も全くないからだ。
結局、こんな状況に陥ってなお、彼の追った見えない傷は残っていて、欠片ほどの自己愛もなかった。
いや、もしかすると自分の死を見たその瞬間で以前にも増してそうなったのかもしれない。
真牙はまだどちらが本物の「迅雷」なのかが分からなかった。視覚に頼り切りだったから、だろう。その視覚を信じるなら、あんなことをした彼ではなく、今生きて走っている少年こそが自分と何年も額をぶつけ合って張り合ってきた「本物」だと思いたかった。
だから真牙も遅ればせながら走り出した。
未練はある。喉を裂かれていたって、白目を剥いていたって、もう二度と動かないって知っていたって。
「なんで、そんなにそっくりなんだよ・・・!!」
激しく低木短草を掻き分けて、空中を無数に漂う石柱に頭をぶつけそうになりながら必死に隙間をくぐり抜けて、それでも前を向ききれない真牙の目に、いつまでもそれは映っていた。
最後はトマトでも踏みつぶすようだった。たった一瞬で、「迅雷の死体」は『ゲゲイ・ゼラ』に踏み潰された。呆気なく、土煙の奥で弾けた。石柱の陰に隠して逃げ去るのが恐くて、腹立たしくて、許せない。
「―――あっ」
ただそれがあまりにも惨すぎた。
「真牙、足止めんな!!」