episode5 sect13 ”Contradiction”
迅雷と慈音が湖の真ん中で途方に暮れていた頃、山崎貴志率いる『山崎組』の探査チームは、例の『ゲゲイ・ゼラ』牧場を発見していた。
明らかに想定外だっただろう。彼らもその10分ほど後に現れることになる知人の息子同様に声を上げそうになったが、そこはやはり経験豊かな大人の度胸で乗り越えた。
その悪夢のような景色は―――『山崎組』の面々は4月の『ゲゲイ・ゼラ』騒動に居合わせなかったのだが、今回のクエストに際して防犯カメラの映像から最凶の化物の姿を確認していたので、あれがそうなのだと理解出来たから―――目を疑うようだった。
幸い脆そうな柵の隣には厩舎とは別になにかの建物があって、彼らは『ゲゲイ・ゼラ』に見つかる前にその陰へと逃げ込んだ。
一応の落ち着きを取り戻したところで、今回参加しているパーティーメンバーの中では最若年である鹿野礼仁が顔を青くして貴志の顔を見た。
「な、なんスか、あれ。夢かなにかですよね、いや、きっとそうッスよ・・・」
「じゃあ礼仁、ちょっとつっつかれてこいよ」
「い、嫌ッスよ!夢でも嫌だ!」
「こら、でけえ声出すなって・・・」
「がっ」
貴志のゲンコツは痛かった。夢ではなく現実に、礼仁が見たあの異様な風景はこの建物の向こう側に広がっているのだ。まるで牛や羊を野に放つような気軽さで、『ゲゲイ・ゼラ』がすぐそこを闊歩させられている。
「しかし、これはどういうことかね!」
「日下さんもデカい声出すなって」
「すまんな!これでもミニマムだ!」
「じゃあもうしゃべるなよ・・・」
今日は連れてくるメンバーを間違ったかもしれないと感じた貴志はドンヨリした息を吐く。
おしゃべりが大好きな一太はしゃべるなと言うリーダーの理不尽な命令に拗ねて、今度はせわしなく身振り手振りで言いたいことを表そうとした。・・・のだが、手話かなにかならともかくデタラメなジェスチャーでは目にうるさいだけでなにも伝わらないので、結局流されてしまった。
「にしても、ここのチェックは済んでたんじゃないのかよ。前に来たヤツはなにしてたんだ?」
一太が指を差して「それが言いたかった!」と訴えてくる。それはともかくとして、まさにその通りなのだ。湿地だったはずの平原や木々の茂る森だったはずの土地が悪夢の農業地となっているなど、見て分からないような馬鹿はいない。
そこら中に漂っていた浮遊柱もこの辺りだけは綺麗に撤去されているのは、恐らくあの巨大生物を飼育するのに邪魔だったからだろう。
そこで浮上する問題は、そうやってここに手を加えたのが誰か―――というところである。
まさか人間がやった・・・なんてことはない、はずだ。
ただ、ヒントがあるとするなら今貴志たちが隠れている建物だ。人が作れば自然と機械的なデザインになるところが、禍々しいとまでは言わなくともオカルティックな外観であるのだ。これは建築物に関する文化の違いを表しているものと考えられる。―――もちろん、カモフラージュの可能性も捨てきれないが。
「少し張り込んで牧場主だけでも見ておくか・・・」
「それが良いッスね。どうにもこの食い違いは何者かの陰謀臭いですよ」
口を開かせてもらえない一太も頷く。
さすがにこの3人の戦力だけでは『ゲゲイ・ゼラ』の殲滅は出来ないが、この件は報告せねばならない。なんとしてもだ。
そうと決まれば貴志、一太、礼仁の3人はもう一度、忍び足で建物の陰ギリギリまで戻る。角から頭だけを出して農場を見たが、まだ『ゲゲイ・ゼラ』は彼らに気付かない。
だけれど、牧場主の帰還を待つよりも早く貴志たちの視線の先に現れたのは、黒髪の少年だった。
「と、とし坊!?」
「なんであの子が!」
驚愕で目を剥いたのは貴志と、それから一太だった。ただ、それでも、体は動く。
迅雷は目の当たりにした奇妙に牧歌的な情趣の地獄を恐れ、声を上げてしまったのだ。
響き渡る、高くて重低なおぞましい咆哮。
貴志たちは自らの危険も顧みず走り出す。
『1人で良かったな』―――馬鹿にすんなりと迫る死を受け入れるかのような少年。どうして拒まない?なぜ抗わない?彼が逃げ出さなかったのは、きっとあの引きつったニヒリズムの笑みが教えてくれていた。
なにもかもを達観して諦めて、その無力をあるがままに受け入れた死の恐怖への麻痺感情。
けれど、そんなわけにはいかない。
「バカなこと言ってんなよ、とし坊!!」
見殺しになんて、できっこない。
●
八重に折り重なった叫びが背を狙い追ってきている。正直、生きた心地がしないのはさっきも今も一緒だった。
「くそ、いくら撃ってもまるで止まらないッスよ、こいつら!!」
慈音の下へと走る迅雷を援護して『ゲゲイ・ゼラ』にマシンガンを乱射する礼仁。しかしいくら血霧を噴かせても一向にその勢いを止めることが出来ない。
時折閃く『黒閃』が森の木々を跡形もなく消し飛ばしていく。
「まだか!神代少年!いい加減マズいぞ!!」
「あと少し、あと少しですから・・・!!」
致命的な破壊力を受けた地面が爆発して、抉れた地面に押し退けられる。迅雷は地面を転がり土を食いながら前を目指して走り続けた。
背後に、こんな自分のために奮戦してくれている貴志たちの存在を感じながら。でも、銃声がまるごと化物に押し潰されるのは、一太が言うようにいつ起こるかも分からない。
木々の隙間から湖の水面に反射した光が覗き始めた。慈音のいる場所はもうすぐそこのはずなのだ。
だが、迅雷は走っている間もずっと、こんな風にも考えていた。まだ見つかっていない慈音のところへなぜいくのか、と。当然だ。もしも森で1人で迷子になったって、『ゲゲイ・ゼラ』の群れに見つかるよりはずっと安全だったはずなのだから。
このまま迅雷は慈音のところに戻って良いのだろうか。それは結局、大切な人をみすみす危険に晒すだけなのではないのか。
けれど、これも間違いない。あんな場所に、死の牧場が目と鼻の先にあるような木陰に慈音を1人でいさせるのだって危険なのだ。そんなことにしていれば死の可能性は生存の可能性を遙かに超える。
もし迅雷たちが逃げ切ったとして、いつ帰ってきた『ゲゲイ・ゼラ』が彼女を見つけるとも限らない。迅雷たちがここで皆殺しになったら、その続きで彼女が見つかるんは時間の問題だ。
なら、一緒に逃げるべきなのだ。そのはずなのだ。
だから、助けないといけない―――。
―――助けないと?・・・『守る』のか?この絶望的な状況で?
迅雷の意識の中にわずかな歪みが生まれた。
「・・・俺、なに必死になってんだ?だって、どうせ無理だろ?どうせ―――でも、あれ・・・?」
なにかが変だ。おかしかった。
迅雷には誰も『守れ』ない。それが分かった。だから諦めた。無茶な願いは抱かない。不可能な夢は追いかけない。
例えそれが大事なあの人との『約束』だとしても、叶わないのなら叶わない。どれほど胸の中に燻ろうと、「みんなを『守れ』る強い神代迅雷」は所詮絵空事で、現実の少年はなんの力もないただの人間なのに。
だから全部全部、調子の良い希望ばかりで空想の中にいた少年の間違った幻想だったって、そう思って押し殺した。もう迅雷はわざわざ自分が誰かを『守ろう』などとは思わなくなった。
―――なら、俺はなにがしたいんだ?
「とし坊!!」
「・・・・・・っ!?」
そんな一瞬の心の機微を理解するほどの知性はあの獣にあったのだろうか。ただひとつ確かなのは、わずかに足の鈍った迅雷に向けて1頭の『ゲゲイ・ゼラ』が飛び出したことだけ。
あの巨体がその加速度を達成出来る意味が分からない。一瞬で膨らむ巨体の像。迫る赤斑の黒爪。想起するのは穿たれた胸の疼痛。もう、次はない。
「く、そがぁぁぁ・・・!!」
魔剣に迅雷は手を伸ばすが、間に合わない。
そんな迅雷の危機を救ったのは、あの日下一太だった。
「ええい!ボサッとしてるな!」
「なっ」
それは多くの意味で迅雷には意外だった。けれど、一太には一太なりな理由があった。
「ぬゥゥッ!!俺は・・・あの子のお目付役だからな!!」
驚くべき腕力を発揮した一太が『ゲゲイ・ゼラ』の突進攻撃を、爪を掴むことで止めてくれたのだ。押されるままに迅雷は一太に背を向ける。
あのネビアを純粋な筋力だけで容易く制していただけのことはあって、青筋を浮かばせた一太は自分の数倍は大きい化物と力で拮抗している。
だが、彼が押さえられるのはその一体だけだ。
「気を抜くなよ、次が来る!!」
「日下さん、早く離れろ!狙い撃ちにされるぞ!」
貴志の実弾ライフル魔銃が火を噴き、一太が対峙する『ゲゲイ・ゼラ』の頭頂部に命中、大爆発を起こした。その隙に一太は『ゲゲイ・ゼラ』から離れる。
「すまん、助かった!」
爆炎の内側から飛んでくる黒い甲殻の破片。ようやく1体―――仕留めた手応えを感じた貴志と一太の意識は頭を失った『ゲゲイ・ゼラ』から離れた。
でも違う。まだだ。何一つ、終わってなんていない。
迅雷だけは知っている。
死体が動き、余所見をする一太に死の爪を振りかざす。
「まだだ!!まだそいつ生きてる!!」
「な、なにッ!?」
今度は迅雷は一太の前に飛び込んで、魔剣を抜き放つ勢いのまま『ゲゲイ・ゼラ』の爪にぶつけた。
「が、ぁぁぁぁぁう!!」
瞬間、手首が激熱し、迅雷は顔をしかめる。渾身の一撃を放ったにも関わらず、迅雷のからだは紙くずのように弾き飛ばされてしまった。
しかし、その行為は無駄にはならなかった。迅雷が作ったほんのわずかな隙ではあったが、一太は後退に成功したのだ。
それだけ見送って迅雷は砲弾のように吹っ飛ぶ。もう何十メートルも地面と水平に飛び続ける迅雷の体は何本もの木をへし折ってようやく地面を転がる勢いに落ち着き、今度は地面に頭を出した木の根に体中を打ち付ける。
止まれたのは、その数秒後だった。四肢を大の字にして迅雷は呻きを漏らした。なんとかまだ生きているらしいことが奇跡のようだ。
骨が砕けるような激痛に包まれて世界が明滅して、頭を押さえようとして右手が動かないことに気付く。今の一合だけで肩を脱臼したらしい。代わりに左手で頭を押さえる。ねっちゃりと生温かい感触が皮膚感覚に染み込んでくる。
途中で握っていられず手放した『インプレッサ』が頭のすぐ横の地面に刺さり、青ざめる。
「ぁ、ぐ・・・そ!まだ、しーちゃんを・・・」
「と、迅雷?なんで・・・!?」
「神代・・・なのか?」
「・・・え?」