episode5 sect7 ”テストの結果は大体見る前から爆死したか分かってる”
「それじゃあ中間テストの結果を返しまーす」
間延びした声でそう言いながら教室にやって来た真波は、確かに分厚い紙の束を脇に抱えていた。
『はやっ!?』とハモる生徒たちを見て、真波はドヤ顔をする。ただ、その顔色は泥人形のように不健康だ。
「ふっふっふ・・・。そうです、マンティオ学園の先生たちが行うテストの採点は世界最速なのですっ!」
なにがそこまで誇らしいのやら。フンスと鼻息を漏らす担任に向けられる視線は生白い。
とはいえ、確かに恐るべき仕事の速さである。今日の日付は7月4日なのだが、テストが終了したのが先月の29日である。2日間に渡る試験、計8科目、答案用紙の合計枚数は実に3000枚オーバー。それにも関わらずこの速さだったのだから、それはもう途方もない作業だったことだろう。
土日を挟んでいたとはいえ、思い出せば廊下で擦れ違う教師たち全員が半死人のような顔をしていたはずだ。
採点のためだけに『マジックブースト』を使用して目や腕を酷使し、睡眠を取ることさえ裏切りと言われる環境を生き残った彼らには心からの讃辞を――――――。
―――ただのブラックとか、そういうことは思っても言ってはいけない。彼らはやるべき仕事を可及的速やかに完了させて自由を手に入れたのだ。異論は認めない。
「ということで今からテストの答案と学年順位を書いたやつ一緒に渡すんですが・・・その前に」
真波はなんだかんだで気になって落ち着かない生徒たちに向けて人差し指を突き付けた。
というのも、点数や順位に一喜一憂してもらうのは面白いから大いに歓迎するが、忘れてはならないことが1つあっただろう。
「1つでも赤点があれば、夏休み削って学校に来てもらいますからね?」
『えー!?』
「『えー』じゃないわよ。当然でしょう?やらなかったそこのあなたが悪いのよ。・・・え?やっても出来なかった人?そんな子はまぁ・・・ご愁傷様ってことで?」
小馬鹿にした様子で真波は肩をすくめた。
多分真波は楽しんでいる。学校という世界が大好きな彼女としては夏休みを返上しての補習だって喜んでやる所存なのだから。むしろ率先してやりたいくらいだったことだろう。
その願望が生徒には頑張って良い点数を取って欲しいという教師としての意識と噛み合わないことに一抹の歯痒さを感じてはいる。
可愛い教え子たちと過ごせる時間は、増えたら増えたで良いと割り切る。真波はやる気がある生徒が好きだ。つまり補習にキッチリ参加してくれるならそれで良しとするということだ。
まぁ、そういう葛藤は採点結果が揃う前の話だが。だから真波はこんなにニコニコしているのだ。
「それと、初めにネタバレをすると、なんと!3組には補習決定者が4名いまーす!いえーい!」
なぜそんなことを明るい顔で言えるのだろうか、などという生徒たちの疑問への答えは先に説明しておいたはずだ。今日この時点で、真波が抱えていたジレンマなんてとっくに補習があることを知っていたから晴れやかに消え去っていた。
急に顔色を悪くした生徒は20名ほど。
「うふふ、そうそう、その顔よ。ネタバレしたのはみんなの青い顔を見たかっただけだから、広い心で許してね?」
真波はそう言って小さく舌を出した。もちろん20名のうちの誰ひとりとして彼女を許すことはなかった。
「それじゃあ今度こそ返しまーす。呼ぶから前に取りに来て、良いリアクションをしてください」
この頃の真波のテンションはやけに高い。
出席番号順に名前が呼ばれ、その生徒は夏休みの存亡がかかった紙切れの束を受け取る。緊張で歩き方のぎこちない男子。余裕を隠さずに結果を受け取ったその場で固まる女子。
1人、また1人と無情にも流れ作業で結果は渡されていく。そんな中、雪姫や真牙に答案を返すときだけは真波が意地悪ではない方で素直に嬉しそうにする。大体の生徒はその理由をなんとなく察していた。いや、真牙がそうであることは腑に落ちない人が多いのだが。
それからも山積みだった紙束はその高さを削っていき、真波が慈音を呼んだ。
「はい次、東雲さーん♪」
「はい・・・」
いつになく元気がない慈音を誰もが不思議そうな目で見た。
というのも、実はみんなが慈音に抱くイメージというのが意外に「そこそこ勉強が出来る子」だったからだ。だって授業は真面目にノートを取っているし、授業中の質問も答えられるし、宿題もちゃんとやってくるし、それで勉強が苦手なはずがない。
希望と平和の象徴と言っても過言ではない慈音があんなに絶望で真っ暗なオーラを出すなんて、まず想像するはずがない。
「どうしたの、慈音ちゃん?体調悪い?」
歩みも覚束ない慈音を心配して彼女の2つ前の席に座っていた友香が小さく声をかけた。しかし、慈音はなにも言わずに頼りない笑顔を返した。
「ううん、ありがとう友香ちゃん・・・今まで楽しかったよ・・・本当に」
「そっか・・・・・・って。慈音ちゃん!?」
謎の別れの挨拶と共に慈音が真波と向き合って、またまた意味不明な緊張感が教室を支配する。本当に赤点か?ただの心配性か?慈音の行く末を全員が固唾を飲んで見守る。
「はい、東雲さん。夏休みもヨロシクね?」
「うわははーん!!先生が容赦ないよぉ!!」
真波が繰り出した溜め0秒のチート級舌技によって慈音は床にへたり込んだ。
そんな彼女の手に掴まれた8枚の紙を最前列の席の生徒がひょいと覗き込んで、顔を青くした。
「・・・こ、これはッ」
「ヒドいな・・・」
「あー!あー!!見ないで!見ちゃダメだってば!」
あまりにも予想外の撃沈に少なからぬどよめきが。慈音の8科目の平均点は39点だった。
ともかくこれで慈音は補習決定。席に戻る足取りは往路にも増して弱々しい。
「うぅ・・・ごめんね、としくん、真牙くん。これじゃあみんなでクエスト行けないよね・・・」
「「大丈夫、知ってたから」」
「あ!?」
着席した慈音がメソメソしているが、テスト返却に慈悲はない。平和の象徴を泣かせた男子2人には特に女子勢からの視線が厳しいのだが、知っていたものは仕方あるまい。迅雷と真牙からしたらいつもの光景である。
そもそも慈音の学力は結界魔法の心得がなかったらマンティオ学園入学も危なかったレベルだ。だから入学式の日に慈音本人もあれだけ感慨深そうだったのだし。
その後も淡々と名前が呼ばれ続けて、全員に結果を返し終えた真波は悲喜交々の情景を満足そうに眺めていた。
「はい、みんな!どうだったかな?学園生活初のテストは難しかった?それとも物足りなかったかしら?ま、今回はアレだった人は夏休みに私がミッチリモッチリ鍛えてあげるから、期末で挽回しよう!」
●
真波の話が済んで放課されると、迅雷は違和感に眉をひそめた。中学校までの話ではあるが、いつもならテストの結果が返ってきた後には必ず真牙が点数を見に来るものだった。もちろん、彼の方が迅雷より圧倒的に高い点数を取ったから嘲りにくるという意味だ。
だが、今回はそれがなかった。
「なんかあったのか、あいつ?」
まさか赤点なんていう面白いオチを用意しているとも思えない。迅雷は気になったついでに今日は自分の方から声をかけてやることにした。
・・・のだが、いざ真牙を見てみると、あからさまに落ち込んでいる。机に突っ伏した真牙のつむじを迅雷は指で強めにつっついてみた。ちょっと痛かったはずなのに反応が薄い。これは大事件かもしれない。
「よう、どうしたんだ真牙。テストなのに、らしくないぞ」
「迅雷か・・・。もうお前でいいや」
「なんか癪に障る言い方だな・・・」
「なぁ、聞いてくれるか?」
なんだか泣きそうな目で見上げられ、迅雷は少し驚いた顔をした。もしかすると、「まさか」があったのかもしれない。
とはいえ、もしそうだとしても迅雷的には真牙をイジるネタが増えるだけなのでどんと来い、である。真剣に話を聞く姿勢を装いつつ、迅雷は内心ワクワクしながら頷いた。
「あのさ・・・オレ、もうダメだ・・・」
「ダメって、そりゃないだろ。・・・どうした?」
「だってぇ!!見ろよ、この学年順位!!」
そう言って真牙は先ほど渡された成績書代わりの短冊を迅雷に突き付けた。
迅雷はそこにある数字たちがどれもこれも期待外れだったので白けた顔をする。
「順位だろ?えっと・・・・・・2位?全然ダメじゃないだろ。フツーにさすがだわ」
「ダメだろ!学年1位じゃないとか人生初だぞ!うああぁぁっ!」
「うっせ・・・」
なかなか大胆に贅沢なことを喚き散らされて、一番近くにいた迅雷は両耳を指で塞いだ。教室のみんなが突然の大声で肩を跳ねさせていた。
いや、確かに真牙はこう見えてかなり座学も優秀で、さっきも言った通り中学時代はいつも迅雷のところに1位を自慢しに来た。
だが、もう高校生になって世界は広がったのだ。初を語れるほど長い人生を過ごしたわけでもないのに2位を嘆くのは超平凡成績保持者である迅雷の価値観では測りかねる。
「ぜーたくなやつ。2位でも十分すごいだろ」
「でも1位はもっとすげえし!」
「・・・ん?そういえば真牙のクラス内での順位も2位だ」
真牙にまともに取り合うのも面倒なので―――というより点数庶民では本当に縁のない悩みだから向き合おうにも気持ちが理解出来ないので、迅雷は短冊に目を落とし、もう1つあった「2」という数字に気付く。
「つーことは学年1位も3組にいるのか」
「らしいな!チクショー!どこのどいつだ!けちょんけちょんにしてやる!」
自分の座るべき席を奪われたつもりなのだろうか。意識が高いようでよろしいが、迅雷は「大概にしとけよ」と真牙にチョップをした。
「上には上がいるんだよ。敵わなかったんだから今回は諦めろ」
「ぞんなぁ・・・」
国語以外の全教科が満点、その国語も90点。それでも勝てない相手とは、それはそれで迅雷も気になるが。
そんなバカ2人のやかましいやり取りを背中に受けながら、雪姫はそっと自分の短冊をスカートのポケットに突っ込んだ。